第32話 並ぶ色

「来月祭りがある。一緒に行かないか?」

「お祭りですか?」

「女王陛下の婚約を祝う祭りだ。女王の婚約者と隊列を組んで街を移動するそうだ」

つまりパレードがあるらしい。婚約者はグラヴェニア国の第二王子だという。

「神殿も一般公開される。美しい建物だ」

アラムの言葉を思い出す。彼は神殿から日本へ飛ばされたと聞いた。

何か手がかりがあるかもしれない。笑顔を浮かべ頷く。

「はい、ご一緒させて頂きます」

 この部屋は最初に入った広間の正面の部屋だったようだ。

かちゃりと扉を開け、広間を出る。

回廊から見上げた空はどんよりと重く、今にも雨が降り出しそうだ。

西側のイーワーンの下でサージェが立ち止まる。どうしたのだろうかと彼を窺う。

「忘れていた」

「何をです?」

サージェは微笑み、後ろを振り返る。そこにはいつの間にか使用人の男性が立っていた。

「じい、部屋に忘れてきた」

「お持ちいたします」

じいと呼ばれた年老いた使用人は頭を下げ元来た道を歩いてゆく。

「少しここで待っていよう」

もしや私のストールだろうか。そういえば預けたままだった。

程なくして使用人が戻ってくる。手にはストールと、麻袋を持っている。

ストールを受け取った彼は私の肩にふわりと掛ける。

「さて、行くか」

再びゆっくりと回廊を進み始めた。

「とても広いから、お掃除大変そうですね」

ふと思った事が口から洩れた。

「使用人の中に魔法が得意な者がいるので助かっている。風や水を使って汚れを落とすのが得意だ」

「魔法は便利ですね」

「色んな魔法がある。興味があるか?魔法書ならたくさんある」

興味はあるが、私に魔法は使えない。

「読むだけでも楽しいぞ。今度また家に来た際に見せよう」

「ありがとうございます」

いつの間にかまた招待される流れになっている。

嬉しいが、今度は絶対に寝まいと決意した。

 門の前で別れるつもりだったが、危ないからと送ってくれる事になった。

毎度申し訳ない。敷地内から出て、高級住宅街を歩いているうちに雨がぽつぽつ降ってきた。

「もう少し私の方へ寄れるか?」

サージェの言葉に従い一歩近づくと、彼はマントの片側で私の体を包み込むようにしてかぶせた。

密着している状態が非常に恥ずかしい。

「濡れてしまうからな」

「ありがとうございます」

広場に出た頃、更に雨脚が強くなった。私はストールを肩から外しサージェの頭にかぶせる。

道行く人が走りながら通り過ぎる。

「リツも被ると良い」

ストールを広げ二人で被る。生地が分厚い為、何とか雨は防げている。

「意外と降るものなんですね」

「滅多にないが、今日は元々天気が悪かったな」

サージェがスッと人差し指を動かし、くるくると回す。

「何をしているのですか?」

「水除の魔法だ。少々雨脚が強いのでな、染みない為に」

やはり魔法は便利である。

魔法が使えたら、きっと楽しいのだろう。

市場は店が畳まれ、人もまばらだ。子供が雨に濡れながら走っており、母親らしき女性に怒られていた。

水たまりがポツポツできている。

平民の住宅街に入ると、人通りがほとんど無くなった。

空は藍色が濃くなり、もう間もなく夜になろうとしている。

家の前でサージェが立ち止まる。

彼の顔を見上げ笑顔を向ける。

「サージェ、今日はありがとうございました。色々お話出来て、楽しかったです」

「私も楽しかった。これはリツへの贈り物だ」

大きな麻袋を手渡される。屋敷で使用人が持ってきた袋である。

ご馳走になった上に、プレゼントまで。

「私は何も差し上げられる物もないですし」

「私が贈りたいだけだ。受け取って欲しい」

焦って断ったのだが、サージェの押しに負けてしまった。

「あ、これは使って下さい、濡れてしまいますから」

返されたストールを差し出す。家はもう目の前である為必要ない。

「では、また店に行った際に返そう」

ストールを被ってサージェは帰って行った。

「ただいま」

「お帰りなさい。雨凄かったでしょう?」

パルマが布を片手に出迎えてくれた。

頭を優しく拭かれる。

「送ってもらったから、そこまで濡れてないよ」

「さすが、紳士だわ」

軽やかに笑いパルマは台所へ向かった。

「リツお帰り。逢引どうだった?」

にやにや笑いながらアラムが走ってくる。

「楽しかったよ、何かまた貰ってしまったの」

麻袋を持ち上げて見せる。これ以上貰うと本当に返せなくなってしまうと苦笑した。

後で見ようと麻袋は壁際に置いておく。

 食後にいそいそと麻袋を広げる。

木箱が入っており、カチャリと金具を外し開けて見た。

「うそでしょ…」

そこには高価で手が出せなかった品が入っていた。

手のひらサイズの瓶に十二色の顔料がグラデーションのように並ぶ。

瓶を傾けると、鮮やかな粉がサラサラと中で動いた。

大小二本の筆と膠液らしきものも大きな瓶に入っており、水さじ、小皿まで5枚もついている。

岩絵具の要領で溶けば使えるのだろう。とんでもない一式を貰ってしまった。

アラムが後ろから覗き込んできた。

「アラム…もしかして、あなた何か言った?」

「…あはは、リツの欲しがってるもの聞かれたから」

「もうお返しできる域を超えているわ…」

こんなに高価な物を貰ってしまい、私にどうしろと言うのだろうか。

がくりと項垂れる。貴族って怖い。

「まぁ、くれたんだから使えば良いと思う!」

にこやかに言ってアラムは逃げた。




 昨日と打って変わって晴天である。真っ青な空が広がり強い日差しが照り付け、地面はあっという間に乾いてしまった。窓を大きく開け放ち外の空気を取り入れる。パルマが洗濯物を干すのを手伝い、三人で食事を囲んだ。

「今日も稽古行ってくるね!」

アラムが元気よく剣の稽古へ出かけて行った。

元気よく飛び出した背中をパルマが眩しげに見る。

パルマは今日は遅出らしい。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

乾いた空気を一気に吸い込む。市場を抜け、店の立ち並ぶ地区に向かう。

太陽が眩しく目を細める。

カフワの前でアブダッドと見知らぬ男性が喋っていた。

「それでは、宜しく」

丁度話が終わったようで、男性とすれ違う。

「おはようございます、店長」

「ああ、おはよう」

彼の持つ紙に目が吸い寄せられる。白い紙に青い文字が並んでいる。

下の方にサインらしきものが書かれていた。

「どうやら来月、営業してはいけない日があるらしい。首都商人連合会から指示が出ている」

ぴらりと紙を振りながらアブダッドは顔をしかめる。

理由は教えてもらえなかったそうだ。

「その間の収入どうしろってんだ…」

「何なのでしょうね?」

「理由は会長しか知らないらしい」

頭をガリガリと掻きむしりため息をつくアブダッドの背中はどんよりと沈んで見えた。

来月は丁度繁忙期と重なるのだ無理もない。

私にできる事は、営業中にしっかりと働く事だけである。

カフワの扉を大きく開ける。今日も気合を入れていこう。

一歩中に踏み出した時、後ろからジーンが飛び込んできた。

「おはよー、昨日常連客と一緒に歩いてるの見たよ」

「おはようございます。見てたんですか、気付かなかったです」

「ずるーい、俺とも逢引してほしいな」

「はいはい、ジーンさんもこの間女性と、歩いてるの見ましたよ」

軽い口調でケラケラ笑うジーンを更衣室へ押し込んだ。

女性と歩いていたのは見てはいないが、貴族の女性に誘いを受けていたのを見ているのであながち嘘を言ってはいないと思う。気づかなかったー、という扉越しのジーンの声がその証拠である。

私もジーンと入れ替わりで手早く着替える。

いつも通り念入りに掃除をし、正午を待つ。

 カランカランとベルが鳴り、珍しい事にイデアとサージェが二人で姿を現した。

美男二人同時の登場に女性客の視線がギラギラと光る。

「いらっしゃいませ、席へご案内いたします」

「今日は窓際ではなく、本棚の近くが良い」

サージェが珍しく座席の指定をした。あそこは窓から遠く客寄せには不向きなのだが。

仕方ない要望にはお応えせねば。

「畏まりました」

窓からの日差しが今日は一段と熱いのでそれが理由かもしれない。

注文を取り下がる際にサージェに頭を下げる。

「ご過分なお品をお贈りいただき…恐縮しております」

思わず、ずいぶんと固い口調になってしまった。

「私が贈りたかっただけだ。今度何か描いたら見せて欲しい」

「はい。拙いものですが、その際は」

頭を深く下げ厨房へ戻る。

いつかお礼を返せれば良いのだけれど…ジャマールにオーダーを伝えながらため息をついた。

 ふとサージェの顔を見て思い出した。来月といえばパレードが行われるではないか。

もしかしたら店の前の通りも行進ルートになっているのかもしれない。警備上の都合で道に人が増え過ぎないようにと考えたのではなかろうか。恐らく大勢の人が押し寄せるだろう。

ケネディ大統領のように、どこからか撃たれる可能性もなくはない。最も銃器がこの世界にあるのかどうかは知らないが、魔法も存在する為警備は大変そうである。

この店は二階もあるのでその対象になってしまったのかもしれない。上から狙われたら防ぎきれまい。

国のトップの暗殺など、考えすぎかもしれないが。



 何も予定のない休日が訪れた。サージェは多忙らしく店には訪れるが紅茶を飲んですぐに帰ってしまうパターンが多くなった。返してもらったストールを眺めてため息をつく。こちらから誘いたくても誘う勇気がない。

シャヌへの手紙の返事を書き終え、静かな家の中を見渡した。窓から入り込む朝日が眩しい。アラムは剣の稽古に出かけ、パルマは黙々と刺繍をしている。窓際の彼女に光のベールが降り注ぐ光景に絵を描きたい強い衝動に駆られた。

しかし、紙が無い。パルマに一言声をかけ、居てもたってもいられずに私は文具店に走った。

無意識に早足になり、人々の合間を縫うように抜けていく。

手元に画材がある事がこんなにも幸せだとは。心の底からサージェに感謝した。

以前彼と一緒に訪れた文具店に足を踏み入れる。

高く積みあがった紙の束へ迷うことなく一直線に進む。

紐でくくられた紙は50枚ほどの厚みがあるだろうか。金額はそこそこ高いが、他に種類は無く即決した。鉛筆が無かった為、細い木炭も手に入れる。紙を胸に抱え元来た道を戻る。

青空を背景にイスラーム建築の街並みが、道行く人々が、露店の商品すらも眩しく輝いて見える。

こんなにも描きたい物がたくさんあったのだ。心が叫びたがっている。口角が上がるのを止められない。

私は子供に混じって走った。

 家の前で息を整え静かに入る。パルマはまだ刺繍を続けていた。光のベールもまだ彼女に注いでいる。

買ったばかりの木炭を使い、一心不乱にパルマの姿を描いていく。

顔料を溶き必要な色を作り、色を乗せていく。久々の感覚に気持ちが高揚する。

光のベールがパルマの美しい茶色い髪を艶やかに照らし、伏せた長い睫毛はその深緑色の美しい瞳を覆う。ふっくらとした桜色の唇。次々と色を乗せる度に歓喜の波が押し寄せる。

延々と刺繍をするパルマと延々と絵を描く私。

それは部屋の中が茜色に変わるまで続いた。

ふっと息を吐き目を閉じる。描き終えた達成感に口元が綻ぶ。

カラフルに染まった手を洗い、道具を片付ける。絵は机の上に置いて乾かす。

パルマはまだ刺繍をしていた。物凄い集中力である。

くすりと笑い夕食の下準備をはじめた。

しばらくしてパルマが刺繍の手を止め私と並んだ。二人で料理をする時間が穏やかに過ぎる。

日常の一コマであるこんな休日もなんと幸せな事だろうか。

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