第38話 わたしの夢

 休みの日のカフワ。ほのかな明るさ、静かな空間に艶のある椅子とテーブルが並ぶ。先ほど水をやった植物についた水滴が、キラキラと光を反射し輝く様は美しい。

朝からアブダッド、ジャマール、そして後輩兄弟が揃っている。

普段は客がいる席に私たちは紅茶を飲みながら座っていた。自分の働くカフワでお茶を飲むのは初めてであり、この居心地の良さが客が途絶えない理由の一つであることを実感した。

「店長、全部描くと載せきれないのですが」

アブダッドが唸る。全部描いて欲しいらしいが、バランスもある。

「余白をある程度残した方が、高級感が出せると思います」

「うーん、分かった。これとこれは描かなくても良い。あー、こっちは入れて欲しいな」

アブダッドの指示の元、描く料理が選ばれる。厳選したおすすめ料理たち。

ジャマールが料理を作り、冷めないうちに私が下書きをし、そして皆で食べる。

色を乗せている間にジャマールが次の料理を作るという流れだ。

新メニュー開発の時のような連帯感が生まれる。

あらかじめ文字だけは家で書いてきた。柔らかなデザインの飾り文字は、アブダッドからは好評だった。全ての料理を描くわけでは無い為、絵の下には小さく料理名を入れるつもりだ。

肉料理から描いていく。

切れ目を入れている風にした方が美味しそうに見えるだろう。ナイフとフォークも描き込む。

肉の匂いやジューシーさまでを表現する。艶も足す。

物珍しそうにアーシファとサラーブが背後から描いている様子をずっと覗いている。

次々と運ばれてくる料理を堪能しつつ、丁寧に描く。

スープは水分がたぷんと揺れるような表現で、中の野菜のシャキシャキとした感じ。

米に似た穀物は一粒一粒丁寧にふっくらと。

ポンと頭に手が置かれる。

「リツ、少し休憩するか?」

アブダッドの声に頷く。確かに集中力が少し落ちている気がする。

少し体勢を変えようと椅子を後ろに下げると、後ろにいたアーシファにぶつかってしまった。

中腰で立っていた彼の吐息がかかりそうな程近い距離にぎょっとする。

「あ、ごめんなさい」

「こちらこそすみません。見惚れてしまっていて」

「そんなに私の絵は珍しいですか?」

見惚れるなど画家冥利に尽きるというものだ。本職の画家じゃないけれど。

「ここまで本物に見えるような描き方は初めて見ます」

「そうなんですか?」

「本当ですよ、初めて見た時すごく感動しました!」

サラーブも興奮気味に拳を握る。

確かにジャマールの孫の絵を見せて貰った時に、奥行きをそこまで感じないような描き方だと思った。

グラヴェニア国は西洋風だからありそうだが、そもそも他の国の絵を見た事が無いので何とも言えない。

休憩を挟み、再び絵を描き始める。

焼き菓子、アイスクリームの後ろには、何の果物か一目で分かるように使用している果物の絵も添える。

周りの音も耳に入らない程集中し描いていく。全てが描き終わる頃には店内は茜色に変わっていた。

出来上がったメニュー表を見て、アブダッドは満足げに頷く。

「リツ、完璧だ!これは早速複製して貰わないとな!」

今にも踊りだしそうな店長の姿が面白い。キラキラと輝く瞳は少年の様だが、きっと頭の中はメニュー表リニューアルによる売上増加のことで一杯になっているであろう。期待している程売り上げが伸びれば良いのだが。

解散になり、ジャマールと後輩兄弟と共に店を出る。茜色の空を見上げぐっと伸びをした。

同じ姿勢のまま絵を描いていた為、腰がバキバキと音をたてる。

「それじゃ、お疲れさま」

ジャマールが手を振り帰路に就く。

「リツさん、途中まで一緒に帰りましょう!」

サラーブが天使の微笑みを浮かべる。

「いつも迎えに来る人は恋人ですか?」

「う…」

「何聞いてるんだ、やめなさい」

口ごもる私に気を遣ってか、直球で聞いてくるサラーブをアーシファが窘める。

えー、と不満そうに頬を膨らますサラーブは実年齢よりももっと幼く見えた。

兄弟のおしゃべりを横目に、ぼんやりと考える。サージェとの関係はよく分からないものだ。友人の域を出ているように感じる事もあるが、恋人ではない。大事にされているのは何となく分かるのだが。

胸元をそっと触る。結局この首飾りも借りたままである。

「リツさん、俺たちはここで曲がるので」

アーシファの声に立ち止まる。

「はい、また明日」

二人は軽く頭を下げ背を向ける。夕日を受けた二人の髪は赤く染まって見えた。

やはりアーシファの雰囲気は、赤髪にブルーの瞳の彼に似ているように感じる。性格は全く違って見えるのにそう感じるのは、働いている時の姿のせいであろう。もし本当に本人だとしたら如何したら良いのかが分からない、だから聞くに聞けなかった。何も考えるな、別人だと思っておこう。その方が精神的にも楽である。

西日が強く、目を眇めながら一人歩みを進めた。


 翌日私は寝坊した。寝すぎたのか体がずっしりと重く感じる。

慌てて飛び起きあがると、心臓がドッドッと強く脈打った。頭がくらりと揺れる。

「やばい、寝過ごした!」

アラムがベッドの端で転がっている。パルマの姿は見えないので、起きているのであろう。

ふらりとしながら台所へ向かうと、既に朝食が出来上がっていた。

「おはよう。寝過ごしちゃった」

「おはよう、昨日も仕事だったんだもの。疲れていたのね」

早く食べないと遅刻しちゃうわよ、と笑う彼女は本日も聖母のような優しさである。

急いで食事をとり、慌ただしく身支度をする。

パルマとアラムは今日は家にいるようだ。

「行ってきます!」

いってらっしゃいと微笑む二人を背に家を飛び出した。

いつもよりも出るのが遅かった為か、人通りが多くなっているように感じる。

人にぶつからないように、小走りで通り抜ける。

ベルを鳴り響かせカフワに飛び込んだ。

「遅れました!」

アブダッドが厨房からのっそり出てくる。

「まだ開店してないから大丈夫だ。他の二人が掃除済ませたからな」

「昨日はお疲れ様、早く着替えておいで」

ジャマールが目じりに皺を寄せ笑った。

息を整え、更衣室で着替えはじめる。エプロンを絞め、気合を入れた。

新しいメニュー表がたくさん出来上がっていた。

ぺらりとめくると、昨日描いたものが目の前に広がった。我ながらなかなかの出来だと自負している。

ほんのり口角が上がる。自分が手掛けたものが実際に使われるのは非常に嬉しい。

 開店と同時に、客が流れ込んでくる。

後輩二人と手分けして、席に案内する。メニュー表を手渡す際に少々緊張した。

メニュー表を開いた客の"すごい"という声が、あちらこちらのテーブルから聞こえてきて内心拳を握った。叫びだしたいのをぐっと抑える。達成感が胸の奥から込み上げ、にやけるのを止められない。

近くの客に呼ばれ、注文を取りに行く。

「この料理を2人前お願いできるかしら?」

「はい、承知いたしました」

今までどんな料理か分からなくて注文したことが無かったの、と楽しそうに話す貴婦人は絵を指さす。

グラヴェニア国の料理はまだこの国では馴染みがないのであろう。

絵を付けることによって、どんな料理か説明をする手間も省ける。

遠くでサラーブが客に注文を取っている様子が見えた。以前よりも危なげない様子に安心する。

足取りも軽く、厨房へ戻った。

「一気に作る種類の幅が広がったよ、いつも似たような料理ばっかりだったからね」

ジャマールが嬉しそうに鍋をかき混ぜている。

厨房と客との間を何往復もする。メニュー表は好評であった。

特に菓子のページは女性客からの評価が良く、背景に果物を置いたのが素敵だとの事だ。

お洒落カフェのメニュー表をイメージしたのだが、女性の好みはどの世界でも共通だったようだ。

客は絵と同じ物が運ばれてくると、うきうきとした様子で手を付け始める。

初めて頼んだと云っていた貴婦人は頬を紅潮させながら料理を堪能していた。

 夕方近くになり、一人の老紳士が店に訪れた。さっとアーシファが席へ案内する。

従業員が増えたおかげで、少し休憩する時間もできた。とても快適な職場である。

カランカランとベルの音に入り口を見れば、見慣れた二人が立っていた。

深緑色の瞳が悪戯っ子のように細められる。パルマとアラムであった。

驚き固まった後、慌てて二人の元へ近寄る。

「いらっしゃいませ!二人とも」

嬉しさと気恥ずかしさが混じり合う。参観日の子供のような気持ちと言えば分かるだろうか。

「ふふ、来ちゃったわ」

「リツのびっくりする顔見られたね!」

「驚いたよ、本当に」

メニュー表を手渡すと、アラムが食い入るように見始めた。

「やっぱ凄いね!これもリツが描いたんでしょ?」

アラムの声に、近くの客が興味深げにこちらを見るのが分かった。

「ありがとう、結構頑張って描いたんだよ」

そして少々芝居かかった風に頭を下げる。

「注文がお決まりになりましたら、お伺いいたします」

二ッと笑いウィンクした。

二人は迷った挙句、私のおすすめのフルーツティーとアイスクリームを選んだ。

初めて食べるアイスクリームに顔を輝かせるのを、アブダッドが頬を染めながら観察していた。

カチャカチャと小さな音をたて、食器を重ねる。アーシファがアブダッドに声を掛け、老紳士の方を指し示した。何かクレームでもあったのだろうか。

それを横目に見ながら綺麗に食べ終わり空になった食器たちを運ぶ。やはり完食してあるのは気分が良い。厨房へ食器を持っていき、洗い場の水の塊に食器を突っ込んでいく。

洗剤を入れ徐々に泡が立ち始めるとすぐに食器は泡で包まれた。自動で洗われていくのを見ているのは面白い。アブダッドが厨房に入ってきて手招きをする。

「何ですか?」

「あちらの老紳士がリツに絵の仕事を依頼したいと言っているが、この話受けるか?」

瞬きを数回繰り返す。言われた事を一拍遅れて理解した。

メニュー表の絵を見て気に入ってくれたそうなのだ。

考えるよりも先に、口から言葉が零れた。

「是非、是非やらせてください!」

子供の頃の夢が叶う瞬間だった。


 老紳士から受けた依頼を皮切りに、少しずつ絵の仕事が舞い込むようになった。

アブダッドの知り合いの商人をはじめ、店の客からの注文が主となっている。

皆裕福な依頼主ばかりなので、良い収入を得ることができている。

日中はカフワで働き、夜に絵を描き進める。そのような生活が続く。

アラムとパルマが寝静まった後に静かにベッドへ行くのだが、起こしてしまうのではと冷や冷やしている。眠りの妨げにならないよう、一人で居間で眠ることもあるのだが次の日は体中が痛くなった。

自分の生活リズムが変わってきたことに、体力がついていくかどうかも不安がよぎる。

カフワで働く時間を少し削って貰った方が良いのだろうか。パルマとアラム、サージェも私の体調を心配してくれている。シャヌからの手紙にも少しは休む方が良いと書いてあった。あまり皆に心配や迷惑を掛けたくない。

 そんなある日、アブダッドから提案された。

「最近リツは寝不足で顔色も非常に悪い。カフワでの仕事か絵の仕事、どちらかに絞った方が良い」

「どちらか、ですか…」

「あぁ、お前の体調の心配してんだぞ。青白い顔しやがって」

ぐしゃぐしゃと私の頭を撫で、アブダッドはため息をつく。彼の後ろからジャマールと後輩兄弟たちも心配げな表情でこちらを窺っている。そうか、店の皆にも心配をかけてしまっていたのか。

今のところ仕事のミスは無いが、それも時間の問題かもしれない。大好きな人たちに迷惑はかけたくない。日に日に溜まっていく疲労に限界が近いのを感じている。

「ぶっ倒れる前に、きちんと考えろ。お前の進みたい道を選べ。皆お前の選んだ事なら文句は言わねぇよ」

ぶっきらぼうな口調の中に優しさが滲んだ。こくりと頷く。

私のやりたい仕事…選んでも良いのならば_____。

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