第29話 惚れた腫れた

 朝日が窓から差し込み机の上を優しく照らしている。その上には昨日の夜に届いた手紙が置いてあった。可愛らしいオレンジ色の封筒にシャヌの名前が躍っている。いつもよりも厚みがあるようだ。

丁寧に封を開け、便箋を取り出す。一緒にハンカチーフが入っていた。彼女が施したのであろう、可愛らしい蝶の模様が細かく刺繍されていた。その完成度の高さにまじまじと見つめた。

***

親愛なるリツへ

やっと自覚したのね!

てっきり私がルフ神のお膝元に行く頃まで、気付かないのではと冷や冷やしていたわ。

本当に良かったと言いたいところだけど、好きだとはまだ言っていないのね。

リツの話を聞いただけでも十分に勝算はあるわ!

彼も絶対にあなたの事が好きだもの。

全財産賭けてもいいわ。(大してないのだけど)

リツはのほほんとしていて雰囲気がたまらなく癒されるのよ。守ってあげたくなるようなそんな感じなの。

見た目だって可愛いのだから自信を持って!小動物みたいで餌付けしたくなる可愛さよ。

背は小さいのに胸は大きいし。(本当に羨ましいわ)

私に胸を分けて欲しいものだわ、本当に。

刺繍が上手くいったから一緒に送るわ。使ってちょうだいね。

私の婚約者は何だか束縛が凄いの。閉じ込められそうな気がして正直怖いわ!

手紙の中身を見られそうになるのよ。上手くやっていけるのか今から不安。

アグダン国の典型的な男性って感じよ。

嫌だったらハッキリ嫌と言わないと、とんでもない事になるからリツも気を付けてね!

サージェ・アル=イルハーム様は大丈夫そうだけど。

噂を聞く限りだと冷静な文官とか、無口な文官だとか、仕事一直線らしいから。

変な噂もあって、心配だったからイデア様に手紙で質問したのよ。

それは嘘だって返事の手紙が来たわ。だから変な男の人じゃないのは確かだから安心よ。

また会いに行ける日があったら直ぐに行きます。

シャヌ=ラムールより

***

コミカルな雰囲気の手紙に少し笑ってしまった。

彼女の彼氏は束縛系なのか…面倒くさそうである。

この国の男性の典型的、の部分に恐怖を感じるが見なかった事にしたい。

全ての男性がそういう性格でもあるまい。

イデア様とシャヌが文通していた事に驚いた。私の為に質問までしてくれたのか。

勝算があると書かれているが、私にはよく分からない。

嫌われてはいないのだろうが、友人としてだろうし。自惚れるのは危険である。

便箋を丁寧に封筒に戻し、机の上に置いておく。また後で返事を書こう。

後ろから足音が聞こえた。

「おはようリツ、今日も早いわね」

「おはようパルマ、今日は少し早めに目が覚めたの」

パルマのデートの事は本人に何も聞いていない。アラムと相談して何も言わない事にした。

本人が行先を言わなかったのだ。隠しておきたい事なのかもしれない。

尾行してから5日が経ったが、彼女は特に何も言わない。

アラムの手前言いづらいのだろうか。

昨日買っておいた、フォーナムの生地に肉と野菜を挟む。

生地だけが売られていたので、朝楽をしようと買っておいたものだ。

あの出店で食べた味とは少し違うが、こちらも家庭の味がして美味しい。

「ふふ、出店で食べているみたいで楽しいわね」

パルマからも好評だ。たまにはこんなお手軽な食事も良いものだ。

アラムは今日、パルマの知り合いの武官に剣術を教えてもらいに行くらしい。

「怪我しないように気を付けてね」

子供が剣を扱うのだ、私としては信じられない。

「リツは心配しすぎだよ、貴族なんて6歳から剣を握るんだよ。遅いくらいだって」

アラムは稽古がよほど楽しみなのだろう、表情が明るい。

こちらの常識だとしても刃物は怖い。男性は平民でも腰に大小様々な剣をぶら下げている。

それも初めて見た時にショックを受けたものである。

さすがにカフワの従業員は仕事中には外していたが。

それでもたまに店長だけは差しっぱなしにしている事がある。



 カフワの二階を掃除し、艶々になったテーブルたちを満足げに眺める。

植物への水やりも忘れない。今日は階段の手摺まで拭き上げ、完璧である。

元々全力で取り組んでいたが、あの失態からもう二度と気を抜くまいと業務に邁進しております。

額の汗を拭い、掃除道具を片付けた。

カランカランとベルが乾いた音を立て、店の扉が開く。残念ながらサージェでは無かった。

いつ来店するのだろうと毎日そわそわしている。

内心がっかりしながら客を案内する。もちろん表情には出すまい。

「ご注文がお決まりになる頃、また参ります」

「注文、いいかしら?」

別の客に呼ばれそちらへ向かう。

今日もカフワは大盛況だ。ジーンが珍しく休みの為ホールは私とアブダッドで回している。

繁忙期もまた来るので従業員を増やすらしいと聞いたがいつ入れるのだろうか。

後輩が入るのはドキドキしてしまう。

「手土産用の紅茶があると聞いたのだけど?一つお願いできるかしら」

「お帰りの際に、ご用意致します」

手土産用の茶葉はアブダッドの選んだ深緑色のリボンが結ばれている。

麻袋の色にも合い、可愛らしい見た目に女性客からも人気だ。

大量に用意しているが、それでも稀に売り切れる時がある。

夕日が差し込み店内が赤く染まり始めた頃、カランカランとベルが鳴り扉の方を振り返る。

その瞬間心臓が飛び跳ねた。

心待ちにしていた、サージェ・アル=イルハームが微笑みながら立っていたのだ。

頬がじわりと赤くなる。

「いらっしゃいませ、珍しい時間帯のご来店ですね」

「急ぎの仕事は今日までだったからな、明日からまた来られる」

「そうでしたか、お疲れ様です。ご案内いたします」

いつもの席が埋まっていたので、壁際の本棚に近い席に案内した。

ほの暗い空間に、ランプの光が揺れるたび本の背表紙に書かれた文字が輝き幻想的な空間を演出している。本棚を背景にソファに座る彼はとても絵になっていた。

「モルドの葉の包み焼とブージの卵和え、あとフルーツティーを」

「フルーツティーは、食後でしたね?」

「ああ、そうしてくれ」

「ではまた参ります」

頭を下げ立ち去る。ステップでも踏みそうなほど心が弾んでいる。

緩む口元を押え、業務に戻った。

15分程経ったであろうか、ジャマールに料理を渡される。

「ほら、リツのお気に入りの人の分だよ!」

「ほぉ、やっぱりあの色男に渡したんだろう?紅茶」

茶化してくる二人組に背を向け逃げる。

敵前逃亡だろうが、逃げるが勝ちである。恥ずかしすぎて死ぬよりマシだ。

埃を立てないように席と席の間を通り抜け、彼の元へ向かう。

サージェは本に視線を落とし、長い指はページを捲るごとにゆっくりと動く。ランプの光が彼の顔をほんのりと照らす。邪魔をするのも憚るような様子に、声をかけて良いものか迷ってしまった。

しかし掛けないわけにもいくまい。

「お待たせ致しました。モルドの葉の包み焼きと、ブージの卵和えでございます」

「…ありがとう」

本を閉じ顔を上げたサージェは少し眠たそうに見えた。

仕事で疲れているのだろう。

「お疲れの様子ですけど大丈夫ですか?」

「平気だ、心配させてしまったな」

微笑みを浮かべる顔はやはりほんの少し疲れが見え隠れしている。

「また何かあればお呼びください」

頭を下げ立ち去る。疲労には何が良いのだったか。日本での知識を絞り出すが、一向に思い浮かばない。

こんな時にスマートフォンがあれば便利なのに、と消えたバッグが戻ってくるように祈った。

物事はそんなに上手くいかないのが世の常である。

客が少しずつ減ってきた。窓際の席の食器を片付けながら空を見上げる。藍の中に少しだけ赤が見えた。黄昏時である。ガラス越しに道行く人の姿が映りこむ。この時間が一番好きで、少し手を止め見入ってしまった。

遠目からサージェの食事の進み具合を確認し、フルーツティーの準備をしてもらうために厨房へ戻った。

「ジャマールさんフルーツティー、そろそろお願いします」

客はほとんど帰り、残ったのはサージェとあまり見かけない男性三人組だけになった。

三人組はサージェの近くの席に座っており、酒を飲み大きな声で笑っている。着ている物は上等なので貴族かもしれない。サージェの席と離れた位置に案内すれば良かったと少し後悔した。

サージェの元に皿を下げに行く。

「お済のお皿お下げ致します。フルーツティーは直ぐに、お持ち致します」

「リツ、仕事はどのくらいで終わる?」

サージェからの問いかけに一瞬三人組の方を見る。

「もうそろそろかと思いますけど、まだ他にもお客様が残ってらっしゃるので」

丁度アブダッドが三人組にラストオーダーを取っている。

あと間もなくで閉店という旨も伝えたのだろう。

「外が暗いようだから、家まで送る」

「そんな、悪いですし…」

「不穏な会話を耳にしたものでな、送らせてほしい」

三人組の方をちらりと見たサージェは眉間に皺を寄せている。

何かあったのだろうか。

「わかりました、閉店後少しお待たせして、しまうかもしれませんが」

「構わない、外で待っている」

「ありがとうございます」

フルーツティーを取りに厨房へ戻り、再びサージェの方へ運ぶ。

三人組がテーブルで会計をしているようだ。アブダッドと何やら楽しげに会話している。

その脇を通り過ぎ、フルーツティーを彼に運ぶ。

「ご注文は以上で、宜しかったでしょうか?」

「ああ。帰るときは表から出るのか?」

「はい、お客様と同じ扉から出ます」

「分かった、すぐ近くで待っている」

まだ一緒にいられると思うと、口が綻んでしまう。

「はい、ありがとうございます」

今なら鼻歌を歌いながら踊れるかもしれない。そんな事はしないが。

自分がここまで浮かれるとは思わなかった。

 サージェも会計を済ませ、外に出て行った。去り際ぱちりと視線が合う。

それだけでも幸せで心が躍った。

サージェを待たせている為やや急ぎながら帰り支度をした。

アブダッドから給金袋を受け取り被服の内ポケットに突っ込む。

「お疲れさまでした。お先に失礼いたします」

「おう、暗いから送ってやろうか?」

「大丈夫ですよ」

アブダッドが心配げな表情をしていたが、大丈夫だ今日はサージェがいる。

微笑みながら扉を開けると、ちょうど近くに彼が待っていてくれた。

空は完全に藍色に変わり、建物から漏れる光と月明かりが道を辛うじて照らしている。

「お待たせしました」

「そこまで待っていない、おいで」

手を優しく掴まれ叫び出したくなった。顔に熱が集まり息を一瞬止めた。

サージェと手を繋いでいる。前も繋いだことはあったが、暗いと余計に手の感触が伝わってくるようで心臓に悪い。綺麗な手なのにがっしりとした骨の太さが男性らしい。

「後ろを振り返るな」

耳元で囁かれて、何かが起きているのだとようやく悟った。

サージェの声は固く、一人で浮かれていた私は阿呆である。

ぐっと手を引かれ、高い建物を右へ曲がった途端に体が浮く。正確には彼に抱きかかえられたのだ。

シュンと小さな音と共にサージェは空に向け跳んだ。

悲鳴が漏れそうなのを必死で抑える。ジェットコースターが苦手な私は目を閉じ思い切り彼に抱き着いた。トンと軽い音と共に、小さな衝撃を感じる。

「目を開けても大丈夫だ」

薄っすらと目を開けると、そこは5階建て程の高さの建物の上にいた。

丸い屋根に乗っている為不安定だがサージェは危なげもなく立っている。

魔法を使っているのだろうか。

下から小さく男たちの怒鳴り声が聞こえた。

何が起きていたのだろうと、説明を求めサージェを見上げる。

地上を睨む瞳は冷え切っていた。纏う空気が冷たく感じる。

「店にいた三人組がリツを…襲おうと話しているのが聞こえた」

ひゅっと喉の奥が鳴った。私は危ない目に遭うところだったのか。

ぶるりと体を震わせる。

「助けて頂いて、ありがとうございます」

一度ならず二度までも、本当に恩人である。感謝してもしきれまい。

「いや、今日来られて良かった。普段から一人で帰っているのか?」

「普段は同僚が送ってくれていて、今日はたまたまその人がお休みだったんです」

「…そうか、それはその人に感謝しないとな」

気温が更に下がった気がした。

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