Lux.3 深夜の来客

 天文台の中に入り、施設の明りをパチンとつける。重い買い物袋をソファに置いて、ようやく腕が楽になった。上着を脱いでタンクトップ一枚になり、髪の毛を頭の後ろでひとまとめにする。事務室から短い廊下を歩いて観測室へ移動すると、巨大な望遠鏡が静かに眠っていた。その支柱をコンコンと叩いた彼女は、「ほら起きて。仕事の時間だぞ」と望遠鏡に語り掛けた。


 分光器を使うと、星でも電球でも、とにかくあらゆる〝一つの光〟を虹色のスペクトルに分解することができる。スペクトルにはその光源の膨大な情報が含まれていて――例えば焚火の光を分析すれば、それに近づくことなく何が燃えているのか当てることができる。星についてもそれは同様で、分光器が発明された一八〇〇年代には太陽のスペクトルが分析され、人智を超えた存在だと思われていた白い光の正体が、実は水素やヘリウムなど地球でも親しみ深い元素で構成された科学的な天体であると暴き出した。またスペクトルは温度も克明に描き出し、温度が分かると今度は数学の奇術によって天体の大きさも求めることができる。加えてドップラー効果による光の揺らぎは、天体がどのように動いているかということまで教えてくれる。


 肉眼で見えるほとんどの星は、恒星か赤色矮星と呼ばれる天体だ。今の時代、観測可能なあらゆる天体には名前が付いていて、そこに新星発見の余地はほとんどない。その一方で、それらの星が持つ惑星を探す取り組みは、最近ようやく始まったばかりだった。恒星や赤色矮星を中心に、そのスペクトル分析が活発になっている。というのも、惑星は自ら光を放たないうえにサイズが小さいので中々その姿を直接望遠鏡で捉えることは難しいが、もし恒星や赤色矮星など自ら光る星を中心に回る惑星が存在する場合、その惑星が地球側に重なる瞬間、恒星や赤色矮星のスペクトルは若干変化する。そしてその変化が周期的であれば、その星の前を定期的に通過する〈なにか〉があると断言できる。すなわち、惑星だ。その後の詳細調査は、宇宙から直接観測ができる高性能宇宙望遠鏡を備えた人工衛星TESSの仕事になるが、この天文台ではそこに引き継ぐまでの、惑星を持っている可能性星の情報を集めて関係機関に提供する役目を担っていた。



 彼女は、天文台の屋根を開くスイッチを押し、白衣を羽織った。ゴウンゴウンと大きなモーター音が響き、巨大な望遠鏡を隠していた屋根が夜空を広げていく。気持ちのいい外の風が入ってきた。天井が開ききるその間に、彼女は事務室で淹(い)れたコーヒーを観測室に持ち込んだ。


(さて、やるか!)


 コーヒーを口に含んで、気合いを入れた時だった。


 コンコンと、玄関からノックの音がした。あいにく、この施設にインターフォンを設置するゆとりはない。基本的に設備費用はすべて望遠鏡と分光器のメンテナンスに消えていってしまうのだ。


 それにしても珍しい時間帯の来客だった。もういちど、コンコンとノック音が聞こえる。彼女は玄関まで行き、用心のためチェーンを掛けたままドアを開けた。観測室の屋根から入り込んだ空気がサッと隙間から抜けていく。


「どちらさまですか?」


「夜分遅くに申し訳ありません。ですが、昼に尋ねてもお留守だったので」


 透き通るメゾソプラノの少年の声だ。ドアの隙間から、その声の主が顔を覗かせた。思わずハッとしてしまうほど美しく整った顔立ちだった。

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