第28話 尾行

 特に何も予定の無い休日。居間の一角にある文机に似た、小さな机の上でシャヌに手紙を書く。

サージェへの恋心を自覚した事、気持ちを伝える事を迷っている事、頭の中を整理するように書き連ねていく。シャヌは最近貴族男性と婚約したらしい。それでしばらく首都へは来られない状態が続いている。

友人に恋人ができると会う回数が減るのは、日本でも異世界でも同じらしい。

サージェとはあの日以来会えていない。仕事が忙しいのであろう。寂しさを紛らわすために気持ちを手紙にぶつける。

ほうっとため息をつく。窓の外には爽やかな青が広がっている。便箋の上をびっちりと埋め尽くす文字はまだ乾いていないようで、光を浴びてツヤツヤと反射していた。

字は自画自賛ではあるが、かなり上達したように思える。これならば人に見られても恥ずかしくないクオリティに違いない。

ペンを置き伸びをする。指先で文字を触り、インクが乾いたことを確認してから丁寧に折り目をつける。

封筒にシャヌの名前を書き入れ封を閉じた。

「リツ、ちょっと…」

背後からアラムに小さな声で声をかけられる。

「なあに?」

「母さんがやたらお洒落して出かけるみたいで、でも行先教えてくれないんだ」

パルマの方をそっと窺う。以前私が贈った布で作られた深緑色の美しい被服を纏っている。

髪型はいつも通りハーフアップだが、見たことも無いような綺麗な髪飾りがついていた。

鳥の羽を加工したものだろうか、緑の石を囲うように青と赤の羽が配置されている。

これはデートかもしれない。そうなると相手が気になるところである。

アラムと顔を見合わせ頷き合う。やる事はただ一つ。

「パルマお出かけ?気を付けてね」

手紙を飛ばす為に一緒に玄関から出る。

「ええ、少し遅くなってしまうかもしれないの」

「大丈夫、夕食は下準備しとくよ。行ってらっしゃい!」

自然な雰囲気で見送り手紙を飛ばす。背後に目を向ければアラムの準備も整った様子である。

パルマが十分に離れた事を確認し、頷き合う。顔を隠すように布を商人風に巻き付ける。

「いざ、尾行開始!」

斯くして不審者二人組が誕生したのである。

年の離れた姉弟を装いこそこそと後を追う。

探偵になったようで少々楽しくなってきた。

パルマは広場へ向かう様子だ、待ち合わせに違いない。

広場へ出れば人がたくさんいるので、さも待ち合わせをしている風に装った。

「相手、誰だろうね」

「僕の予想だと工房長なんだけど」

「工房長…」

一度だけ会った事のある工房長の姿を思い浮かべる。

確か40代後半程に見える金髪の落ち着いた雰囲気の男性だった。

彼ならば工房を経営しているし、中々の好物件ではなかろうか。

アラムが袖を引く。

「来たかも!」

一人の男性がパルマに歩み寄る。金髪ではなく黒髪であった。

その姿に私は思わず二度見した。

「店長!?」

頬を染めるアブダッドとにこやかなパルマの姿に衝撃を受ける。

普段の野性的な印象は影を潜め、きっちりとした恰好である。

うねる髪はどうにかまとめた様で、小さく後ろで結ばれていた。

「意外だったな、あの人にそんな度胸があったなんて」

アラムが腕を組んで感心したようにつぶやく。

「店長の評価低いわね」

店長も割と好物件である。カフワのやり手経営者、しかも精悍な顔立ち。

一途にパルマを想う気持ちは皆が知っている事である。

「あ、移動するみたい。ついていこう」

建物の壁に沿いながら尾行を開始した。

一件の店の前で立ち止まり、品物を見ている二人。

「何の店かな」

「首飾りみたいだよ」

アブダッドのグイグイ迫るような姿勢に既視感を覚え、首を傾げた。

「選んでるね」

「真剣だね…あ、中に入るのかな?」

わくわくしながら観察していると後ろから険しい男の声が聞こえた。

「おい、何をしている?」

アラムと共に震えながら振り返る。

そこには眉間にしわを寄せたイデア・アリ=トゥルキスターニーが立っていた。

「なんだリツ嬢とアラムじゃないか、不審者かと思ったぞ」

「昨日ぶりです、イデア様」

昨日もカフワに来店していた彼に愛想笑いを送る。

「で、何をしていたんだ?」

「母さんの逢引を覗いてたんですよ」

アラムがしれっと答えて、イデアが頭を抱えた。

頭を抱えるのは癖なのだろうか。

「あ、移動するみたい」

「買わなかったのかな?」

「おい、続けるのか?覗き…」

呆れたイデアも何故かついてきた。

「イデア様、どうぞ、お気になさらずに」

遠回しに付き合わなくても良いと伝えたが、彼は首を横に振った。

「放っておくと他の役人に問い詰められる気がする」

「あ、説明して下さるんですね!」

嬉しそうなアラムにイデアはため息をついた。

「あ、母さんの髪に触っている!」

アブダッドがパルマの髪に飾りを付けている様子が見えた。

「店長、キザだなぁ…」

そのままさっと支払うアブダッド。パルマは申し訳なさそうにオロオロしている。

何処かで見た、また妙な既視感。

「男ってのは好きな女性に、良いところを見せたいものなんだ」

イデアがアブダッドを擁護する。きっと彼も身に覚えがあるのだろう。

「リツ嬢も身に覚え、無いか?」

イデアに問われ、首を傾げた。ふとサージェの顔が浮かぶ。

「えっと…カフワでお茶を、ご馳走になったとか、そういうのも含まれますか?あと便箋買って貰ったりとか…」

「なんだ、あるじゃないか。相手が男なら間違いなくそうだろうな」

イデアの言葉に動揺する。いや、しかし。友人と思われている場合でも似た事は起こるのではなかろうか。

「あの、相手はサージェ様なので…婚約者もいるでしょうし」

それは無いんじゃないかと続けようとしたが、イデアの表情に口を閉じた。

「まさか本気だったと…」

ぶつぶつと白い顔で何やら呟くイデアに何と声を掛ければ良いのか。

パルマ達が移動しているので、イデアの様子を気にしつつ尾行を続けた。

また別の露店に立ち寄っている。お買い物デートなのだろうか。

イデアに肩を軽く叩かれる。今いいところなのだが、と思いつつも振り返る。

「いつか耳に入ってしまうだろうから、弁明も兼ねて伝えておこう」

前置きをしてイデアは話し出した。

 12年前、サージェがまだ20歳だった頃の事。彼は財務大臣の娘と婚約していたらしい。

しかし財務大臣が賄賂を受け取り不正な取引をしていた事が発覚する。サージェは躊躇いなくそれを摘発し、関わった者を全て投獄したそうだ。結果、大臣の一族は今まで築き上げてきた地位から転落。その容赦のないやり方、全てを凍て尽くすような眼光の為彼についた異名が"氷の魔王"である。

「その異名を流したの俺なんだ、その当時はあの人が嫌いで…今は尊敬しているし後悔してる」

それで終われば良かったのだが、逆上した汚職事件の首謀者、婚約者の父親が殺し屋を雇いサージェの一族を暗殺したのだ。たった一人サージェのみが生き残った。独りになった、古き一族イルハーム家は傾き、没落の道へと向かった。彼ならば立て直す事も出来ただろうに、敢えてそうはしなかった。それ以来婚約者候補は現れなくなったそうだ。

「てなわけで、"呪われた一族"とか変な噂が耳に入る前に、伝えておこうと思ったわけだ」

イデアは私の様子を窺っているようだった。

不正を暴き、摘発しただけなのに、理不尽な結末に悲しくなる。

「逆恨みじゃないですか…」

「そ、でも世の中のお嬢さん方はそう思わない子が多い。呪いだと意味の分からない噂を信じているんだ」

イデアが明るく切り替えるように手を叩く。

「ってなわけで、婚約者はいないわけだ」

「はぁ…」

そんな重い話を聞かされた後で言われても。婚約者がいないという、知りたい情報は手に入った。しかし理由が悲しすぎる。どんよりした空気を醸し出す私にイデアは引きつった笑みを浮かべる。

「あー、俺が異名流した事、本人は知らないから秘密にしといてくれ」

ちょっと用事ができた、と言ってイデアは去って行った。

「リツ、母さんたち見失っちゃった」

アラムの声に振り返ると、二人の姿は消えていた。

店と店の間から体を乗り出す。布を売る店にも、果物を売る店にもどこにもいない。

がくりと肩を落とす。

「しまった、ついイデアさんの話に聞き入っちゃって…」

「僕たちも買い物して帰ろうか」

残念そうなアラムと一緒に店を回る。先ほどの暗い気持ちを吹き飛ばしたくて、色々な店を見て回った。

日差し除けに掛けられた布の下を歩いていく。

ある物を見つけて、一つの露店の前で足を止めた。

「絵具!」

小さな瓶にそれぞれ色が詰められた絵具らしきものだった。

筆とセットになっている物もある。

店主が出てきて愛想のよい笑いを浮かべる。

「お客さんお目が高い、それはグラヴェニア国から輸入した顔料ですよ」

やはり絵具だったようだ。値段を確認し、引きつった笑みを浮かべる。

とてもじゃないが今の自分には買える物ではない。

「リツ、それが欲しいの?絵を描くの?」

「…欲しくても買えないものは、世の中に溢れているものね…」

店主に会釈をして立ち去る。

「私は小さい頃から、絵を描いてたの」

「そうなんだ!すごいね!」

心から感動しているアラムに苦笑する。

「でもね、個性が無くて。それを仕事にする事は、あきらめちゃったの」

「どうして個性が無いとダメなの?個性っている?」

アラムの質問に、苦しんでいる自分がいることに気づく。

「仕事としてやっていくには、人と違うものが、必要だったの」

生きていくためにお金は必要だ。絵だけの力では稼ぐ事は出来まい。

けれど、どんなに生活が苦しくてもその道を歩もうとさえしなかった。その事に後悔は残っている。

「そっか…もしリツがまた絵を描くなら、僕にも見せてね!」

アラムの言葉に、私は曖昧な笑みを浮かべた。

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