第27話 絡まり空回り
その後は和やかな空気でお茶を楽しむことができた。
私も普段通りに振る舞っており、違和感はないはずだ。
不安な事は後で考えようと思う。
彼ものんびりと菓子を食べ幸せそうな様子である。
この居心地のよい空気を手放したくない。
「リツと食べると美味しい」
焼き菓子を食べながら微笑む彼は柔らかい空気を纏う。
全くこの人は、そんな勘違いしそうな事を平気で言うのだ。
困ったものである。何だか悔しくなって言い返す。
「私も…サージェと食べると、美味しいです」
イケメンとは違い勘違いさせる素質など皆無である。
もふもふと焼き菓子を頬張りながらサージェの方をちらりと窺う。
彼は菓子を咥えたまま、ほんのり頬を赤らめていた。
何やら照れている様子に、このような表情もするのだなと新たな発見に驚く。それにつられて私の方が余計に照れた。
カフワから出た私たちはゆっくりと街を歩く。太陽も傾き、真っ黒な影が長く伸びていた。
宮殿は赤く染まり、幻想的な雰囲気を醸し出している。離れがたい気持ちがじわりと滲んだ。
「また一緒にお茶をしよう」
「はい、是非また」
人がごった返す中、商人たちが店じまいを始めている。
慌てて品物を買う女性や、子供が親に菓子をねだっている。
市場を抜け、家に近づいてきた頃。
突然サージェが足を止め、私の方へ顔を近づける。
あまりの近さに思わずのけ反るのを、肩を押えられ止められた。
アメジスト色の瞳が目の前にある。
「次回会う時は、私の家に招待する」
「え?」
「リツに貰った紅茶を一緒に飲みたい」
まさかのお呼ばれである。しかし、貴族の家に呼ばれるなど、どうして良いのか分からない。
知らぬうちに失礼な事をしてしまうかもしれない。
黙り込んだのを拒否と取ったのか、サージェは更に言葉を重ねる。
「堅苦しくないようにする。そこまで大きな屋敷ではないから緊張することも無い。それに居るのは私と使用人3人程度しかいない」
使用人と聞いてやはり貴族なのだなと再認識した。
身分違いもいいところである。どんどんと気分が萎れていくのが分かる。
ふとパルマとシャヌの顔が浮かんだ。ここで下を向いてはいけない。
前を向け佐藤律、お前の長所は明るいところだ、ポジティブに考えろ。
これは絶好のチャンスではないか。婚約者がいるかどうか、家へ行けば分かるかもしれないのだ。
きっと何かしらの痕跡があるはず。
「はい…お招き頂けること、嬉しく思います」
「良かった。しばらく仕事が立て込みそうなので、日にちはまた後日」
サージェは私の頭を優しく引き寄せる。温かい空気が髪越しに感じられ、そして柔らかいものが触れた気がした。
「また会おう」
そう言って去っていく彼の背中を呆然と見つめる。今、何をされたのだろう。
じわじわと、触れられたところから熱くなっていく。
「頭に…ちゅーされた?」
一気に顔が熱くなり、天を仰ぐ。恐るべし外国人。許容量を超えた私の脳はあっけなく思考を停止した。
パルマがチラチラと私の方を見ている。
先ほどから食事をしつつも気を抜くとぼんやりとしてしまう。
アラムも口に肉を詰め込みながら私の様子を窺っている。
「リツ、もしかして何かあったのかしら?」
パルマが首を傾げる。
アラムから無言の圧力を感じる。
二人の興味津々な視線にたじろぐ。
私は思い切って聞いてみることにした。
「アグダンの男性は、よく頬に触れたり頭に…接吻したり、するものなのかな?」
パルマは無言で両手で口元を隠す。三日月型に細められた瞳が笑っていることを隠しきれていない。
アラムは瞬きの回数が多くなり、口から肉がはみ出ている。
二人とも頬が紅潮している。
アラムの肉を指で押し込みつつ、更にもごもごと続ける。
「ご自宅への招待を受けて。婚約者がいたとしたら、まずいような…」
パルマは頬に両手を添え、幸せそうな表情をし心なしか目が潤んでいるように見える。
「今は婚約者がいるとは聞いていないわ」
アラムも口の中の肉を片付けてから目を輝かす。
「サージェ様でしょ?いけ!行っちゃえリツ!」
二人で玉の輿!と叫びながら喜ぶ姿はまごうことなき親子であった。
疑問に思い首を傾げる。
アラムにはサージェの事だと伝えていないのに、なぜ知っているのだろうか。そういえば手紙のやりとりをしている様子だった。
「アラムは、サージェ様から、何か聞いているの…?」
アラムがはっと焦ったように目を逸らす。
「んんん、聞いてないよ!母さんご馳走様!明日早く出かけるからもう寝るね!」
脱兎のごとく逃げ出したアラム、彼は何か知っているのだろうか?
怪しい、湿った視線をアラムが去った方向へ向ける。
パルマは微笑みながらモルン茶を飲んでいる。
「心配だったら本人に聞いて見なさいな」
「でも面と向かって聞くのは…」
「大丈夫よ、聞いた様子だと好意を持っていそうだし」
果たしてその好意とは男女間の好意だろうか。単に友人へと向ける好意だったりしないだろうか。
思いあがっても良いのか。
「リツは色々難しく考え過ぎよ、駄目でも当たって砕けなさい」
パルマは猪突猛進、もとい情熱的である。私にもそんな勢いがあれば良いのだが、あいにく愚図なのだ。
考え込みながら寝る準備を整える。
頭が破裂しそうなので明日考えよう。今日はもうやめだ。
睡眠不足である。結局ベッドに入ってからもぐるぐると無意味に考え込んでしまい、あまり眠れなかった。目の前に浮かぶ水の塊に映る自分の顔をぼんやり眺める。瞼が重たい。眠気を消し去るように無心で顔を洗う。暗い気持ちも一緒に流してしまえ、とバシャバシャ洗い流した。
多少すっきりした気持ちで顔を上げた。
「おはようリツ、少し顔色が悪いわ。無理しないようにね」
「おはようパルマ。大丈夫少し、寝不足なだけ」
今日たくさん働けば眠気も吹き飛ぶはずだ。
目をカッと開き気合を入れる。仕事にまで持ち込んではいけない。
今日も太陽がギラギラと照り付け、眩しさに目を細めながら歩く。
仕事が終わったら早めに寝ようと決めた。明日にまで響くと面倒だ。
賑やかな市場を通り抜けもうすぐ店が見えそうな頃、前方にジャマールらしき背中が見えた。
どことなく背中から哀愁が漂っている。
「ジャマールさん、おはようございます」
「おはようリツ、今日も早いね」
振り返った彼はいつも通りの雰囲気だった。見間違いだったろうか?
「何かありました?」
気になってつい聞いてしまう。ジャマールは視線を揺らす。
「孫に臭いって言われて…」
それは心のダメージは大きいに違いない。
「お年頃の女の子、ですもんね…」
大したアドバイスも出来ないまま店へ着いた。毎日石鹸で洗えば良いのだろうが、平民の家には通常風呂は無い。公共浴場を利用するのがほとんどだ。公共浴場も無料ではないので、勧めづらい。
「まぁ、今日も稼いで公共浴場に行くよ!」
ジャマールは張り切って厨房へと入って行った。
自分も眠気と闘いながら頑張ろうと思う。
「おはようリツ、何か顔色悪いね~」
ジーンが顔を覗き込むようにして背中を丸める。顔が近いのでそっと押し返す。
「大丈夫、寝不足なだけですよ」
「無理しないようにね」
頭をくしゃりと撫でられ、昨日サージェに撫でられたのを思い出してしまった。
「あれ?何俺に触られて赤くなった?」
にやにやと笑うジーンを軽く叩く。
「違います!」
断じて君では無い。
箒や布を手に二階に駆け上がって逃げる。そのまま掃除を始めた。
色んなものを吹き飛ばすように、無心でテーブルを拭いていく。
しっとりと艶のあるテーブルには寝不足の顔が映っている。
「平凡な顔だなぁ」
絶世の美女だったら良かったのに、と無いものねだりをしながら掃除を続けた。
開店時間になってもサージェは来店しない。しばらく忙しいと聞いたがいつまでだろうか。
寂しい気持ちが煙のように胸の中で渦巻く。
ジーンがすれ違いざまにぼやく。
「リツは分かりやすいな~」
一瞬期待させておいて酷いよね~、と訳の分からない事をぶつぶつ言いながら注文を取りに行ってしまった。何が分かりやすいのだろう。
働かない頭で考える。何かまたやらかしたんだろうか。
客に呼ばれたので頭を切り替える。只でさえ寝不足で頭が回らないのだ、仕事に集中しなければ大きな失敗をしてしまう。
背筋を伸ばし微笑みを浮かべて注文を取りに向かう。
「お決まりですか?」
いつも通りに接客を行う。そう、いつも通りのつもりだった。
だが、気を付けていた筈なのに、失態をおかしてしまったのだ。
ジャマールから料理を受け取りテーブルに届ける。しかし客は首を傾げた。
「これは頼んでいないよ?」
「え?し、失礼いたしました!」
慌てて正しいテーブルに届けなおす。それが一度ならまだしも三回もやってしまった。
何てことだ、同じ過ちを三度も繰り返すなど最低だ。
頭を抱え目を瞑った。不真面目だと思われてしまうだろうか。
「リツ、ちょっと来い」
アブダッドに呼ばれ、ビクビクしながら後に続く。
「申し訳ございません、店長…」
「体調悪いならちょっと寝ていろ、俺がたまに使ってる長椅子だ」
半ば強引に寝かされ、薄い布を掛けられる。扉が閉まる音がいやに響いた。
迷惑をかけてしまった。心臓が冷たくぎゅっと握られたような心地がする。
けれど体は正直で、眠気が一気に押し寄せてくる。
恋にうつつを抜かし仕事にまで悪影響を及ぼすなど、あってはならない事だ。
あぁ、私はどうしようもない馬鹿だ。
瞼が重くなり、やがて意識も沈んでいった。
頬を誰かに撫でられている夢を見ている。
誰だかよく分からない、サージェだったら良いななんて思った。
薄っすら姿が見えた気がする、銀色の髪と青い瞳の男。
知らない人___。
そのまま私はまた微睡の中に戻っていった。
ふっと微睡の中から浮上する。目を開けると見慣れない部屋にいる。
ぼんやりと周りを見渡す。掛けられた薄い布を見て一気に覚醒した。
私は仕事中に寝ていたのだ。慌てて髪を整え、部屋から飛び出した。
窓からはまだ明るい日差しが差し込んでいる。飛び起きたせいで心臓がバクバクと音を立てているが、それを無視しアブダッドの姿を探す。
彼はちょうど注文を取り終え厨房へ向かっているところだった。
「店長すみませんでした!」
「もう大丈夫なのか?」
アブダッドは怒ることも無く、心配そうに顔を覗き込む。
「もう大丈夫です、ご迷惑おかけしました」
「顔色だいぶマシになったな、あまり無理するなよ」
「はい、ありがとうございます」
深く頭を下げる。アブダッドはにっと笑い、厨房へと向かって行った。
私も仕事をせねば。
今度こそ失敗しないようにと気合を入れて歩き出した。
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