第26話 震える

 柔らかい絨毯の上を通り過ぎ、大理石に似た石の階段を上る。また個室に案内されるらしい。壁に掛けられたランプが優しく揺れている。

前回とは違う部屋へ案内された。瑠璃色に白いアラベスク模様の絨毯。琥珀色のクッションには金糸が織り込んであるものが置いてある。どことなく前回よりも高級感がアップしているように見受けられる。

緊張で頭が回らず、紛らわすために紅茶の袋を抱きしめる。二人で静かに絨毯の上に座る。

心臓がバクバクと音を立てて、ふかふかとした絨毯の気持ち良さを感じる余裕がない。

「リツ、離れ過ぎではないか?」

不満そうなサージェとの間は1m程間隔がある。ソーシャルディスタンスは大事である。

にこりと引きつった笑みを彼に向ける。彼は私よりも更に深い笑みを浮かべた、目が笑っていないように感じるのは気のせいであろうか。獰猛な肉食獣と対峙しているようなそんな錯覚を覚える。

瞬きをした瞬間、いつの間にか彼が距離を詰めていた。彼と私の間に隙間はもう無い。

目の前に端正な顔が近づく。

「これでいい」

満足げな笑みを浮かべ、彼はメニュー表に視線を落とした。彼の体温が被服越しに感じられ、どうしようもなく叫びだしたいような気持になる。からかわれているのだろうか。酷く悔しく感じ、私は少し上にあるサージェの横顔に湿った視線を向ける。もういい、紅茶を渡してしまおう。

「サージェ様にはたくさん、お世話になっているので、そのお礼なのですが」

麻袋を差し出す。抱きしめていたせいで、少しリボンが歪んでしまっているが今更直せない。

「礼ならば今日の逢瀬で十分だが、貰っておこう。ありがとう」

サージェは微笑む。ただし、と言葉を続ける。

「敬称は不要だと伝えたはずだ」

しまった、じわりと背中に汗が流れる。またあの肉食獣のような眼光が私を射抜いていた。

先ほど広場で感じた身分の違いに、無意識に呼び方を間違えていたらしい。怒らせただろうか。

けれど仕方がないではないか、この世界には貴族、平民、奴隷という身分がある。

あぁまただ、また自分で線を引いてしまっている。これでは進めないと頭では分かっているのだ。

「ごめんなさい」

「怒っているわけではない、寂しいだけだ」

ふいと顔を背けるサージェは片手で私の頭を撫でる。彼はきっと友人として接しているのに、勘違いをしそうになる。

「サージェ…」

ぽつりと彼の名を零す。名前を呼ぶだけでこんなにも勇気が必要なのだろうか。

心臓が暴れている。サージェの手が頭の上でぴたりと静止する。

恐る恐る視線を上げると、彼は満足げな様子で私を眺めていた。

サージェの長い睫毛が頬に影を作り出し口元はゆるやかに弧を描き、その表情に息を止めて見入ってしまった。離れていく手に寂しさを覚える。

こんなにも近くにいるのに、遠い存在。

「何が食べたい?」

メニュー表を見せてくれる彼の手は、大きく男性らしい。文字を追っている振りをして彼の手を眺める。

長い指に、整えられた爪。ペンだこだろうか、指の一部に膨らみがあり、新しい発見に心が躍る。

あまり長く眺めていると不審がられるかもしれない。視線をメニューへ向けた。

今日は前もって財布の中身もきちんと確認してある。あの青い菓子を思い浮かべる。

「タペティオ、が食べたいです」

「好みが同じで嬉しいな、飲み物は?」

「モルン茶を」

ベルで店員を呼び注文する彼のゆるく三つ編みにされた黒髪を見つめる。初めて出会った時は一つに結んだだけだったような気がするが、今日は三つ編みで可愛いと思う。留め具は金だろうか、精巧な作りでランプの光を受け鈍く光っている。

視線に気づいたのかサージェは首を傾げる。慌てて言い訳のような言葉が口から飛び出た。

「三つ編み、珍しいと思って…」

「リツと会うから、気合を入れてみた」

パッと目を輝かせ、嬉しそうに三つ編みを触るサージェ。

大きな男性なのにその様子は子供のようで、なんだか可愛らしく口元が緩んだ。

男性の三つ編みはこの国のお洒落らしい。そういえば元飼い主の男も三つ編みをしていた。

ジーンやアブダッドは髪が短いので貴族のお洒落なのだろう。

ノックの音と共に店員がタペティオや他の菓子を運び込んでくる。見慣れない薄緑色の飲み物も置いてある。最後にモルン茶の入った銀製のポットとカップを置いて去って行った。

「ところで、先ほど貰った袋は開けて見ても良いだろうか?」

サージェが嬉しそうに麻袋を触っている。開けると言っても茶葉なのだが。

頷くと、彼はいそいそとリボンをほどいた。

「最近作った、フルーツティーです。家でも楽しめるように、乾燥させてあります」

生の果物は傷みやすいので、乾燥させたのだと説明する。

興味深そうに茶葉を見るサージェは嬉しそうに微笑んだ。

「まだ店でも売ってませんよ」

「良い香りがする、飲むのが楽しみだ」

喜んでくれているのだろう。その笑みは幸せそうだ。

一緒にタペティオを摘まむ。口の中でふにふにとした食感を楽しむ。

甘いものは幸せになれる。

いつの間にか緊張も何処かへ飛んでいっていた。

「アラムが行ったという未知の国、君の母国はどの様な国だ?」

興味深げに質問を投げかけられた。アラムは違う世界に行ったとは言わずに違う国と言ったのだろう。

そもそも違う世界があるなど、誰も信じまい。

少し考えて伝える。

「魔法とは違う化学というものが発達した国ですよ」

国というよりも世界だが。

「かがく…?」

「上手く言えませんが…」

前置きしてから話し出す。

この国の冷蔵庫は魔力の入った石を使って動かしているが、日本では電気によって動く。

ただ、その電気さえあれば動くわけではなく、冷蔵庫の装置が重要で、それは技術者でないと作ることは難しいとざっくりとした説明をした。他にも電車、飛行機の話もした。ただ私に伝えられるのはこんな乗り物がある、という程度ではあるが。

「なるほど、魔法具に似た道具が発達した国か」

どうにか言いたいことは伝わったように思う。

「面白いな、自分の目で見てみたいものだ」

サージェは微笑みながら薄緑色の飲み物を口にしている。

緑茶に似た色は日本人としては気になる。

私の視線に気づいたサージェは私にカップを差し出す。

「どんな味なのか、気になっただけで…苦味ありますか?」

「飲めばいい」

にこやかに差し出されたカップを見つめる。白い器に入っているため、薄緑色の液体が鮮やかに見える。

飲んで良いのかと再度確認し、口をつける。

「ん…?」

ハーブのような爽やかな風味が鼻を抜けた。

紅茶があるのでもしやと期待したが、残念ながら緑茶ではなかった。

「喉の調子が悪い時などに飲むものだ、爽やかな風味だろう?」

「調子が悪いのですか?」

風邪でも引いているのだろうか?だとしたら今日は早めに切り上げたほうが良いのではと思い、サージェの額に手を当てた。自分の額にも反対の手を当てるが、あまり差はないように感じる。

「熱はありませんね?」

ぽかんとした様子のサージェの表情に我に返る。無意識にイケメンのおでこを触ってしまった。

「ごめんなさい、熱を測るとき、額を触る習慣が!」

勢いよく後退し壁にぴたりと背中をつける。心臓がドッドッと激しく暴れている。近くにあったクッションを抱え込み気持ちを落ち着けようとするが一向に静まらない。

未だかつてない程顔に熱が集まり、きっと恐ろしく真っ赤になっているであろう事が想像できた。

穴があったら入りたいものである。

サージェがゆっくりと立ち上がり、こちらへ近づいてくる。

彼は壁に片手をつき、目線の高さを合わせるように背中を丸めた。もう片手が私の方へ伸びる。

「人の体温とは存外心地良いものだな」

彼の長い指が頬に触れ、そのままふにふにと揉まれた。

スキンシップが過剰ではなかろうか。私の心臓が止まる前に全力で逃げ出したい。

「やめへくらはい」

「熱は無いし、心配されるほど不調でもない」

元気ならば構わないが、そろそろ離れて欲しい。

覆いかぶされているような体勢の為か、鳥籠での事が思い出されるのだ。

彼の顔とジルバーノの顔が重なって見え、体を竦ませる。自分を見下ろす瞳が細められた時に、その瞳の奥にほの暗いものが見えた気がして背中が震えた。いや、大丈夫だサージェは監禁などしない。

鳥籠の出来事がトラウマになっているだけだ__。

震える手でそっと彼を押し返す。

私は笑えているだろうか。好きな相手にすら恐怖を感じるとは思わなかった。

震えが伝わってしまったのだろう、サージェが眉尻を下げる。

「すまない、怖がらせたな」

頭をくしゃりと撫でられ、彼は少し離れて座った。

「少し、驚いただけですから…」

大丈夫だと伝え、お茶を口に含む。取り合えず落ち着こう。

距離感が異常である、そもそも我々は交際しているわけではないのだ。

彼は友人との距離感が分かっていないだけに違いない。

ふと気づく。貴族と言えば婚約者がいるのではなかろうか。

よく映画や小説等ではそういった存在が描かれている。

私の存在は婚約者にとっては邪魔になり得るのではないか。

不安な気持ちがじわりと溢れる。

パルマに背を押され前へ進むと決めたが、自分がどうしたいのかが分からなくなった。

サージェへの恋心は認めよう。私は彼の事が異性として好きなのだ。

そしてその先は?彼に気持ちを伝えるのか。

婚約者がいるのならばそれは迷惑になるに違いない。そこまでして自分の気持ちを伝えるべきなのか。

友人としての立場の方が、長く一緒にいられるのではないだろうか。

ぐちゃぐちゃに思考が絡まり、がんじがらめになる。

「リツ、怒っているのか?」

不安げなサージェの声に顔を上げる。

黙り込んでいたためにそう見えたのかもしれない。

怒っているのではなく、不安なのだと伝えられたらどんなに楽だろう。

けれどそれすらも邪魔になってしまうのではと、怖くて言えない。私は臆病者だ。

微笑み、首を振る。

「怒っていませんよ、お菓子食べましょう」

重い空気を消すように明るく振る舞う。今はまだこのままで。

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