第31話 二人きりのお茶会
サージェに手を引かれゆっくりと回廊を進む。中庭から光が差し込み全体を明るく照らしている。柱が床に映り込み逆さの世界があるような、幻想的な白い空間が広がっていた。回廊の天井はブルーと金のモザイクの精緻な装飾が施された交差リブヴォールトが用いられている。モザイク装飾がとにかく多く、どこを見ても芸術的な建物である。ほうと感嘆のため息が漏れる。
「気に入ったか?」
サージェの瞳が楽しげに細められた。
自分が場違いなのも忘れるほどに美しい建物。
「とても素敵なお家ですね」
建物の入り口とちょうど反対側のイーワーンの下まで来た。このドーム状の天井もまた美しい装飾が施されている。奥にある扉を開けると広間があった。壁はアラベスク模様で彩られている。
ちょうど外から見えた二つ目のドーム状の屋根の真下ではなかろうか。天井がドーム状になっておりムカルナスが施されている。尖った窪みのような形が層を成して並んでいる立体的な装飾である。尖頭アーチ状の透かし掘りの装飾も並んでいる。
広間の正面と左右それぞれにまた扉があり、右へと向かった。
そこはコバルトブルーを基調とした部屋であった。全体的に爽やかな印象で、サージェの雰囲気によく似合うような気がした。壁には三弁半円型アーチが並び、その奥行きを生かし棚として活用されている。
アーチそれぞれの中に壺や、ランプ等が飾られていた。
「ここはクルアーン、食事をする間だ」
柔らかい絨毯が敷いてあり、部屋の中心に直径2m、高さ30cm程の白い石でできたローテーブルが設置されていた。植物の彫刻が施されており、美しい曲線を描いている。絨毯に食べこぼしをする心配はなさそうだ。サージェに勧められ絨毯に腰を下ろす。大きなクッションを持って使用人が入って来た。
「どうぞお使いくださいませ」
「ありがとうございます」
礼を述べると何故か不思議そうな表情をされ、何かおかしかったのだろうかと不安になった。
「菓子はタペティオにしよう」
「ありがとうございます」
すっかり自分の好きな物が知られてしまっている。
嬉しいような恥ずかしいような。
部屋に二人だけになり静かな空間に、今まで忘れていた緊張が再びやって来る。
「いつもと髪型が違うのだな、似合っている」
沈黙を破ったのはサージェである。
「ありがとうございます。パルマに結って貰いました」
褒められ頬が熱くなる。褒められ慣れていないのだ、すぐに照れる癖を直したいものである。
彼の表情がすっと真面目な物に変わり、纏う空気が硬くなる。
「以前"日本"と言ったか。リツの国について調べたのだが、そのような国は存在しなかった。アラムにも確認したのだが彼は幼なかった為によく理解していなかったようでな」
変に疑われても嫌なので正直に伝えるべきだろうか。
少し逡巡したのち口を開く。
「異なる世界から来たと、言ったら信じて頂けますか?事情聴取の時にも伝えたように、気づいたら森に居たのです」
サージェは何やら考え込んだように黙り込んだ。
「異なる世界…あの時は別の国から魔法によって飛ばされたのかと思ったのだ。アラムもそのように通訳していたが…」
サージェが押し黙る。
沈黙が痛い。違う世界などとそんな荒唐無稽な話信じて貰えないだろう。
「…しかし、グラヴェニア国ではそのような話も聞いたことがある」
「前例があるのですか!」
私以外にも同じ世界の人がいるのだろうか。
「ただ、古い文献で、それを知る人間はとうに死んでいる」
一瞬光が見えたはずの話だったが、すぐに消えてしまった。
「他に誰かに話したか?」
「信じて貰えないでしょうし、誰にも…」
アラムはきっと"日本"という地名しか理解していないのだろう。世界地図を目にする事は無かったのだろうか。返って掘り返さない方が良いかもしれない。
「この事はこれ以上広めないようにした方が良い。変に利用されてしまうかもしれない」
サージェの瞳が揺れ、私の頬に手が添えられる。
「二人だけの秘密にして欲しい」
「はい」
二人だけの秘密、何と甘美な響きであろうか。
真面目な話をしているのに何故だかふわふわとした心地になってしまう。
サージェの纏う空気がふっと柔らかくなった。
彼が二度手を叩くと扉が開き、使用人たちがティーセットを運び入れてきた。
静かな部屋に食器の微かな音が響く。
鈍い光を放つ銀製のティーポットは縦に長く、緩やかなくびれがある美しいシルエット。
持ち手のないカップは手のひらサイズで、ポットと同様に銀製のようだ。
淵に精緻な装飾が施されており、これもまた芸術的である。
コポコポと音を立て、カップに注がれる。
フルーツティーの芳醇な香りが部屋に広がった。
「では改めて、わが家へようこそ」
「ご招待頂き、ありがとうございます」
紅茶を飲み、微笑みあう。
使用人は菓子を何皿か置いて去って行った。再び二人きりになる。
タペティオの他にロクムに似た正方形の菓子も盛りつけてある。色とりどりで目にも楽しい。
木の実が入っている物を手に取る。一口サイズなのが良い。
ねっとりした歯ざわり、濃厚な甘みにうっとりとする。
「気に入ったか?」
「とても美味しいです」
「パナムンという菓子だ」
サージェは緑色のパナムンを口に放り込み微笑む。
濃厚な甘みにフルーツティー、最高のティータイムである。
他の皿にも焼き菓子が盛ってある。以前カフワで食べた事のある焼き菓子である。
「そちらはインクーリオの焼き菓子だ」
フィナンシェのような形で、中にはペースト状のインクーリオが詰まっている。
「これも美味しいです」
「以前イデアに食べさせたら、こんな甘いものは食えんと突き返された」
「それは勿体ないですね」
「全くだ、リツと共に食べるのが一番良い」
たわいもない会話をするこの時間が愛おしい。
サージェがカップを傾けるたびに銀色が鈍く光る。室内の重厚な雰囲気と彼の姿にやはり美形は絵になる。この光景を今すぐ描きたいという衝動に駆られる。
こんなに描きたくなったのは何時振りであろうか。
この気持ちを紛らわす為に口を開く。
「サージェ様はご予定が無い日は、何をして過ごされるのですか?」
サージェが茜色のパナムンを一つ摘まみ、私の口元に押し付けた。
その瞳は細められ、激烈な色気を放つ。
「敬称を付けるごとに食べさせるぞ」
からかうような笑みを浮かべ、そのまま私の口の中に菓子を押し込んだ。
「むぐ…」
強制的に口の中に入って来た菓子をかみ砕く。
先ほどのよりも濃厚な甘みを感じる。
「サージェ」
「よろしい。先ほどの問いに答えよう、本を読むか後は剣の稽古ぐらいだ」
サージェの腰に差さる剣をちらりと見る。飾りだけではなく実際に使うものだったらしい。
視線に気づいたサージェが腰から外し目の前に差し出した。
鞘全体に金の装飾が施されている。蔦のような曲線の彫刻がなされていた。所々にルビーに似た赤い石がはめ込まれている。剣の持ち手も同様の彫刻が施されていた。
サージェがゆっくりと鞘から剣を抜き放つ。その刀身は湾曲した構造になっており、日本刀とは異なり両刃であった。長さは60㎝程だろうか。
「イルハーム家で代々受け継がれる物だ」
鞘に戻し入れ、それを私の両手に優しく乗せる。
思った以上の重量感、その重さに歴史を感じた。
「大切な物ですね」
「そうだな。受け継いだ時、私は20歳だった」
何かに思いを馳せるような眼差しに胸が締め付けられた。きっと暗殺された家族の事を思い出しているのだろう。
そっと剣を返すと、彼は丁寧に腰に差しなおした。
「では私の番だ、リツは予定の無い日は何をしている?」
「手紙を書いたり、アラムと一緒に買い物に行ったり、パルマと料理をしたりしてます」
「そういえば、イデアがリツと会ったと言っていたな。アラムと買い物だったか」
パルマのデートを尾行していたとは言えず、曖昧な笑みを浮かべた。
たくさんあった菓子はだいぶ減り、フルーツティーに手を伸ばす。
カップから微かに湯気が細く立ち上って、持ち上げると湯気もついてきた。
カチャリと食器の擦れ合う音が部屋に小さく響く。
無言なのに苦にならないのは、なぜだろう。静かな空間が心地よくさえある。
お腹がいっぱいに膨れ、瞼が重い。
この屋敷に来るまでは緊張していたのに、今や眠気と闘うとは。
サージェがゆっくりと私に手を伸ばし、肩を抱き寄せられる。
彼の胸にもたれかかるようにして頭を預ける体勢になった。
「私の傍で眠るのは良いが、他の男の近くでは駄目だからな」
ぼそりと低く呟くサージェの声が遠くに聞こえる。
そのまま、とろりと微睡んだ。
ふわりと意識が浮上する。誰かの腕が腰に回っており、頭の近くから寝息が聞こえた。
状況を理解し、叫ばなかった私を褒めて欲しい。何故、私は人の家に招待されて眠りこけたのだ。
後悔が押し寄せ、彼を見上げる。
存外近いサージェの顔に心臓が激しく脈打つ。
アメジストの瞳は閉じられ、長い睫毛が良く見える。
彼の吐息が首筋にかかってくすぐったい。
ふと自分が座っている絨毯がいやに柔らかい事に疑問を抱く。
床を触ってみると、妙な弾力がある。
まるでベッドのような。その考えに至った瞬間、部屋を見渡した。
クルアーンの間ではなく、ボルドーを基調とした部屋に変わっていた。
部屋の様式は先ほどとほぼ同じで、壁には三弁半円型アーチが並び壺などが飾られている。
サージェはヘッドボードにもたれ掛かるようにして座り眠っている。
クッションが大量に置いてあり、背中は痛くない。
自分はベッドの上にいたのか。ベッドを囲うように4本の柱が立ち、布製の天井がある。
天蓋付きベッドである。この貴族め。
彼の腕が腰に回っている為身動きができない。
服に乱れた様子はない。彼が手を出すとは思ってはいないが。
これはセーフなのか、アウトなのか。頭を抱える。
もぞりとサージェが身じろぎする。ゆっくりとアメジスト色が姿を現すのを静かに待った。
「寝ていたか、すまない。あのままでは体が痛くなると思ってな」
移動させてしまったと云う彼は穏やかな表情をしていた。
くしゃりと頭を撫でられ、そのまま手が下がり頬を撫でられる。
日が落ちてきたようで部屋の中にまで光が入ってこない。ベッドの脇に置いてあるランプの光のみで照らされた部屋は薄暗い。サージェの瞳が暗く揺れ、私の頬を撫で続ける。何故かその瞳から目が離せず、背中がぞくりと震えた。
「リツ、私は___」
サージェが何か言いかけ、口を噤む。
続く言葉を待つが、彼は自分の手中を見つめ何も喋らない。
サージェは手に金色の鍵を持っていた。何の鍵だろうか。
ふっと彼は肩の力を抜いた。いつもの優しい笑みを浮かべる。
「すまない、何でもない。家まで送ろう」
サージェがベッドから下り、私に向け手を差し出す。彼の手に自分の手を重ね、ベッドから下りる。
彼と手を繋ぐのに慣れてきてしまった自分が恐ろしい。
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