冬の飛竜 -JG508,1943-(五)
その日、ユリアン・エレンライヒ少尉のワイバーンが基地に帰還したのは、日付も変わろうかという真夜中のことだった。
数時間前――
ポラリア軍の爆撃隊が近隣の油田に接近中という一報を受けて、第
ポラリア軍は爆撃機と戦闘機・攻撃機の混成編隊およそ七十機、対する大竜公国側は全部隊を結集しても三十機たらず。どれほど個々のパイロットが奮闘したところで、絶対的な数の不利は覆せるものではない。
ユリアンは三機の爆撃機と五機の護衛戦闘機を仕留めたものの、それ以上の敵機を撃墜することは出来なかった。
ワイバーンに搭載されているすべての弾薬を使い果たしたのである。
防空戦闘機隊の奮戦もむなしく、ついに爆撃を止めることは出来なかった。
降り注ぐ爆弾によって油田は徹底的に破壊され、噴き上がった爆炎が夜空をあかあかと染めていく。
採掘設備の再建には膨大な費用と長い時間を必要とする。現下の戦況をかんがみれば、油田そのものを放棄せざるをえないだろう。
五○八戦はこの日の戦闘で総戦力の約半数を失う大損害を受けた。
墜落する機体から
かろうじて熾烈な戦闘を生き延びたパイロットたちは、防衛目標を守りきれなかった無力感と徒労感とに苛まれながら、ほうほうの体で基地へと戻ったのである。
「よう、ユリアン――今夜は何機墜としたんだ?」
機体を降りたユリアンは、ふいに呼びかけられて立ち止まった。
声のしたほうに視線を向ければ、飛行帽と酸素マスクを手にしたクロードが立っている。
かつての朗らかな雰囲気はどこにもない。眉を寄せてユリアンを睨めつけるその表情には、隠しようのない苛立ちと敵意がにじんでいる。
「それはいま答えなければならないことか?」
「ああ。俺たちには大事なことだ」
「おまえも分かっているだろう。俺たちは負けた。こうして生き残っただけで充分だ。
ユリアンが言い終わらないうちに、クロードはその胸ぐらを強く掴んでいた。
そのままユリアンの身体をワイバーンの機体に押し付けながら、クロードは血を吐くように叫ぶ。
「どうでもいいだと? おまえにとってはそうかもしれないが、俺にとってはちがう!!」
「よせ、クロード」
「俺は今夜の戦いで五機撃墜した。だが、おまえはそれ以上だろう? だからそうして余裕でいられるんだ!!」
怒声を張り上げるクロードの両目からは、とめどもなく涙があふれていく。
「ユリアン、おまえはどうだか知らないが、俺には戦闘機パイロットしか生きる道はない。手柄を立てて出世して、あいつらを見返してやるためには、二番手や三番手じゃ駄目なんだ!!」
嗚咽まじりの絶叫が格納庫に響いた。
クロードは荒い呼吸を整えながら、血走った目でユリアンを見据えている。
ユリアンがなにかを言おうとするのを遮るように、クロードはぽつりぽつりと言葉を継いでいく。
「ユリアン、俺はおまえのことを友達だと思っていた……」
「俺もそうだ。訓練学校では
「俺はそのことを後悔しているよ。おまえなんか助けなきゃよかった。おまえさえいなければ、俺はこんな思いをせずに済んだんだからな」
一語一語に憎しみと嫉妬が絡みついたそれは、呪詛以外のなにものでもなかった。
「俺はおまえには負けない。かならず追い越してやる――――」
***
ルブラン少尉は以前とはまるで別人になったようだ――。
いつのころからか、五○八戦のパイロットや整備兵は口々にそう囁くようになった。
クロードは可能なかぎり多くの出撃シフトに自分を入れるようファーレンハイト少佐に懇願し、敵襲警報が発令されれば取るものもとりあえず飛び立すようになっていた。
パイロットの
慢性的な人員不足になやむ前線部隊では、あえて働きたいという者を止める理由もなかったのである。
はたして、クロードは目に見えてやつれていった。
睡眠不足と過労、さらには極度の緊張状態が続くことで引き起こされる航空神経症……。
赤毛の若者の心身はすっかり摩耗し、げっそりと痩せこけた顔のなかで両眼だけが炯々とするどい光を放っている。
肝心の撃墜数はといえば、懸命の努力によってユリアンに肉薄したものの、いまだ追い越すには至っていない。
追えば追うほど遠ざかっていくライバルの背中に、クロードはますます焦りを募らせるばかりだった。
一九四三年も終わりにさしかかった十月。
ボレイオス大陸の秋は幻のように過ぎ、季節は早くも冬を迎えようとしている。
灰色の空に雪片がちらつきはじめたころ、第五○八戦闘航空団に新基地への移動命令が下った。
海を見下ろす高台に設けられたちいさな野戦飛行場である。
度重なる損耗によって航空団の稼働機は十機前後にまで減少し、現存する飛行中隊はわずかに一隊だけとなれば、広い基地をあてがわれても持て余すだけなのだ。
大陸の最南端に位置するささやかな基地は、大竜公国軍がこれ以上後退出来ないところにまで追い詰められたことを無言のうちに物語っていた。
***
十月に入ってまもなく、ポラリア空軍の偵察機がたびたび沿岸部に出現するようになった。
それまでボレイオス大陸南部の制空権は大竜公国空軍と海軍航空隊が完全に掌握していたが、戦況の悪化とともに空の支配も綻びはじめたのである。
偵察機の目当ては、各地の港湾に停泊する輸送船だ。
大竜公国軍のボレイオス大陸からの全面撤退が近いことは誰の目にもあきらかだった。
ポラリア軍は港に集められた輸送船の隻数から撤退開始の時期を予測し、それにあわせて大陸南部への総攻撃を行おうというのである。
主力部隊が撤退するタイミングで攻撃を仕掛ければ、大竜公国の全軍はなすすべもなく崩壊し、ポラリア軍は最小限の犠牲で最大の戦果を得ることが出来るはずだった。
十月十八日の早朝。
沿岸警備部隊から偵察機出現の通報を受けた第五○八戦闘航空団は、待機中のワイバーン小隊をただちに出撃させた。
ファーレンハイト少佐を編隊長として、ユリアンとクロードが僚機を務める三機編成である。
離陸してまもなく、二人にファーレンハイト少佐からの緊急打電が入った。
――ワレ機関不調ニヨリ離脱ス。任務続行セヨ。
少佐のワイバーンは
編隊長が離脱しても任務が中止されたわけではない。逃走中の敵機を追跡し、可能ならば撃墜することが、ユリアンとクロードに課せられた任務だった。
二人はろくに会話も交わさないまま、高度八千メートルまで上昇する。
標的の機種は不明だが、速度から推測して、ポラリア空軍の双発戦闘爆撃機ケルベロスの写真偵察機タイプ――ケルベロスR型と見てまちがいないはずだった。
ケルベロスR型の最高速度はおよそ時速六百キロ。
大竜公国の戦闘機としては最速の時速六百五十キロをほこるワイバーンであれば、充分に追いつくことが可能だ。
クロード機がふいに加速したのはそのときだった。
「クロード、スロットルを開きすぎだ。今日は
編隊間無線は通じているにもかかわらず、クロードは沈黙を守っている。
仕方なく自分も機体を加速させながら、ユリアンはさらに呼びかける。
「クロード、聞こえているなら返事をしろ」
「だまれ――――上官でもないくせに、偉そうに俺に指図をするな!!」
語気荒く、吐き捨てるように叫んだクロードは、矢継ぎ早に言葉を継いでいく。
「足の早い偵察機に追いつくために速度を上げる……当然の理屈だ。文句を言われる筋合いはない」
「敵機を撃墜できても、燃料切れになれば機体を捨てることになるんだぞ。このあたりはポラリアの勢力圏内だということを忘れたのか」
「それがどうした!!」
あくまで冷静に指摘するユリアンに、クロードは苛立った声を張り上げる。
「怖気づいたなら、ユリアン、おまえは少佐といっしょに基地に戻れ。偵察機は俺だけで撃墜してみせる。あれは俺の手柄だ。誰にも渡さない……」
ユリアンが
二機よりもだいぶ高い場所でまたたくそれは、金属が太陽光を反射して輝いているのだ。
「気をつけろ!! 二時方向、敵戦闘機! 高度一万!」
「一万だと? バカなことを言うな。そんな高度を飛んでいる戦闘機はワイバーン以外には……」
「クロード、散開しろ!! 真上に被られた!!」
ユリアンが叫ぶが早いか、耳をつんざく銃撃音が響きわたった。
すさまじい火線がワイバーンの翼を掠め、はるか下方の雲海へと吸い込まれていく。
間一髪のところで回避出来たのは、数えきれないほどの死線をくぐりぬけるなかで培ってきた反射神経の賜物だ。
直後、ユリアンとクロードの視界をよこぎった機影は十二。
敵機を間近で目にした二人は、おもわず息を呑んでいた。
襲いかかってきた戦闘機は、これまで遭遇したどのポラリア空・海軍機とも異なっていたからだ。
太い胴体と幅広の主翼はワイバーンによく似ているが、細部の形状はまったく異なる。
青みのつよい
まぎれもなくポラリア空軍の
AF-12A”ライラプス”――――。
ポラリア空軍が現行の主力機ヘルハウンドの後継機として採用した重戦闘機である。
ポラリア軍は鹵獲したワイバーンを徹底的に分析することで、従来の軽戦闘機とは方向性を異にする高速・大火力の重戦闘機を作り上げたのだ。
いわば
十二機のライラプスは二手に分かれ、それぞれ逆回りの弧を描くようにゆるやかに旋回する。
初撃をかわしたワイバーンを今度こそ確実に仕留めるべく、二方向から挟撃の構えを取ろうとしているのだ。
「いったいなんなんだ、こいつら……!?」
「ポラリア軍の新型だ。おそらく偵察機を迎えに来たんだろう」
「上等だ――――まとめて返り討ちにしてやる!!」
ユリアンが制止するより早く、クロードは機体を急上昇させていた。
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