冬の飛竜 -JG508,1943-(七・終)
ユーリのワイバーンが目的地に到着したのは、空が白みはじめたころだった。
ここまでオーディンバルト空軍の戦闘機と遭遇することもなく、計器だよりの夜間飛行は滞りなく終わった。
あとはもうひとりの
ユーリは風防を開き、飛行場へのファイナルアプローチに入る。
飛行場と言っても、農薬散布用の軽飛行機が発着するための簡素なものである。
滑走路はコンクリート舗装されているものの、戦闘機が降りるにはギリギリの長さと幅しかない。
ワイバーンのような重戦闘機を無事に着陸させるのは、ユーリ以外のパイロットにはまず不可能であるはずだった。
「料金を倍増しで請求しておいたのは正解だったな――――」
ユーリはひとりごちて、スロットルをしぼる。
フラップをフル・ダウンさせたワイバーンは、失速寸前の低速で滑走路に進入していく。
地上まで数メートルに迫ったところで機首を上げ、意図的に機体を失速させる。
主脚と尾輪を同時に接地させる三点着陸。
本来は海軍のパイロットが空母への着艦のために編み出したテクニックだが、通常の着陸方法に比べて短い距離で制動をかけられるため、手狭な滑走路に降りる場合にも有用だ。
もっとも、空母での運用を想定した太く頑丈な着陸脚をもつサラマンドラならともかく、完全な陸上機であるワイバーンで成功させるのは至難の業である。脚を折らなかったのは、ユーリの卓越した技量の賜物だった。
ワイバーンは安定した姿勢を保ったまま速度を落とし、やがて滑走路の終端ちかくで完全に停止した。
ユーリがコクピットから半身を乗り出すと、滑走路脇の
はちきれそうな肥満体を上質なビジネススーツに包んだ三十代半ばの男と、その部下らしい痩せぎすの男の二人組。
田舎の飛行場にはおよそ不似合いな格好は、アイスフェルトが話していた玩具会社の社長とみてまちがいない。
「やあやあ、どうもどうも――――」
顔を紅潮させた肥満漢は、満面の笑みを浮かべてユーリに握手を求める。
「わたくし、オーディンバルトで玩具会社を経営しておりますコルネリウス・パウル・ラングタールフルスと申します。アイスフェルト博士には常々お世話に……」
「あんたが誰だろうと興味はない。ワイバーンはたしかに引き渡した。
ユーリのすげない態度に、喜色満面といった風のラングタールフルスもいささか面食らったようだった。
もっとも、仕事を完璧に果たしている以上は文句を言う筋合いでもなく、戸惑いながら太い指で格納庫を指差す。
「それにしても、惚れ惚れするほどみごとな着陸でした。操縦が難しいことで有名なワイバーンをここまでうまく操れるパイロットがまだ残っていたとは……」
ワイバーンの各部をしげしげと観察し、また手で触れながら、ラングタールフルスはしきりにうなずいている。
配達品に問題がないか調べるのは依頼人の当然の権利だ。それが終わるまでは、ユーリもこの場を離れるわけにはいかない。
飛行帽とゴーグルを身につけたまま、ユーリはじっとワイバーンを見つめる。
「わたくしどもの会社では大竜公国軍機の模型を販売しておりましてね。次の製品はワイバーンと思っていたところに、アイスフェルト博士が極上品を手に入れたと聞いたものですから、ぜひにと交換を申し込んだのですよ」
「模型を作るのにわざわざ実機を手に入れる必要があるのか」
「それはもう……細部の再現性を突き詰めるなら、なんといっても実機に取材するのが一番です。わがラングタールフルス社の飛行機模型は子供向けのオモチャではなく、大人のマニアを満足させるリアリティがセールスポイントですので」
饒舌に語っていたラングタールフルスは、ふっとため息をついた。
「会社としての建前はそんなところですが、飛行機マニアとしてめずらしい機体を放っておけない性分なんですよ。ワイバーンはもともと生産数が少ないうえに、終戦までにほとんどの機体が処分されてしまいましたからねえ……」
ボレイオス大陸の戦いで失敗作の烙印を押されたワイバーンは、その後も防空戦隊を中心にほそぼそと運用されたものの、一九四五年に入ると次々に解体されていった。
大戦末期の深刻な物資不足のなかで、貴重な金属資源をすこしでも回収・再利用する必要があったためだ。まともに使えない駄作機も、鋳潰すことで有効利用できると判断されたのである。
終戦時に完全な状態で残っていた機体は三十機にも満たなかったという。
それらの機体もポラリア軍の命令によってほとんどが破壊され、現存する機体はわずか二機にすぎない。
「べつに太っているところに親しみを覚えるというわけじゃないんですが、私はこの飛行機が好きなんです。生まれた時期が悪かったというか……もし重戦闘機がもっと早く主流になっていたなら、きっと傑作機と言われていたんじゃないかと思いますよ」
「そう思うのなら、これからも末永く大事にしてやるんだな。俺も戦争中こいつに乗っていたが、悪くない戦闘機だ」
「もちろんそのつもりで……ああ、そうだ!!」
ラングタールフルスは思い出したと言うようにぽんと手を打ち合わせる。
「
次の瞬間、ラングタールフルスは目をぱちくりさせていた。
ほんの一瞬、飛行帽とゴーグルからのぞくユーリの口元に意外な表情がよぎったのを認めたからだ。
冷たい機械のような印象を与える男に似つかわしくない、それはひどくやわらかな微笑みだった。
「その男のことならよく知っている。――最高のワイバーン乗りだ」
ユーリはそれだけ言うと、その場でくるりと踵を返す。
まばゆい朝日が地平線を染め、光に充たされていく世界に逆らうように、その背中は格納庫の暗がりに吸い込まれていった。
【第二話 完】
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