冬の飛竜 -JG508,1943-(二)
三時間後――。
目的地までの
太陽はとうに西の方に沈み、周囲はぬばたまの闇に包まれている。
ときおり獣が上げる吠え声と、フェンスを揺らす風鳴りのほかには音もない。
滑走路に立っていると、まるで人類が滅び去った世界にたったひとり残されたような錯覚に陥るほどだ。
最寄りの町までざっと五十キロは離れているこの飛行場は、夜ともなれば闇と静寂に閉ざされる。
もし戦争終結までに基地が完成してたなら、駐屯を命じられた将兵はさぞ不便な生活を強いられただろう。
ユーリはサラマンドラと、その右隣に置かれたワイバーンを交互に見やる。
おなじカールシュタット・ザウアー社の重戦闘機でも、両機の外見はかけ離れている。
空力的に洗練されたサラマンドラと較べると、ワイバーンはいかにも武骨で粗削りな印象をあたえる。
それは飛行特性においても同様だった。自動空戦フラップを始めとする先進技術の採用によって機動性を確保したサラマンドラに対して、ワイバーンはひたすら速度と火力を追い求めた古典的重戦であった。
ワイバーンの配備が始まったのは、大戦初期の一九四一年。
当時は大竜公国・ポラリアともにいまだ軽戦闘機が主流であり、格闘戦性能が最も重視されていた時代だった。
そんななかで高速・大火力・重装甲という新機軸を打ち出したワイバーンは、大戦後期にかけて戦場を席巻する重戦闘機のいわば先駆けだった。
先代の主力戦闘機CaZ-155”サーペント”で確立された全金属製構造や引き込み式の主脚といった技術的特徴を継承しつつ、サーペントの泣き所だった速度と火力を補強した新時代の戦闘機……。
多大な期待を背負って羽ばたいたワイバーンだが、サーペントとの入れ替えは遅々として進まなかった。
やがて一九四三年に次期主力機としてGA-41”リザード”が登場すると、資源不足を理由にワイバーンの生産ラインは閉鎖された。
その総生産数はわずかに千五百機あまり。サーペントが約一万五千機、リザードでさえ終戦までに一万機以上が生産されたことを考えれば、ワイバーンがついに主力機たりえなかったことは明白だった。
失敗作。
そう呼ばれただけなら、あるいはワイバーンにとってまだ幸運といえたかもしれない。
軽量で小回りの利くサーペントから乗り換えたパイロットの多くは未知の操縦感覚に困惑し、口さがない者は「
それだけならかわいいものだが、軽戦闘機に慣れたパイロットはしばしば致命的な操縦ミスを犯し、戦闘よりも事故によって失われた機体のほうが多いというありさまだった。
当初から評判の芳しくなかったワイバーンは、いつのころからかこんな二つ名で呼ばれるようになった。
「おお、カールシュタット・ザウアー製の新旧重戦が並ぶと感慨深いのお」
ユーリがとっさに振り向くと、誘導棒を手にしたアイスフェルトと目が合った。
アイスフェルトはつかつかとワイバーンに近づくと、名残りを惜しむように機体をなでる。
「いい面構えをしておる。重戦闘機のはしりとなれば、歴史的価値も高い……」
「だったらなぜ
「なぜと言われても、ワイバーンはすでに程度がいいのを一機持っとるからなあ。
アイスフェルトはごほんと咳払いをして、あらためてユーリに向き直る。
「とにかく、おまえさんにはこいつを無事オーディンバルトまで運んでもらわねばならん」
「そして、交換用の機体に乗ってここに帰ってくるというわけか?」
「さすがに話が早い。どんな機体でも安心して任せられるパイロットはほかにおらんからな」
「さっき伝えたとおり、配達料は倍増しで請求させてもらう。技術料だ」
「もうちょっとまからんか!? このあいだもサラマンドラの補修用部品を都合してやっただろうが」
「それはそれ、これはこれ――だ。俺は自分の腕を安売りするつもりはない。気に食わないならほかを当たるんだな」
取り付く島もないユーリの言葉に、アイスフェルトは「人の足元を見おって」といかにも口惜しげに呟く。
そのあいだに、ユーリは手際よく
「整備は済んでいるようだな」
「もちろんだとも。だれがおまえさんとこのお嬢ちゃんに機械のイロハを教えたと思っとる?」
アイスフェルトは得意げに言って、聞かれてもいないのに朗々と説明をはじめる。
「地下の湿気で錆びついてカビまみれだった
「目的地までの距離はざっと千キロ。片道なら、足の短いワイバーンでも無補給で飛べるだろう。もっとも、空戦をやらなければの話だが――――」
ユーリが何気なく口にした空戦という言葉に、アイスフェルトの顔から血の気が引いていった。
「戦闘だけは避けてくれ。無傷で届けてもらわなければ困る!」
「オーディンバルト空軍に
「機関砲は潰してあるが、戦闘機は戦闘機だ。軍に届け出たところで、国をまたいでの移動など認められるはずもなかろう……」
ユーリはそれ以上なにも問おうとはしなかった。
終戦から六年が経過したいまも、アードラー大陸における兵器の売買には厳しい制約が課せられている。
たとえ非武装の機体であろうと、他国にいる同好の士と
入国の際に積荷を検められる列車や船舶が使えないとなれば、自力で飛んでいくのが最も安全で確実な輸送手段だった。
「点検が終わり次第、このまま離陸する」
「こんな夜中に出発して大丈夫なのか? 明朝まで待ったほうが安全だと思うが――」
「オーディンバルト空軍の警戒網をかいくぐるなら夜のほうが都合がいい。それに、夜間飛行には慣れている」
ただでさえ操縦が難しいとされているワイバーンである。
そのうえ夜間は視界がほとんど利かず、飛行は計器頼りにならざるをえない。盲目飛行という別名が示すように、計器飛行は有視界飛行よりはるかに難しいとされているのだ。
千キロ先の目的地までワイバーンを無事に送り届けることが出来るパイロットは、アードラー大陸じゅうを探してもユーリだけだろう。
ユーリは角張った
とても単座戦闘機とは思えないほど広々としたコクピットは、太い胴体をもつワイバーンならではのものだ。むろんただ広いだけでなく、堅牢な防弾板がパイロットを包むように組み込まれ、被弾時の生存性を高めている。
設計段階から
最低限の装甲しか持たない軽戦闘機に慣れきった彼らの目には、防弾装備は無用の長物としか映らなかったのだ。
「――――」
ユーリはやおら計器盤に手を伸ばす。
指先でカチリと小気味いい音が生じた。目が闇に慣れるより早く、ユーリは電気系統のメイン・スイッチを探り当ててみせたのだ。
夜間照明用の電球が点灯し、コクピット内をぼんやりと照らし出す。
おなじカールシュタット・ザウアー製の機体だけあって、計器やスロットルの
両機が開発された順序を考えれば、実際には逆と言うべきだろう。
ワイバーンがいなければ、重戦闘機の完成形たるサラマンドラが生まれることもなかったのである。
肉厚なシートに身体を預けたユーリは、ふっとため息をつく。
懐かしい空気がコクピットを充たしている。
最後にワイバーンの操縦桿を握ったのは、もう八年ちかくも前のことだ。
どれほど時間が経っても、ひとたび身体に染みついた感覚は忘れられるはずもない。
先の大戦のさなか――。
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