番外編【イデア・アリ=トゥルキスターニー】

 長官の執務室に呼び出された。文官の制服に乱れが無いかを確かめる。

扉の前に立ち一呼吸置き、軽く扉を叩いた。

「イデア・アリ=トゥルキスターニーです。入室の許可を」

「許す、入れ」

硬質な声に背中を震わせる。正直なところ長官は苦手だ。

「失礼いたします」

扉を開けると先客がいた。直属の上司、サージェ・アル=イルハームである。

こちらの上司に関しては幼いころから顔を見ているので緊張は無い。

上司と視線が合う。相変わらず無表情だ。

昔は六歳年上のこの男が気に食わなかったが、今では有能な人物なので尊敬している。

気に食わなかった理由も、当時好きだった女性がこの男に惚れていたというただそれだけの理由だった。

長官の執務室はどこを見ても紙の束が置かれ、いつか紙で部屋が埋まってしまいそうな有様だ。

「今報告を受けたところだ。奴隷競売の会場が特定できたとな」

長官が長い髭を指でしごきながら満足げに頷き続けて口を開く。

「これよりイデア、お前に下男として潜入してもらう。偽りの身分証を渡す。庶民の物だから怪しまれないだろう。サージェは客に紛れて対象の監視に当たる事になっている」

長官から身分証を受け取り、二人で退室した。

自室へ向かおうとすると、サージェに着いて来るよう言われた。

サージェの執務室に入る。扉が閉まった事を確認した彼は資料を差し出す。

「今回女王反対派の大物が釣れた。ジルバーノ・レザ=ラティフィが参加する」

「確かに結構な大物ですね」

資料には三日後に競売が行われる会場も記載されてある。

北側の地区にある豪商の屋敷だ。

「尻尾を掴む為には契約書が必要だ、直筆の著名入りの物がな」

という事は奴隷を買わせた後に、捕縛するのだろう。

「奴が奴隷を買わない場合はどうするんです?」

「いや、奴は毎回買っていくそうだ。今回も高確率で買うとみている」

資料に載った似顔絵を指ではじく。

待ってろよ、絶対に尻尾を掴んで引きずり出してやる。



 難なく下男として潜入できた俺は、売人の男から指示を受け奴隷を運ぶ事になった。

馬車で奴隷が運ばれてきた。全部で五人。四人中一人だけ厳重に拘束されている。

四人の女性は見張りの目に怯えながら歩いていく。厳重に拘束された少女は俺が近づくと逃げる素振りを見せたが、身動きが取れず悔しそうにしている。哀れに思いながらも少女を担ぎ上げる。

ぐっと、苦しそうなうめき声に顔が歪む。こんな役はしたくなかったという気持ちが溢れる。

顔に出すな、堪えろ。自分に言い聞かせ無表情を作り上げる。

雇われの女たちに少女を任せ、すぐに部屋を後にする。

支度が終わったので運ぶように言われ、明るい部屋に再び足を踏み入れた。

身ぎれいにされた少女はどうやら可愛らしい顔立ちをしているようだった。自分の上司と同じく黒髪だが、瞳の色まで黒いのは珍しい。背が小さいのでまだ子供かと思っていたが胸は豊かで、もしかしたら自分が思っているよりも子供ではないのかもしれない。その不均衡さと黒い瞳のせいか不思議な雰囲気を纏っている。再び担ぎ上げ、人が一人入る大きさの檻に入れる。

「大人しくしていろよ」

そっと少女の頭を撫で、必ず奴隷売人たちを捕まえようと決心した。


 競売の準備が整った為、奴隷が収容されている部屋へ向かう。四人の女性たちは震えてこちらを窺っているというのに、少女はこの短時間で眠ったらしい。きっと大物になるに違いない。

仕方なしに少女の檻を叩いて起こす。伸びをしようとしたのだろう、少女は檻に頭をぶつけ悶えていた。もう少しこれからの自分の身を案じたほうが良いのではないだろうか…。

先に競売に掛けられる女性を運び出す。薄暗い廊下を進むにつれ、女性の泣き声が大きくなる。

胸が締め付けられる。早くこんな潜入捜査を終わりにしたい。

会場で見張っているサージェによると、ジルバーノはまだ一人も買っていないらしい。

段々と焦りが募る。このまま奴が奴隷を買わなければ契約書は手に入らない。

四人姉妹と思われる最後の一人を運び出す際に、少女が叫んだ。

「アノ…!フイテクレテアリガトウ!」

何を言っているのか分からなかった。知らない言語に首を傾げる。

グラヴェニア国でもサルディア国の言語ではない。もっと遠くの国の言葉だろうか。

だが、どこかで聞いたような気もする。

廊下を進み会場へ入る。サージェの方を窺うと首を横に振られる。

まだ奴は買っていないらしい。いよいよ本格的にまずいかもしれない。

この女性と、後はあの少女しかいないのだ。

じっとりと掌に汗が滲む。

少女の番になった。

廊下を進んでいる途中、服の裾を引っ張られる。

「何だ、伸びるからやめろ」

人気が無いとはいえ、いつ誰に見られるか分からない為そっけなく振り払う。

「オネガイデス、カイホウシテクダサイ…」

俺はしゃがみ、少女に目線の高さを合わせる。誰も居ない廊下、周りを警戒する。

「カイホウシテ…」

静かに涙を流す少女の姿に罪悪感を感じる。

「すまない、今はまだ…」

まだ助けるわけにはいかないのだ。会場の中へ進む。

それまで騒がしかった会場がシンと静まり返り、少女の姿を食い入るように見つめる大勢の客。

足枷だけを外し、ゆっくりと台の上に座らせた少女は大人しくしていた。

この少女が奴を捕まえられるかどうかの最後の切り札になるかどうか。

台車を廊下へ置き、緑色のマントを被る。会場へこっそりと戻りサージェと合流した。

「ちょうど始まるぞ」

ぼそりとサージェが呟きながら、魔法具を俺に差し出した。思わずそれを受け取る。

その場の光景を記録する水晶玉である。ずっとこれで会場を映していたのだろう。

そしてそのまま記録は長官の水晶玉にも繋がっており、自動的に保存される。

「それでは一万から!」

大金貨の一万から始まった。奴隷としては高価な方だろう。

徐々に値段が上がるが、ジルバーノ・レザ=ラティフィは動かない。

焦りが頂点に達し、指示を仰ごうと思い隣にいるサージェに目を向けると彼は妙な動きをしている。

「何書いてるんです?」

競売用の用紙に何か書き込んでいる。

そしてあろうことか立ち上がり叫んだ。

「百万!」

俺の心臓は止まったに違いない。慌てて上司の裾を引く。

「ちょっと、アンタ何やってるんですか!」

上司の目は対象を通り越し少女へと向かっている。

この水晶玉から、長官にも見られてますよ!という言葉は飲み込む。

少女の近くにいた対象が立ち上がり叫んだのだ。

「三百万!」

動いた。ジルバーノ・レザ=ラティフィが遂に動き出したのだ。

まさかサージェはこれを狙っていたのだろうか。

「四百万!」

だが彼はまさかの行動を取る。再び立ち上がったのだ。思わず頭を抱えた。

奴に火を付けるだけではなかったのか?

これでサージェが勝ってしまったら、もうどうしようもない。

「七百万!」

対象が最後に声をあげたのを最後に、何を考えているのか分からない上司はやっと静かに座った。

本当にこの人何を考えているんだ!

「何考えてるんですか!」

小さな声で苦情をいうと、サージェは口元を綻ばせ目を輝かせた。

こんなにも表情豊かな彼を久々に見た。子供の頃以来だろうか。

水晶玉の発動を止め、サージェは小声で信じられない言葉を口にした。

「あの娘が欲しくなった」

仕事一筋の上司の初恋。それは俺の人生で最も衝撃的な事件であった。


 俺が一度逃がしたものの、あっけなく再び捕まってしまった少女の話をサージェにした。

それからの彼の行動は早かった。俺に契約書探しをさせ、その間にジルバーノ・レザ=ラティフィの余罪を調べ上げたのだ。過去の売買記録を今回とは別の奴隷商人から奪い取り、次々と関わった商人を投獄していった。さすが氷の魔王である。

彼らから得られた証言と共に次々と証拠の契約書が手に入る。奴の署名入りの物だ。

しかしこれだけでは足りない。最新の契約書と少女の証言も必要だ。

今回の少女の契約書を奪い取る際に、商人の手下が一人いない事に気づく。

しまった、ラティフィ邸に伝えに行かれたら、突入がばれてしまう。

慌ててサージェに連絡を取り、外で待機していた武官と合流する。

サージェからそのまま武官を率いてジルバーノ・レザ=ラティフィを捕縛するように指示が出た。

武官たちを率い、先を急ぐ。

少女が殺されたりでもしたら、証人がいなくなってしまう。今まで買われて行った奴隷の女たちは皆消息が不明で、証言を得られていないのだ。


 無事に少女を保護し、嬉しそうな様子の上司に嫌な予感がする。

「えっと、何をお考えです?」

「彼女を私の家に引き取ろうと思う」

「いやいやいや、独身男の家に未婚の娘は不味いですって」

俺の言葉にサージェはむっつりと黙り込む。慌てて提案する。

「パルマ=スライマーン殿はいかがです?彼女なら安心ですし息子のアラムもまだ子供なので問題ないのでは」

「なるほど…パルマ殿の養子にして彼女を貴族にすれば…」

黒い笑みを浮かべて呟く上司の表情を見て思った。この提案何か失敗したかもしれない。

「さっそくパルマ殿に依頼してこよう」

「待ってください、俺も行きます」

「君は使用人たちの事情聴取があるだろう?」

「他の文官に任せてあります。俺はあなたの補佐官でもありますし、暴走を食い止める役も長官から頼まれています」

そう、氷の魔王は時々手段を選ばない傾向がある為、長官からあまり目を離さないよう言われているのだ。万が一パルマ殿を脅すような事…そんな事はしないだろうが、念のためだ。

渋々頷く上司と共にパルマ殿の家に向かう。彼女は俺とサージェを子供の頃から可愛がってくれた女性で信頼のできる人物だ。

ふいに知らない言語を話す少女の言葉と、三年前まで行方不明になっていたアラムの当時喋っていた言葉が似通っているように感じた。もしかしたら何か知っているのかもしれない。

 幸いパルマは今日仕事へ行っていなかったようだ。家の中へ招かれながらほっとする。

「お久しぶりです」

サージェの言葉にパルマは微笑んだ。

「お久しぶりですね、お二人ともお元気そうで良かったわ」

養子の話を始めるサージェとパルマ。生活費はサージェからも出すので費用は心配しなくても良いという内容も聞こえてくる。パルマは費用については断っていたが、上司が本気で何かを企んでいるようで恐ろしい。

後ろからひょっこりアラムが顔を出す。

「あ、お久しぶりです!」

そんなアラムに気になっていた事を聞いてみた。

「久しぶりだなアラム。"カイホウシテ"という言葉、分かったりしないか?」

アラムは暫く首を傾げ、ぱっと顔をあげた。

「解放して、だと思います」

やはり、自分の読みは正しかった。遠い異国の言語は以前アラムが話していたものと同じだったのだ。

「事情聴取に協力して欲しい」

俺の言葉に力強くアラムは頷いた。

 事情聴取が終わり、アラムと共に去っていく少女、リツの後ろ姿をサージェが無言で見つめている。

その瞳は爛々と光り、獲物を狙うような恐ろしさを感じる。


 それから頻繁にアラムと文通をする上司の姿を見かけるようになった。

何か変な事でも考えていないか不安である。監禁でもした日には俺は上司を捕まえなくてはならない。

そして恋愛経験の無い上司サージェの、外堀を埋めるような囲い込みが幕を開けたのをこの時の俺は知らない。

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