第8話 そして朴人はしばしの眠りにつく
突然丘の上に現れた巨大な樹に恐れをなして、その場から動けなくなってしまったリートノルド子爵の私兵と冒険者の連合軍。
「落ち着け!アレはただの木だ!」
その前に進み出て動揺を鎮めたのは、なんと当の子爵本人だった。
「思い出せ!所詮やつはトレント、どれだけ巨大になろうが動きは鈍重そのもの、前衛に精鋭を当てれば奴の攻撃を避けることは難しくない!その間にトレントの弱点である火の魔法で魔導士全員で攻撃すればすぐにでも無力化できる!あとは奴が倒れる方向にさえ気を付ければいいだけの話だ!この戦いに参加した者には一律で金貨十枚、攻撃を与えた者には金貨百枚を約束してやる!さあ進め、我が街を守る戦士達よ!!」
ウオオオオオオオオオオオオォォォォォォ
子爵の檄と褒賞に目がくらんだ兵士と冒険者が、一斉に丘の上目指して走りだした。
隊列こそ見る影もないが、全員が興奮状態にあり士気だけは最高潮に達していた。
「よろしかったのですか?あのような約束をして」
「ふん、いまさら取り消すわけにもいくまい。あそこで放置していれば戦いどころではなかったし、この損失はこれからの街の発展で取り返せばいい。逆にこの武勇伝を国中に広めれば何倍にもなって返ってくるかもしれんぞ?」
腹心の部下に向かってニヤリと笑う子爵と、それにつられて同様に口元を歪ませた家臣。
二人の表情は勝利を疑う余地を全く感じさせないものだった。
「いけいけいけえええぇぇぇ!!一番槍の恩賞は望むがままだぞ!!」
兵士と冒険者が入り乱れた先頭集団の中で、唯一馬に乗っている子爵軍の部隊長は声を張り上げた。
むろんそんな発言は子爵本人から一言も出ていないのだが、世情に通じた自分の主なら武功を立てた者とそれを指揮した自分には必ず報いるだろうと確信してのことだった。
その効果は抜群で、部隊長の声を聞いた者たち全員がさらに雄叫びを上げながら走る速度を上げた。
「見ろ!もうすぐ丘の頂上だ!敵はもう目の前だぞ!全員油断するなよ!」
部隊長の声から間もなく、連合軍の先頭集団は丘を登り切り、巨大な樹の全容を見ることができた。
それが自分たちが見る最後の光景だとは思いもせずに。
「なんだ、あれ?……木、木なのか?あんな木、初めて見たぞ?」
先頭集団の中、どこからともなく聞こえてきた声に、部隊長も周りの者達も全く同じ思いを感じていた。
確かに巨大な樹の全容は見えた。
家一軒くらいはゆうに収まりそうな太い幹、そこから次々と分かれている枝、ここからでは小さすぎて形状を窺うことのできない葉に至っては数を数えるのも馬鹿らしいくらいだ。
遠近感が掴めないほど巨大な樹だったが、そこまでは彼らがよく知る樹だった。
問題はその根元だ。
極太の幹は地面に近づけば近づくほど蜃気楼かと思うほど急激に細くなっていき、本来根元に当たる部分に至っては幹があるのかどうかも分からないほど小さく見えなくなっていた。
「お、おいあれ、まさか……」
部隊長がつぶやきが聞こえた方を見ると、携帯サイズの望遠鏡で根元の方を見て呆然としている冒険者がいた。
「貸せっ!…………バカな、私は幻を見ているのか?」
「……なあ部隊長さんよ、俺も夢じゃねえかと思うよ。だってあんな巨大な樹を持ち上げてる人間なんているはずないよな、……そうだよなあ!?」
「先陣がもうあそこまで来ましたか。できればもう少し引きつけたかったですが潮時ですね。よいしょ」
それを目撃したのは、一人の精霊と街の門からその様子を見ていた一部の人族、そしてのちに〈リートノルドの惨劇〉として世に知られる事件を起こした朴人本人だけだった。
その場にいたリートノルド子爵が率いた連合軍約一千は、自らの腕を巨大な樹に変えていた朴人の、たった一度の振り下ろしの一撃で、丘のふもとにいた子爵ごと文字通り粉砕された。
判明しただけでも死者は約五百名。残りの半分は同時に破壊された丘の土砂に埋まって未だに発見されていない。
その行方不明者の中に子爵本人も含まれていたため、リートノルド子爵家の相続問題が相当こじれることになったのは余談である。
不幸中の幸いだったのは、子爵の命令で避難準備を進めていた一般人は、惨劇当初以外は比較的無事に、予め決められていた複数の避難先の街に辿り着くことができたことである。
とはいえ、領主どころか子爵の私兵と街のほとんどの冒険者をいっぺんに失うことになったリートノルドの街は、再建どころか調査の手すら迂闊に入れることができずに、しばらくの間放置されることになるのだった。
数日後、そんな人族の動きとは何の関係もない朴人とフランは元リートノルドの街に足を踏み入れていた。
「どうやら本当に誰もいなくなったようですね。それでは最後の仕上げをしましょうか」
「え?人族を追い出してそれで終わりではなかったのですか?」
物珍しそうにあたりを見回していたフランから驚きの声が上がる。
「それでは人族がこの街に戻ってきたら元の木阿弥ではないですか。むしろ私の目的はこの仕上げの方にこそあるんですよ。よし、この辺りでいいかな」
朴人は何かを確かめるように数回地面を踏みつけると、おもむろに手をかざした。
ビキ ビシビシ バキッ
突然朴人の足元の石畳が割れたかと思うと、その亀裂はあっという間に道という道に広がった。
拡大していく亀裂からその姿を現したのはなんと無数の木の苗だった。
「これは、ボクト様の力なのですか?」
「そうです。街から人族を追い出しても、肝心の森が戻ってこないと意味がないでしょう?まあこんなやり方はちょっとズルしている気分になりますけど、今ここには私とフランしかいないのです。神様には許してもらいましょう」
そんな会話を続けている内に木の苗はぐんぐん成長していき、朴人が目覚めた森と同じ高さまで伸びた後ようやくその動きを止めた。
「あれ?でも人族が作った住居がまだ残っていますよ?」
「ああ、あれはいいんですよ。冒険者ギルドの時は必要に迫られてやりましたけど、すでにあるものをわざわざ無意味に壊すのももったいないですから」
「ふうん、そんなものですか。あ、待ってくださいボクト様!!」
目を離していた僅かな間に近くの一軒の家に上がり込む朴人に気づき、慌てて追いかけるフラン。
広くはない普通の家だったので、寝室にいた朴人の姿はすぐに見つけることができた。
「お、お邪魔しまーす。ボクト様、こんなところで何を?」
「もちろん、寝る準備ですよ」
そう言いながらベッドの固さを確かめる朴人。
「ちょ、ちょっと待ってください!?これから人族がどう動くかもわかりませんし、たぶんすぐに魔物や精霊など様々な種族が、人族を追い出したとのうわさを聞き付けてこの森に押し寄せてくると思います。私はどうすれば――」
何がもちろんなのか、朴人の言うことがさっぱりわからないフランだったが、事後処理も碌に終えていない状況でいきなり眠りにつこうとする朴人に困惑していた。
「うーん、私としては人族がどう動こうがどうでもいいんですけどね、フランがどうしても気になるというなら、そうですね……ではこうしましょう。今から唯一の眷属であるフランを、私の寝ている間の代理として、この森に関するすべての権限を与えます。フランが対処できない事態が起きた時のみ、私を起こしに来てください。では頼みましたよ」
「そ、そんな、ボクト様!?」
美少女の半泣きの顔という、世界中から非難を浴びそうなシチュエーションにも全く動じずにフランを寝室から追い出した朴人は、いそいそとベッドに潜り込むと、ものの十秒ほどでしばしの眠りにつくのであった。
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