第18話 アラサーの恩返し

 立ちっぱなしの労働にへろへろになりながらも、夕方を迎えた。

夕方は更に忙しい。お酒が入る為か、客も賑やかだ。厨房とフロアを何度も往復した。

今日初めて知った単語もあり、メモ帳にはたくさんの言葉が記されている。

「お姉さんいいかい?」

近くの客に呼び止められ、注文を取る。

「香草焼き、ブージ漬け、ですね」

踵を返そうとすると、他の客からも呼び止められる。

初日から非常に忙しい。頭の中から零れないように必死に言葉を詰め込む。

「はい、すぐ参ります!」

たまに客からお菓子を貰う事もある。

「お嬢ちゃん偉いね、これをあげよう」

子供だと思われているのだろうか。

いちいち訂正するのも面倒で、ありがたく菓子を受け取っている。

パンツが大きすぎてブカブカだった為、実年齢より幼く見られたのだと思う。

 時間はあっという間に過ぎていった。外が暗くなりつつある頃、"本日は終了"の札がドアにかかる。

客はほろ酔いで皆帰って行った。

アブダッドが笑いながらねぎらいの言葉をかける。

「お疲れさん、なかなか良い働きぶりだった」

ぐったりとした私は曖昧な笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

エプロンのポケットは貰ったお菓子でパンパンになっている。

帰ったらアラムにおすそ分けをするつもりだ。

「3人とも並んでくれ、今日の分だ」

そう言ってアブダッドの手には小さな袋が3つ握られている。

よく分からないまま、最後に並び受け取る。チャリ、と袋の中で音が鳴る。

「店長、これ、なんですか?」

「何って給金だぞ」

給料日とは月末ではないのだろうか。当日受け取るのは日雇いの印象が強い。

そのまま疑問をぶつける。

「まとめないで都度渡すのが普通だ」

「ねぇ、本当にどっから来たの君」

アブダッドは良いとして、何故かジーンにまで笑われた。解せぬ。

何はともあれ初給料を手に入れた。

小さな袋は実際の重さよりも重く感じた。

着替えて制服を返却する。明日にはきちんとしたサイズは手に入るのだろうか。

「家まで送って行ってあげようか?」

ジーンに聞かれ、ゆっくりと首を横に振る。

道は覚えているので問題ない。だが、アブダッドの考えは違ったようだ。

「若い娘が薄暗い中一人で帰るもんじゃない」

私はひとつ気づいた事がある。パルマは私の年齢をアブダッドに伝えていない。つまり知らないのだ。

「店長、私、もう、28歳、です」

「あ…?」

沈黙がその場を支配する。3人分のまるで信じていない視線が突き刺さる。

「てっきり18歳くらいかと…」

アブダッドのつぶやきに苦笑する。全国の18歳に謝れ、さすがにそれは無い。

「帰ります、また明日、よろしく、お願いします」

頭を下げ、帰路についた。

 気が付けば空は藍色になりつつあった。急いで帰らねばと早足になる。

後ろからジーンが付いてきて横に並ぶ。

「君危なっかしそうだから、やっぱり送るよ」

「ありがとう、ございます」

確かに存外外は暗く、身の危険を感じた。

また奴隷として売られたらたまらない。

「まさか一つ年上だとはね、でも俺年上でも大歓迎だよ」

やはり送らないでくれても良いかもしれない。

半眼で横を見ると、苦笑した顔が目に入る。

「冗談だから、そんなに警戒しないでよ」

「言動が、軽い、ので」

改めるよ、という彼の言葉は信用していない。

家の近くまで来ると人影がぽつんと外で待っていた。

「ただいま、アラム」

「お帰り、リツ」

その姿を見届けジーンはまたね、と踵を返す。

逆方向なのにわざわざ送ってくれたのだろう。

その後ろ姿に声をかける。

「ジーンさん、ありがとうございました」

彼はひらひらと手を振り、暗闇に溶けて行った。


 家に入るとパルマが食事の支度をして待っていた。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい」

私はパルマの元に歩み寄り、初めての給金を手渡す。

「これ、生活費に、してください」

しかしパルマは首を横に振った。

「これはリツが使わないと、頑張った証だもの」

「でも、今まで、ずっと、貰ってばかり」

パルマは微笑みながらそっと私の手に押し戻し、結局受け取ってはくれなかった。

恩返し失敗である。別の形で返そうと決意する。

本日の夕食もとても美味しい。

見慣れない大きな葉っぱで包まれた肉があった。

「これ、初めて、見ます」

「これは塩で味付けした肉をモルドの葉で包んだ料理よ」

爽やかな香りがする。近いとすればレモンマートルだろうか。

「美味しいです」

ほわりとした気持ちになる。

幸せ気分のまま、パルマをこっそりと覗き見る。

彼女は何なら受け取ってくれるだろう。美容品は香りの好みもあるだろうし、何より種類が分からない。

時間があるとよく刺繍をしているから糸が良いだろうか。趣味だと言っていたし喜んでくれるかもしれない。布でも良いかもしれない。小さな袋の金額からすると両方買うことはできるだろうか。

休みの日に糸を売る店へ行ってみることにする。アグダン国では三日働いたら次の日は一日休む、という日本とはまた違った休日の取り方をする。短い間隔で休みが取れる上に、カフワは短時間労働なので気分としてはパートタイマーである。その代わり有給休暇は存在しない。

「リツ、そういえばシャヌさんからお手紙が届いてるわよ」

パルマが思い出したように顔を上げた。

「本当、ですか!」

嬉しさがこみ上げ、声が弾む。

食後の片づけが終わり、就寝の準備後に手紙を手渡された。

もう暗いので明日の朝読もうと思う。

手紙をそっと枕元に置いて目を閉じた。



 目をぱちりと開ける。決まった時間になると目が覚めるようになった。

まだ薄暗い室内で伸びをする。パルマとアラムはまだ眠っている。

もぞもぞとアラムが寝返りを打ち、パルマが微笑みながら彼を抱き寄せる。

そんな光景を見ると心が優しく満たされた。この人たちと一緒にいられて幸せだ。

静かにベッドから下り、昨日受け取ったシャヌからの手紙を開封する。

手紙には、数日間首都で過ごすという内容が書かれていた。その際に会いたいとも書かれている。

首都とは今居るこの街の事である。滞在の日付を見ると自分の休みの日とも被っており、笑みを浮かべる。さっそく手紙を書きだした。数行書いたところで、パルマがもぞもぞと動き出した。

そろそろ朝食の準備の時間だ。ペンを置いて洗面台へ向かい顔を洗った。

「今日も頑張ろう」

自分に向け小さく拳を握る。

「おはよう、リツ」

「おはようございます、パルマさん」

振り返るとパルマが起きてきていた。寝起きの彼女もとても優雅だ。

「シャヌから、の手紙で、彼女が、数日間、遊びに来る、みたいで」

「あら、じゃあ会ってらっしゃい。きっと楽しい日になるわ」

パルマは自分の事のように、嬉しそうに飛び跳ねた。

可愛らしい人である。アブダッドが惚れるのも無理はない。

「はい。休みの日、に会える、ように。後で手紙、を書こう、と思います」

「それがいいわ」

一緒に朝食の準備に取り掛かる。

こちらの生活スタイルにも慣れてきた。

働きだした事で、自分の世界も少しづつだが広がる気がしている。

アラムが眠たそうに起きてきた。

「おはよう、アラム」

「おはよう」

こうしてまた一日がはじまるのだ。

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