第39話 漆黒の針の末路 後編

「リーダー、リーダー、起きて。時間になったわよ」


「……ん、ああ、ミーシャか。おはよう」


「ちょっと、今は任務中よ。のんびりあいさつなんてまだ寝ぼけてるの?」


「バッカ、生き物の一日ってのはな、あいさつに始まりあいさつで終わるんだぜ。あいさつをバカにするやつは犬畜生以下だ。実際、犬だってあいさつするんだぜ?」


「そんなわけないでしょ。どこの世界にコンニチワなんてあいさつする犬がいるっていうのよ。やっぱりまだ寝ぼけてるんじゃないの?」


「バッカ、バッカ。犬もあいさつするんだよ。じゃあ今度俺んちの近所の犬見せてやんよ。あいさつだけじゃなくてエサもきれいに食べるし、トイレも決まった場所にするし、灰色の毛並みはいつも整えてるし、ついでに二足歩行で前足で料理までするんだぜ」


「アンタそれ向かいの食堂の犬系獣人族の店長のことじゃない!!」


「……おいミーシャ、リーダー起こすのにどんだけ時間かけてんだよ。それとうるせえよ。テントの外まで声が漏れてたぞ」


「そ、それはリーダーがわけわかんないことを言うから……」


「はあ、まあいいや。どうせ多少外に響いたって危険なことにはならんからな。それよりリーダー、ちょっと来てくれ」


「なんだランディ?お前まで来たってことは、予定通りに進んでるんだろうけどさ」


「まあその眼で実際に見てみろ。ちょっと面白いもんが見られるぜ」






『漆黒の針』は歴代ドワーフ王の影の刃である。


 はっきりとしたことは分かっていないがその歴史は古く、まだ人族との仲が他の亜人魔族同様に険悪だった時代から存在していたとまで言われている。

 その最大の特徴は、なんと言っても他の種族の追随を許さない隠密用の装備。

 無音、無反射、無痕跡を事実上実現した漆黒の鎧は闇夜にあって驚くべき戦闘力を発揮し、夜の世界でもっとも会いたくない敵とまで言われていた。


 しかし、どれだけ存在を秘匿しようとも、少しづつ噂が広まり、存在が露見していくのが世の中というものである。

 そして『漆黒の針』もまたその例に漏れることなく、長い年月をかけて少しづつ世間の噂に上るようになっていった。

 影の刃が影でなくなりつつある問題は当時のドワーフ王と側近たちとの間で喧々諤々の議論が交わされた末に、『漆黒の針』は大きな転換点を迎えることになった。

 存在が知られる流れを止められないというなら、その流れを逆に利用してやればいい。

 そう考えた当時のドワーフ王は『漆黒の針』の虚実織り交ぜた噂をドワーフ側からも流させると同時に、黒一色のいで立ちのイメージを覆すレベルの装備の改良を命じた。






 木々の隙間から木漏れ日が差し込み、柔らかな緑の光に満ち溢れている。

 普段なら魔物達の厳しい生存競争の場としていくつもの戦いが見られる永眠の森だが、まるで伝説の妖精郷に迷い込んだかのような平和な一面を見せている。

 そんな雰囲気が伝わったのか、一羽の小鳥が何の警戒心も見せずにエサを求めて地面の近くを飛び回っている。

 やがて小休止でもしようと思ったのか辺りをフラフラとさまよい始めた小鳥が、やがて一時の安息の地を見つけたらしく両翼を羽ばたかせながら降り立った。


 ――何もないはずの空中に。


「……ちっ」


 その何もないはずの空間から舌打ちの音が漏れたかと思うと、日の光と木々の陰でできている木漏れ日がぶるりと震え、それに驚いた小鳥が慌てて遠くに飛び去った。


「何をしておる」


「こ、小鳥が肩に留まったのを払おうとしただけで……」


「バカ者が。そこで小鳥が不自然に飛び立つ方がよほど注意を引くとなぜわからぬ」


「も、申し訳ありません」


 未熟な若い部下の振る舞いに眉をひそめながら、『漆黒の針』十個小隊指揮官を兼任する第一隊長は、軽くて丈夫な籠手で近くの岩をコツコツと二回叩いて、後ろに続く仲間たちに全身を指示した。

 その籠手はいつもの漆黒ではなく、緑と茶の二色が支配する永眠の森の風景に完全に同化していた。


(しかし、若い者が失態を侵すのも無理はない。なにしろワシですら、訓練以外で光学迷彩機能を使うのは久しぶりだからな)


 第一隊長も詳しく知っているわけではないが、『漆黒の針』の活動に大きな変革をもたらしたとされる当時のドワーフ王が最初に取り掛かったのが、代名詞でもある漆黒の鎧のイメージを逆利用するための新機能の開発だったそうだ。

 そして記録に残らない形での莫大な予算の投入、そして実戦を含めた幾多のデータ収集の結果生まれた新機能の一つが、この光学迷彩機能だという。


(確かに、この漆黒の鎧と、夜にしか活動しないというワシらのイメージを子気味よいほど裏切っておるわ)


 誰が『漆黒の針』の鎧が黒以外に染まると想像するだろう。

 誰が『漆黒の針』が太陽の下で活動すると想像するだろう。


 この光学迷彩機能が追加されて以降、『漆黒の針』の戦術の幅はこれまでの数倍に広がり、新機能の存在を知らない各勢力はその神出鬼没な暗躍に恐れ戦いたという。

 一説には、人族との協力関係が密接になったのは、『漆黒の針』の脅威の増大が関係しているとまで言われている。


(……しかし、まさか光学迷彩機能まで使わされることになるとはな。やはりワシらの領域は夜にこそある。昼間の、それも物陰に潜まずに移動となれば、先ほどのような未熟者が出てくることは当然の流れだ。はっきり言って、今正面から襲撃されたら、ワシらは実力の半分も出せぬだろう)


 だからこそ、第一隊長はこれまで以上の微に入り細を穿つ警戒網を各小隊長に命じていた。

 小動物一匹すら見逃さないように見張りながらの移動は、『漆黒の針』と言えども極度の緊張と精神の消耗を強いるものだったが、わずかな気の緩みも第一隊長は許さなかった。


(これは大きな賭けだ。もし奴らにこの移動が露見すれば奇襲を受けるだけでなく、『漆黒の針』秘中の秘である光学迷彩機能まで知られてしまうことになってしまう。だが、一度でもワシらが敵を欺くことができれば再発見されぬ自信はある。そうすれば長時間の休息を取って心身ともに回復させることも可能であろうし、戦術の幅も広がる。とにかく移動だ。移動して奴らの目から逃れなければ)


 そんな思考に陥っていたせいか、周辺の生物の気配には細心の注意を払っていた第一隊長だったが、その他の動き、具体的にはさっきまで木漏れ日が差すほどの快晴が急に怪しくなってきた急激な変化を、部下に指摘されるまで見落としていた。


「た、隊長、空が……」


「空がどう」


 第一隊長が言えたのはそこまでだった。


 すでに灰色を通り越してどす黒く染まっていた雷雲から閃光が発生したかと思うと、次の瞬間には真下にいた『漆黒の針』十個小隊に向けて、『銀閃』の魔法使いミーシャが放った特大の雷魔法が炸裂した。






 そこから先の『漆黒の針』について詳しく述べる必要はないだろう。

 それでもあえて付け加えるとするなら、以下の点が挙げられる。


 まず初めに、『漆黒の針』が完璧だと思っていた隠密行動は、全て『銀閃』には筒抜けだった。

 理由は指摘されれば簡単なこと、これまで敵に気配を掴ませたことがないことが自慢の『漆黒の針』の隠密能力は、表裏両方の修羅場を行くたびも潜ってきた『銀閃』にとっては、装備の性能に胡坐をかいた素人の動きにしか見えていなかった。

 一見無音、無気配、無痕跡の『漆黒の針』の動きも、『銀閃』が仕掛けたちょっとした罠に嵌まって移動ルートを限定されると、たちまち足跡や踏みつけられた草花の跡が目立つようになってしまっていた。

 ――もっとも、これはあくまで『銀閃』の視点での話だが。


 そして、その大前提が崩れてしまっている以上、『銀閃』による嫌がらせメインの襲撃はやりたい放題になるのは必然なのだが、その厳然たる事実に『漆黒の針』の誰一人気づくことはできなかった。


「おのれ!!」


 第一隊長が何度その罵り声を上げたか、数えきれた者は一人としていないだろう。

 逆に言えば、そんな罵り声を上げる余裕が彼にはあった。

 当然だ。何しろ『銀閃』の度重なる襲撃は、なんと死者どころか一人の重傷者さえ出さなかったのだ。


 だが、自分達の装備の賜物だと信じ切っている『漆黒の針』は、『銀閃』が手加減しているという発想を最後まで持てなかった。

 そしてその代償は目に見えぬ形ではあるが甚大だった。

『漆黒の針』十個小隊五十人全員が同様に蓄積する小さなダメージと精神的疲労で戦闘力と思考力を緩やかに、しかし確実に奪われていったのだから。


 そして、精神と体力が極限まですり減らされ、ドワーフにとってはナイフのような軽さの短刀すら持つのが難しいほど疲れ果てたタイミングで、『漆黒の針』十個小隊は目的地である永眠の森の市街地に辿り着いた。


 ――この状況を作り出すことこそが、『銀閃』の狙いだったと気づくことなく。


「ん?先頭におるのはダンカンか。久しぶりじゃのう」


 市街地の中へ通じる門、そこで『漆黒の針』の前に立ちふさがっていたのは、ダンカンと本名で呼ばれた第一隊長が幻覚を疑うほどの人物だった。


「ガラント……様?」


「様付けはするなと何度言えばわかる。それが嫌でワシが国を出たのを忘れたのか。まあ昔話は今はよかろう。さて、気づいておると思うが、ワシはお主らの敵だ。一度しか言わぬ、降伏しろ。そうすればこの永眠の森からの退去を認めてやる」


 そう言いながら、かつて憧れたチェインハンマーを巨大化させて構えるガラント。


 そこで体が無意識のうちに反応しようとして――失敗した事実から、ようやく第一隊長は自分達がもはや戦える状態に無いことを悟った。


「降伏いたします」


 そう即決した第一隊長にもはやプライドは無かった。

 それが『漆黒の針』の責務としてか、ただ相手に屈しただけなのか、その時の第一隊長の疲弊した頭では判断がつかなかった。

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