第36話 シェヘラザード女王

 ジーンの腕から逃れた私は、彼から距離を取る。

サルディアはあまり評判が良くないので是非とも回避したい。

まずはジーンの私への認識を改めてもらう。価値の無い人間だと分かってもらわねば。

「私は何の技術も、教えられませんよ。ただの平凡な人間ですから」

「そうかな?」

じりじりと距離を詰められる。一歩また一歩と下がる。

「お菓子も作り方が、分かるのはあれだけです。知っていても作り方を、知らないのでは無意味です」

「何かきっかっけになって、新しい物が生み出されるかもしれないよ?」

「武器や毒薬とは無縁でした。お役には立てません。平和な国だったので」

ジーンが眉を寄せる。諦めてくれるだろうかと少し期待する。

考えるそぶりを見せる彼に気づかれないように、更に後ろに少しずつ下がる。

ジーンが目を細め、瞬きしている間に彼は目の前にいた。一瞬で距離を詰められ動揺が隠せない。

「役に立つか否か、それはリツが決める事じゃないんだよね~」

「本当に役に立ちません。連れて行かれてやはり不要だと、殺される事もありますよね?」

近づくジーンの胸を押しのけながら言葉を続ける。

「私はまだ死にたくないです。解放して下さい。この国にいたいんです」

「大丈夫、不要になったら俺が拾ってあげるから」

そういう問題ではない、と反論しようとした時。

硬質な物が割れるような音が何処からかともなく聞こえてきた。

「あ~あ、時間切れかな」

ジーンのぼやきがかき消される程の大きな音を立てて、部屋の壁に亀裂が入った。

ビキビキと蜘蛛の巣状のヒビが入り、徐々にそれは大きくなってゆく。

「リツ、一緒に働けて楽しかったよ。店長によろしく~」

容姿はすっかり変わってしまったのに、いつも通りの同僚がそこにいた。

吊り上がった瞳が笑いかけ、その手が頭に乗せられる。

別れの言葉に内心動揺した。とんでもない性格の持ち主だと分かったものの、今まで共に働いてきた時の事が頭の中を駆け巡る。家まで毎日送ってくれていたジーン。チャラチャラした雰囲気はあるものの、しっかりと仕事を教えてくれた。皆で一緒に新メニューの開発をしたことだってある。


 ガシャン、と硝子が砕け散る様な音と共に、視界が光に包まれ眩しくて目を瞑る。

自分の頭を撫でる手が離れて行くのが分かった。

眩しさが収まり、直ぐ近くに強い風が吹き抜けた。恐る恐る目を開ける。

広い背中が目の前に広がっていた。黒い三つ編みがその背に流れ、荒い呼吸をしている為か肩が上下に揺れている。その背中は凍てつくような空気を纏っている。

「サージェ…」

今までいた部屋は跡形もなく消え、周りを木々が囲っている。ちょうど神殿の裏側のようだ。

完全武装した武官たちの姿が視界の端に映った。少なくとも30人はいるだろうか。

「ほんと、邪魔ばっかりするよね~あんた嫌いだわ」

ジーンの忌々しそうな声がサージェの向こう側から聞こえる。

「やはりお前が密偵だったか。情報漏洩抑止法に則り捕縛する!総員構えよ!」

サージェが剣を抜き放ち冷ややかに告げ、周りを取り囲む武官が剣を構えた。

「あんた本当に邪魔だ!」

緊迫した空気の中、ジーンは歪んだ笑みを浮かべ手に剣を出現させた。

それと同時にサージェが目も眩むような鋭い光を放ちながら跳びかかる。

剣がぶつかり合い、バチバチと音を立て青白い光が二人の間に弾ける。

剣を大きく上から振りかぶったジーンを軽くいなし、そのまま背後へ回り込んだサージェはその背中に氷の雨を降らせる。それは大きく鋭利な刃物を思わせる形状で、私は思わず目を覆った。

空気が熱くなり目を開けるとジーンが炎の盾でサージェの氷を防いでいる様子が見えた。

氷と炎の攻防が繰り広げられ、互いに押し押されつの状況が続いている。

炎を纏う剣と氷の欠片を纏う剣がぶつかり合う。轟々と音を立て氷が混じり合った風が二人の周りを囲っている。風の壁の周りに武官たちがじりじりと近づく。

サージェがふっと微笑み、降らせる氷を水へと変化させた。ジュッと音を立て炎が消えジーンが舌打ちをする。風を纏ったジーンが後ろに大きく跳び腕を押える。その腕からは血が流れており、それを忌々しげに一瞥した。

武官の包囲が徐々に狭まっている状況に、ジーンは歪な笑みをサージェに向けた。

「俺に構っていると女王が大変な事になっちゃうよ~」

「陛下の警護は優秀な武官が行っている、問題ない」

ジーンは眉間に皺をよせ、ふんと鼻で嗤った。

「どーだかね!結界だって簡単に破れるんだから!」

風を纏い上空に逃げるジーン。サージェが武官に鋭く指示を出した。

「かかれ!」

武官たちも風を纏い飛ぶ。硬質な音と共に青空に亀裂が入った。

ジーンが上空にある結界を破ったらしい。

がらがらと光輝く透明な欠片が降ってくる様子を呆然と見上げていると、サージェの腕の中に囲われた。

そのまま木の下へ跳び、彼はどさりと座り込み私を抱きしめた。

先程まで自分の立っていた地面に、大きな破片が刺さっているのを見て青ざめる。ぎゅっとサージェの腕に力が籠められ、ぽつりと低い声が零れた。

「無事でよかった…泳がせていたのが仇になった」

サルディア国に連れて行かれていたら、皆とは二度と会えなかっただろう。

まだ、この国にいたいと強く願った。この人と共にありたいと願ってしまった。

サージェの背中に腕を回すと彼の腕に更に力が籠った。

そのまま暫く二人で抱きしめ合った。


 武官たちが5人戻ってきた。しかしそこにジーンの姿は無い。

一人の武官がサージェの前へ進み出て報告をする。

「申し訳ございません、取り逃がしました。5名負傷、残りの23名で捜索を継続しています」

「長官に報告しておこう。引き続き警戒を怠らぬように」

武官は頭を下げ、空に飛び立った。

サージェが手を振ると紙がひらりと現れた。彼はそのまま宙で文字を書く。

封筒に"長官"と文字があったので、先ほど言っていた報告なのだろう。

封を閉じ宙に放り投げると、手紙は庁舎の方向へ消えた。

 サージェがこちらへ向きなおる。

「リツ、後ろを向いてくれないか?」

言われるままに彼に背を向けると、首に冷たい物が触れた。

胸元に重みを感じ下を見る。アメジスト色の宝石が嵌った首飾りが揺れていた。

振り返り尋ねる。何故こんな豪華な物が私の首に下がっているのだろうか。

「あの…これは?」

「守りのまじないのような物だ。これで誰も手を出せまい」

彼の手が私の頭に乗せられ、下へ滑る。そして髪を掬い上げそこに口づけた。

顔に熱が集まり直視できない。悲鳴をあげなかった自分を褒める。

「守護魔法を込めてある。肌身離さず付けていてほしい」

「こんな凄いもの…落とさないか、不安なのですが」

「またあの密偵の幻術に囚われたいのか?鎖は早々切れないので強度に問題はない」

またあんな目に遭うのはこりごりである。つけっぱなしにする事を約束させられた。

「女王がそろそろ広場辺りを通るだろう。見に行くか?」

「はい、折角なので」

もしも最高権力者が暗殺されてしまったら、この国はどうなるのだろう。女王の他の権力者に王位が移るだけなのだろうか。サージェをちらりと窺う。彼は王位継承権は既に棄権したと云っていたが、もしも担ぎ上げられてしまったらどうするのだろうか。イデアや他の王家の血を継ぐ人間と争う事になってしまうのではないだろうか。飛躍した考えかもしれないが、先ほどの堂々と指揮を執る姿を見ていたら無くはないと思ってしまったのだ。

「ジーンさんが、不穏な事を言っていましたね…」

「サルディアは今回の婚約で、アグダンとグラヴェニアの結びつきが強化されるのを恐れている」

「ここで事件があったら、両国の間に溝ができる、という事ですか?」

「その通り、だから警護は万全な体制を取っているはずだ。女王の側近は強力な魔法使いもいる」

神殿の中を横切る。先ほどの騒動があったにも拘らず、人が減っている様子はない。

建物の裏とはいえ、誰も気づいていなかったのだろうか。

恐らくパレードの道の確保であろう、広場は人の通りが規制されていた。

武官たちが一列に並び、人々を誘導している。

ふとカフワに来ていた客が言っていた、パレードを見やすそうな位置というのが広場の前の店だったと思い出す。被服の裾を引き、閉まっている店の前を指し示す。人はたくさんいたが、さほど邪魔にならずに見れそうである。遠くから歓声が聞こえてくる。

「広場の端で見ませんか?」

「確かに見やすそうだな」

壁にもたれかかり、パレードを待った。

人の波から解放された広場中央のルフの彫刻は太陽光を浴びて白く光っている。

ぼんやりと、家族の顔を思い出そうと試みるが一向に霧は晴れなかった。

どうしてだろうか。このまま家族との思い出まで消えて、いつしか日本の記憶が無くなってしまったらと怖くてたまらない。

歓声が徐々に近づいてきているようで、先ほどよりも大きく聞こえる。

広場に歓声が溢れた。ラクダに似た生き物に乗った武官が見えてくる。

武官が何十人、何百人も隊列を組んで歩く。

天井の無い馬車に揺られ、女王とその婚約者らしき人物の姿が見え始めた。

突然隣の女性が叫びだす。耳がキーンとしてクラクラした。

「シェヘラザード様!」

「女王陛下!」

周りの女性もそれに合わせるように女王の名を叫び始める。

女性の支持者が多いように感じた。男性の声はあまり聞こえない。

はっきりと見えたシェヘラザード女王の姿は美しいものだった。思っていたよりも若く、18歳程だろうか。こげ茶色の髪を高く結い上げ大輪の白い花で飾られている。その美しい曲線を描く体を深紅の被服で包んでいた。彼女は国民に手を振り、笑顔を浮かべている。

隣に座っている男性がグラヴェニア国の第二王子だろう。金色の髪が煌めき、ブルーの瞳は海を思わせる。どこからどう見ても西洋の王子のイメージそのものである。彼が未来の王配になるのだ。

ふと思った。両国の関係を崩壊させるならば、女王ではなく婚約者の方を狙う方が火種になるような。

この国の責任になるように仕向けるのだ。ジーンは女王が大変な事になるとは言ったが、殺されるとは言っていなかった。考え過ぎだろうか。


 馬車がちょうどルフ彫刻の周りをまわろうとした時、馬車の近くを並走していた武官が突然剣を抜き放ち女王の方に振り下ろそうとした。女王を庇うように第二王子が彼女を抱きしめる。広場が騒然となり、他の武官たちが剣を抜いた武官を取り囲み押えた。馬車はその場で止まり、シェヘラザード女王が青ざめている。

サージェを見上げると、彼は眉間に皺を寄せ状況を見守っている。訝し気な表情の彼は高い建物や周りの様子を警戒しはじめたように見える。サージェ越しに、キラリと光る物が見えた。ちょうど広場を見下ろすような位置に浮かぶ雲を見つける。どことなく光って見える気がするが何なのだろうか。他の雲は光っていない為不思議だ、光の加減だろうか。しかし違和感を感じる。

「サージェ…雲って光るものですか?」

この世界では雲は光るものだろうか。

私の指し示す方向を見たサージェが顔色を変える。

「リツ、ここから動かないように!」

そう言ってサージェが地面を蹴った。風の音を響かせ上空へ飛んでいく彼は途中で青白い光を展開した。以前街中で、治安維持隊を呼ぶ際に使った円の形をした光が甲高い音を響かせながら広がっていく。地上にいた武官たちが気づき、空に飛んでいく。雲から人影が飛びだしてきたのが見えた。

上空で魔法を使った戦いが繰り広げられている。遠すぎて良く見えない為サージェが心配だ。

女王と王子を乗せた馬車は宮殿の敷地へ入って行った。本当はまだ通っていない道があったようだが、このような事件があっては続けられまい。最高権力者暗殺は免れたが、もやもやと不安の残る祭典になった。


 事態が収束しサージェから話を聞いた。地上で剣を抜いた武官がおとりで、上空の人物が暗殺者だったようだ。武官の方は何者かに操られており、記憶が無かったという。暗殺者は金で雇われた男で、上空から魔法で狙撃しようとしたらしい。雇い主を直接は知らなかったそうだ。背後にいるのはサルディア国だと思われるが、それを裏付ける証拠は何一つ出てこなかった。女王反対派も国内にいるため、そちらの線も洗い直すらしい。

「休みを取った筈なのに、すまなかったな」

「緊急のお仕事ですし、気にしないで下さい」

サージェにデートの途中で二度も離れた事を謝罪されたが、緊急事態なので仕方があるまい。

彼に手を引かれ人々の合間を縫うように進む。パレードが終わった為閉まっていた店が開いているところもあった。今日は色々な事が一遍に起こって、疲れてしまった。ぐったりした私の様子を見たサージェは早めに帰ろうと提案してくれた。優しさがありがたい。

家まで送り届けられた私はパルマとアラムが帰って来る前に、眠ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る