冬の飛竜 -JG508,1943-(六)
二対十二の空戦は、たちまち乱戦の様相を呈した。
ライラプス隊は二手に分かれての挟撃を目論んでいたが、クロードのワイバーンが機先を制するかたちで突撃を仕掛けたことで、編隊が崩れたのである。
すれ違いざまに一機を撃墜したのは、クロードの卓越した空戦センスのなせる業だった。
無謀きわまりない捨て身の攻撃が奏功したのはまさしく奇貨と言うべきだが、ポラリア軍が圧倒的に有利であることに変わりはない。
それどころか、かなりの腕利きであることが露見してしまったことで、ユリアンとクロードはかえって窮地に立たされたとさえ言える。
すでに一機を失ったライラプス隊はもはや数の優位に驕ることなく、確実にワイバーンを撃墜するための手を打ってくるはずだった。
ユリアンは敵の猛射をたくみにかわしながら、編隊間無線を通じてクロードに呼びかける。
「クロード、離脱しろ。敵の数が多すぎる!!」
「この期に及んで生命が惜しくなったか? 俺は最期まで戦うぞ。そして、ポラリアの奴らを一機でも多く道連れにしてやる!!」
「バカなことを――――」
ユリアンの言葉を遮るように、数条の火線が
背後から撃たれている。これほど敵の数が多いと、背中を取られないように立ち回るのは不可能だ。
ユリアンは発射音と発射間隔から、敵機の武装におおよそのあたりをつける。
おそらく三十ミリの大口径機関砲――航空機に搭載される武装としては最も強力なもののひとつだ。
ときおり混ざる軽快な発射音は、オーソドックスな十二・七ミリ機銃だろう。
分厚い防弾装甲をもつワイバーンといえども、三十ミリ徹甲弾の直撃には耐えられない。一発でも当たれば機体は木っ端微塵に打ち砕かれ、パイロットの肉体は跡形もなく四散する。
背後からひっきりなしに撃ち込まれる銃火をかいくぐりながら、ユリアンは深く息を吸い込む。
敵も重戦闘機なら、ワイバーンとおなじ弱点を抱えているであろうことは容易に想像がつく。
ならば――と、ユリアンは操縦桿をめいっぱい手前に引く。
急激な
(曲がってくれ――――)
ユリアンは機首が上がりきったタイミングを見計らって、右のフットペダルを思いきり蹴飛ばす。
垂直尾翼の
右の主翼ではげしい振動が生じた。急激な挙動変化によって翼の表層部にまとわりついていた気流が引き剥がされ、揚力の喪失――
一方、左の主翼はまだ充分な揚力を維持している。
左右の翼に生じたいちじるしい揚力の差によって、ワイバーンは上昇しつつ猛烈な
ユリアンは片翼の意図的な失速を引き起こすことで、通常の操縦では絶対に不可能な
背後から攻撃を仕掛けていた五機のライラプスは、ワイバーンが見せた不可解な挙動に度肝を抜かれただろう。
ワイバーンは軽戦闘機なみの身軽さで反転。ライラプスの右ななめ後方で水平飛行に戻る。
絶好の射撃ポジションだ。
ユリアンはためらわず操縦桿の機銃発射ボタンを押下する。
ワイバーンの両翼に内蔵された四門の二十ミリ機関砲から閃光がほとばしった。
曳光弾が混じった青白い火線がライラプスの尾部に吸い込まれていく。
ユリアンはフットペダルを蹴って機体をすべらせ、またたくまに二機のライラプスを撃墜。
炎に抱かれて墜落していく敵機には目もくれず、次の標的にねらいをつける。
「……!!」
三機目のライラプスを光学照準器の
クロードのワイバーンが追われているのに気づいたためだ。
後方だけでなく上方も敵機に塞がれている。これでは逃げようがない。
「クロード、速度を上げて敵を引き離せ。俺が行くまでどうにか持ちこたえろ」
「余計なお世話だ……おまえの助けは借りない!!」
強気な言葉とは裏腹に、クロードの声は無線機ごしにも分かるほど震えている。
べつにクロードが臆病なわけではない。どれほど勇敢な兵士でも、死の危険にさらされれば身体がすくむ。恐怖に声が詰まる。
それは生物として至極あたりまえの反応にすぎない。
自分の死をまるで他人事みたいに客観視し、生命の危機にあっても冷静に動くことが出来る人間のほうが異常なのだ。
ユリアンはスロットルを全開し、さらなる出力増強のために水・メタノール噴射装置を作動させる。
大馬力の空冷
弾かれるように加速したワイバーンは、みるみるまに一万メートルちかくまで急上昇。
ユリアンがめいっぱい操縦桿を手前に引くのに合わせて、ワイバーンはゆるやかな弧を描くように背面宙返りを打つ。
機体の大重量がもたらす慣性モーメントを最大限利用することで、曲がらない機体を無理やりに曲げたのだ。
ユリアンは猛烈なGに耐えつつ、クロードを追っていたライラプスに照準。
敵が真上にかぶられたことに気づいたときにはもう遅い。
二十ミリ機関砲の斉射を浴びたライラプスは、一瞬のうちに火の玉と化した。
ポラリア軍の新鋭機は、打ち砕かれた無数の金属片、そしてパイロットの血と肉を空中に振り撒きながら爆散する。
息つくまもなく襲いかかる火線をかわしながら、ユリアンはクロードに呼びかける。
「聞け、クロード。このままバラバラに戦えば、俺もおまえも死ぬ」
「……」
「生き残るためには二人で戦うしかない。訓練学校で教官相手に模擬戦をやったときとおなじだ。俺とおまえなら出来る――――」
「今度はおまえが俺を助けるとでも言いたげだな」
クロードはいかにも苦々しげに吐き捨てる。
耳を聾する騒音に支配された空の戦場で、二人の若者のあいだにわずかな沈黙が降りた。
クロードは深く息を吸い込むと、一語一語、塊を吐くように言葉を重ねていく。
「いいだろう――ユリアン、今回だけはおまえの命令に従ってやる。死ねばおまえを追い越すことも出来なくなるからな」
***
低く垂れ込めた密雲を抜けると同時に、はげしい吹雪が
つねに晴天が広がっている雲の上では知る術もなかったが、下界はすこしまえから大雪に見舞われているらしい。
二機のワイバーンは、つかず離れずの距離を保ちながら南へむかって飛んでいく。
どちらの機体もひどく傷つき、主翼や胴体にはいくつも弾痕が刻まれている。
「おたがいこっぴどくやられたな……」
自嘲するようなクロードの声が無線機から流れた。
ユリアンはがたつく機体をどうにか水平に保ちながら、ちらとクロードのほうを見やる。
「それでもこうして生き残った。俺たちの勝ちだ」
「勝ち、か。いつかおまえが言ってたことがやっと分かったような気がするよ。たしかに
クロードはしみじみと呟く。
「ユリアン、おまえにはずいぶん迷惑かけちまったな。今日の戦いでよく分かったよ。おまえの気持ちも知らずに張り合って、俺はとんだバカ野郎だった……」
そして、わずかな沈黙のあと、クロードはためらいがちに問うた。
「なあユリアン、まだ俺のことを友達だと思ってくれるか?」
「おまえがどう思っていたかは知らないが――――そうじゃないと思ったことは一度もない」
「そうか……いや、おまえはそういうやつだったよな」
言い終わるが早いか、クロードのワイバーンが下降しはじめた。
「これ以上高度を下げると地面にぶつかるぞ。クロード、操縦桿を引け」
「出力が上がらないんだ。燃料流量計がまったく動いてない。さっきの戦闘で燃料ポンプをやられたらしい。くそったれの
「基地まであと百キロだ。どうにか持たせられないのか?」
「無理だ……
ユリアンは風防を開き、すばやく下方に視線を走らせる。
吹雪によって視界は最悪だが、自分たちがどのあたりにいるかの見当はつく。
二人が飛んでいるのは、前線基地の北東百キロに茫々とひろがる穀倉地帯の真上であった。
かろうじて大竜公国軍の勢力圏内ではあるが、だからといって油断は出来ない。
ポラリア人はそのすべてが潜在的な
不時着するにせよ、慎重に場所を見極めなければ、パイロット狩りによって生命を落とすことになる。
「すこし先に広い河川敷がある。そこならワイバーンでも降りられるはずだ」
「ユリアン、先導してくれるか? さっきから目がよく見えない……」
雪に閉ざされた視界のなか、前方に河川敷を認めたユリアンは、すばやくアプローチに入る。
ユリアンの操るワイバーンは、枯れ草に覆われた河川敷に危なげなく着陸し、脚が折れるといったトラブルに見舞われることなく停止する。
ユリアンが着陸誘導のために外に出ようとしたそのときだった。
上空でなにかが爆発するような音が生じた。
白くかすんだ雪空にまばゆいオレンジ色の光点がぽっと浮かび上がる。
クロードのワイバーンが
あっというまに操縦不能に陥ったワイバーンは、着陸脚も出さないまま河川敷に叩きつけらた。
そうして百メートルほど地面を滑ったあと、機体はようやく動きを止めた。
「クロード!!」
叫ぶが早いか、ユリアンはクロードのもとへ駆け出していた。
ワイバーンの発動機は胴体着陸の衝撃でカウリングごと脱落し、すぐそばの草むらで炎に包まれている。
機内タンクのガソリンに引火・爆発するという最悪の事態を避けられたことは、不幸中の幸いといえた。
首なしのワイバーンによじのぼったユリアンは、力任せに
「しっかりしろ。はやく脱出を……」
言いさして、ユリアンはそれきり言葉を失った。
ワイバーンの広いコクピットは、むせかえるほどの血のにおいで充ちていた。
クロードのカーキ色の飛行服は赤黒く染まり、床や計器盤にはまだ乾ききっていない血しぶきが斑斑と散っている。
「よう……ユリアン。格好悪いところ見せちまったな……」
「クロード……おまえ……」
「さっきの戦闘で飛び込んできた弾が派手に跳ねやがった。防弾がしっかりしてるのも考えものだな。おかげで簡単には死なせてくれねえ……」
それだけ言って、クロードはごぼりと血塊を吐いた。
跳弾は肺を傷つけたらしい。呼吸は浅く早く、苦しげな喘鳴を漏らしている。
ユリアンは懐から軍用ナイフを取り出すと、クロードの身体を座席に固定しているハーネスを切断していく。
「俺の機体に乗れ。基地に戻ったら、すぐに軍医のところに連れて行ってやる」
「それまで持つと思うか?」
「たいした怪我じゃない。一人前のパイロットなら、このくらいで弱音を吐くな」
「嘘が下手なのがおまえのいいところだよ――――」
担ぎ上げたクロードの身体は、少年とはいえ男とは思えないほど軽かった。
いくらワイバーンのコクピットが広いと言っても、二人分の座席はない。
ユリアンはぐったりとしたクロードを抱きかかえるような格好で着座すると、すばやく離陸準備に入る。
「痛みに耐えられなくなったら言え。救護キットのなかに
「おおげさだな。たいした怪我じゃないと言ったのはおまえだぜ、ユリアン」
クロードは冗談めかして言ったが、その声は細く弱々しい。
河川敷を後にしたワイバーンは、南にむかって針路を取る。
基地までの直線距離はおよそ百キロ。時速四百キロで巡航すれば、十五分たらずで到着する。
ワイバーンはそれ以上の速度を出すことも可能だが、損傷した機体ではまっすぐ飛ぶのも一苦労なのだ。
そのうえ燃料も残りわずかとなれば、ひたすら慎重に飛ぶほかない。
「そういえば、おまえにはまだ話してなかったっけなあ――――」
クロードがとわずがたりに話しはじめても、ユリアンは止めなかった。
傷の具合を考えればしゃべらせないほうがいいことは分かりきっている。
それでも、最期に伝えたいことがあるなら、あえてそれを妨げるつもりにはなれなかったのだ。
「俺の親父はそれなりに名の知れた学者だった。兄貴たちもみんな親父似でな。弁護士だの医者だの役人だの、どいつもこいつもご立派なエリートばかりさ」
「……」
「末っ子の俺だけが出来損ないだった。頭が悪くて乱暴で喧嘩っ早くて……。ガキのころから優秀な兄貴たちと比べられて、どうして俺だけがこうなんだとずいぶん悩んだよ」
クロードはときおり咳き込みながら、古い本のページをめくるように過去の記憶を手繰り寄せていく。
「親父のコネで入った名門校も喧嘩沙汰で放校になった。十五歳のときに家を出て、自分の力だけで生きていこうと思った……」
「それで
「軍隊なら住む場所とメシには困らないからな。パイロットの適性があると言われたときはうれしかったさ。他人に認められたのは生まれてはじめてだったから……こんな俺でも生きていてもいいと、そう言ってもらえた気がした……」
ユリアンはなにも言わず、じっとクロードの言葉に耳を傾けている。
すこしずつ体温を失っていく戦友への、それはたったひとつの手向けだった。
「俺には飛行機に乗ることがすべてだった。空軍で出世して、勲章をたくさんもらって……そうして、いつか親父や兄貴たちを見返してやるのが俺の夢だった」
「これから叶えればいい。生きていればチャンスはいくらでもある」
「もういいんだ――――」
クロードの青白い面貌に浮かんだのは、どこまでも穏やかな微笑みだった。
撃墜数を増やすことに血道を上げ、ユリアンを一方的にライバル視していたころの憎悪に歪んだ顔とはまるで別人のよう。
すべてを受け入れたことで、赤毛の若者はようやく安息を手に入れたのだった。
「ユリアン、ひとつ頼みを聞いてくれるか」
「なんだ?」
「俺のこと、憶えてててくれよ。親父も兄貴たちも、俺のことなんかすぐに忘れちまうだろう。べつにそれでもかまわない。ただ、おまえだけには、いつまでも憶えていてほしい……」
「約束する。生きているかぎり、俺はおまえのことをずっと憶えている。ぜったいに忘れたりしない」
「ありがとう――――」
クロードの喉からひゅうひゅうと風鳴りのような音が漏れた。
「眠くなってきやがったな……」
「すこし休め、クロード。あと五分もすれば基地に着く」
「そうさせてもらうよ。近ごろまともに寝てなかったが、今日はひさしぶりにゆっくり眠れそうだ」
クロードは瞼を閉じ、ユリアンに体重を預ける。
やがて吹雪の彼方に滑走路の灯りが見えてきたとき、戦友の身体はすでに冷たくなっていた。
ユリアンはクロードの手を握り、あるかなきかの声で呼びかける。
「おやすみ――――クロード」
***
ユリアン・エレンライヒに転属の辞令が下ったのは、それから二週間後のことだった。
その日の出撃から戻ったユリアンは、第
いったいなにごとかと訝るユリアンに、ファーレンハイト少佐は近々やってくる輸送機に乗り、アードラー大陸本土に帰還するよう命じたのだった。
「本土で新型の重戦闘機を運用する特務部隊が創設される。貴官はその発足メンバーに選ばれたということだ」
ファーレンハイト少佐はパイプをくゆらせながら、考課表のファイルをめくっていく。
かつて空軍きっての
指揮官として日々心労を重ねたことで、実年齢以上に老け込んだのだ。
「部隊長はランドルフ・シュローダー中佐。貴官も知ってのとおり、これまで二百機を撃墜した大竜公国史上最高の戦闘機パイロットだ。彼を筆頭に各部隊の有望なパイロットを集め、将来の本土決戦に備えるのが計画の目的と聞いている」
「なぜ自分が選ばれたのか納得いたしかねます」
「軍では命令が絶対だ。納得したかどうかは問題ではない。……わが隊からは撃墜数上位の二人を推薦した。もうひとりが誰かは、言わなくても分かっているだろう」
ユリアンはファーレンハイト少佐を見据え、なおも得心が行かない面持ちで反問する。
「お言葉ですが、自分の撃墜数はファーレンハイト少佐には及びません。優秀なパイロットが選抜されるというなら、少佐が行かれるべきです」
「たしかに
いったん言葉を切ったファーレンハイト少佐は、ふと窓の外に目を向ける。
雪こそ降っていないが、横殴りの北風がガラスを揺さぶっている。
少佐にとっては戦地で迎える二度目の冬だった。
「私は指揮官として前線を離れるわけにはいかん。これまで多くの部下を死なせてしまった責任もある。いまさらのうのうと本土に戻ることは、私自身が許せないのだ」
このうえなく悲痛なはずの少佐の言葉には、しかし、不思議と陰鬱な響きはない。
戦いのなかに身を置くことでしか贖えない罪があることを、その背中は無言のうちに物語っていた。
「さらばだ、エレンライヒ少尉。貴官の武運長久を祈る――――”
ユリアンが隊を離れてから、およそ一ヶ月後――。
大竜公ジギスムントはついにボレイオス大陸からの撤兵を決定。
事前にこの情報を掴んでいたポラリア軍は大攻勢を仕掛け、各地で最後の激戦が展開された。
第五○八戦闘航空団は撤退中の友軍を援護するために出撃し、すべての航空機とパイロットを喪失した。
指揮官であるファーレンハイト少佐も壮烈な戦死を遂げ、部隊としての五○八戦はこの地上から跡形もなく消滅した。
時に一九四三年十二月七日。
鉄の
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