第40話 慣れないことはするものじゃない
「その『漆黒の針』のみなさん、今頃は全滅しているかもしれませんよ」
そう言い放った朴人の言葉を、さすがにドワーフ王ガーノラッハも鵜呑みにはしなかった。
しかし、鵜呑みにはしなかっただけで、逆に全否定することもなかった。
ドワーフ一人分の重さはある石畳の下からいとも簡単に登場した時といい、元とはいえ歴戦の戦士のギルムンドの本気の拳を涼しい顔で微動だにせずに受け切った肉体といい、目の前の人族の姿(中身は絶対に別のモノだと確信している)の男が尋常の存在ではないことは明々白々だったからだ。
だからこそ、ガーノラッハは朴人との対話を試みた。
「……なぜだ、なぜそこまで我らドワーフを敵視する?」
自分達のことを棚に上げている愚かさを自覚しつつも、それでもガーノラッハは一番初めに問わずにはいられなかった。
「なぜって、先に私の寝床を襲撃してきたあなたがそれを言いますか」
「そこだ。貴殿、ボクトと言ったな。貴殿の寝床を襲撃したという賊を放ったのが、なぜワシらガーノラッハ王国だと言い切れる?」
このガーノラッハの発言もまた、十人聞けば十人が鼻で笑うだろうとんでもない暴言だったが、これが外交の場での発言だと仮定すれば、この屁理屈も通用する。
当然の話だが、ガーノラッハの陰の刃たる『漆黒の針』は、どんな状況にあってもガーノラッハ王国の所属を示す証は一つも携帯していないし、ガーノラッハ自身もこれまでの会話で朴人に対して言質を与えていない。
どこにも確実な証拠がない以上は『漆黒の針』の仕業と断ずることは不可能だ。
その薄氷の上を踏むような嘘を突破口にして、ガーノラッハはなんとか時間を稼ごうとした。
次の朴人の言葉で、その目論見は跡形もなく吹き飛んだが。
「そうですね、言いきれませんね。まあ、それは置いておいて、この国が第一容疑者であることは変わりないので、やっぱり力づくで黙らせようと思います」
「バ、バカな!?それで万が一、ワシらが無関係だったときはどう責任を取るつもりなのだ!?謝ったくらいでは済まんのだぞ!!」
「別に、どうもしませんよ」
「なっ……!?」
ガーノラッハの暴論をはるかに超えた、暴論の中の暴論に、さすがのドワーフ王も絶句せざるを得なかった。
交渉も何もあったものではない。ガーノラッハの発言など何の関係もなく、相手は最初から暴力以外の選択肢を持ち合わせていなかったのだ。
「バカな、貴様は魔王と名乗ったのだ!王ならば、自らの欲望のままに行動する前に、とるべき責任というものがあるであろうが!その超えてはならぬ一線を越えれば、真っ先に犠牲となるのは己が眷属なのだぞ?その眷属の暮らしを顧みぬ魔王がどこにいるというのだ!?」
「責任、ですか?」
「そんなものはないです」と即答しようとした朴人だったが、ガーノラッハの気迫に圧されて(即答する方が面倒になりそうだとも感じて)少しだけ考えてみることにした。
(責任……責任って何だろうか?寝床を守ること?いや、確かにたまたま静かに寝られる場所を確保できたけど、別に守りたいかと言われるとそうでもないな……最悪、森が焼け野原になっても動揺しない自信がある)
やはり森に関しては責任も未練もないな、と結論付けて、朴人は次の思考に移る。
(眷属、といえばフランだけど……さすがにフランに居なくなってもらったら困る。一応、今は森の管理を任せているけど、別に何が何でも死守ってわけでもないし、そもそも今のフランの脅威になるような人なんて……いや、そうでもないか)
「わかりました。そこまで言うのなら、あなた達の流儀に従って、こちらからも条件を出しましょう。それさえ受け入れてくれたら、このまま帰ってもいいです」
とても交渉する者の態度ではない朴人の言い様に、背後で砕けた拳の痛みに耐えているギルムンドから舌打ちが聞こえてきたが、ガーノラッハにとっては願ったりかなったりの展開だった。
(よし、これでいい。ギルムンドには悪いが、この男は実力も正体も不明で得体が知れん。しかもここは大工房。執務室程度の被害で済めばいいが、万が一工房の生産能力に支障が出るようでは、他国に弱みを見せることになる。ここはとにかく退散させて、情報を集めるのが最優先だ)
「いいだろう、ワシが叶えられる範囲のことならば、どんな条件でも飲むと約束しよう」
「そうですか。……確認なのですが、あなたがこのドワーフの国の王様ということでいいんですよね?」
「その通りだ。ワシこそがこの国を統べるガーノラッハだ」
「そうですか。では、あなたが死んでください」
「…………ん?すまぬ、よく聞こえなかった。もう一度言ってはくれぬか?」
「ですから、王様のあなたが死んでください、ガーノラッハさん」
その言葉をはっきりと確認した時のガーノラッハの心情を一言で説明するのはとても難しいだろう。
何でも条件を飲むと発言してしまった迂闊さか、朴人の人となりを確かめもせずに交渉に入ってしまった愚かさか、はたまたよりにもよって王である自分の死を望まれる可能性を考えていなかった油断か。
とにかく、朴人のあまりに非常識な条件に一番最初に反応したのはガーノラッハではなく、この上なく王を侮辱されて怒りに我を忘れたギルムンドだった。
「突入!!突入!!王を守れ!!」
完全防音が施されたはずの執務室でなぜかそう叫んだギルムンド。
しかし先ほどまでとは違う点が一つ、軍服の胸につけてある数々の勲章の一つが淡い魔法の光を放っていた。
ギルムンドが勲章に偽装した通信の魔道具で呼び込んだのは王直属の護衛戦士隊。予定の時刻を過ぎても王が現れなかった場合に非常呼集される重武装の護衛戦士たちがすでに執務室前で待機していると、王国元帥であるギルムンドは確信していたのだ。
そしてその期待に完璧に応えた護衛戦士隊は通信を受け取った直後に執務室の重厚な扉をすぐさま破壊、ガーノラッハの位置を瞬時に確認すると護衛対象を中心とした密集隊形を展開、朴人の視界を完全に遮った。
「ワシのことは置いていけ!今はとにかく王を安全な場所へとお連れするのだ!」
ギルムンドの悲壮な覚悟にただ頷いた護衛戦士たちは、朴人へ最大の警戒を持ったままじりじりと後退、そのまま扉を失った執務室を出て行こうとした。
「はあ~~~~~~~~~~~~あ」
朴人の深く深く、長い長いため息が執務室中に響き渡ったのはその時だった。
「やっぱり慣れないことはするものじゃないな。ストレスは溜まる一方だし、こうやってあっさり裏切られるし。結局時間を無駄にしただけだ」
心の中の声以外はすべて敬語で通すと、自分の中でルールを決めていた朴人。
その不文律を破った意味を、ガーノラッハ達は知らない。
フランや彼女の眷属たち、永眠の森に暮らす亜人魔族、果ては朴人と敵対した冒険者たちにさえ、朴人は敬語を使っている。
つまり、これは朴人の完全な独り言。もはやこの場にいる誰に聞かれても関係ない、彼らを動物以下の存在と朴人の中で定義した瞬間だった。
パキ
その音が最初に鳴った時、ガーノラッハを含めたドワーフの誰もが小枝でも踏んだかと石畳を見回した。
だがここは王の執務室。どう考えても小枝が入り込む余地などない。
パキパキ パキパキパキパキ
次に周囲を見回す。今までの破壊で石畳か石壁が割れたのかと考えるが、王の威厳のために厳選された石材にはヒビ一つ見当たらないし、そもそも木のそれとは音がまるで違う。
パキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキン!!
やがて彼らは知った。
自分達は音の発生源を探していたのではなく、ただ目の前の現実が恐ろしくて目を背けていただけなのだと。
そして一度見てしまえば異変は明らかだった。
朴人の頭上へまっすぐ伸ばした右腕が変化して直上へ伸びた土色をした極太のそれは、頑丈な石材の天井をいともたやすく突き破りさらにその先へと延びていたからだ。
「…………トレント」
護衛戦士の誰かがそう呟いた時、ガーノラッハはようやく朴人の正体を悟った。
そして今更ながら、異形の者へと姿を変えた朴人の自己紹介が紛れもない事実だと確信した。
「さて、少し時間をあげましょう」
再び敬語に戻して呆然とするガーノラッハ達にそう告げた朴人。
しかし朴人のドワーフ達に対する評価は微塵も変わってはいなかったが。
「私は貴方達がどこへ去ろうと何をしようと絶対に手を出しません。ただし、そこのガーノラッハさんがその場から一歩でも逃げようとした瞬間、この右腕を好き勝手に振り回します。多分ですけどこの右腕、この街を丸ごとカバーできるくらいの長さになっていると思うので、私の提案を無視するならそれなりの覚悟をしてくださいね」
「……全員退去せよ。そして都市内の全住民を外へ避難させるのだ。ギルムンド、頼んだぞ」
「王よ!!」
「二度とは言わぬ。逆らえば、二度とそなたを臣とは認めぬ」
「…………かしこまりました」
ガーノラッハの決然とした命には、これまで独断専行を続けてきたさすがのギルムンドも承服するしかなかった。
ギルムンドが拳の痛みも感じさせないほど迅速に護衛戦士隊を引き連れて執務室から姿を消した後、
「う、腕が痺れ――」
ドガガガガアアアアアァァァァァァン!!
普段寝てばかりで体を動かすことになれていない朴人にとって、巨大な樹を片腕一本で支え続けるのは不可能に近く、その結果バランスを保てなくなった朴人の右腕は重力に従って落下した。
――大木の状態のまま。
後にガーノラッハ王国がこの大木の落下の被害を調査したところによると、建物損壊は百十二件、怪我人は重軽傷あわせて五百六十八人、死者は八十七人に達したという。
なお、この被害の責任の一端を作った王国元帥ギルムンドは、その胸に燦然と輝いていた勲章をすべて取り消されたと報告書に記載されている。
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