第四話:郵便社の一番長い日
郵便社の一番長い日(一)
午後に入ると、風はにわかに冷たさを増した。
大陸南部に位置するマドリガーレ共和国は、一年を通して温暖な土地として知られているが、それでも秋と冬は毎年やってくる。
十一月の半ばともなれば、
革のフライトジャケットを羽織ったユーリは、
『月刊
戦前の一九三○年に創刊された同誌は、たびたび発行元を変えながら、現在まで続いているアードラー大陸最大の航空雑誌である。
カラー刷りの表紙を飾るのは、
プロペラはどこにも見当たらず、サメの頭みたいに平べったい機首には、巨大な
――ポラリア空軍の最新鋭ジェット戦闘機F-19”オルトロス”、本紙独占スクープ!!
――ついに超音速時代の到来か……!?
煽り気味の見出しは適当に読み飛ばしつつ、ユーリはページを手繰っていく。
独占スクープとはいうものの、実際はポラリア空軍広報部の肝いりで掲載された記事であることは言うまでもない。
秘密兵器でもないかぎり、新型機の存在をいつまでも秘しておく必要はないのだ。
世間に知られて困るのは、機体の詳細なスペックや用いられているテクノロジーであって、上っ面をなぞるだけの解説なら、むしろ宣伝のために気前よく資料を提供することだろう。
「新時代の幕開けを告げるスーパーソニック・ジェットは、すべての戦闘機を過去の遺物にするだろう……」
ユーリは我知らず記事の結びの一文を読み上げていた。
オルトロスがほんとうに超音速を出せるかどうかは分からない。
戦前から多くの勇敢なテストパイロットが音の壁に挑んだが、彼らのほとんどは二度と還らなかった。
ある者は加速中に愛機が空中分解し、またある者は高高度からの垂直降下によって音速にかぎりなく近づいたものの、地面に叩きつけられて骨さえ残らなかった。
どれほど性能的にすぐれていても、レシプロ機ではぜったいに音速を超えられないとは、そうした犠牲の末にようやく得られた結論であった。
音の壁の向こう側に到達出来るのは、プロペラを持たないジェット機だけだ。
たとえポラリア軍に都合のいいことしか書かれていない提灯記事だとしても、オルトロスがジェット戦闘機である以上、音速を超えるというのもあながち嘘とは言いきれない。
あと数年もすれば、オルトロスはポラリア本土だけでなく、アードラー大陸の各国空軍にも配備されるようになるだろう。
そうなれば、好むと好まざるとにかかわらず、サラマンドラはジェット戦闘機に追いかけられる。
超音速飛行の真偽もおのずと判明するということだ。
大戦中から無敗をほこった最強の重戦闘機も、いよいよ空の玉座を明け渡すときが近づいている。
「……ユーリ、ユーリってば!!」
背後から声をかけられて、ユーリは首だけで振り返る。
視線の先に立っているのは、作業ツナギを着込み、帽子をあみだに被った少女だ。
「もうっ! さっきから呼んでるのに、ボーッとしちゃってさ」
「どうした、テオ?」
「サラの操縦系のメンテナンスが終わったよ。クセがついてた
テオはそれだけ言うと、ふたたび格納庫に足を向ける。
「……待て」
予期せず呼び止められて、テオは怪訝そうな面持ちでユーリに顔を向ける。
「今日は十一月の七日だったな」
「そうだけど……それがどうかした?」
「俺の思いちがいでなければ、あと一週間でおまえの誕生日だったはずだ」
しばらくユーリの顔を見つめていたテオは、ようやくその言葉の意味を理解したように「あ」とちいさな声を上げた。
頬はみるまに薄紅色に染まっていく。ユーリが自分の誕生日を憶えていたことがよほど意外で、そしてうれしかったのだろう。
「ユーリ、僕の誕生日、憶えててくれたの!?」
「去年は忘れたせいでしばらく不機嫌だったからな」
「それはその……気持ちの問題っていうか……」
「欲しいものがあれば早めに言え。具体的なものにしてくれると助かる」
それだけ言って、ユーリは航空通信に掲載された広告ページに目をやる。
かつては大々的に宣伝されていた真空管ラジオやレコードプレーヤーはすっかり扱いがちいさくなり、代わりに冷蔵庫や洗濯機といった新型の家電製品が目立つ。
「あのね、ユーリ」
「冷蔵庫も発売されたばかりのころに比べるとだいぶ安くなった。買ってきた肉や野菜を保存しておければ料理も多少は幅を……」
「ユーリ、僕の話を聞いて!!」
思わず大声を出してしまったことに驚いたのは、ほかならぬテオ自身だった。
「僕はべつに物がほしいわけじゃないんだ」
「……」
「マドリガーレ市内で近ごろ評判のレストランがあってさ。ディナーはいつも満席で、なかなか入れないらしいんだけど――――」
「その店に行きたいのか?」
「……うん。僕も十八歳になるんだし、ああいう店で誕生日をお祝いしてもらえたら素敵だろうなって」
テオはためらいがちに言うと、ちらと上目遣いにユーリを見やる。
人間嫌いの彼が自分から街に出ることはめったにない。まして混み合ったレストランなど、たとえ頼まれたとしても足を運ぶことはないのだ。
もとより無理な頼みだということは、テオもむろん承知している。
それでも……と、わずかな期待をかけて切り出してみたが、ユーリにはそんな胸の裡は知る由もないことだった。
わずかな沈黙のあと、ユーリはひとりごちるみたいに呟いた。
「テオ、今度街に行くのはいつだ?」
「明日か明後日には食料品の買い出しに行く予定だけど」
「レストランに予約を入れるついでに、俺のスーツをクリーニングに出しておいてくれ。しばらく袖を通していなかったからな」
「ユーリ、それって……!?」
「まさか
ユーリの言葉は例のごとくそっけない。
それでも、テオの表情がぱっと明るくなったのは、その裏に隠された不器用な心遣いに気づいたからだ。
「そういうことなら、僕もとっておきのドレスを用意しておかなくちゃ」
「前にヒラヒラした格好は疲れると言っていなかったか」
「いいの!! 特別な日なんだから!!」
わざらしく怒ったような声色で言って、テオはぷいと顔を背ける。
「そうだ、忘れてた。今日は昼過ぎにお客さんが来ることになってるから、ユーリもちゃんとした格好しててね!」
「俺が売るのは操縦の腕だ。服装をとやかく言ってくるような客はこちらからお断りだ」
「そうやって選り好みしてたらすぐ赤字になっちゃうよ。このあいだの修理代だってバカにならなかったんだからね」
「仕方がない――――」
地鳴りのような轟音が聞こえたのはそのときだった。
大馬力
どこか湿ったような音色は、
重なって聞こえるのは、二基の発動機を搭載した双発機の特徴であった。
「この音、まさか――――」
テオはいてもたってもいられずに滑走路のほうへ駆け出していた。
奇妙な機影がテオの頭上をよこぎったのはそのときだった。
軽金属の地肌が陽光を照り返してきらめく。
ゆるやかな前進角をもつ主翼の中ほどから上下に伸びているのは、左右一対の垂直尾翼だ。
するどく突き出た機首の両側面には小ぶりな翼が装着されている。
機体の前部にはプロペラらしきものは見当たらない。
一見するとジェット戦闘機のようにも見えるが、よくよく機体を観察すれば、そうでないことはすぐに分かる。
巨大な推力を生み出す二重反転プロペラが据え付けられているのは、主翼のずっと後方――機体の尾部だ。
その特異なシルエットは、さながら一般的な戦闘機を逆向きにしたようでもあった。
「うそだ……あの機体は、もう一機も残っていないはずなのに……」
滑走路へのアプローチに入った異形の航空機を見つめながら、テオは熱に浮かされたみたいに呟いていた。
「”リヴァイアサン”――――」
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