第47話 クルスは過去を顧みて先を推し量る
「はーー、……平和だ」
「平和だな」
箒を手にして落ち葉を集めながら、何事も起きないという俺にとっては特別な出来事に、何度目になるか分からない独り言を呟く。
それに何となくな感じで応じたのは、『銀閃』の仲間にして俺の相棒のランディ。
ランディのいで立ちは革鎧の軽装や諸々の道具を服のそこかしこに隠し持った冒険者のそれではなく、どこにでもいる平民そのものといった感じだ。
当然、俺も同様の服装なのは言うまでもない。
といっても、俺達が今いる場所はちょっとどころじゃないほど異常なんだがな。
なにせ、しっかりとした造りの街並みなのに人がいない。これが比喩でも何でもなく本当に人っ子一人いないのだ。まさにゴーストタウンってやつだ。
あと、人族の街にしてはやたらと木が多いんだが、民家まで浸食されている感じじゃないのがさらに不気味だったりする。もっともこれは、俺達のご主人様であるフランチェスカ様のさらに上、永眠の魔王ボクト様の力によるものらしい。そう聞かされた時にはなんとなく納得してしまった。
まあ、細かいことはどうでもいい。
大事なのは、今俺達が平穏な生活を送れているってことだけだからな。
あの時、リートノルドの街奪還作戦が失敗してボクト様に降伏し眷属契約を交わした当初、俺達『銀閃』の四人はまったく同じ予感を抱いていた。
ああ、今度はどんなこき使われ方をするんだろうな、って。
自分で言うのもなんだが、俺達『銀閃』は冒険者の枠を超えた知名度と信用と実績がある冒険者パーティだ。
そこに至るまでの経緯は誤解と勘違いに満ち溢れたものだったし、俺達四人も迷惑でしかない過分な評価だと今でも思ってるが、やっぱり現実は現実として受け止めなきゃならない。
現実と理想の乖離ほど、危険なものは無いからな。特に切った張ったの稼業の冒険者にとっては。
そんな他人から見たらトップクラス扱いで特別扱いのS級冒険者パーティ『銀閃』って名前は、ほとんどの奴らからしたら憧れか嫉妬の対象だったんだろうが、当の俺達に言わせれば、全部リセットして冒険者としてゼロからやり直したいと思うほど、面倒極まりない存在だった。
もはや『銀閃』という名前だけが独り歩きしていて、俺たち自身ですら止められない状況に陥っていた。
だが、あくまで俺達の目標は、資金を溜めて故郷で平穏に暮らすことだ。普通に仕事をして、普通に近所づきあいをして、普通に結婚して、普通に家族を作って、普通に最期を迎えること。
その思いは、冒険者としてどんどん有名になっていっても、誰一人として変わることはなかった。
いや、そこで心境の変化がなかったことがどんなにおかしいか、俺達も自覚している。実際、ランク昇格や大物とコネができた時なんかには、何度も四人で話し合った。
今まで持っていた目標を変えて、もっと『銀閃』の名前を利用した生活を送ってもいいんじゃないか、と。
話し合いの経緯をすっ飛ばして結論を言うと、全員の答えはノーだった。もちろん、俺もだ。
その理由を論理だてて説明しろと言われても困る。理屈とかそんなのじゃなくて、ただちやほやされる生活が性に合わない、としか言いようがないからだ。
それに、誰もが納得できるような理由を用意できていたら、俺達『銀閃』はとっくに解散してそれぞれの田舎に引っ込んでる。
すでに目標金額の軽く百倍を稼ぎ出しているのにまだ冒険者を続けている理由は、これまでにできた(ほぼ強制的に作らされた)コネや伝手から来る数々の依頼を処理しないといけなかったからだ。
もちろん、依頼が来るたびに断ろうとした。したんだが、どの依頼も『銀閃』にしか達成できない難しいものばかりで、どれもこれも期限内に断ることができなかった。
例えば、○○公爵ととある王女との不義密通の証拠の手紙を盗み出せとか、とあるグランドマスターの親戚を□□騎士団から密かに守れだとか、そんなのだ。
というより、これまでの冒険者人生の後半部分は、ほとんどがそんな他人には絶対に話せない感じの極秘依頼ばっかりだった。
いや、俺も分かってる。ただ、正面から見る勇気がなかっただけだ。
これ、もう冒険者とか関係ない依頼だよな?
そんなこんなで、もう自力ではどうにもならないほど王国の深い闇にどっぷりと浸かってしまっていた俺達は、遅かれ早かれ皆殺しの目に遭うか、王家か大貴族に囲われるかの二択を迫られていたわけだ。
不満?無いわけがない。
何度も言うが、俺達の人生目標はあくまで普通に生きて平和に暮らしてベッドの上で死ぬことだ。
もちろん、天蓋付きの豪奢なキングサイズじゃない。精々嫁さんと二人の体を押し込んでギリギリの狭いベッドの話だ。
いったい何が悪くてどこから間違ってしまったのか、神様がいるなら教えてほしいくらいだ。
例えるなら、飼い犬が狼の群れの中に放り込まれたような気分だ。それが冒険者として有名になり始めてからずっと続いている。
それでもなんとか気が変にならずに済んでいるのは、『銀閃』の名前に対して俺達四人の面体がほとんどの奴らにバレていないからだろう。
ここに関しては、三人の仲間、ランディ、ミーシャ、マーティンもそうだろうが、俺もリーダーとして細心の注意を払い、『銀閃』の実績と立場をフル活用した。
王族の血筋の噂がある(ほぼ無意味な噂だが)グランドマスターに後ろ盾になってもらい、貴族も含めたあらゆる勢力、人物からの俺達の個人情報に関する問い合わせを全てシャットアウトしてもらった。
このおかげで、俺達は普通に街中を歩いても誰一人正体がバレずに生活することができていた。
もっとも、その見返りにグランドマスターの無茶な要求を受け入れ続ける羽目になっていた。これが結果的に『銀閃』解散に踏み切れない理由の一つになっていたんだから、本末転倒なんだが。
……今思うと、あの時が一つのターニングポイントだった気もするな。
逆に言えば、グランドマスターに俺達の弱みを握られてるってことだもんな……
誰だ、グランドマスターに後ろ盾になってもらおうって言った奴。
……俺なんだけどさ。
まあ、そんなこんなの末に辿り着いたS級冒険者パーティ『銀閃』最後の依頼が「リートノルドの街奪還作戦」であり、その結果囚われの身になるか死を選ぶかの選択をその場で迫られたわけだが、実は俺にとっては二択でも何でもなかった、ってのが本音だ。
仮に、死ぬの選択肢が、無事に森から出られるというものに変わっていたとしても、俺は眷属になる道を選んだ。そんな気がする。
その選択の結果、こうして箒片手にぼーっとできる時間が与えられているんだから、俺の目も節穴じゃなかったってことなんだろう。
実際、S級に昇格した時点で、例え冒険者を引退できていたとしても普通の暮らしを手に入れることは難しいだろうなとは思っていたし、ランディたちも同じ思いだった。
今はグランドマスターの力で秘密が保たれているが、この先絶対に漏れないなんて保証はどこにもないし、なにより俺達が引退した時点でグランドマスターが秘密を守るメリットは消滅する。
仮にグランドマスターが律義に約束を守り徹してくれたとしても、例えば大貴族の圧力やそれこそ王命で俺達の個人情報の開示を迫られた時、口を閉ざし続けるのは難しい。
王族と言っても、無限の権力を持ってるわけじゃないからな。
そういう意味ではフランチェスカ様の提案は、人生のリセットという意味ではこれ以上ないほどの幸運だった。
最初は、王都あたりに潜入させられて捨て駒扱いされるのかとずいぶん疑ったもんだったが、蓋を開けてみれば俺達の仕事は、ここ元リートノルドの街、通称市街地の整備清掃だった。
はっきり言う。理想の職場だ。
グランドマスター辺りが今の俺達を見たら「そんな誰でもできる仕事なんざ他の奴らに任せろ!お前らを遊ばせておくことは王国の、いや人族全体の損失だ!」とか言い出しそうだが、余計なお世話にもほどがある。
その時は、俺達は好きでやってるんだからほっといてくれ、と言いたくなるだろうな。
だからといって、無条件でボクト様、フランチェスカ様を妄信できるほど、俺達『銀閃』の経験は生易しくない。
ただの掃除夫を雇いたいんなら、それこそそこらの村から攫ってきて無理やり奴隷にでもすればいいだけの話だ。
いくら俺達の方から攻めたとはいえ、一流冒険者を眷属にしたからにはそれなりの使い道を考えているはず。少なくとも俺は、我らが魔王様と公爵様の意志をそう推し量っている。
「しっかし、ミーシャとマーティンはちゃんとやってるかな?」
「大丈夫だろう。マーティンは未だにこういうことには慣れてないけど、その辺はミーシャが上手くフォローしてくれてるさ」
そう言い合いながらランディと二人、市街地の外で四苦八苦しているだろうミーシャとマーティンがいる方角を何となく眺める。
今日までで集めるべき情報は九割方揃った。
ほぼ俺の予想通りだったとはいえ、やっぱりこういうことはコツコツ根拠を積み上げて行かないとな。
そして、その推測が正しければ近いうちに……
「ああ、ここに居ましたか、クルスさん、ランディさん」
ふいに、鈴の音にも似た涼し気な響きが俺達の名前を呼ぶ。
振り返った先にいたのは、俺達に気配を感じさせることもなくそこに佇む緑の大精霊、フランチェスカ様。
ちょっと前までの俺達と同じくらい多忙を極めているフランチェスカ様が、呼びつけもせずにわざわざ俺達の前に姿を現したとなれば答えは一つ、俺の予想が少しだけ早く的中した証だ。
「あなた達『銀閃』をボクト様がお呼びです」
そらきた。人族との戦いの始まりだ。
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