Lux.5 虹の分析

(私は今、とても不思議な体験をしている――)


 星紋観測士の彼女は、冷静にそう思っていた。玄関を開けてクエラを観測室へ案内する。


「すごい。立派な望遠鏡ですね」


 たとえお世辞でもジェリスの望遠鏡を褒められるのはうれしいことだ。クエラは望遠鏡を見上げながら観測室を一周し、彼女の元へと戻ってきた。そして再び、手のひらに浮かぶスペクトルをみせてくれる。彼女が触れようとすると、その光がこちらの手へと移ってきた。


 妙な既視感のある光だった。はじめは小さな一〇センチほどの定規のようだったが、彼女がスペクトルの虹の縦線に目を凝らすと、それがグッと拡大された。虹色の縦線の中には、所々に黒い線が入っている。どのスペクトルにも必ず存在する〈シャドウノイズ〉だ。虹色の光の中に唐突に現れる黒く細いノイズは二つとして同じものはなく、その光の原料などによって必然的に現れる場所や数が決まってくる、星紋として決定的な情報だった。つまり、宇宙のどこかに太陽と同じスペクトルを持つ恒星があったとしても、〈シャドウノイズ〉は全く別の部分に影の線を引いている。逆に〈シャドウノイズ〉が一致しているということは、それらは同じ星であるということだ。


「なにかわかりそうですか?」


 クエラが聞いてきた。


「さぁ。どうかな」


 星紋から星を探すなど、はじめての経験だ。普通なら星を探してそれをスペクトルに分解することで星紋を知ることになるが、今回クエラが求めているのはその逆なのだ。事情を聞いてしまった手前、彼女は少しだけチャレンジしてみることにした。まずはそのスペクトルの分析からはじめてみる。


 大型分光器に繋がっていた受虹器(じゅこうき)を取り外し、手のひらに浮かぶ虹の光がその機械の奥に届くよう軽く傾けたり色々試しながら、なんとか読み取らせる。


(よし。うまくいった)


 パソコン画面に、虹色のスペクトルが表示される。光の分析となればいつもの作業だ。


 彼女はまず、その星の中にある恒星の光と思われるパターンに注目した。白の波長を持つ白色矮星を描いている。そのスペクトルを全体から差し引くと、半分近くの虹の筋が暗転した。さらにドップラー効果による光の偏移へんいを修正すると、大気の主成分である窒素、次いで酸素やアルゴン、二酸化炭素などを表す筋がみえてきた。


「あなたの恋人は、地球型の惑星みたいだね。白色矮星の周りをまわっているなんて、すごく珍しい」


 星紋観測士の彼女は、その光を眺めながら言った。


「もうわかったんですか!」クエラは目をきらきらと輝かせて驚いた。「すごい! まるで魔法使いみたいだ!」


 ふふんと得意気になる彼女。


(実際には、魔法使いの弟子なんだけれど)


 そんな未熟者にとって、本当に難しいのはここからだった。なぜならスペクトルの正体がわかったところで、宇宙はとんでもなく広いのだから……。クエラが持ってきたものと同じスペクトルの星をこの大宇宙のなかから探し当てるなど、一生かかっても——例え千年かけても不可能なことだ。


 残念ではあるが、自分が手伝えるのはここまでだろう――


 ただ最後に一つだけ、彼女は確認しておきたいことがあった。クエラが持ってきたその星と同じく、白色矮星を公転の中心に持つ珍しい地球型惑星、惑星ジェリスのスペクトルだ。TESSから受け取ったスペクトルデータをパソコンの中から探し出す。その間、彼女はクエラに聞いてみた。


「どんな恋人だったの? この星紋の子は」


「とても素敵な女性でした。優しくて、明るくて、でもちょっぴり変わっていて。あなたみたいに星のスペクトルが好きで、それを分光器から輝かせる姿はやっぱりあなたみたいに魔法使いのようで」


 懐かしむように語るクエラの表情を見て、彼女もまた懐かしい想いにかられた。彼が語るそれは、まるでジェリスのことのように思えたからだ。

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