第45話 会議は進む、されど踊らず 前編
ここは、永眠の森の中枢に当たる市街地の北門広場に設置された大天幕。
その中央に鎮座する長テーブルには、永眠の森の住人を代表する亜人魔族達が集まってきていた。
通常、この大天幕では森の主、朴人の代行を務めるフランチェスカが森全体の統治を執り行う役所として使われているのだが、なにか重要な会議をする場合にだけほとんどの設備や書類が片付けられて(製紙技術はエルフなど複数の種族が持っており、設備は森の木などを利用して自作している)こうして長テーブルが置かれるようになっている。
その長テーブルに沿って並ぶ椅子の上座に近い一つに座ったのは、エルフ族のイーニャ。
今や永眠の森の中でも古参といっていい立場の彼女だが、今回の会議に関しては何も聞いておらず、ただフランチェスカの使者の告げた日時に従って大天幕に現れただけだった。
もっとも、イーニャ自身が今回の会議の中身に関して何も聞いていないことは確かだが、決して何の推測も立っていないわけではない。
「あらおはようイーニャ、早いのね」
そう、気の置けない感じでイーニャに話しかけながら向かいの席に座ったのは、ハーピー族のテリスだ。
「そういうあなたこそ、開始時間よりずいぶん前じゃないですか」
「思った以上に見回りが早く済んだのよ」
「ということは、今朝も人族の影は無し、ですか」
「そういうこと。とりあえず、世は事もなしって感じよ」
「テリス、わかっているとは思いますが……」
「みなまで言われなくても大丈夫よ。狡猾な人族のこと、きっと私達の空からの見回りをどこか遠くで見てたに違いないわ。そして隙を見せたところでまた嫌がらせをして撤退、その繰り返し」
「その隙を与えないためにも、あなた達鳥人族の協力は不可欠です。頼みましたよ」
「はいはい、わかってるわよ。……でも、今日はこの会議が気になってしょうがなかったから、早く切り上げてきたんだけどね」
本来なら小言の一つでも言ってテリスをたしなめるべきとイーニャもわかってはいたが、その気持ちに全くの同意だったのでこの時ばかりは黙認した。
「なになに、なんの話をしてたの?」「ちょっと教えなさいよ~」
「あ、イーニャさん、テリスさん、こんにちわだよ」
そのイーニャとテリスの会話に割り込んできたのは、妖精族のシャラとファラ、熊の獣人のズズーの三人だ。
ズズーはイーニャ達に比べてやや遅れての幹部昇格になるが、今やシャラとファラの二人と共に欠かせない同僚となっていた。
「大した話じゃないですよ。今日の会議の議題がなんなのか、ちょっと気になっただけです」
「あー、それね。アタシも気になってた!」 「でもみんな、大体の予想はついてるんじゃないの?」
「そろそろ奴らをとっちめておかねえと、冬ごもりの食糧集めにも差し支えるだよ」
シャラ、ファラに続いたズズーの切実な声に、全員が頷く。
森の冬は、全ての生き物に対して平等に厳しい試練を与える。この永眠の森は普通の森とは比べ物にならないくらいの恵みをイーニャ達に与えてくれるが、それでも冬ごもりの支度を整えるに越したことはない。
だが、人族が森の周りをうろついている現状では、冬ごもりのための食糧集めすらままならない状況だった。
「そういえば、ヨルグラフル殿は?」
この場にいるべきなのにまだ来ていないその理由を察しながらも、イーニャは半ば義務的な思いで年長のトレントのことを気にする。
「いつもの通り欠席するって言ってただよ。天幕の中は窮屈で敵わねえから、すべてオラ達に任せるそうだよ」
「あの御老人らしいといえばらしいですけど……」
これまでの付き合いで、永眠の森の中では年長者でありながら頭脳労働があまり得意でなさそうなヨルグラフルが、会議に出たがらないのはイーニャにとっても困りものだった。
そもそも完全自足自給が可能なトレント族全体があまり俗世に関心がないせいもあったが、それでも元爵位持ちという点からも、ヨルグラフルには永眠の森全体の意思決定の場には参加してほしいところなのだが。
(それでも、ヨルグラフル翁が前線で睨みを利かせてくれているおかげで、私達はこうして安心して会議していられるんですけどね)
その辺りがヨルグラフルの食えないところだ、とため息をついたところで、にわかに天幕の外が一瞬騒がしくなって、すぐに静寂に包まれた。
騒がしい声は各種族から集められた文官たちのもの、そしてイーニャ達古参以外の永眠の森の幹部もすでに全員集まっていたので、その原因は一つしかありえない。
「みなさん、おそろいですか?」
イーニャ達の実質的な主にして、この永眠の森の管理者である『庭園のフランチェスカ』が天幕の中に姿を現した。
「では、まずは報告をお願いします。イーニャさん」
「はい、ではまずは獣人族から」
上座の椅子に座るフランチェスカの言葉に従って、各種族の現状や異変の有無などが報告される。そしてその進行を務めているのがイーニャだ。
これは古参の亜人魔族の代表の中で争って勝ち取った立場というわけではなく、腕を持たないハーピー、気まぐれな妖精、脳筋の老トレント、上がり症の熊獣人など、どう見ても文官仕事に向かない人材ばかりだったので、消去法で決まっただけのことだった。
そんな理由だから、イーニャの方も特に他の種族より一歩抜き出たという感覚に成れなかった。
いやもっと大きな理由がある、と、イーニャはズズーの報告を頭の片隅に留めながらフランチェスカをちらりと見る。
精霊族。
よく妖精族と混同する者が後を絶たないが、実際には似て非なるもの、希少性で言えば精霊族の方が圧倒的に高く、傲慢な人族は精霊族を捕らえて高値で売買しようという輩も少なくない。
その性格は、よく言えば純真一途。悪く言えば狂信的。
一度こうと決めたことにはとことんまで突き進むが、一方でその他のものにはまるで関心を示さなくなるらしい。
そして、フランチェスカの関心事、というか忠誠心は言うまでもなく朴人にある。逆に言えば、朴人に関わること以外には決して関心も興味もないということだ。
そこをはき違えた、永眠の森の中でも実力のある方だった亜人魔族たちの末路を憶えていない者などこの場には一人もいない。
少なくとも古参の中には、フランチェスカの美しさと膨大な魔力に目がくらんで、普段イーニャ達の前には滅多に姿を現さない朴人をないがしろにする愚か者は誰もいなかった。
だから、一見ただの報告会に見えるこの場も、実はそれぞれの種族が神経をすり減らしてフランチェスカの機嫌を損ねず、かつ正確に伝えられるように苦心した成果を発表する場になっている。
当のフランチェスカはあまり関心がなさそうな顔で報告している熊獣人のズズーを眺めているが、イーニャは確信している。わずかでもズズーが朴人を批判するような類の言葉を口に乗せようものなら、フランチェスカの体に漂う春の陽気のような暖かな魔力が、たちまち茨のようなプレッシャーとなってズズーに襲い掛かっていくことを。
会議には出ずに前線での見張りという口実を得たヨルグラフルは、実は賢い選択をしたのかもしれない。
そんな事態にならないように終始ガチガチに緊張していたズズーを含めた各種族の報告が何とか終わったあと、ゆっくりとフランチェスカが口を開いた。
「みなさん、ご苦労様です。人族の干渉はありつつも、永眠の森全体としては大体問題無しということがよくわかりました。これからもくれぐれも人族に注意しながら冬ごもりのための支度を進めてください」
そこでフランチェスカは一旦言葉を切って長テーブルに座る永眠の森の幹部を見渡した。
「では、私から皆さんにお伝えすることがに二つ、あります。一つは、以前ボクト様から頂いた男爵任命権に関することです」
フランチェスカのその言葉に、大天幕中がざわめいた。
それもそのはず、今この場にいる亜人魔族達は名目上は永眠の森の幹部ということになっているが、実際にはフランチェスカ、さらには彼女の主の朴人とも眷属契約を結んでいない。
つまりは、永眠の森を創造した朴人と、魔力的な繋がりが一切ないということであり、未だに永眠の森の居候に過ぎないということなのだ。
そんな状況の中でフランチェスカが男爵位の話をこの会議で持ち出すということは、この中から男爵か眷属を選ぶ意志があるという何よりの証拠だった。
「まあ、皆さんも薄々わかっているとは思いますが、まずはイーニャさん、テリスさん、シャラさん、ファラさん、ヨルグラフルさん、ズズーさん、この六人を私の眷属として迎え入れ、そのまとめ役としてイーニャさんを男爵位に叙しようと思います」
途端に大天幕中がさっき以上のざわつきに包まれる。この場には居ないヨルグラフル以外の五人もその例外ではなかった。
といってもその反応は微妙に違う。これまで同列だったところで一歩抜き出ることになったイーニャは嬉しさよりも申し訳なさが先行した複雑な顔つきになり、他の四人は満面の笑みとはいかずともイーニャなら仕方がないという苦笑気味の笑みを浮かべていた。
「眷属化、叙爵の契約はこの会議の後で行いますので、各自そのつもりでお願いしますね。では、二つ目、ボクト様の庭先をうろつく人族に関するお話です」
フランチェスカのその言葉に、大天幕の中が再び緊張感に包まれる。
むしろイーニャ達が予測していたのはこちらの話の方だ。
いよいよ事が大きく動き、人族への反撃の狼煙が上げられると天幕内の全員が確信していた。
そしてその主力となるのが、新たにフランチェスカの眷属に迎え入れられたイーニャ達になるだろうことも。
その自信と期待が、どれだけ過信と傲慢に満ち溢れたものだったのかを直後に思い知らされるとは考えもせずに。
「結論から言います。あなた達の力は不要です。いつも通りの生活を続けてください」
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