Lux.2 ジェリス

 彼女は、この天文台に一人で暮らしていた。正確には、今ではもう一人になってしまっていた。


(ジェリス先生。ただいまです)


 彼女が一礼したのは、天文台の敷地内にある洋風の小さなお墓だ。黄緑色の草に囲まれた灰色の墓石プレートには、英字でジェリスの名が刻まれている。この天文台の、元々の持ち主の名だった。


 ジェリスとの出会いは彼女にとって数奇なもののうちの一つと言えた。基本的に星の研究者は、彼女が睡眠障害だということを気に留めない。ジェリスもまたその一人で、院生になった彼女はほとんどの時間をその高齢の研究者と共に天文台で過ごし、星のことを学んだ。


 星を操る魔法使いみたいだな――と、彼女はジェリスの仕事ぶりをみて思っていた。JAXAやISAS、NASA、その他世界各地の大学や研究所から飛び込む雑務的な天体観測の依頼に対しジェリスはいつも小言を呟きながら望遠鏡を覗き込み、そしてそれを少し操作すると、途端に星が自らスコープの中に飛び込んでくる。魔法使いの技だった。囚われた星は光ファイバーによって巨大な分光器――骨組みだけの車のような装置――に運ばれて、さらにその光を読み取るいくつかの装置を経由してスペクトル解析器へとたどり着く。


 しかし、ジェリスが本当に愛用していたのは、それよりも遥かに小さな万華鏡のような分光器だった。依頼を受けたものについては業務用の大型分光器を利用していたが、自身の目的である〈星探し〉については、もっぱらその小型分光器を用いていた。これはジェリスの特注品らしい。もちろん、分光器は望遠鏡と同じくそれが巨大なものであればあるほど性能がよくなるので、どんなに小型精巧なものを作ったところで、分析の精密さは大型のものには敵わない。それでもジェリスは手持ちの分光器にこだわっていた。望遠鏡から伸びる光ファイバーをその分光器に接続し、そこから放射されるスペクトルを壁に投射して〈星探し〉を楽しむのだ。


 さながらジェリスは、星を操る魔法使い。その手に持つのは、星の光を虹に変身させる〈魔法使いの分光器〉だ。


 院を卒業して、彼女はそのままジェリスの天文台に就職した。職員は彼女とジェリスの二人だけだ。彼女は住み込みで働き、ジェリスから様々なことを教わった。


 それから数年後――ついに二人は、白色矮星の周期的なスペクトルの変化から、そこに惑星があるという驚くべき発見をした。白色矮星とは、太陽のような恒星が寿命を迎え膨張して破裂したあとに取り残された、恒星中心部の白い核の名称だ。膨張の際には周囲の惑星も巻き込んで破壊するか遠くへ吹き飛ばしてしまうため、通常、白色矮星は孤独な天体と考えられていた。しかし今回の観測はそれを覆すものだった。二人はNASAへ外惑星探査衛星TESSテスによる詳細なスペクトル分析を依頼した。すると確かに間違いなく、その白色矮星に惑星があることが確認された。しかもそれは生命居住可能領域ハビタブルゾーンに存在する地球型惑星である可能性が高いという結果が示され、二人は抱き合って喜んだが、ジェリスにとってそれは遅すぎる発見だった。というのも、この頃ジェリスは重いやまいに侵されており、NASAへ分析依頼したそのすぐあとに体調を崩し倒れてしまったのだ。TESSの分析は数年を要した。結局、ジェリスはTESSの観測結果を知ったほんの数日後にこの世を去ってしまった。代わりに、家族がいないジェリスの遺言によって天文台の所有権を受け継いだ彼女が、その惑星に〝ジェリス〟という名前をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る