第二話:冬の飛竜 -JG508,1943-

冬の飛竜 -JG508,1943-(一)

 その変化は、剣のようにそびえる山嶺を越えたときに生じた。

 風の感触があきらかに変わったのである。

 内陸の湿気に富んだ空気と、海沿いの乾燥した空気の見えない境界線を超えたのだ。


 不可視のそれをサラマンドラの翼は機敏に捉え、ユーリも操縦桿とフットペダルを通してはっきりと知覚する。

 ユーリはスロットルを絞り、操縦桿をわずかに押し込む。

 サラマンドラはゆっくりと機首を下方にむけ、緩降下を開始。

 紺青色コバルトブルーの巨体は軽やかに風に乗り、夕日を浴びて輝く雲海に潜っていく。


 分厚い雲を抜けた先に広がっていたのは、見渡すかぎりの赤土の荒野だった。

 赤錆びた鉄板を思わせる起伏に乏しい大地。まばらに浮かぶ緑色の島は、灌木と草の群生地だ。

 一帯には街はおろか、建物ひとつ見当たらない。

 ユーリはさらに高度を下げながら、計器盤下部に設置された方位計コンパスをちらと見やる。

 

 しばらく飛びつづけるうちに、ユーリは視界の片隅に奇妙なものを認めた。

 灰色の細長い帯のようなそれは、高強度アスファルトが敷き詰められた滑走路だ。

 さらに接近すると、管制塔コントロールタワー格納庫ハンガーらしき建物も見えてきた。

 規模こそ小さいが、長短二本の舗装済み滑走路を備えた本格的な飛行場である。

 荒涼とした大地にぽつねんと佇む真新しい飛行場は、どこか白昼夢みたいな雰囲気を醸し出している。

 ユーリは操縦桿を傾け、飛行場の上空でサラマンドラを旋回させる。

 

「よお――――待っておったぞ、


 無線機がノイズ混じりのを吐き出した。

 貫禄にあふれた声音から察するに、声の主はだいぶ年配の男性らしい。

 

「滑走路は二本とも空いておる。どこでも好きなところに降りてくれ」


 ユーリの返事を待たず、男は一方的に通信を切っていた。

 べつにわざと突き放すような態度を取っているのではない。

 着陸したサラマンドラを駐機場エプロンまで導くために、誘導棒を手に大慌てで駆け出したのである。

 たった一人の飛行場では、管制官は地上誘導員を兼ねるのだ。


***


「わざわざ来てもらってすまんなあ」


 コクピットを降りたユーリにむかって、男は悪びれた様子もなく言った。

 年齢は六十を超えたかどうか。白髪頭に白い顎髭をたっぷりとたくわえた小柄な男である。

 濃い色のサングラスに蛍光色のベストという地上誘導員のいでたちが不思議とよく似合う男であった。

 

「どうだ、ひさしぶりの再会を祝して一杯やらんか?」

「いらん。それより仕事の話だ。そのために呼びつけたんだろう」

「相変わらずつれない男だのお」


 男はいかにも残念そうに首を振ると、ユーリを先導するように歩き出していた。


 ユーリは男に導かれるまま、ともに格納庫へと足を踏み入れる。

 電灯のほのじろい光に充たされた庫内には、三十機以上の航空機が整然と並べられている。

 古式ゆかしい羽布張りの複葉機もあるが、そのほとんどは大竜公国グロースドラッフェンラントとポラリア両軍が大戦中に使用していた軍用機である。

 戦闘機のほかに急降下爆撃機や雷撃機、果ては軽爆撃機や飛行艇といった大型の機種に至るまで、どの機体もまるで新品のように磨き上げられている。

 

「コレクションを肴にるウイスキーは最高なのだぞ」

「一人で思う存分楽しんでくれ。俺はあんたの趣味に付き合うつもりはない」

「パイロットのくせにロマンの分からんやつだ。いずれフォン・アイスフェルト航空博物館を開館しても、おまえさんに招待状は送らないことにしよう」

「ぜひそう願いたいな」

 

 例によってにべもないユーリに、男――アイスフェルトはわざとらしく渋面を作ってみせる。


 ボルツ・フォン・アイスフェルト博士。

 大竜公国グロースドラッフェンラントにおける機械工学の権威であり、戦前の科学界を牽引した人物である。

 世界ではじめて航空機を実用化したクラウス・フォン・ザウアー博士の直弟子にあたり、その業績は航空産業のみならず、自動車や船舶の分野にもおよぶ。

 ポラリアとの戦争が勃発すると、アイスフェルトは反戦運動に関与した疑いで逮捕された。弁護士も立てずに法廷に立った彼は、大竜公ジギスムントを真っ向から批判する演説をぶち、禁錮二十年という重い判決を言い渡されたのだった。

 その後レオポルトⅢ世の即位による恩赦も固辞し、けっきょく終戦まで獄中生活を送ったが、それが彼を救うことになったのは皮肉と言うべきだろう。

 戦後、ポラリア進駐軍によって著名な科学者や技師たちが戦争犯罪人として訴追されていくなかで、収監されていたアイスフェルト博士だけはなんの追及も受けなかったのである。


 今年で六十歳を迎えるアイスフェルト博士は、熱心な航空機蒐集家コレクターとしても知られている。

 戦前の貴重なコレクションは戦災によってすべて失われたが、それでも彼はめげなかった。

 戦後、自動車産業の隆盛によって転がりこんだ巨額の特許料パテントを元手に、マドリガーレとパッサカリアの国境地帯に広がる不毛の荒れ地を買い取り、さらには建設途中で放棄された空軍基地を改装して自宅兼コレクション倉庫としたのである。

 

「ワシは戦闘機も爆撃機も好きだ。。おまえさんに分かるか、この複雑な心理が?」

「よく舌の回る爺さんだ。まさか話し相手が欲しくて俺を呼んだんじゃないだろうな」

「冗談を言うな。ワシは飛行機は好きだが、人間は――――」


 言いかけて、アイスフェルトは足を止めた。

 老学者の指が示したのは、灰色の保護シートに覆われた一機の航空機だ。

 シートを外さなければ詳しい機種は分からないが、生地のたわみ具合からおおよその見当はつく。

 どうやら戦闘機……それも、サラマンドラに匹敵する大柄な機体らしい。


「これだよ。おまえさんに運んで欲しいのは……」

「しばらく会わないうちにだいぶ老眼が進んだようだな。俺が運べるのはサラマンドラに積めるものだけだ」

「今回の仕事に必要なのはサラマンドラではなく、おまえさんの腕だ。――――」


 アイスフェルトがその名前を口にしたとたん、ユーリの表情が険しくなった。

 

「なにしろ、このジャジャ馬をまともに飛ばせる者はほかにおらんのだからな」


 アイスフェルトは機体を覆っているカバーに手をかけると、そのまま一気に引く。

 直後、二人の目をするどく射たのは、軽合金のまばゆい輝きだった。


「……!!」


 その機体を目の当たりにして、ユーリはおもわず息を呑んでいた。


 爆撃機用の星型空冷発動機エンジンを搭載した太い機首。

 空力性能にすぐれる半埋込式ファストバック・スタイルのコクピット。

 中翼配置の分厚い主翼は、高速性能と大火力の両立を企図したものだ。

 筋骨隆々の剣闘士グラディエーターを彷彿させるマッシブなフォルムは、大竜公国機らしからぬ異様な雰囲気をまとっている。


「ワイバーン――――」


 CaZ-160”ワイバーン”。

 一九四二年、カールシュタット・ザウアー合同設計局が空軍むけに開発した重戦闘機だ。

 アイスフェルトはワイバーンに近づくと、問われるでもなく機体の来歴を語りはじめた。


「半年ほどまえ、建設会社を営んでいる知り合いから連絡があってな。道路工事のためにマドリガーレ市の外れにある丘を掘り返していたら、地下壕のなかからこの機体が出てきたそうだ」

「本土決戦用の掩蔽壕ブンカーか?」

「そうだ。爆撃を避けるために地下に隠したはいいが、終戦の混乱でそのまま忘れられたのだろうな。おかげでポラリア軍に見つかることも、味方の手で壊されることもなく、手つかずのままワシのところに転がり込んできたというわけだ……」


 アイスフェルトの言葉に耳を傾けながら、ユーリはじっとワイバーンを見つめている。

 青碧色ターコイズの瞳に一瞬浮かんだのは、郷愁と後悔がないまぜになった複雑な色相いろだった。

 

「今回の依頼というのはほかでもない。この機体をオーディンバルトにいる知人のもとに届けてほしいのだ。引き受けてくれるかね?」

「仕事の依頼なら断る理由はない。ただし――――」


 ユーリはワイバーンからアイスフェルトに視線を移すと、例によって坦々とした声音で告げた。


「報酬はいつもより高くつくと思ってもらおう」

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