空の花束、王子の恋文(五)

 フェアバンティ市――。

 マドリガーレ南部に位置するこの都市は、大竜公国グロースドラッフェンラント時代から軍都として栄えてきた。

 街のはずれに飛行場が建設されたのは、一九二○年代の初頭のこと。

 当初は陸軍航空隊の管轄下に置かれていた同飛行場は、やがて空軍ルフトヴァッフェがあらたに創設されると、空軍基地へと改編された。


 誕生してまもないころの空軍は、喫緊の課題に直面していた。

 毎年大勢の志願者が押し寄せる陸・海軍に対して、空軍の志願者数はあきらかに少なかったのである。

 当時の大多数の国民にとって飛行機はまだ馴染みが薄く、空軍は得体のしれない軍隊として敬遠されていたためだ。

 飛行機という新時代の兵器を世間に知らしめる必要性を痛感した空軍省は、やがてひとつの解決策を導き出した。

 空軍の保有する航空機の性能と、パイロットの技術を最も分かりやすいかたちで民衆にアピールするためのイベント――航空祭エアショーの開催である。


 はたして、空軍省の目算はみごとに図に当たった。

 一九二八年にはじめて開催されたフェアバンティ航空祭は、新聞やニュース映画によって大々的に宣伝され、陸軍の大閲兵式、海軍の観艦式にならぶ式典としておおいに人気を博したのである。

 最盛期の一九三五年にはアードラー大陸全土から四十万人以上の観客が詰めかけ、ホテルに収容しきれなかった野宿者が通りにあふれるほどだった。


 やがてポラリアとの戦争が始まると、航空祭は年を追うごとに規模縮小を余儀なくされた。

 戦時においてイベントに貴重な航空機とパイロットを割く余裕はなく、さらに兵員補充の軸足が志願制から徴兵制に移ったことで、もはや国民に向けてさかんに宣伝する必要もなくなっていたのである。

 そして、ついに一九四○年、空軍省からフェアバンティ航空祭のが正式に示達された。

 ほどなくしてポラリア軍の爆撃によって基地は壊滅的な被害を受け、空の祭典はその歴史に幕を下ろしたのだった。


 戦後、マドリガーレ共和国の建国とともに空軍基地が再建されても、航空祭が再開されることはなかった。

 創設まもないマドリガーレ空軍は貧乏所帯であったうえ、まだ戦争の爪痕もなまなましい時期でもあり、公費を投じた軍事イベントの開催は憚られたのである。


 一九五○年、航空祭の再開を求める声は意外なところから上がった。

 アードラー大陸各国の有志企業が運営委員会を結成し、民間資本によるフェアバンティ航空祭の復活をマドリガーレ政府に要請したのだ。

 航空祭の開催には巨額の費用を必要とする。慈善事業ではなく、明確な営利目的に基づいていたことは言うまでもない。

 運営委員会に名を連ねた企業群は、いずれも兵器市場への新規参入をねらっている。

 カールシュタット・ザウアー合同設計局やグレースアリシア社、アルモドバル官立発動機工廠といった旧来の軍需企業はポラリア政府の意向によってことごとく解体され、戦後の産業界には巨大なエアポケットが出現していたのである。

 近年ではポラリア政府による軍需産業への締めつけもじょじょに緩和されつつある。一時は禁止された航空機の新規開発も、練習機や輸送機といった非戦闘用の機種に関しては、アードラー大陸の外に輸出しないという条件の下で許可されるようになっているのだ。

 そのような時勢の変化のなかで、各国の軍幹部が一堂に会する航空祭は、新兵器を売り込む見本市メッセとしての価値を見いだされたのだった。


 そして、運営委員長として航空祭復活の旗振り役を務めた人物こそ、バイルシュタイン商会を率いる若き資産家ギュンター・バイルシュタインその人であった。

 

***


 朝のフェアバンティ市を時ならぬ喧騒が包んでいた。

 数日前から同市に集まりはじめた観光客の数は、ざっと十五万人。

 戦前、アードラー大陸全土をむすぶ鉄道網がまだ健在だったころに較べれば少ないものの、近年まれにみる人の入りであることにはちがいない。

 十年ぶりにフェアバンティ航空祭が復活したとあって、マドリガーレ国内だけでなく、近隣のオーディンバルトやパッサカリアといった国々からも大勢の人々が詰めかけたのである。


 午前九時、航空祭の開催を告げる号砲の音が響きわたった。

 ふだんは関係者以外には固く門戸を閉ざしている空軍基地も、この日ばかりはがらりと様相を変える。

 軍用機の地上展示に軍楽隊の生演奏、軍の放出品を格安で販売する古物市……。

 なかでも最大の目玉は、曲技飛行アクロバティックショーだ。

 アクロチームに所属するパイロットは、各国の空・海軍で最もすぐれた操縦技術をもつエリートたちである。

 彼らが技量のかぎりを尽くして演じる大迫力のショーには、わざわざ国境を超えて足を運ぶだけの値打ちがある。


 正門で配布されている予定表プログラムには、各アクロチームの簡単な紹介が記されている。

 アードラー大陸諸国の空・海軍にまじって、唯一海外から参加しているバラトリア空軍は、ただでさえ来場者の目を引く。

 パイロットは、なんと同国の第三王子ナシム・アズラキヤーヴ。

 しかも大竜公国グロースドラッフェンラント海軍の名機ファーブニルを使用するとなれば、いやがうえにも注目と期待を集めずにはいられない。


 主催者の残酷な思惑など知る由もない来場者たちは、いまやおそしと曲技飛行の開演時間を待ちわびている。

 

***

 

 フェアバンティ空軍基地にある三棟の戦闘機用格納庫ハンガーは、朝から戦場さながらの様相を呈していた。


 本来庫内に並んでいるマドリガーレ空軍のリザード改は昨夜のうちに展示スペースに追いやられ、それらと入れ替わりに広大なスペースを占拠しているのは、各国から参集したアクロチームの機体であった。

 航空隊のシンボルとしての役割を担うだけあって、どの機体にも色あざやかな式典用塗装が施されている。

 どれほど外見を華々しく飾り立てても、内包するメカニズムはまさしく軍用機のそれだ。

 機付きの整備員がせわしなく駆け回り、ガソリンとオイルのにおいに充たされた空間に発動機エンジンの低い音が響きわたる。離陸直前の飛行準備点検プリフライトチェックに余念がないのは、どのチームもおなじだった。


 格納庫の隅に佇む明灰白色ライトグレーの機体は、そのなかでもひときわ異彩を放っていた。

 GA-35”ファーブニル”――。

 垂直尾翼に描かれた”四枚の翼をもつ獅子”は、バラトリア王国の国章にほかならない。

 各国のパイロットや整備員は、ときおりファーブニルの前でふと立ち止まり、感慨深げに機体を眺めては去っていく。

 アクロチームのスタッフには、旧大竜公国海軍の軍人もすくなくない。

 馴染み深い機体との予期せぬ再会を喜ぶかたわら、彼らの胸に沸き起こったのは共通の疑問だった。


――なぜバラトリア空軍だけがたった一機で参加しているのか?


 単独ソロの曲技種目がないわけではない。

 腕自慢の曲技パイロットのなかには、集団に埋没することを嫌って、あえてチームに所属しないフリーランスの道をえらぶ者もいる。

 しかし、どれほど巧みな操縦を見せたところで、派手な編隊飛行に較べればどうしても迫力の点で見劣りするのも事実だ。

 他国のチームがいずれも五機から六機編成の大所帯であることを思えばなおさらだった。


「各動翼の作動よし。筒温・燃圧・電圧、すべて正常。点火タイミングの遅延なし――――」


 ナシムは試運転中の発動機エンジンをいったん停止させると、コクピットに座ったまま点検項目を読み上げていく。

 やがてプロペラの回転が止まったところで、小柄な人影がファーブニルに駆け寄っていった。


「ナシム王子、ファーブニルの仕上がり具合はどう!?」


 テオはコクピットにむかって声を張り上げる。

 さまざまな種類の騒音に埋め尽くされた格納庫内では、そうでもしなければ意思疎通が出来ないのだ。


「最高ですよ。この機体とも長い付き合いですが、こんなに調子がいいのは初めてだ。あなたが念入りに手を入れてくれたおかげです、テオさん」

「よかった。発煙装置の改造もなんとか間に合ったし、僕の仕事はここまでだね」

「しかし、昨晩から私のファーブニルにかかりきりで、ユーリさん――あ、いえ、サラマンドラのほうは問題ないのですか?」


 ナシムの言葉を受けて、テオの頬にわずかに朱が差した。


の整備ならここに来るまえに完璧に済ませてあるし、ユーリのことなら心配いりません。ふだんは無愛想でやる気がないように見えるけど、なにがあっても依頼人との約束は守る人だから――――」


 格納庫の入り口に一台の車が止まったのはそのときだった。

 まわりの景色が映り込むほどに磨き上げられた黒いリムジン。貴族や政治家が愛用する最高級モデルである。

 後部座席からそろって降りてきたのは、フォーマルな服装に身を包んだ一組の男女だ。

 二人――というより男は、他のチームには目もくれず、まっすぐにファーブニルのほうへ向かってくる。


「ご機嫌うるわしく存じます、王子殿下」


 慇懃に言って、男はナシムに一礼する。

 撫でつけた黒髪と太い鼻梁が特徴的な壮漢である。

 紳士然とした佇まいだが、鳶色の瞳に宿った冷酷な光は隠しようもない。

 不吉なものを感じて、テオはとっさにファーブニルの主翼の陰に身を隠していた。

 

「本日はフェアバンティ航空祭にご来臨の栄をたまわり、まこと恐縮の至り……」

「こちらこそ、記念すべき日にお招きいただき感謝しています。バイルシュタイン運営委員長」


 男――バイルシュタインは、ちらとファーブニルに視線を向ける。


「なるほど、じつに美しい機体だ。さすが大竜公国の最優秀戦闘機と讃えられるだけはある」

「飛行機はお好きですか」

「そうでなければ、航空祭の復活のために身を粉にして奔走したりはしませんよ。それに……」


 言いざま、バイルシュタインは駐機場エプロンを指差す。

 駐機場に整然と並んでいるのは、黒い塗装を施された五機の航空機だった。

 ポラリア機らしいスパルタンな機首まわりに対して、主翼と胴体は大竜公国の機体に特有の流麗なラインを描いている。

 長く伸びた風防キャノピーから察するに、どうやらすべての機が縦列複座タンデム型であるらしい。

 一見すると戦闘機のようだが、ナシムの知るかぎり、大竜公国にもポラリアにもあのような機体は存在しないはずであった。

 

「運営委員長、あの機体は?」

「”スカイウルフ”――わが商会の傘下にある航空部品メーカーが開発した新型機です」

「しかし、戦闘機の開発をポラリア政府が許可するとは……」

「見た目はともかく、区分の上ではあくまで非武装のにすぎませんよ。主翼に機銃ガンポッドや爆弾を装備すれば、実戦でも充分に活躍出来るでしょうがね。いずれにせよ、スカイウルフがこのアードラー大陸で最新・最高の航空機であることに違いはありません」


 バイルシュタインは愉快そうに唇を歪めながら、ファーブニルとスカイウルフを交互に見やる。

 ファーブニルの原型機が初飛行を果たしてからすでに十年。使用されている技術のほとんどは一九三○年代のものだ。

 あらゆる機械は時間とともに旧式化していく宿命を背負っている。どのような傑作機も、永遠に最先端でいることは出来ない。

 最新の航空力学に基づいて開発されたスカイウルフに較べると、ファーブニルはなにもかもが古い。

 たとえば主翼ひとつ取っても、現代の技術であれば、同等の強度を保ったまま三割は軽く設計出来るだろう。それは発動機エンジンや操縦系にしても同様だ。

 純粋に技術的な観点に立てば、ファーブニルがスカイウルフにまさっている部分を挙げるのは至難――というよりは、ほとんど不可能だった。


「ファーブニルはたしかにすばらしい戦闘機だ。しかし、時の流れとは残酷なものです」

「……」

「殿下がこの機体でどのような演技を披露されるのか、せいぜい楽しみに拝見させていただきましょう」


 その場でくるりと背を向けたバイルシュタインは、ふと思い出したように傍らの女の手を掴んでいた。

 唇を固く結んだ亜麻色の髪の女は、ナシムの前に引き出されても、やはり一言も発することはなかった。


「ご紹介が遅れて申し訳ありません。私の妻のリーゼロッテ・ラインザルツです」

「結婚されていたのですか」

「まだ正式に籍は入れておりませんが、今日じゅうに記者会見を開いて公表するつもりです。王子殿下には世間に先んじてご報告申し上げますよ」


 勝ち誇るように言ってのけたバイルシュタインの傍らで、リーゼロッテは黙然と立ち尽くしている。

 白皙の美貌は常にも増して青ざめ、ほとんど蝋人形と化したようであった。


「フロイライン・ラインザルツ――――」


 ナシムはあえて夫人フラウと呼ばなかった。

 深く息を吸い込むと、リーゼロッテの顔をまっすぐに見据えたまま、一語ずつ言葉を継いでいく。


「バラトリア王国の代表としてではなく、一人のパイロットとしてお願いします。貴女には、どうか最後までのショーをご覧になっていただきたい」


 ナシムはそれだけ言うと、リーゼロッテの返答を待たず、その場で踵を返す。


 直後、すさまじい爆音が一帯に響きわたった。

 駐機場に停まっていた五機のスカイウルフが一斉に発動機エンジンの試運転を開始したのだ。


 ナシムは左手の航空時計パイロットウォッチに視線を落とす。

 午後一時。いよいよ曲技飛行アクロバティックショーの開演時間を迎えたのだ。

 空の祭典は、まさに最高潮を迎えようとしていた。

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