第11話 事情聴取
肩を優しく2回叩かれ、黒い被服の男性に起こされた。
思ったよりも寝すぎたようで、部屋には私以外屋敷の人間はいなくなっていた。
起こしてくれた男は生暖かい表情で私を見ている。
少々恥ずかしい。涎は垂れていなかったのでほっとした。
「ヘラチコ」
男は私を伴って部屋の外へ出た。中庭に面した廊下に優しい日差しが降り注いでいる。ブーゲンビリアに似た赤紫色の花が風に揺れていた。
今まで切羽詰まっていた為気づかなかったが、ここの気候は真夏のように熱い。
日本のように湿度が高いわけではないので、息苦しさはない。
へそ出しのデザインが多く見られるのはこの気候が理由だろう。丸出しのお腹を見下ろす。
デスクワークをしていた頃は運動などまったくやっていなかった。経緯はどうであれこの世界に来てからは運動をこまめにするようになり、腰回りもスッキリしたように見える。食事の回数も3回から2回になったせいもあるのかもしれない。今まで3食だった日本人からすればダイエットしているようなものである。お菓子は毎日食べていたが。
男が一室の前で立ち止まり、扉を開け中に入るよう促した。
「失礼いたします」
職場にいた頃を思い出していたため、とっさにそんな言葉が出た。
部屋の中は警察署の取調室を連想するような設えだった。
ぽつんと置いてある簡素なテーブルをはさんで2つの椅子が置いてある。
奥に座るように言われ前へ進むと、男が椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
小さな声でお礼を言い腰掛ける。椅子は木製で、座面には何かの革が張られていた。
固いが、お尻が痛くなるほどではない。
案内をしてくれた男は頷いて部屋から去っていった。扉は開けたままだ。
程なくして、鳥籠から出してくれた黒髪の男が入ってきて、静かに扉を閉めた。
男の手には湯気が立ち昇るカップと小さなお皿に乗った菓子がある。
かつ丼の代わりだろうか。
私の前にそれらを置き、彼は椅子に腰かけた。持ち手のないカップは白地に黄緑と水色で草花の絵が細かく描かれており、その芸術的なデザインに思わず見惚れた。
彼はふわりと微笑み、手でカップを示した。
飲んで良いという事だろう。
中身の色は薄い金茶色だった。
カップに口をつけた瞬間、花のような良い香りが鼻をくすぐる。
日本でよくある物よりもまろやかに感じるが味は間違いなく紅茶だった。
ほうっと息を吐く。とても美味しい。無意識に固くなっていた体がほぐれるようである。
思わず口元も綻ぶ。
「ダリヨニナデウヨタエラモデンコロヨ」
優しい紫色の目が細められた。
そっと男を観察する。身長は180㎝以上はあるように見える。体つきは細身のようだが、あの筋肉質な大男たちと比べなければこの男も中々がっしりした体格をしている。本当に何者なのか気になるところである。
ガチャリと扉を開ける音と共に、金髪の男性と初めて見る茶髪の少年が入ってきた。
少年は中学生くらいだろうか、可愛らしくニコニコ笑っている。
金髪の男性は、私の前にあるカップとお菓子を見て、何故か頭を抱えた。
「カスデンルテシダャチオデンナ」
少年は興味津々な様子で深い緑色の瞳で私を見つめて、近くまで寄って来た。
その可愛らしい様子に、私は少年に微笑みかけた。
「アラム」
黒髪の男が少年に呼びかける。この少年の名前だろうか。
少年は男に頷き、私の目を真っすぐに見て喋りかけてきた。
「こんにちは、僕の言葉分かる?」
思わず目を見開く。それは紛うことなき日本語であった。
嬉しさのあまり目が潤む。やっと言葉の通じる人に出会えたのだ。
「分かるわ、日本語ね」
「よかった、僕はアラム。あっちの黒い髪の人がサージェ様、金髪がイデア様」
少年、アラム君が2人の男たちを紹介してくれる。2人は私に向かって微笑んだ。
「2人ともこの国に仕えている文官なんだよ」
文官とは公務員の事のようである。ちなみに筋肉質な男たちは武官、つまり軍人らしい。
2人が何者なのか知れて安心した。この世界に来てやっと安全な場所に保護してもらえたのだ。
「僕は将来、武官になるのが夢なんだよ!話が逸れちゃったね。お姉さんの名前は何て言うの?」
「私は佐藤律、佐藤が家の名前で、律が名よ」
「リツだね。サージェ様はリツがどうやってこの国に来たのか知りたいみたい」
サージェがアラムに紙を見せた。それをしばらく読んだ後、アラムが喋りはじめる。
「まずはね、最初に来た時の事を教えて」
私は聞かれるがまま答え、アラムが訳す。イデアがそれを聞きながらメモを取りはじめた。
最初にこの世界に来た際に森に落ちたこと、丸一日森の中を彷徨い小屋を見つけたこと。
中にいた男たちに捕まり気づいたら船の中にいたこと。
競りにかけられてジルバーノに買われ監禁された話をしていたら涙が出てきた。
シャヌの事を考えてしまったのだ。
声が震えて上手く喋れない。アラムが背中をさすってくれる。
その温かい手に更に涙が零れた。
頭に大きな手が乗せられ、そっと撫でられた。
視線を上げれば心配そうな表情のサージェが撫でていた。
ここの国の人は優しい人が多い、日本よりもずっと。
「シャヌ…シャヌ…」
今は質問に答えなければいけないのに、こんな状態になってしまって申し訳なく思う。
けれど涙が止まらないのだ。もう良い年をした大人なのだから、しっかりしなければいけないのに。
サージェがイデアに目配せすると、彼は部屋を出て行った。事情聴取を中断してごめんなさい。私が落ち着くまで2人はずっと撫で続けてくれた。
「取り乱して、ごめんなさい」
サージェがハンカチで私の涙を拭きとり、急に恥ずかしくなった。
大の大人が何故、子供と初対面の男性に慰められているのだろう。
「辛い時は泣いていいんだよ、大変だったんだから」
アラムの優しい声で救われた気がした。
「大丈夫です。続けてください」
そう伝えると、アラムが気遣わしげな表情で口を開いた。
「鳥籠でどういう扱いを受けていたのか知りたいんだけど、無理はしないでね?」
私はしっかりと前を向きどんな事があったのか、話し出した。
毎日オウムのように名前を呼ぶ事を強要された事、機嫌が悪いと首を強く絞められた事、仲良くなったせいでシャヌが殺されたかもしれない事、ナイフでジルバーノに立ち向かったけれど何もできなかった事。
もう泣かないよう、心を殺して全てを話した。
サージェは時折心配そうにこちらを伺いながら、全てをメモしていく。
気を遣わせてしまっているのが分かり、申し訳なく感じる。
「サージェ様が聞きたいことはこれで全部だよ。今度はリツが質問していいよ」
アラムが場の空気を和ませるように、明るい口調で言った。
その若さで気遣いが素晴らしい。まずは自分が置かれている状況も知りたい。情報提供は非常に助かる。
「私は違う国から来たみたいなのだけど、ここは何処でしょう?」
「今いるのが【アグダン国】、女王陛下が治めてる国だよ。最初にリツがいた森はたぶん【サルディア国】だと思う。海を渡ったって言ってたから」
サージェに何やら確認を取りながらアラムが答え、サージェがアラムに話しかける。
「カタシヲシナハルイテレサシンキガドイセイレド?」
アラムがこちらに向き直り通訳する。その若さで2か国語とは本当に恐れ入る。
「この国は奴隷制度が禁止されているんだけど、北にある【サルディア国】では禁止されてなくて。こっちでも内緒で奴隷を買ってしまう悪い奴がいるんだ」
それがジルバーノだったという事らしい。何でもあの男は女王反対派の貴族なのだという。
尻尾をようやく掴んで、証拠の契約書を手に入れるのに中々手間取ったらしい。
イデアが潜入捜査でようやく手に入れたのだと説明された。
彼らが元々捜査をしていなければ、私は救い出されずに死んでいたに違いない。
感謝してもしきれない。
「ちなみにね西にある、川を挟んだ【グラヴェニア国】は仲良しの国だよ。3つの中では一番軍事力が高くてね!僕も武官になったら合同練習に出られるんだって!はやくなりたいんだけと18歳にならないと」
アラムの楽しそうな声に、サージェは話が脱線したのに気づいたのだろう、苦笑していた。
彼はアラムに何かを伝えた。大事なことを言い忘れてた、とアラムは笑う。
「僕も5歳から10歳までの間日本にいたんだ。帰り方は分からないけど、リツが帰れるまで僕の家で暮らしていいからね」
「私にとっては凄く助かる話だけれど、そこまでして貰っていいのかしら?」
「大丈夫だよ、それにリツは身元がはっきりしてないから。身分を証明するには後見人が必要なんだって。僕の母さんなら適任らしいよ」
正しく渡りに船だ。帰り方が分からないのは悲しいが、そのうちに方法が分かるかもしれない。
私はアラムに深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。見ず知らずの私にそこまで…」
「お礼はサージェ様に言ってあげて。僕の母さんにお願いしたの、サージェ様なんだ」
私はサージェに向き直り再び頭を深く下げた。
「ありがとうございますサージェさん、この御恩は忘れません」
アラムがサージェに伝えてくれたのだろう、彼は目を細めて微笑む。
「ナテレラメトニカブ、ガタッモオトウヨセマスニエイノシタワ、ハウトンホ」
アラムが通訳しようと口を開きかけた時。
扉が音を立てて開いた。
そしてゆっくりと入って来た人物を見て、私は激しく混乱した。
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