第37話 後輩
風が頬を撫で、ぱちりと目が覚める。パルマとアラムが眠っているのが見えた。
窓から柔らかな光が差し込んでいる。昨晩夕食を抜いたためお腹がきゅるきゅると鳴り響く。
顔を洗い、伸びをする。たっぷり寝たおかげですっきりとした。朝食の支度をしているとパルマが起きてきた。
「おはよう、リツ。昨日は大丈夫だった?襲撃事件があったでしょう?」
「大丈夫だったよ。神殿を見た後、遠くから女王様を見て帰っただけだから」
神殿でとんでもない事になったけど、とは口にはしまい。変に心配させたくない。
二人並んで朝食を作る。昨日聞いた王族の血筋の事や養子の事を聞いてみると、パルマは悪戯の見つかった子供のように目を逸らした。いつのまにか貴族の養子になっていたのは本当らしい。
「ごめんなさいね、リツは遠慮する傾向があるから、言ったら逃げちゃうと思ったんだもの」
「う…そうだけど。後見人って、てっきり身元保証人みたいなのかと…」
「身分証を作る為に養子にしたのよ。ふふ、最初から私は自分の娘のように思って接してたの」
聖母のような微笑みを浮かべるパルマ。
「サージェ様にお願いされた時は驚いたけど、娘にして良かったと心から思っているわ」
パルマが私の首に下がっている首飾りを見て、にんまり笑う。
「こうなる事を見越して、私の娘にしたのかもしれないわね…」
首を傾げる。どういう意味だろうか。
「おはよう」
アラムが寝惚け眼でふらりと起きてきたのに気を取られ、会話が途切れた。
パルマがアラムの寝ぐせを手で直しながら尋ねる。
「おはようアラム。今日も稽古?」
「うん、今日は打ち合いの稽古に移るんだ。今まで型の練習ばかりだったから楽しみ!」
ほのぼのとした朝を過ごし、身支度を整える。首飾りを外から見えないように被服の胸元に入れて隠す。高価なものを持っていると悪い人間に絡まれるかもしれない。ところでこれは何時サージェに返せば良いのだろうか。
パルマが先に出かけアラムと一緒に外へ出る。
「じゃぁ行ってらっしゃい!」
お互いに別の方向へ別れた。市場は普段以上に活気で溢れており、商人が大きな声で品物の紹介をしていたりする。昨日は市場を開けなかったので、その分の売り上げも補おうとしているのかもしれない。
カフワへ歩いていると、ジーンの別れの言葉を思い出した。
彼は今どうしているのだろう、サルディア国へ帰ったのだろうか。空を見上げ、ため息をつく。
店の従業員が一人減ったのを店長は知っているだろうか。
カフワの中でアブダッドが待ち構えたように仁王立ちしている。
「おはようございます、店長」
「おはよう。リツ、残念な話と嬉しい話どっちから聞く?」
「残念な話からで、お願いします」
店長が手紙を見せる。差出人の名前はジーンになっている。
「ジーンが辞めることになった。親が病気になったらしくて、急遽生まれた町に帰る事になったそうだ」
「…そうですか。残念です」
彼はそういう設定にしたのだな、と微妙な心境になる。この様子だと、ジーンがサルディア国の密偵だという事は誰も知らないのだろう。手紙には世話になった礼と、顔を見せないまま去る事への謝罪が書かれている。
「嬉しい話は、リツに後輩が2人もできる!」
キラキラとした笑顔でアブダッドが店の入り口を示す。
振り返るといつの間にか見知らぬニ人組が微笑んで立っていた。
二人とも同じ赤茶色の髪と深い海のような瞳を持っており、面差しが似ている。
18歳程に見える青年がにこりと笑う。身長は170㎝はあるだろう。
「サラーブ、です。よろしくお願いします!」
女の子ならば天使かと見紛うばかりの可愛らしさだ。人懐っこい雰囲気がある。
次に背の高い男性が進み出る。30歳くらいだろうか、ブルーの瞳が優し気だ。
「アーシファ、といいます。よろしくお願いします」
身長はジーンと同じくらいだろうか。何となく安心感のある物腰である。
新しい後輩たちにぺこりと頭を下げる。
「リツと申します。よろしくお願いします」
「二人は兄弟なんだ、昨日俺が店の前で焼き菓子を売ってたら店の雰囲気を気に入ってくれたらしくてな!リツが色々教えてやってくれ」
アブダッドが嬉しそうに笑い、続ける。
「それから、これを新しく作り直すことになった」
手に持っているのはメニュー表だ。文字と金額しか載っていないシンプルな作り。
「リツの絵を見て、常連客がこれにも載せたらどうかと提案してくれたんだ…」
描いてくれないか?とアブダッドが私を窺う。
「何冊もありますけど、手書きだと同じように描けるかどうか…」
「そこは問題ない!複製の魔法が上手い知り合いがいるからな」
アブダッドが胸を張る。まさかの人間コピー機がいるとは思わなんだ。
「リツの絵なら凄い物ができそうな気がするんだ!是非やってくれないか?」
期待の籠った店長の瞳に、ここまで言われるなんて、と気持ちが揺れる。
横からアーシファとサラーブが口を挟む。
「俺もあなたの絵を見て素敵だなと思いました」
「うんうん、あれすっごく本物みたいで美味しそうだった!」
初対面の人間にまで言われるのであれば、お世辞では無いのだろう。
それに幼い頃の画家への夢も捨てきれていない。やってみる価値はあるかもしれない。
「分かりました。やってみます」
今やらずに、いつやるのだ。一歩ずつ進もうと決意した。
アーシファとサラーブが制服に着替え終わり、更衣室から出てくる。
二人とも洋服の方が似合うように感じる。ジャマールと自己紹介をしている二人を観察する。
先ほどのアグダンの被服は正直あまり似合っていなかった。こう感じたのはこの二人がはじめてでは無いような。いつぞや感じた違和感に非常に似ているが気のせいだろうか。
首を振り、仕事についての説明するべく二人に向かって歩み寄る。
「お二人とも、仕事の説明をしますね」
とりあえず、後輩に先輩らしいことをしようではないか。
カランカランと開店一番の客が入ってくる。
アーシファが早速客を案内する。一度説明しただけだが、慣れた様子で案内する姿は安心感がある。
何故かジーンと後ろ姿が被って見えた。
「ご、ご注文は?」
サラーブは接客に慣れていないのか、どことなくぎこちない。
先ほどまでの人懐っこさはどこへやら、きっと緊張しているのであろう。
厨房の方へ戻ってきた彼は私の方へ一直線に向かってきた。
「リツさん、俺ちょっと料理の名称まだ覚えきれてなくて…」
「まだ初日だもの、焦らず覚えれば大丈夫ですよ」
安心させるようにサラーブへ微笑みかける。
どうやらよく分からなかったらしく、一緒に同じ客の元へ向かう。
「申し訳ございません。もう一度ご注文を確認しても、宜しいでしょうか?」
客も新人だからと快く再度教えてくれた。
今まで各個人でメモを取っていたので、注文票があると便利だとアブダッドに伝えたほうが良いかもしれない。ひとまず、自分のメモ帳を少し彼に分ける事にした。
サラーブに比べ、アーシファは戸惑った様子もなくスムーズに注文を取ってくる。
今まで飲食店で働いたことがあったのだろうか。彼なら仕事を任せても安心だと不思議と思えた。
カランカランと音が鳴り、イデアが来店した。久々に見るその姿はだいぶ疲れている。
一瞬王族の母親がいるという事を思い出し顔を引きつらせるが、笑顔を張り付け入口へ向かう。
取り合えず今まで通りに接すればいいか。
「いらっしゃいませ、ご案内致します。珍しいですねこの時間に」
「今日は休みを取ったんだ…あの人が昨日休んだせいで俺は…いつもの3倍の仕事を」
「そ…そうでしたか、大変でしたね」
サージェは昨日私と一緒に居ましたとは言いづらい。
窓際に案内し、メニュー表を渡すとイデアは私の首元に目を向け顔を引きつらせた。
「あー、リツ嬢…その首飾りは?」
首飾りが被服から出てしまったようだ。
「サージェ様からお借りしたものです。守護魔法がついてるとか何とか…」
「なるほど、あー、リツ嬢覚悟しておいた方が良いぞ」
何故そんな不穏な事を言うのであろうか。この首飾りもしや…。
「え、呪われた首飾りとか、では無いですよね?」
無言で微笑むイデアが恐ろしい。答えて欲しい、何なのだ。
もう一度聞こうとすると、イデアに遮られた。
「ムクロジの紅茶とインクーリオの焼き菓子を頼む」
「…畏まりました」
仕方がない、答えてくれそうもないので今度サージェに直接聞こう。
サラーブを手助けしつつ、無事に閉店時間を迎えた。
「リツ、朝の話だが、これに書いて欲しい」
アブダッドにメニュー表と同じサイズの厚みのある無地の紙を渡される。
絵だけでなく、文字から私に書いてほしいらしい。
あまり注文されない物もあるので、今度ジャマールに作ったものを見せて欲しい旨も伝える。
「そしたら、次の休みの日に店を開けるから、描いてくれないか?もちろん給金は出す」
アブダッドの提案にジャマールがわくわくした様子で頷く。私も異論はない。
「じゃぁ、宜しく頼む」
「お疲れさまでした」
着替え終わり、店を出ようと歩き出す。
後ろからアーシファに呼び止められた。優し気な深い海のような瞳が細められる。
「リツさん、危ないので送りましょうか?」
「えっと…」
カランカランと扉のベルが鳴る。もう店はおしまいなのだが。入り口に背筋をシャンと伸ばした男性が立っていた。何故かサージェがそこにいた。
「リツ、迎えに来た」
アブダッドが遠くから茶化す。
「お、色男の迎えとはさすがリツだな!」
アーシファの方をちらりと窺う。彼は頬をかき、薄く微笑んだ。
「お迎えがいるなら安心ですね」
「お気持ち嬉しかったです、ありがとうございました」
せっかくの心遣いを無下にしてしまい申し訳ないが、サージェの方が安心だ。
頭を下げ、彼の元へ向かう。一瞬サージェがアーシファの方を冷ややかに見たような気がする。
「サージェ、急にどうしたんですか?」
「帰り道、一人だろう?危ないからな」
今までジーンに送って貰っていたが、もう彼がいないから来てくれたのだろうか。
だとしたら申し訳ない。優しい友人に感謝する。
「ありがとうございます、でもサージェも仕事で疲れているのでは…」
カフワを出て、ゆっくりと歩く。藍色の空に星が小さく煌めいている。
「余計な虫がつくよりマシだ」
「虫…?」
良く聞き取れなかった。彼はそれ以上言わずに微笑む。
無事に家まで送り届けられ、私は思い出した。
「首飾りの事聞き忘れた…」
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