第34話 神殿

 祭典当日、朝から手紙が飛んでくる。開けっ放しの窓の隙間を通り抜け見事に頭の上へ着地した。

差出人部分にサージェ・アル=イルハームと文字が躍っている。身支度を終えてから封をそっと開ける。もしや忙しくて行けないという内容だろうか、しょんぼりしながら目を通す。

「…開封してから1800数えた後に迎えに来る?!」

どういうことだ、しかも開封したことが分かるというのは一体。あの有名なソーシャル・ネットワーキングサービスの既読表示も真っ青の代物である。ちなみに封筒も緑色のアイコンとお揃いである。

サージェが一人数を数えるシュールな光景を思い浮かべ少し笑った。

「封筒って開封すると、分かるものなの?」

朝食を食べ終わり、まったりと座っているアラムに尋ねる。

「僕は使った事はないけど、通知魔法かな?」

開封すると紙を捲ったような音が頭に響くのだそうだ。

まるで通知音である。

 それから約30分後、扉をノックする音が聞こえた。

ドキドキしながら扉へ近寄る。

「サージェ・アル=イルハームです。リツ嬢を迎えに参りました」

久しぶりに感じる心地の良い低い声に、すぐに扉を開けた。

優しい瞳が弓なりに細められ、漆黒の髪が風に揺れた。

「迎えに来て下さって、ありがとうございます」

頬が緩むのを止められない。会えただけで気持ちが明るくなる。

「久しぶりだな。中々仕事が立て込んでいて会いに行けなかった」

眉尻を下げ、困った風に苦笑する彼は手をゆっくりこちらへ差し出す。

彼の手に自分の手を乗せると優しく包み込まれた。

サージェはパルマに頭を下げる。

「行ってらっしゃい、リツ」

「行ってきます」

楽し気なパルマとアラムの声に見送られ、私は家を後にした。

二人も後から一緒にパレードを見に出掛けるらしいので、もしかしたら何処かで会うかもしれない。

普段よりも明らかに人出が多い。グラヴェニア人らしき西洋風の服装の人間も多く見られた。

道の幅を確保するためか露店は少ない。せっかく人が多いのだから店を開けば儲かるのではなかろうか。勿体ないと思ってしまうのはどうやらアブダッドの思考がうつっているようだ。

「まだ女王は宮殿だ。先に神殿へ案内しよう」

「神殿の見学、楽しみです」

さすが国に仕える文官、詳しい情報を知っている様子に一人納得する。

人にぶつかりそうになる前に優しく手を引いて回避してくれる彼を、改めて好きだなと実感する。

好きだと言ってしまいたい気持ちと、今の心地よい関係が壊れるのを恐れる気持ちがせめぎ合う。

西の通りの途中、オープンテラスで菓子や紅茶を売り捌いているアブダッドの姿が、大勢の人の頭越しにちらりと見えた。良く売れているようで何よりである。自分の絵はここからでは見えなかったが、恐らく菓子の前に置いてくれているのだろう。

広場へ出ると、人が更に増えルフ像が人の波の上に立っているように見える程だった。

宮殿の敷地内に神殿はあり、宮殿から見て南東に位置するらしい。人々が左側に寄っていくのが見える。

入り口があるのだろう。

「凄い人ですね、」

こんなに人がいたのかと驚く私にサージェが笑う。

「仕事が休みの者も多くいるからだろう、私もそのうちの一人だ。本当は公休日ではないが、今日の為に休みをもぎ取って来た」

「一緒に過ごせて嬉しいです。でもお疲れではないですか?」

仕事が忙しく疲れが溜まっているだろうに、貴重な休日を私と過ごしてくれる事は嬉しいが家でゆっくり休みたいのではなかろうか。

「リツと過ごすのに疲労など感じない」

恥ずかしげもなくこのような事を言うのでどう反応して良いか分からない。

照れた顔を隠すように俯く。友人に対してこのセリフ。もしも交際する事が出来たのならばこれ以上の甘さを含むようになるのだろうか、羞恥心で死ぬかもしれない。

それにしても熱い。太陽が照りつけ、容赦なく気温が上がっていく。

のろのろと人の塊が進むのについて行く。密集している為熱気が逃げてくれない。少しふらりとし、熱中症にならないか心配である。

すぅっと涼しい風が私の頭上から流れ、首筋をひんやりと掠める。

不思議に思い見上げればサージェが指をくるくると小さく回し、その指の動きに合わせ細かな青白い光の粒が舞っている。

「暑いからな、少し涼しくなるように」

サージェの魔法のようである。私の様子に気づいたのか、細やかな気遣いに感動した。

クーラー並みの冷気が私とサージェを包み込む。

「ありがとうございます、凄く快適です」

「倒れたら大変だからな」

 ようやく宮殿の門まで辿り着いた。頑丈そうな鉄の門越しに中を覗く。宮殿の敷地内にはたくさんの武官が並んでおり、遠くから見ると一本の黒い線のように見える。重々しい空気が漂う。

「警備大変そうですね」

「宮殿の敷地だからな、これでも足りないくらいだ」

今日はパレードの方に人員を割いているらしい。

入り口で荷物検査を行われた。金色の丸い板を差し出される。淵に美しい彫刻が施されている。

「こちらに指を触れるように」

武官に促され恐る恐る触るが、冷たさを感じるだけで特に何事もなく終わる。

何なのだろうか。武官がサージェにも促す。

サージェの指先が触れた瞬間、板から眩い青白い光が溢れる。

「身分証をご提示ください」

無言でサージェが自身の左手の甲を相手に見せる。薄っすらとその上に光の文様が見えた。

武官の目が少し見開かれ、サージェに向かって頭を下げた。

「失礼いたしました。お通り下さい」

無事に通されたが首を傾げる。

「先程触れた板は何だったのですか?」

「あれは魔力の有無を調べる道具で、魔力を感知した場合のみ身分証を見せる決まりになっている」

身分証が無い場合はその場で取り押さえられるらしい。

「悪い人はこっそり、入り込むのでは?」

「魔力が無ければ見えないと思うが、敷地を覆うように結界を張ってある。害意のある者は入れまい」

空を見上げるが、何も見えない。青く澄み渡る空がただ広がるだけである。

サージェと同じ世界が見えない事に寂しさを覚えた。

「私も見えれば良かったのに…」

ぽつりとつぶやいた声は空気に溶けた。

 宮殿の南東へ向かう。整えられた花壇や木が均等に並んでいる。

ブーゲンビリアに似た赤紫色の花が風を受けて揺れていた。

道に沿って武官が並び目を光らせているため、景色を楽しもうにも窮屈な印象を受ける。

やがて宮殿とは異なる建物が姿を現した。

青空を背景に白く輝く神殿は美しい。インドの世界遺産、タージ・マハルを連想する作りである。中央の大きなドーム状の屋根は美しい曲線を描き、小さな屋根やその周りの塔は左右対称に配置されている。

いくつもの尖頭アーチが並び、そこはバルコニーになっているようだ。建物へ至るまでに広がる広場もまた美しい。中央に噴水が配置され、真っ白な石畳は陽光を弾き、滑らかに輝く。人が居なければ神殿が逆さまに映って見えるであろう、その様はきっと神秘的に違いない。混雑しているのが非常に残念である。

建物に近づくにつれ、ただの白い建物ではない事が分かる。

白い壁や屋根に青と金の文字らしき曲線が刻まれている。知らない文字だ。

「何て読むのでしょう?」

「これは古代アグダン文字だ。残念ながら私は読むことができない。王族だけが読める文字だ」

そう言いながら、サージェは壁に優しく触れる。

「亡き祖母が読んでくれた、建国した時代からの歴代の王の名が彫られているらしい。正面の入り口に彫られているのが"初代王マリク・アブドゥルアサルマーン・イズル=サベルナーここに眠る、その命は永久なりて国を導く"と書いてあるそうだ」

今、聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。祖母が読んでくれたとは、つまりその方は王族だったという事ではなかろうか。嫌な汗が背中を伝う。聞きたくないが確認せねばなるまい。

「あの…サージェ?」

「なんだ?」

「聞き間違えや、勘違いだと…思いたいのですが。サージェのお婆様は…」

言いたいことが分かったのだろう、にっこりと美しい笑みが浮かぶ。

「祖母は元王族で降嫁された。ただ王族と言っても王の従妹筋だからさほど気にしなくても良い」

気にする気にしないのレベルを超えている。道理で入り口の武官が頭を下げるわけである。

イルハーム家はとんでもない血筋の貴族だった。

思わず頭を抱える。そんな相手に懸想していたなんて。

サージェが青ざめる私を道の脇に連れて行き、焦ったように耳元で囁く。

「王位継承権は幼い頃に既に棄権している。それに全ての貴族の家に多かれ少なかれ王族の血は入っている。イデアの母親も王族だ。パルマ殿の血筋も遡れば王族の血が入っている。つまりその彼女の養子になったリツの身分も申し分ない。君は私と居ても問題ないわけだ。分かってくれるな?私から離れていかないな?」

パルマは平民になったと言っていたが、その身分は貴族のままだったのか。頭痛がする。

「なんてこった…」

「離れて行かないと言ってくれないと、私は何をするか分からない」

表情の無いサージェの顔を見て無言になる。瞳の奥に黒いものが蠢いて見えるのは気のせいだと思いたい。背中がゾクゾクと震える。引きつった笑みを浮かべ、小さく何度も頷いた。

「は、離れません」

爽やかな笑みを浮かべる彼に少し恐怖を覚えた。


 手を引かれ建物の中に入ると、窓から光のベールが降り注ぎホールの中央に立っている像を照らしていた。頭は鳥を象っており、体は人間の女性のものだ。ルフ神の女神像らしい。その胸には赤いガラス球が嵌め込まれている。右手の甲には黄色い球、左手の甲にはぽっかりと穴が開いていた。見覚えのある球体に震えが止まらない。あぁ、誰か違うと言って欲しい。

「サージェ、あのガラス玉は?」

「あれは建国の際から伝わる宝玉だ。左手の紫色は何者かに盗まれたようで、失ってしまった。今は代わりのものを職人が作っているそうだ」

その昔、神より賜った宝玉だという。知りたくなかった事実。

あのガラス球によってこちらの世界に飛ばされたのだろうか。

私は日本へ帰る事ができるのだろうか___ふと気づいてしまった。落ち込むようで落ち込め切れていない。以前よりも日本へ帰りたいという気持ちが小さくなっている事に。そんな自分にショックを受ける。こちらの生活がいつの間にか楽しく、かけがえのないものになっている。

両親や兄、友人の顔が頭をよぎるが、どうした事だろう。彼らの顔が霞がかったようにぼんやりとしか浮かんでこない。呆然とする。

武官に混じって一人の文官らしき男がサージェに声をかけている。

結界が、とぼそぼそ話す声はよく聞こえない。

「すまないリツ、少しここで待っていてほしい。すぐ戻る」

「分かりました」

ぼんやりと働かない頭のまま頷く。

独りになり、ルフ神の像に近づく。

何故、家族や友人の顔を思い出せないのでしょうか。こんなにも私は薄情だったのですか。

「ねぇ、何で?」

人々の声の中にぽつりと呟いた声は消えていった。

ルフの女神は何も答えない。

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