番外編【サージェ・アル=イルハーム】
心の底から欲しいと思ったのは、これまでの人生ではじめての事だった。
闇を思わせる黒い瞳、ふっくらとした唇に口づけたらきっと甘いに違いない。
アラムに頼み、リツの様子を度々報告して貰っている。
手紙には言葉が上達したという旨が書かれていた。
リツの口から自分の名が呼ばれるのを想像してみると胸の中が満たされる様な気がした。
近くにいた部下が私の方を見て驚いたような表情をしている。最近部下の様子がおかしい。
「何だ、イデア」
「いえ、幸せそうに笑ってらっしゃるので…」
首を傾げる。自分は笑っていただろうか。
偶然彼女と再会したのはルフ神の思し召しなのかもしれない。
私を見上げほんのり笑うリツは愛おしい。
適当な理由をつけて彼女をカフワへ連れて行った。
遠慮する彼女は慎み深く好感が持てる。
個室に二人きり。手を伸ばせば届く距離にリツがいる。
菓子を食べながら彼女を観察する。
遠慮する彼女の唇に菓子をそっと押し当てると頬を赤らめる、その姿にざわざわと心が揺れた。
たわいもない会話が楽しいと思ったのもはじめてだった。
名を呼んで欲しい。そう思い彼女に呼ぶよう強要した。
「リツと呼ばせてもらおう。私の事はサージェと呼んでくれ」
「いえ、あの貴族の方に、呼び捨ては…」
リツ自身既に貴族なのに遠慮をする。おそらくパルマは彼女に伝えていないのだろう。
「呼ぶまで菓子を食べさせるぞ」
「呼びます、呼びます!サージェ…さん」
「不合格」
敬称を付けた彼女の口に容赦なく菓子を放り込む。
慌てた様子に加虐心がくすぐられる。
早く自分に心を開いて欲しい。どうしたら一番良いのだろう。
よく分からず、取り合えず物を買い与えてみた。
彼女は嬉しそうというよりも少し困った表情をしている。
何か間違えただろうか。今度イデアに聞いてみよう。
ふいに彼女が働く姿を見たくなった。
「…今度、君の務める店へ行っても良いだろうか?」
「え?はい、是非いらして下さい」
戸惑いつつも花開くような笑顔を向けてくるリツが愛おしい。
「今日パルマさん達の、帰りが遅いらしく。何か買って食べようと、思っていまして」
「それならば、良い店を知っている」
まだ離れたくなくて、彼女と共に夕食を食べる事にした。
途中サルディア国の商人が揉めているのを見かけ、彼女の手を取り引き寄せた。
ふわりと甘い香りが鼻を掠める。
どさくさに紛れてリツの手を握りなおす。小さな柔らかい手は強く掴むと壊れそうだ。
並んで食べたフォーナムは以前食べた時よりも美味しく感じた。
リツの働くカフワへ足繁く通っている。
彼女の働く姿は可愛らしい。他の男に笑顔を向けるのは不服だが、まだ自分のものではないので我慢しよう。赤毛の店員と視線がぶつかる。彼が近くを通った際に強い魔力の波長を感じた。
記憶の端にある波長に首を傾げる。この波長何処かで…。
リツを引き留め話していると、見慣れた金髪が飛び込んできた。
「リツ嬢、その注文は取り消しで。俺は今からこの人を回収しないといけないんだ」
せっかくの会話を邪魔され眉間に皺を寄せる。
「戻りますよ。今日は重要な会合があるんです」
年寄どもの会合よりもリツと居たい。
引っ張り上げようとするイデアに対抗しテーブルから離れずにいると、イデアが頭を抱えた。
紅茶をゆったりと口に運び、飲み終える。
「美味しかったまた来る。イデア何をしている、行くぞ」
仕方なしに立ち上がり、カフワを後にした。
ふと店員の魔力の波長と同じものを別の場所で感知した事を思い出す。
夜間の宮殿で武官として見かけたのだ。門番にしては強い魔力だった為記憶に残ったのだ。宮殿の回廊や庁舎の警護の中にいたこともあった。だがおかしい、通常武官は持ち場が決まっているのだ。そもそも昼間にカフワで働いているのもあり得ない。間違いなく同一人物だ。
「イデア、先ほどのカフワに居た赤毛の従業員を見張れ」
「何か気になる事でも?」
「あの男、宮殿と庁舎で見かけた。上手く隠している様だが、幻術で姿を偽っている」
「分かりました。今度確認しに行ってみます」
リツの身が心配だ。
リツと広場で待ち合わせをしている。
少々早く着きすぎたようで、ルフの彫刻の影でイデアに借りた本を読みながら彼女を待った。
"女の捕まえ方"の章を読んでいると、視界の端に淡い空の色が映り込んだ。
顔を上げるとリツが居た。
カフワでテキパキ働く彼女の姿も好ましくはあるが、ほんわりとした空気を纏う今の彼女も好きだ。
周りの男どもの視線から彼女を隠すように立ち、広場を後にした。
カフワの個室。
再び二人きりになれた喜びを噛みしめるが、どうにもリツとの距離が離れているように思う。
「リツ、離れ過ぎではないか?」
不服に思い、距離を詰める。
「これでいい」
しばらくして彼女がもじもじと何かを差し出した。
「サージェ様にはたくさん、お世話になっているので、そのお礼なのですが」
リボンの結ばれた麻袋を受け取る。リツから贈り物を貰った事に嬉しさがこみ上げる。
けれど、敬称は不服だ。
「敬称は不要だと伝えたはずだ」
もっと彼女に親しみを込めて呼んで欲しい。
彼女の頭を優しく撫でる。
その後ぽつりと呟かれた自分の名。歓喜に震えた。
彼女にもっと触れたい、もっと…。
だから彼女から私に触れた時には感情が暴走したのだ。
「熱はありませんね?」
そう言って私の額に手を添えるリツ。慌てて壁まで逃げた彼女が欲しくてたまらない。
「人の体温とは存外心地良いものだな」
リツの柔らかい頬に触れ、そのまま優しく揉んでみた。
もっと触れて欲しい、触れたい。囲いたい。
自分だけを見るように仕向けて_____。
リツの瞳に怯えを感じ、彼女を解放した。
まだだ、まだその時ではない。自分の中の獣を抑え込んだ。
去り際に頭に口づけを落とす。今はまだこのくらいで我慢しよう。
彼女に危害を加える輩からは全力で遠ざけよう。
三人組の男たちが悪だくみをしていた。あろうことか彼女を手籠めにしようと云うのだ。
ふつふつと怒りが腹の底から滲み出る。
誰が貴様らに渡すものか。
屋根の上から奴らを睨みつけ、リツを抱きしめる。
ふいにリツが私の胸に顔を押し付けた。くりくりと頭を動かし、少々くすぐったく感じる。
あぁ、自分に少しは心を許してくれているのだろう。じわりと顏が熱を持ち、片手で覆うように隠した。早く自分のものにしてしまいたい。
後日三人組の悪事を暴いて投獄した事は言うまでもない。
非常に気分が良い。口角が上がるのを止められない。
部下たちから恐ろしい物でも見るような目で見られようと気にならない。
明日は彼女を自分の屋敷に招く日である。
アラムからの手紙に、彼女が欲しがっていた物が書かれていた。
顔料、絵を描くらしい。それを贈れば喜んでくれるだろうか。
帰りに品を見に行こうと決めた。
「あの…何か良い事でもありました?」
イデアが何とも言えぬ表情を浮かべ近づいてきた。
「明日リツを家に招くのだ。鳥車で迎えに行ったら驚くかと考えていた」
「いやー、目立つので止めた方が良いのでは…」
「…駄目なのか?」
巨大な鳥に引かせるのが流行っていると聞いたのだが。
「…彼女が目立つと困るのでは?」
成る程、目立って見知らぬ男の目に留まりでもしたら問題だ。
「そうだな、やめておこう」
最近部下が助言をしてくれる。
リツが自分の屋敷に居る。
緊張するだろうと思い、使用人の数は大幅に減らしている。
二人きりの食事の間。彼女の口から異世界出身だという話を聞いて納得する。
何者にも利用されてはならない。
「この事はこれ以上広めないようにした方が良い。変に利用されてしまうかもしれない」
リツの頬に手を添える。彼女の事を知っているのは私だけで良い。
「二人だけの秘密にして欲しい」
彼女は私が触れるのを拒絶しない。少しづつ触れる回数を増やし、警戒させないよう慣れさせた。
たくさんの菓子を用意し、彼女をもてなす。甘く、甘く、気づかれない様に囲い込む。
また敬称を抜くことを忘れていたリツの口に菓子を入れる。
むぐむぐと食べる姿は小動物の様で微笑ましい。
しばらくたわいもない会話を楽しんだ。
眠いのだろう、リツが舟をこいでいる。
「私の傍で眠るのは良いが、他の男の近くでは駄目だからな」
寝入ったのを確認し抱き上げ、寝室へ運び込む。
使用人を下がらせ、鍵を手に取った。
リツは私の腕の中で安心し切って寝ている。
そっと首筋に唇を寄せた。彼女の香りに頭がぼんやりする。
柔らかい体を抱きしめ目を瞑る。
腕の中で彼女が身じろぎした。
寝ていたようだ。ふっと目を開けると、目の前にリツの綺麗な瞳があった。
優しく頭を撫で、そのまま手を下へ滑らせる。柔らかい頬をそっと撫でる。
無意識に手に取っていた鍵を手の中で揺らした。
薄暗い部屋の中、このまま彼女を閉じ込めて自分だけのものにしてしまおうか___。
「リツ、私は___」
君の全てが欲しい。
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