郵便社の一番長い日(三)

 一九四四年の十二月――。

 戦争指導を担う国家防衛委員会フェアタイディグング・アウスシュスから、カールシュタット・ザウアー合同設計局に極秘指令が下った。


 折しも大陸間戦争の趨勢が大竜公国グロースドラッフェンラントの不利に傾き、アードラー大陸最北端のティユール辺境伯領をめぐってポラリア軍と激しい攻防が展開されていた時期である。

 ティユールの陥落は時間の問題であり、やがて戦火がアードラー大陸全土に拡大するだろうことは誰の目にもあきらかだった。

 ポラリア軍がティユールに航空基地を建設すれば、そこを足がかりに出撃した重爆撃機によって、首都ラウテンヴェルクを始めとする主要都市ははげしい空襲に晒される。

 先ごろ実戦配備された空軍ルフトヴァッフェの最新鋭機CaZ-175”サラマンドラ”はめざましい戦果を上げていたが、いかんせん生産数があまりにも少なすぎた。高性能と引き換えの高コストが足かせとなって増産が見込めない以上、逼迫した戦況を打破する切り札にはなりえなかったのである。

 既存の機体を改良しようにも、操縦性に難のある重戦闘機”ワイバーン”や、運動性のほかには見るべき点のない時代錯誤の軽戦闘機”リザード”では、ポラリア軍の爆撃機を食い止めることは望むべくもない。


 敵戦闘機を圧倒する空戦性能と、爆撃機を迎え撃つための大火力と上昇力……。

 国防委員会がカールシュタット・ザウアー社に要求したのは、矛盾する性質を兼ね備えた万能戦闘機にほかならなかった。

 本来であればそれぞれの目的に適した機種を開発すべきところだが、日を追うごとに悪化する戦局と、資源の窮乏がそれを許さなかったのだ。

 複数の会社による競作コンペではなく、重戦開発のノウハウをもつカールシュタット・ザウアー社が指名されたのも、そんな差し迫った事情によるものだった。


 むろん、カールシュタット・ザウアー社にしても、無条件で困難な依頼を引き受けたわけではない。

 国防委員会が提示した仕様書には、空軍と海軍航空隊あわせて一万二千機あまりを調達するという条件が盛り込まれていた。

 期待をかけたワイバーンが失敗に終わり、最高傑作と意気込んだサラマンドラもごく少数の生産に留まった同社にとって、今回のオファーはまさしく起死回生のチャンスだったのである。

 

 白羽の矢が立ったのは、設立されてまもない設計第七課だ。

 第七課は、新進気鋭の若手技術者たちの集団として社内でも知られていた。

 なかでも十歳で博士号を取得したテオファニア・ヴィルヘルミーナ・フォン・ザウアーは、わずか十二歳にして第七課の副課長に就任するなど、同課きっての才媛の名をほしいままにしていた。

 世界で初めて航空機を発明したクラウス・フォン・ザウアー博士の孫娘である彼女は、名実ともにカールシュタット・ザウアー社の将来を担う逸材と見なされていたのである。

 それまで既製の航空機の改良をおもに手がけてきた第七課にとって、新型戦闘機の開発は初めての大仕事でもあった。

 

 軍の慣習にしたがい、新型機には伝説上の竜にちなんだ愛称がつけられた。

 CaZ-205”リヴァイアサン”――。

 救国の期待を一身に背負った機体が戴いたのは、いにしえの大海竜の名前だ。

 大竜公国の最後の戦闘機は、滅びにむかう時代のなかで産声を上げようとしていた。


***


 一九四五年の一月初旬、早くも第七課内にリヴァイアサンの専属開発チームが結成された。

 技術者たちを統率し、計画全体の舵取りを担う設計主査チーフエンジニアはテオファニア・W・V・ザウアー。

 チームは機体・発動機エンジン・武装および電装系を担当する三つの班に分けられ、課員のなかからそれぞれの班を率いる三人の班長リーダーが立てられた。


 当時二十歳のリカルド・ヴァレンティアーノもそのひとりだった。

 航空物理学の博士号をもつ彼は、操縦資格パイロットライセンスをもつ唯一のメンバーでもあった。

 理工系の学生は兵役が免除されるところを、リカルドは大学在学中にみずから空軍ルフトヴァッフェに志願したのである。研究者といえども机に向かっているだけでは航空技術の真髄を理解することは出来ず、実際に操縦桿を握る必要があるというのが彼の持論だった。

 そのすぐれた知性と、パイロットとしての貴重な経験を買われ、設計の中核ともいえる機体班の班長に抜擢されたのだった。

 十代の若者が大多数を占める第七課のなかでは比較的年長ということもあり、リカルドはテオファニアの右腕として、自然に設計チーム全体のまとめ役をも担うようになっていった。

 

 リヴァイアサンの開発は信じがたいスピードで進んでいった。

 二月には三分の一スケールの縮小模型が完成し、三月には実物大のモックアップを使用した風洞実験が始まった。

 通常モックアップの完成までには一年を要するといえば、いかに異常なペースだったかが理解出来るだろう。

 これほど急ピッチで開発が進展したのには、むろん理由がある。

 まったくのゼロから設計を立ち上げたのではなく、もともとテオファニアが構想していた試作機をベースに肉付けをおこなったのだ。

 前進翼と先尾翼エンテの組み合わせ、そして機体後部に備わった推進プッシャー式プロペラという意欲的なアイデアを盛り込んだ機体は、あらゆる点で従来の航空機の常識を打ち破るものだった。

 それもただ奇をてらったのではなく、あくまで計算上とはいえ、既存のあらゆる戦闘機を凌駕する高性能を発揮したのである。

 次世代の動力源として期待されていたジェットエンジンの開発が遅々として進まないなかで、あくまでレシプロ機の限界を追求したテオファニアの設計案は、新型戦闘機にこれ以上ないほどふさわしいものであった。

 

 機体開発が順調に進んだ一方、発動機エンジンの選定は暗礁に乗り上げていた。

 高高度を飛行する爆撃機を迎撃するためには、多段式過給器スーパーチャージャーを装備した三千馬力級の発動機を搭載する必要がある。

 サラマンドラのALD-X24T発動機は性能こそ申し分なかったものの、V型十二気筒を上下に重ねた液冷X型という複雑怪奇な構造が仇となり、整備性と生産性には難があった。

 問題はそれだけではない。

 リヴァイアサンは尾部にプロペラをもつレイアウト上、発動機もコクピットより後方に配置する必要がある。発動機にはバッテリーや冷却器ラジエータといった補機類も付随することを考えれば、どうしても極端なリアヘビーにならざるをえない。

 サラマンドラとおなじX型発動機を機体後部に搭載すれば、重量バランスがおおきく狂い、まともに離陸することさえ難しくなるのはあきらかだった。

 より軽量な発動機を採用すれば重量バランスは多少改善されるものの、軽量は非力と同義であり、速度と上昇力の低下は避けられない。


 そこでテオファニアが導き出した解決策は、軽量・小型の発動機をコクピットを挟んで串形に二基搭載したへの改修だった。

 前後の発動機を動力伝達シャフトによって連結し、二基分の出力によって尾部のプロペラを駆動させようというのである。

 串形レイアウトを採用することで、重量バランスが改善されるだけでなく、空気抵抗の増大という双発機ならではの宿命からも解放される。

 むろん整備にかかる手間が二倍になるという欠点はあるが、凡庸なエンジンでも三千馬力級の大出力を実現出来るというメリットのまえでは些細な問題だった。

 

 六月に入ってまもなく、リヴァイアサンの試作一号機が完成した。

 発注からわずか半年で飛行可能な機体を作り上げたテオファニアらの奮闘は、しかし、国防委員会からの称賛を得ることは叶わなかった。

 戦局は予想をはるかに上回る速度で悪化していたのである。

 ポラリア軍はますます攻勢を強め、首都ラウテンヴェルクを始めとするアードラー大陸の主要都市は爆撃によって壊滅状態にある。

 もはや大竜公国の敗北は避けられない。空・海軍あわせて一万機以上の納入など夢のまた夢だろう。

 開発チームにとって目下の問題は、苦心して開発したリヴァイアサンがこの戦争に間に合うかどうかだった。

 戦争の勝敗はあくまで政治家と軍人の責任であり、技術者はどのような状況であっても最善を尽くすだけなのだ。


 一九四五年の七月十日。

 マドリガーレの片田舎に建設された試験飛行場において、リヴァイアサンはついに初飛行の日を迎えようとしていた。

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