冬の飛竜 -JG508,1943-(四)

 冷えた夜風が格納庫ハンガーを吹き抜けていった。

 ボレイオス大陸の冬は長い。五月になっても、夜になれば骨身にしみる寒さが戻ってくる。

 最前線の飛行場らしく至って簡素な作りの格納庫内には、二十機ちかいCaZ-160”ワイバーン”が整然と機首を並べている。

 半数ほどの機体は整備のためにカウリングを取り外され、巨大な星型空冷発動機エンジンがむき出しにになっている。

 いつ敵爆撃機が襲来しても万全の態勢で迎え撃つことが出来るよう、第五○八ゴオマルハチ戦闘航空団ヤークトゲシュバーターのワイバーンはつねに最良の稼働状態に保たれているのだ。


 工具を手にした整備兵がせわしなく走り回るのをよそに、金灰色アッシュブロンドの髪の少年飛行兵は、コクピットに座って熱心になにかを書き綴っている。

 

「ユリアン、おまえ、またここにいたのか――――」

 

 ふいに風防キャノピーの防弾ガラスを叩かれて、ユリアン・エレンライヒ曹長は声のしたほうへ視線を向ける。

 顔を上げきらないうちに、主翼の付け根に立ってコクピットを見下ろしている飛行兵と目が合った。

 歳の頃はユリアンと変わらない。燃えるような赤毛と琥珀色の瞳が特徴的な少年であった。

 長身の割に幼く見えるのは、鼻から頬にかけて散ったそばかすのせいだろう。

 

「……何の用だ、クロード」

「ごあいさつだな。おまえが食堂に顔を出さないから、わざわざ心配して見に来てやったんだぜ」


 クロード・ルブラン曹長は風防に手をかけると、コクピットの縁にどっかと腰を下ろす。

 分厚い防弾板が仕込まれたワイバーンの外装は、人一人の体重がかかった程度ではびくともしない。


「ユリアン、なぜ隊のみんなとメシを食わない?」

「面倒だからだ。俺は任務に関係ないところでは誰とも話したくないし、話しかけられたくもない」

「おまえならそう言うと思ったよ――――」


 からからと笑って、クロードはユリアンの膝に籐かごバスケットを投げ落とす。


「大勢で食事をするのが嫌なのは分かったが、メシはしっかり食えよ。僚機にフラフラされたんじゃ俺が困る。それに、”腹が減っては戦はできぬ”って言うだろ?」


 ユリアンはだまって籐かごを開ける。

 ライ麦パンに燻製肉チップド・ビーフとキャベツの酢漬けを挟んだサンドイッチ。

 マスタードの効いたソースがたっぷりとかかったそれは、敵襲にそなえて一晩じゅう待機するパイロットの夜食としておなじみのものだ。

 ユリアンは今夜の当直シフトには入っていないが、クロードが顔なじみの炊事兵に頼んでひとつ余分に用意させたのである。

 礼も言わずに食べはじめたユリアンを、クロードは腹を立てることもなく見つめている。

 

「そういえばおまえ、さっきなにか書いてたよな」

「今日戦った敵の動きを分析していた。忘れないうちにノートに書くことにしている」

「出撃のたびにいちいちそんなことしてるのか? 律儀なやつだな」


 クロードは呆れたように言ったあと、思い出したように問いかける。


「ところでユリアン、今週の撃墜数スコアはどうだった?」

「隊の戦績はブリーフィングルームに張り出してある。知りたければ見てくればいい」

「おまえの口から聞きたいんだよ」

「……五機だ」

「俺の勝ちだな。戦闘機ヘルハウンドが五、双発戦闘爆撃機ケルベロスが二機の合計七機だ。なかなかたいしたもんだろ?」


 ユリアンはなにも言わず、黙々とサンドイッチを口に運んでいる。

 クロードはひい、ふう、みい……と数えながら指を折ったあと、ユリアンのほうに顔を向けた。

 そばかすが目立つ顔には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。


「これで単独撃墜は俺が三十五機、おまえが三十三機。通算百五十機撃墜のファーレンハイト少佐を除けば、いまのところ俺たちがこの航空団のツートップってわけだ」

「俺には関係ないことだ。べつにだれかと競争しているつもりはない」

「あまりつれないことを言うなよ。軽戦のサーペントに慣れたベテラン連中は、ワイバーンに機種転換してからはまっすぐ飛ばすだけで四苦八苦してやがる。本土で重戦の訓練を受けた俺たちのほうが断然有利ってことだ。いまのうちに撃墜数を積み上げておくに越したことはないさ」

「手柄を立ててどうする? 勲章でもほしいのか?」

「まあ、な――――」


 クロードははにかみながら言ったかと思うと、身のこなしも軽く機体から飛び降りていた。

 小走りに遠ざかりつつ、赤毛の少年飛行兵は顔だけで背後を振り返る。


「おいユリアン! たしかにワイバーンのコクピットは広くて居心地もいいだろうが、夜はちゃんと兵舎のベッドで寝ろよ! 座ったまま寝ると身体がバキバキになっちまうぜ!」


 ユリアンは「ああ」とだけ答えると、空になった籐かごを足元に置き、ふたたびノートへの書き込みを始めていた。


***


 ユリアン・エレンライヒとクロード・ルブランが出会ったのは、空軍ルフトヴァッフェの戦闘機パイロット養成課程も終わりに差し掛かったころだった。


 各地の飛行学校でひととおりの技術を習得したパイロット候補生は、首都ラウテンヴェルク郊外の飛行場で最後の三ヶ月をすごす。

 出征を控えたパイロットの卵たちにはそこで最後のテストが課せられる。すなわち、現役の空軍パイロットによる戦技訓練だ。

 実弾こそ使用しないものの、それ以外は実戦そのものと言っていい。歴戦の教官はようやく独り立ちしたばかりのヒヨッコ相手に手加減なしの空戦機動マニューバを仕掛け、訓練中に殉職者が出なかった年は一年としてない。

 空戦技術を伝授するというよりは、死と隣合わせの実戦の厳しさを叩き込むことこそが一連の訓練の目的だった。

 どのみちここで死ぬような者は、戦場に出ても遅かれ早かれおなじ運命をたどることになるのである。

 

 ほとんどの候補生が教官に手も足も出ないなかで、ユリアンとクロードだけは例外だった。

 二人は教官と互角の戦いを演じてみせたどころか、しばしば撃墜判定を勝ち取ることさえあったのだ。

 候補生の飛行時間は長くても二百時間に満たない。対する教官はいずれも累計一万時間を超えるベテランぞろいである。

 パイロットの技量はどれだけ長く飛んだかに比例する。

 本来であれば、ベテラン相手にを拾うことは不可能なのだ。

 飛行時間の多寡によらず天賦の才にめぐまれたパイロットもいないではないが、そのような逸材はせいぜい数年に一人いるかどうかだ。

 おなじ年に二人の天才が並び立つのは、空軍の歴史を通して初めての事例だった。


 むろん、すべてにおいて完璧な人材などありえない。

 ユリアン・エレンライヒのすぐれた操縦センスは誰もが認めるところだったが、一方で社交性と協調性がいちじるしく欠如している点が問題視されたのである。

 それも無理からぬことだ。ユリアンは同期のなかでも孤立気味で、しかも当人はそれをまったく気にかけていないというありさまだったのだから。

 正々堂々の決闘はなやかりし複葉機の時代ならいざしらず、現代の航空戦では集団戦がなによりも重要視される。むろん技量があるに越したことはないが、それ以上に必要とされるのは、指揮官の命令をただしく理解し、滞りなく遂行する能力なのだ。

 どれほど腕が立っても、チームワークに馴染めない一匹狼は軍組織にとって害悪でしかない。

 そのような人材は、実戦部隊に配属される前に除籍エリミネートされるのが通例であった。

 事実、一度はその旨がユリアン本人に通告されたこともある。

 

 ユリアンの除籍処分に強く抗議したのは、意外にもライバルと目されていたクロード・ルブランだった。

 人格面での問題を再三にわたって指摘した教官たちに、クロードはその点でも彼にはなんら問題がないと主張した。

 それを身をもって実証するために、クロードとユリアンは教官との二対二の模擬戦に臨んだのである。

 編隊同士の戦闘ではつねに僚機をカバーする必要がある。どちらか一方が注意を怠れば、もう一方はたやすく撃墜される。ただ敵機を攻撃するだけでなく、いかに味方を守るかが肝心なのだ。


 はたして、結果はクロードとユリアンの圧勝に終わった。

 一度は除籍処分を決めた教官たちも、みごとなチームワークを見せつけられては反論のしようもない。

 けっきょく、ユリアンのは個性の域を出るものではなく、パイロットとしての資質にはなんの問題もないという判断が下されたのだった。

 

 二人に第五○八戦闘航空団ヤークトゲシュバーターへの配属命令が示達されたのは、それからまもなくのこと。

 同隊のトップエースであるエドゥアルド・ファーレンハイト少佐が模擬戦の噂を聞きつけ、ぜひ両名を部下にほしいと空軍省にかけあったのだ。

 そうして同じ部隊に配属された二人は、少佐の期待を裏切らず、初陣から数ヶ月のあいだにめざましい戦果を挙げていった。

 扱いが難しいとされる重戦闘機ワイバーンをまるで自分の手足のように操るユリアンとクロードの評判は、いまや他の部隊にまで響きわたっている。


***


 八月――

 ボレイオス大陸に短い夏がおとずれた。

 新緑の梢を揺らすさわやかな風は、しかし、つねにかすかな冬の気配をはらんでいる。

 人間にしても半袖ですごせるのはせいぜい夕方までで、夜には冬用の外套が必要となるほどだった。

 北の極冠に近いこの大陸には、ほんとうの意味での夏は存在しないのだ。


 ヒュペリオンの攻略に失敗して以来、戦局は悪化の一途をたどっている。

 大竜公国軍は致命的な大敗こそ喫していないものの、日に日に勢いをましていくポラリア軍に押し切られるのも時間の問題だった。

 陸軍がじょじょに戦線を後退させるのに合わせて、空軍も野戦飛行場を放棄することを余儀なくされた。

 飛行場の警備にあたっている空軍陸戦隊は軽装備の歩兵部隊にすぎず、ポラリア軍の本格的な攻撃にはとても耐えられない。むざむざと貴重な航空機と搭乗員を失うよりは、基地そのものを捨てるほうが得策だったのである。


 ユリアンらの所属する第五○八戦闘航空団も、今年に入ってからすでに四つの基地を転々としている。

 重い機体に大馬力の発動機エンジンを搭載するワイバーンは、高速で火力にすぐれる反面、旧来の戦闘機に較べて航続距離が短い。増槽を装着した状態でも千五百キロ程度にすぎず、これは運用上のおおきな制約となった。

 とくに五○八戦のように爆撃機の邀撃インターセプトを主任務とする部隊は、補給基地や石油採掘場といった重要施設に近い場所で待機しなければならないことから、頻繁な基地の移動を強いられたのだった。

 

 そのあいだも、ポラリア空軍の爆撃機は昼夜の別なく来攻している。

 第五○八戦は安定した戦果を挙げているが、一隊だけですべての防衛目標を守りきれるはずもない。

 爆撃機編隊は防空網の間隙を縫うように侵入し、すでにいくつかの油田は壊滅的な被害を受けている。むろんポラリアにとっても自国の資源を損なうことは本意ではないが、油田を温存して大竜公国を利するよりは、みずからの手で破壊することを選んだのだった。


 各地の工場から戦場へ次々と兵器を送り出すポラリアに対して、海を隔てたアードラー大陸本土からの輸送だよりの大竜公国は物量面でも不利に立たされている。

 おなじ航空機一機の損失を補填するにしても、ポラリア軍が翌日には納入を完了している一方、大竜公国軍はじつに数週間を要したのである。

 各戦闘航空団は目に見えて消耗し、それは第五○八戦も例外ではなかった。

 もともと五つ存在していた飛行中隊は、三中隊へと統合された。連日の激しい防空戦によって稼働機が減少し、またパイロットの戦死が相次いだことから、従来の編成定数を維持出来なくなったためだ。統合といえば聞こえはいいが、実際は部隊規模の縮小にほかならなかった。

 

 厳しい戦況のなかでユリアン・エレンライヒとクロード・ルブランは順調に戦績を伸ばし、どちらもすでに単独撃墜数は五十機を超えた。

 それにともない、二人そろって上級曹長を経て少尉へと昇進している。

 このころには空軍全体で士官級の人材不足が深刻化し、その解決策として勤務年数に関係なく優秀な下士官を昇進させる方針が採られたためだ。

 すでに殊勲メダルの授与も内定した二人の若者は、名実ともにファーレンハイト少佐に次ぐ五○三戦のダブルエースの名をほしいままにしている。

 

 九月に入ると、そんなユリアンとクロードの関係にもあきらかな変化が生じた。

 それまで両者の撃墜数はほぼ拮抗していたが、六十機を超えたあたりから、ユリアンがあきらかにリードするようになったのである。

 クロードは追いつこうと奮起したが、その差は縮まるどころか、むしろ出撃のたびに開いていった。

 撃墜数の差は、パイロットとしての技量の差にほかならない。

 クロードに突きつけられた残酷な事実は、訓練学校時代からの友情に亀裂を入れるのに充分だった。

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