番外編【ジーン+???】

 密偵としてアグダン国に来て四年。俺はジーンと名乗っていた。

昼間はグラヴェニア国風のカフワで働き、夜間や休日は宮殿や庁舎へ潜り込む生活を送っていた。

貴族や豪商の客は酒が入ると何でも喋る。特に貴族の女は扱いやすかった。

そんなある日、新しく従業員の女の子が入った。

見たことも無い文字を書く、一般常識を知らない子だった。

魔煙も知らない、給金に対して不思議そうな顔をする。

面白い子というのが最初の印象だった。

だから少し観察してみようと思った。

 藍色の空の下小さな背中を追いかける。

「君危なっかしそうだから、やっぱり送るよ」

これは気まぐれ。単に興味が湧いたから。

「ありがとう、ございます」

「まさか一つ年上だとはね、でも俺年上でも大歓迎だよ」

実際の所俺の方が年上だけどね。

女はこの顔にコロッと尻尾を振るのだ。この子も同じかと思っていたのに。

俺の事を胡散臭そうに見る半眼がいやに面白く感じた。

「冗談だから、そんなに警戒しないでよ」

「言動が、軽い、ので」

これは楽しめるかもしれない、久々に面白い玩具を見つけた。



 宮殿に潜入した後少しの仮眠を取って、カフワへ向かう。

視界にぴょこぴょこと歩く小さな背中を見つけた。

にんまりと笑みが浮かぶ。

「リツ、早いね~」

「おはようございます」

どうにも俺は観察されているようだ。彼女の視線が俺の頭のてっぺんからつま先までを滑る。

「制服の、方が、似合い、ますね」

思わぬ言葉に声を上げて笑ってしまった。遠回しに似合っていないという意味だろう、本人に言う事ではない。正直なのかアホなのか。それとも両方なのか。しかし一瞬心臓に悪かったのもまた事実。この国の人間ではないとバレたのかと思った。

「気にしてないよ、俺も自分自身似合わないと思ってるから。ほら早く行って掃除しないと」

バレたら、殺さないといけないからね。

まだ君は殺すのにはもったいない。



 リツが店長に面白い提案をした。何でも紅茶の新しい飲み方だそうだ。

「甘いお茶に、慣れた人は、紅茶の、渋みが、苦手かも」

「女性、かわいいもの、好きなので、人気でるかも、しれません」

一生懸命に店長に訴えかける姿は、小動物が必死に餌を食おうとしている姿に少し似ている。

俺も面白そうだからと参加している。

マロの実の果汁を入れた紅茶はものすごく甘かった。正直甘い物はあまり好きではない。

「本当だね、子供向けだ」

感想を言ってやれば彼女は満足そうな顔をする。

「わたし、天才?」

リツが調子に乗ってにんまり笑う。その頭を軽く小突いてみた。

 紅茶の新しい飲み方を提案してすぐに、新しい菓子を提案した彼女。

"アイスクリーム"というらしい。聞いたことも無い菓子の名称、凍らせた物を食べるという発想にも驚きだった。これも彼女自身が考えたものだろうか。

全員で色んな分量を試すのは何だか楽しく感じた。

完成した真っ赤な菓子を口に運ぶ。冷たいものが舌の上ですっと溶ける。

不思議な菓子だ。

「俺はインクーリオが好きだな、甘すぎずちょうど良く感じる」

こんな平和な世界にずっといたら、俺の生き方も何か変わっただろうか。

らしくもない考えが浮かんだ。



 密偵の天敵とも言える文官の男が常連客になった。

以前庁舎の資料を漁っていた際に、要注意人物と知った。何人もの密偵が奴によって投獄されている。

中には拷問され死に至った同胞もいたようだった。

今まで接触を控えていたのにこんな所で会うとは。

しかも彼女と顔見知りらしい。奴は間違いなく彼女を好いている様子だった。

胸の内にもやもやと気持ちの悪いものが漂う。何だと云うんだ。

「くそっ!」

何故か苛立つ自分が分からない。

適当に女性客の視線が奴に集まることに悔しがっているという事にしておいた。

リツの生暖かい視線に何とも言えない気持ちになる。

幻術がばれたらまずいが、並みの人間には感知されにくいはずだ。

ただの一般人を装うしかあるまい。

奴が帰った後に、彼女の友人だという少女が来店した。

「あの子友達?かわいいね~」

リツにちょっかいを掛けたくなった。

「シャヌはあげませんよ」

湿った視線を受け、こんなやり取りを楽しんでいる自分に驚いている。

「シャヌが減る気が、するからだめ」

べーっと舌を出す彼女が可愛らしかった。

リツの笑顔が自分に向くのが心地よかった。



「少し店長から購入するのは、可能でしょうか?人に贈り物をしたくて」

「ほほう男だな、男だろう?」

店長とリツの会話に心臓がひっくり返った。

「リツ何、恋人できちゃったの?!」

俺の玩具なのに。

「何だてっきり俺は常連になった、あの色男の事かと思ったぞ」

店長の言葉に彼女の頬が一気に赤く熟れた。

面白くない。

店長は新商品に目がくらんだようだ。

「何で他の男に贈るもの…」

面白くない。ぶつぶつ呟きながら歩いていると、後ろから強い力で背中をバンバン叩かれた。

「残念だったな、当て馬!」

ゲラゲラ笑いながら店長に叩かれる。思わずイラっとする。

「店長だって意中の人に何も言えていないくせに!」

「な!俺だってそのうちにな!言うんだよ!」

しょうもないやり取りをする中、リツはジャマールと作業を続けている。

あーあ、本当に面白くない。

そしてよりによって奴が来店した。

頬を染め入り口に向かおうとするリツの横を勢いよく通り過ぎる。

歪な笑みを奴に向けた。

「お客様は一名様ですね、こちらへどうぞ」

リツの立ち位置から一番遠い窓際の席へと案内してやる。

視界の隅にアブダッドが笑っているのが映り腹立たしい。

「フルーツティーとインクーリオの焼き菓子の盛り合わせ!」

リツと目が合い、少し気まずく視線を逸らした。

ただ玩具を取られたのが気に食わないのだ。

「ジーンさん、私何か気に障る事、しちゃいましたか?」

「違う…ごめん気にしないで」

ただそれだけだ。

薄暗い空を見上げる。

奴と嬉しそうに喋るリツにも腹が立った。

いっそのこと紅茶に毒でも混ぜてやればよかった。

「明日、果物乾いてるといいね~」

「そう、ですね」

俺は、笑えているだろうか。


 

 リツの様子がおかしい。普段よりもぼんやりとしており、心ここにあらずだ。

顔色の悪い彼女を上から覗き込むようにして観察する。

「おはようリツ、何か顔色悪いね~」

「大丈夫、寝不足なだけですよ」

顔を近づけるとそっと押し返された。その力も弱弱しい。

「無理しないようにね」

小さな頭をくしゃりと撫でると、ほんのりと彼女の頬が赤くなった。

一瞬期待してしまった自分がいた。

「あれ?何俺に触られて赤くなった?」

「違います!」

ムキになった彼女に軽く叩かれた。

俺ではないのだろうなとは思っていたけれど。

入り口をずっと見つめる彼女に苛立つ。どうせ奴を待っているんだろ?

注文を取りに行く際、すれ違いざまに思わず本音が出てしまう。

「リツは分かりやすいな~、一瞬期待させておいて酷いよね~」

しばらく通常通りに情報を集めつつ仕事をしていると、リツの様子がやはりおかしい。

三度も違う料理を客に届けている。

具合が本当に悪いのかもしれない。

店長が彼女を奥へ引っ張っていくのが見えた。

エプロンを締め直し、店長が戻ってくる。

「リツ、やっぱり具合悪いんですか?」

「そうみたいだ、長椅子で寝かしてある。ほれ、仕事仕事」

気になりつつも仕事を再開した。

少し客が減ってくる時間帯、リツの様子を見に行った。

眠る彼女の顔色は先ほどよりはマシになっているように思えた。

頬をそっと撫でる。とても柔らかく、気持ちが良かった。

このまま、何処かへ連れて逃げてしまおうか。

自分の手元に常に玩具があるなんて最高じゃないか。なんてくだらない考えが浮かんで消えた。

「ん…」

頬を撫で過ぎたのか、リツが薄っすらと目を開く。焦点が合っていない様子の瞳に俺の顔が映り込む。その中にある銀色に激しく動揺した。いつの間に幻術が解けていたのだろうか。

リツは再び瞼を閉じ、ゆるゆると微睡んだ。

心臓が早鐘のように激しく脈打つ。再び幻術をかけなおし、深く息を吐いた。

忘れるな。自分がここにいる理由を。



 サルディアにいる上司から指示書が届いた。癖のある文字を指でなぞる。

指示書には近々部下をもう二人送るとの旨が記されている。

ふと一人の青年の顔が浮かぶ。思わず口元が歪む。

「まさかアイツじゃないだろうな…」

気の合わない相手と組まされる事程嫌なものはない。

合流場所はグラヴェニア国へ渡る為の船着場だ。

出稼ぎの青年として入国するそうだ。

人に見られたら困る為、商人の服装に着替え髪の色も変化させ別人を装う。

目印の赤い布を頭に巻き付け、船着き場へ向かった。

河の近くは風が強く吹いていた。髪が風に煽られる。

赤茶色の髪の青年と目が合った。彼は歪な笑みを浮かべ尋ねた。

「あなたにとってのヤーヴェは何ですか」

あぁ、こいつだ。ため息をつき答えた。

「少なくともルフでは無いよ~」

俺の回答に鼻で嗤い、そいつは顔を顰めた。

「お久しぶりです先輩。あなたと組むなんて最悪ですよ」

「奇遇だね~、俺もそう思うよ。で、二人来るって話だったけど?」

「暗殺係君は別行動です」

河に沿って少し離れながら歩く。船着場を離れれば人は全く居なくなった。

18歳程の青年に姿を変えた後輩は嫌そうに質問をした。

「で、どういう流れになったんです?」

「囮を使った陽動作戦だってさ~。武官に催眠術をかける」

「そんなんで上手くいきます?」

「知らな~い。上司の指示だよ」

舌をぺろりと出す。俺は指示に従い催眠術を掛けるだけだ。

ついでに大勢の武官を無力化する手筈になっている。

「近々先輩の働くカフワに、連絡係として暗殺係君が行きます」

「はいはい、分かったよ」

手をひらりと振り、後輩と別れた。

あーあ、本格的に動き出さないといけなくなっちゃた。

こんな仕事割に合わない。

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