第17話 脱ニート
建物の1階正面部分はオープンテラスになっている。
ドアには共通語で"準備中"と書かれている札がかかっていた。朝から開店するタイプのカフェではないようだ。
パルマにやさしく背を押され、私は頷いた。ガラスのはまったドアをゆっくりと開ける。
カランカランとベルが乾いた音を立てた。久々の面接に、心臓が嫌な音を立てはじめる。
店の中はアンティーク調のデザインで揃えられており、丸みを帯びた背もたれの椅子のクッションはふかふかと気持ちがよさそうだ。
床はダークブラウン色の木材を使用しており、しっとりと濡れたような艶があった。
店の奥はほんのりと暗く暖かなランプが揺れている。
店主の趣味だろうか、一角には重厚感のある大きな本棚があり、大昔の図書館のような雰囲気を醸し出していた。所々に植物も置いてあり、よく手が行き届いている印象を受ける。
とても素敵な居心地の良い空間だ。
店の奥のソファに座っていた、精悍な顔立ちの男性がゆっくりと立ち上がる。
ゆっくりとこちらへ向かってきた。
短く整えられた黒髪はくせ毛なのかうねっており、薄茶色の瞳はパルマを見て嬉しそうに弧を描いた。
野性的な印象のおじ様である。パルマよりもやや年上に見えた。
「パルマ、久しぶりだな」
「お元気そうでよかったわ。紹介するわ、この子がリツよ」
男性の前に進み出る。
「はじめまして、私はリツと申します」
丸暗記第一弾だ。男性はしげしげと私を眺めつぶやく。
「髪も瞳も黒とは縁起が良い。俺はアブダッド、カフワの経営者だ」
パルマとは違いゆっくり話してもらえない為、一言も聞き漏らすわけにはいかない。
耳に全神経を注ぐ。好感度が勝手に上がったようで、内心雄たけびを上げた。
「パルマ、お茶でも飲んで待っていてくれ。このお嬢さんと少し話をする」
アブダッドはパルマにティーカップを渡し、ソファに腰かけるよう勧めた。
パルマはゆっくりと微笑み、腰かけた。
少し離れた席で面接がはじまる。
「お前さんは何のために働こうと思った」
射貫くような視線に私はしっかりと見つめ返す。目は逸らさない、逸らしたら負ける。
しっかりと覚えた言葉を紡ぎだす。
「私はパルマさんの家に居候している身です、いつも貰ってばかりで、だから今度は私から、返したいと思いました。少しでも恩返しがしたいのです」
「自分の為ではないのか?」
「もちろん自分の為でもあります。私はまだ、言葉を上手く喋れません。語学上達の為にも、外に出て働きたかったのです」
アブダッドは腕を組み、少し目を細めた。
「外で働くなら別に俺の店でなくとも良いはずだが?」
私は内心焦りだす、先ほどの好印象はどこへいったのか。やや強めの口調に気圧される。
正直に理由を告げる。
「まだ右も左も、分からない私に、パルマさんが、勧めて下さったのです。こちらのカフワなら、乱暴なお客さんも、少ないからと」
真っすぐにアブダッドの瞳を見つめる。長い沈黙が痛い。
ふっとアブダッドは口を緩めた。
「いいだろう、素直な人間は好きだ」
空気が一気に緩む。満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、精一杯働きます!」
私は無事に合格を果たした。ほっとして強張っていた体から力が抜ける。
「うちは従業員が少ない。正直助かる」
脅すような口調で悪かったな、と頬をかく。私の人間性を見たかったという。
店長のアブダッド、料理人が一人、接客が一人。三人で回していたらしい。
二階もあるようだが、この人数でよく回したなと感心した。
「リツには接客を頼む。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
パルマが近寄ってきた。
「アブダッド、終わったかしら?」
「待たせたな、パルマ」
輝かんばかりの笑顔をパルマに向けるアブダッド。彼女へ向ける視線は熱い。
「好きなのかな?」
ぼそりとつぶやいた瞬間腕を肩に回され、口を押えられる。
アブダッドの目が笑っていない。なるほど、片思いなのか。
「今日からリツを働かせても?」
「リツさえ良ければ」
パルマの視線が私に向けられる前に口から手が離れ、解放される。
「いつからでも、大丈夫です」
彼女に笑顔を向ける。
「パルマさん、ありがとうございます」
「頑張ってらっしゃいな。リツなら出来るわ」
パルマはそう言って、家へと戻っていった。
さて、仕事1日目である。
渡された制服を見つめる。グラヴェニア国風を意識しているのか、白いシャツに黒いパンツである。ダークブラウン色のソムリエエプロンも支給された。
着てみたのは良いが、パンツは成人男性用なのか凄まじく長い。
さらに言えば外国人の規格である。身長155㎝の私は途方に暮れた。
仕方なしに、そのままアブダッドの前に姿を見せると大笑いされた。
「店長、ひどいです」
むくれる私に明日用意するから、とアブダッドは笑いを押し込めた。
「他の従業員が来るまで、掃除でもしといてくれ」
箒と布、はたきを渡され、作業を開始した。
重厚感のあるソファを傷つけないように布で拭く。
椅子もはたき、テーブルを水拭きする。店の中には例の水道があったので使わせてもらった。
箒で床を掃いていると、カランカランというベルの音と共に男が入って来た。
赤い色の髪をしたその男は眠たそうな瞳を見開き叫ぶ。
「店長、女の子だ!女の子がいる!」
つかつかと近づいてきて、ブルーの瞳が覗き込む。あまりの近さに私はのけ反った。女の子と呼ばれる年齢はとうに過ぎている。自分と同じ年頃の男だ。鮮やかな赤い髪が目に痛い。
一歩下がりながら自己紹介をする。
「はじめまして、リツと申します」
「俺はジーン、接客担当だよ。君可愛いね、彼氏いるの?」
詰め寄る男に私は助けを求めた。軽い男は苦手である。
「て、店長!」
ジーンの背後から現れたアブダッドは眉間にしわを寄せ、彼の頭を軽く叩いた。
「絡んでないで、先に開店準備しろ。あとリツに仕事教えてやれ」
教育係をちらりと見ると。にっこり微笑まれた。
チャラチャラした印象とは異なり、仕事はきちんと教えてくれる。
朝アラムに貰った小さなメモ帳と、携帯用のペンが大活躍である。
インク壺も小さいものを持たせてくれた。
仕事内容は残念ながら、共通語で書いている時間は無いため日本語だ。
「何その文字面白いね」
ジーンがメモ帳を覗き込む。
「母国の、文字です」
「ふーん。あ、お客が来たらこれ持って行くんだよ、あと水もね」
メニュー表とカップを見せられる。
使い込んだ雰囲気のメニュー表は文字しか載っていなかった。
料理名を知らないと理解ができない。
料理人らしき男性が入ってくる。50代くらいだろうか、白髪交じりの茶髪をオールバックにしている。
「おや、見かけない子だね。新しく入ったのかな?」
「はじめまして、リツと申します」
「僕はジャマール、料理担当だ。よろしくね」
「よろしく、お願いします」
ジャマールは厨房へと去っていく。彼に後でどんな料理か聞いてみようと思う。
掃除をしに二階へ上がると、大きな水煙草に似た物があった。
しげしげと眺めていると後ろから声を掛けられる。
「魔煙だよ」
いつの間にか真後ろにジーンが立っていた。
全く気配を感じなかった、この男本当は幽霊なんじゃなかろうか。
「まえん?」
「君魔力ないのか。魔力が減ってきたら吸うと少し回復するんだよ」
魔力とは魔法を扱う時に必要な力らしい。
「本当に君、どっから来たの。知らなすぎ~」
面白そうに笑いながらジーンは階段を下りて行った。
私は掃除を再開した。
開店は太陽が真上に上がった頃、つまり正午である。
この国は二食が基本なので、昼間はお菓子や軽食、夕方は肉料理やお酒等をを出している。
夜になると店は全て閉じる決まりがあるらしく、営業はしていない。正午から夕方までという日本人からすると短い労働時間である。
仕事内容は客の希望の料理を届けたり、水を足したりなど日本の飲食店とほぼ変わらないようだ。
魔煙の希望があると二階へ案内する。
はじめての接客がはじまる。
「いらっしゃいませ。何名、様ですか?」
私のたどたどしい言葉遣いに目を瞬かせるも、特に絡まれることなく案内する。
外国人というだけで絡む客がいない事に安心した。
このカフワの客層は裕福層なのだそうだ。まれに貴族も来るらしく、その際はジーンが対応する。
「リツ、次この料理持って行ってね」
ジャマールが大きな更に焼き菓子を盛りつけ差し出した。
ほくほくと湯気を上げるお菓子は実に良い香りを放っている。
食べたい気持ちを抑え、客の元へ運ぶ。
紅茶も人気だ。アラムと一緒によく飲んでいたが、アグダン国では紅茶は一般的ではないそうだ。
グラヴェニア国の特産品らしい。
お菓子はグラヴェニア国からの輸入品も取り扱っている。
アブダッドは元々商人で、これからの時代紅茶が儲かると思いカフワを開いたそうだ。
それが見事に当たり、店は順調に軌道に乗っている。
「店長すごいな」
なかなかできる事ではないに違いない。
ジャマールにこっそり貰ったお菓子を口に含みながら店の様子を覗いた。
客は思い思いに楽しみ、お茶や菓子を摘まんでおり、呼ばれる様子はまだない。
学生の頃居酒屋でバイトをしていたので、少しは接客業に慣れているつもりだ。
我ながら順調な働きぶりである、今のところ。
客が私の方を向き手を上げる。足早に向かい注文を取る。
「マロの実の、焼き菓子、ですね、承りました」
「お嬢ちゃん縁起の良い色の瞳だね」
「ありがとうございます」
アブダッドに褒められたら取り合えず礼を言えと教わったので、それに従う。
ジャマールに伝えに戻る途中、ジーンに呼び止められた。
「それ伝えたら、一人魔煙に案内して」
「分かりました」
入り口で待っている客を二階へ案内する。
装飾品で着飾っている身なりの綺麗な女性だ。貴族だろうか。
女性を案内し、立ち去ろうとすると呼び止められた。
「あなた、初めて見る方ね」
「はい、今日から、働かせて、頂いております」
たどたどしい物言いに彼女は眉を上げた。
「外国からいらしたの?」
「さようでございます」
早く立ち去りたいのに、なかなか離してくれず仕方なしに話を聞く。
「わたくし、ジーンさんが気になっているの」
「あの方庶民にしては美しい顔立ちでしょう?」
「何度お誘いしても逃げてしまうのですもの」
私は半笑いで頷くことしかできない。ジーンが私にこの女性を任せた理由が分かった。
非常に話が長いのだ。
ようやく解放してもらえ、私はぐったりと階段を下りた。
涼し気なジーンの表情が腹立たしい。
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