第5話 立ち上がるパンダ
その動物園は幼い頃に両親に連れられてきたことがあるだけなのでよく覚えていなかった。
見覚えのある景色の気はするがどこに何があるのかまでははっきりと覚えていない、そんなレベルだ。
拓哉と二人で入口でもらったパンフレットを開いて施設の位置を確認した。
「まずは何を見に行く?」
「パンダを目指しながら適当に見て行こうか」
最初は慌てたが、少し慣れてくればそこはもう小学校の頃に一緒に遊んだ友達同士の付き合いだ。動物が可愛いのもあって、瑠希はもう何も気にせずに動物園巡りを楽しめた。
「鹿だー、鹿かわいい。あっちにはカピパラもいるー。もさもさ可愛い」
「竜島さんって動物が好きなのはあの頃と変わってないんだね」
「え? そうかな。動物はみんな好きだと思うけど」
「山にはいろいろいたからね。あっちにはキリンがいるみたいだよ」
「おお、首長ーい」
それからも二人でいろいろ見て回った。
ベンチに座ってジュースを渡されて並んで休憩する頃には瑠希の高ぶっていた気分も大分落ち着いてきていた。
そうなると訪れるのは自己嫌悪だ。中学生にもなって動物園ではしゃぐ自分って何なんだろうか、これだからぼっちがたまに出かけるのは嫌なんだ。そう落ち込んでしまう。
瑠希は静かな気分でジュースを少し飲んでから訊ねた。
「ねえ、たっくん。あたしと出かけて楽しい?」
「もちろんだよ。それより、たっくんって……」
「あ、ごめん。萌がそう言ってたからつい……」
小学校の自分でもそう呼んでなかったのについ釣られてそう呼んでしまった。拓哉は気にしなくていいと言ってくれた。
「僕も竜島さんの事、るっきーって呼んでいいかな」
「あたしは何でもいいけど。萌に誘われて迷惑じゃなかった?」
「僕は別に。るっきーと来られて楽しいよ」
「ありがと」
さすがは小学校の頃でも目立つ活躍をしていた拓哉だ。彼は外で人と行動するのに慣れているようだ。
ならば自分も楽しまないと損というものだ。瑠希は空き缶を籠に入れて立ち上がった。
「じゃあ、パンダを見に行こうか」
「うん、行こう」
二人でそちらに向かっていく。
パンダはさすがに人気者で柵の周りには観客が大勢いた。背伸びしてもよく見えない。
「るっきー、こっちの方がよく見えるよ」
「本当? ありがとう」
まだよく見えないが少しは見やすくなった。パンダはのんびりと向こうを向いて座ったまま笹を食べている。
「こっち向かないかな、パンダー」
「呼んでみようか、パンダー」
パンダは何も気にせずに笹を食べ続けている。それを見ていた少年がいた。竜神の孫ドランだ。彼は動物に伝わるテレパシーでパンダに呼びかけた。
「瑠希がお前を呼んでいるぞ。期待に応えてはどうだ?」
「ムシャムシャ」
だが、パンダは何も答えない。無心で笹を食べ終わるとごろんと横になってしまった。
「パンダさん、寝ちゃったー」
「こっち向かないかなー」
客の間で流れる失望。瑠希も失望していた。ドランはさらにやる気になって呼びかけた。
「おい、パンダ。少しはファンサービスをしてはどうだ? ええい、ならば俺が元気を分けてやる!」
ドランは元気のエネルギーをパンダへと送った。その力は毎日を寝て食べて暮らしているパンダには刺激が強すぎた。
パンダは熊である。その本性を露わにしてパンダは凶暴に吠えて立ち上がった。
「うおおお! パンダああああああ!」
突然暴れ始めたパンダに客はパニックになって逃げた。瑠希は何かがおかしいと思った。
竜神の孫が満足そうな顔でパンダを見ているのを見つけてすぐに事情を察した。
「ドラン! あんたが何かをやったの!?」
「あいつを元気にしてやったんだ。瑠希、楽しんでるか?」
「もういきなり変な事をするからあの子、混乱しているじゃない」
「パンダじゃあああああんぷ!」
凶暴さを露わにしたパンダは柵を乗り越えて瑠希の前に立った。庇おうとする拓哉を手で制して瑠希はパンダの腹に手を当てた。
「ここにはあなたの求める物は無いから。冷静になって自分の場所に戻りなさい」
パンダは我を取り戻して柵の中に戻ってごろんと横になった。連絡を受けた係員が来た時にはもうそこにはいつもの光景しかなくて、彼らは不思議に首を傾げていた。
事情聴取されても面倒なので、瑠希はドランを連れて拓哉と一緒にさっさとその場を後にした。
離れた休憩場所でドランは面白そうに笑っていた。
「さすがは瑠希だな。あのパンダがすっかりおとなしくなったぞ」
「パンダは元からおとなしいのよ。もう挑発するような事しないでよね」
「るっきー、大丈夫だった?」
「うん、すぐに言う事を聞いてくれたから」
山で動物と触れ合ってきた瑠気にはあれぐらいの事はお手の物だ。
さすがにパンダに触れるとは思っていなかったので、少し感動してしまったが。
ここからドランを追い返すのは可哀想な気がしたので、それからは三人で見て回った。
「もう何をやってるのよ、るっきー」
それを萌は物陰からこっそりと見ていたが。
「たっくんとあの竜神の孫と、どっちがるっきーにふさわしいのかしら」
計画の路線変更が必要かもしれない。
メモ帳に今日の採点を書きながら、萌はこれからの事に思いを馳せるのだった。
「ただいまー」
「俺もただいまだぜー」
出かける時は別だったが、家に帰る時は竜神の孫も一緒だった。
最初はどうなる事かと思ったが、今ではこの生活も悪くない。そう思う瑠希だった。
「何か良い事あったか?」
「うん、動物がいっぱい見れて良かったねって」
そうして日曜日が終わって明日からも日々が続いていく。そこにあるのはまた代わり映えのしない日々だろうか。
それでも構わないと瑠希は思った。
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