企画にご参加ありがとうございます。
被告人の言動を、まじまじと読んでしまいました。
自分勝手な考えだと、思いきれない所がありました。
しかし最後の言動を読んで、ああこの男も世に放しちゃ駄目なやつだと感じました。
静かな狂気を、楽しませて頂きました(・v・)
初めまして。Twitterの方で見かけて、飛んできました。非常に興味深く面白い作品でした。画一的な善性や法律を声高に謳う事は出来たとしても、それだけで割り切れない問題は大量にありますね。
確かに青年がしたことは犯罪ですが、きっと彼から被害を受けていた近隣住民や家族が自分だとしたら。加害者である青年に幾分か感謝をしてしまうかもしれませんが、きっとそう言った当事者達の声は倫理観によって咎められるんだろうなと思ったり。
でも、それはその状況だけを見ての判断ですし、ひょっとして老人は心の病気を患っていたり、それはいずれ年老いた時に自分をも蝕む類の物であったのではないか? という事を考えると、一概に彼の意見全てを肯定するのも危ういと思ったりもしました。コメントも含めて色々な人の考えが見れて良いですね。
最後の科白に感動せざる負えません。青年が言った科白の中で「罪のない人々は完全な犯罪によって殺され続ける」と言った言葉で、弱者が強者により法に触ることなく整然とした秩序を保つ中で死に追いやられると脳裏に言葉がよぎりました。
恐らく脳裏に過った言葉と、セリフの意味は同一なのだろうと思いますが、逆に強者は弱者という悪に正義を執行し、知らずして(或いは気にも留めずに)死に追いやったとも考えがよぎりました。
強者が悪いのか、弱者が悪いのか、最近、よく考えていたことなので強く心に響く物語でした。
しかし、これは善悪で物事を見るのではなく。
人間は善人であり悪人であるというように、どちらも持っているものですね。この善悪さえも理屈の付け方次第で変わっていくのだろうと感じています。
そう言った意味でこの作品は非常に考えされるものでした。
確かチェーホフが「小説家は問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間だ」(ごめんなさい正確な文句を忘れました💦)と、言っておりましたが、まさにこの作品がそうだと思います。
本当に小説らしい作品ですね。
作者からの返信
非常にありがたいお言葉ありがとうございます!
そうですね、善悪という概念はこの短編では語りきれないくらい様々な様相を呈しています。
そのため、拙作は結論ではなく、導入の物語として制作したつもりでした。
それを踏まえると、なるほど、チェーホフさんはそのようなことを言っていたのですね。
まさに僕の小説に対する在り方だと思います。
素敵な言葉を教えてくださり、さらにそれに一致していると評価してくださり、何より拙作をお読みくださりありがとうございました!
はじめまして。Twitterから来ました。
独善的な思考は時に「正しいこと」をしているように見える典型ですね。
この青年の行動はたしかに声を上げられない『弱者』を多く救ったかもしれない。
でも、誰かを助けるために誰かの命を奪うことが正しい――のだろうか。
いまの世の中でも「正義を行うためには人を殺していい」という概念が無意識に風潮されているように思えます。
漫画やラノベがいい例でしょうか?
これはそういう真の正義の在りどころを考えさせられる物語でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
なるほど、勧善懲悪への風刺とは考えませんでした。
本作はOpened Endingーーすなわち結論のない物語なので、そのような解釈も非常に面白いと思います。
何はともあれ、読んでいただきありがとうございました!
事件の性質は違いますが、被告の青年に「相模原障害者施設殺傷事件」の実行犯を重ねてしまいました。
独断と偏見によって殺人を行ったということ、それを善であると固く信じていること。そして、社会のためという大義を振りかざし、自身の行為を堂々と正当化してしまうこと。
青年の言葉ではないですが、この先彼が社会で生活していれば、他人の一面だけを見て殺人を犯していたのかもしれない。そんなことまで考えてしまいます。
とても恐ろしく、興味深いお話でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
確かに僕も書きながらその事件に似ているなと思っていました。
とはいえ、個人が犯罪を正当化することはよくあることです。
しかし、もし個人ではなく、社会が犯罪を正当化したら、それこそより恐ろしいことが起きると予想されます。
改めまして、最後まで読んでくださりありがとうございました!
はじめまして。もちもちと言います。
TwitterのTLからお邪魔させていただきました。
許されるべきか否か、行うべきか否かは別の問題… 読んでいる自分もハッとさせられました。
全く関係のない第三者による間接的な正当防衛、と言うべきでしょうか。老人が生きていたら別のところで別の被害が生まれていた、それを防いだ。
数秒のやり取りで老人の性質を見抜き、許されなくとも行うべきだと判断した彼はまさしく天才で、勇敢だったのでしょう。
そうして我々は、彼ほど瞬時に、彼へ相応の判決を出すことは出来ないのかもしれないですね。(きっと、彼自身の何かではなく、彼の行動の影響を鑑みて判決を下すのではないかなあ…)
とても興味深いお話でした。
ありがとうございました。
作者からの返信
読んでいただき誠にありがとうございます!
そこでハッとさせられたなら僕としては大満足です(*´∀`*)
ちなみに、タイトルの『天才』はドストエフスキー『罪と罰』の「天才は人を殺しても罪にならない」からとっています。
とはいえ、そこの解釈の仕方に正解はないので、判断力における天才さという解釈には僕もなるほどと思いました。
この度は応援コメントまでくださり、本当にありがとうございました!
まさに、必要悪を演じた主人公の豪傑ぶりが正義なのか異常者なのか、それは読者に委ねられる。
社会的には犯罪者でも、救われた者から見ればそれは正義なのだと、私は思います。
考えさせられる、良い作品でした。
作者からの返信
応援コメントありがとうございます!