第7話 競売

 ガラガラと檻を乗せた台車が、ランプが等間隔に置いてある廊下を転がっていく。

モザイクで彩られた壁と床を進む。不安さえなければこの廊下の美を楽しめただろう。

先へ進むのと比例して恐怖は増し、人々のざわめき声が徐々に聞こえてくる。

台車を止めたくて鉄格子の隙間から男の服の裾を引っ張った。男は私を見下ろした。

「ロメヤラカルビノ、ダンナ」

「お願いです、解放してください…」

男はしゃがみ、私に目線の高さを合わせてきた。彼の長い金髪とエメラルドグリーンの瞳が近づく。

「解放して…」

通じない事は分かっている、ただ訴え掛け続けた。涙が止まらない。

金属を叩いて起こすような酷い人ではあるが、この男性は他の男たちとは違うような気がしたのだ。

持っている雰囲気なのか、憐れみを含んだ視線なのか。

「ダマハマイ、イナマス」

男が囁くが何を言っているのか分からない。助けてくれる気配はない。

やはりこの男も他の男たちと同じ仲間なのだ。

近いうちに不幸な目に遭ってしまえ、と強く呪った。

再び台車が動き出す。そして、大きな扉の前に止まる。

男が扉を4回ノックすると、内側からゆっくりと開いていく。

ざわめきがひと際大きく聞こえ、台車が進む。

私の姿が見えると、部屋はシンと静まり返り不躾な視線が突き刺さる。

全員床に敷かれた絨毯に直に座っている。

たくさんの人間の視線、色鮮やかな衣装の間を私は檻の中に詰められたまま進む。

息をするのも苦しい静けさの中、部屋の中央にある人の腰程度の高さの台の前で台車が止まる。

私は檻から出された。足枷だけが外され、ゆっくりと台の上に座らせられる。台に設置されている鉄製の輪っかと縄で私の手枷を繋がれた。

全ての視線が私の方に向いていて、恐怖しか感じない。

私を運んだ男は去っていく。好奇の視線から逃げるように私は下を向いた。



 別の男が私の近くに立ち、大きな声で喋り始めた。

「スデノタキテッヤラカリモルナイセンシ、ハメスムノコ」

「スマリアデバトコノピンシ、リナトコモバトコ」

演説しながら私の顎を掴み、上を向かされる。

「ミトヒイロクイシクツウノコ、イサダクンラゴ!」

「リオドビユナカラメナモミカ!」

「ロイノダハイシラヅメイカマコノメキ!」

「ラカンマチイ、ハデレソ!」

男はお辞儀をし、勢いよく手を挙げた。

それと同時に部屋の中の人間が立ち上がり始めた。手には紙を持っているようだ。

「ンマンサ!」

「ンセゴンマンサ!」

私はこの光景を見て理解した。これはマグロの競りと同じだ。

私はマグロではないと声を大にして訴えたい。

部屋にいる人間が手にしている紙にはきっと値段が書いてあるのだろう。

目をこらして読んでみたが案の定知らない文字だった。

「ンマクャヒ!」

部屋の隅にいた青いフードを深くかぶっている人物が立ち上がり叫んだ。声からして男だろう。

隣にいた緑色のフードの人物が慌てたように青いフードを止めるような素振りを見せた。

部屋が静まり返り、大勢の視線が青いフードの人物に向かう。

ものすごい金額でも言ったのだろうか。

今度は私のすぐ目の前の別の男が声を上げる、すごく大きな男だ。

「ンマクャビンサ!」

青いフードが再び声を上げる。緑のフードは頭を抱えている。

「ンマクャヒンヨ!」

もう2人だけの戦いになっていた。だが次の、目の前の男の声で部屋に大きなどよめきが起こる。

「ンマクャヒナナ!」

青いフードはもう立ち上がらなかった。つまり目の前の大きな男が勝ったのだ。

男はにやりと笑い、私を眺めた。40代半ば程の銀髪の男である。目つきは獰猛な猛禽類を連想させる。笑い方が気持ち悪い、非常に気持ち悪い。人身売買が許されると思うなよ。こんな男が私の雇い主になるのか、どうせならばイケメンに雇われたいものである。私は目の前の男を睨みつけた。私の鋭い視線に男は更に笑みを深める。ぞぞぞと背中に悪寒が走る、この男は危険人物だと警鐘が鳴り響く。

すきを見て逃げ出そうと決心した。

部屋がざわざわと騒がしくなり、ほとんどの人間が帰る支度を始めたようだ。

中には悔しそうに紙を床に投げ捨てる者もいた。私にそんな価値はないとは思うが、よほど人手が足りていないのだろうか。ふと、ヴィエラと4人姉妹は無事だろうかと思いを馳せる。私の雇い主よりもイケメンで優しい人である事を願うばかりである。ヴィエラは意外と運動神経がありそうだったから逃げ出しているかもしれない。そう思い私は少しだけふっと笑った。

ほとんどの人間が部屋から出て行ったようだ。残っているのは雇い主(仮)と売人、そして手下の男1人のみ。雇い主(仮)と売人は書類を手に話し合っている。契約書のようなものだろうか。

手下の男は私の手枷の縄をほどく作業をしている。受け渡し準備が着々と進められているのだ。

競りの前に足枷は外されている。おそらく購入者が連れて帰るのに邪魔だからであろう。

これは好機ではなかろうか。

縄がほどけ切った瞬間私は手下を強く蹴り飛ばした。中腰の格好で縄をほどいていた手下はまさか女に蹴られると思っていなかったのか、受け身も取れず後ろ向きにどうっと倒れこむ。その隙に私は走り始めた。

売人と雇い主(仮)が何か叫んでいるが、振り返らずに走る。

開けっ放しだった扉から勢いよく出ると、競りが始まる前に通った廊下を突き進む。

廊下には幸い誰もいなかった。私は全力で走る。手枷が無ければもっと早く走れるのに。

目の前に分かれ道が現れた。こんな形の廊下だっただろうか。焦りを覚えるが迷っている暇はない。

左を選び、曲がった瞬間男の手が行く手を遮った。

私の腰が強く引かれ、その人物の胸に顔がぶつかる。

「ひぁっ!」

まずい、捕まったと思い蹴り飛ばそうと足を振り回す。

男の手が私の口を押え耳元に何か囁く。

「レガマニギミ」

聞いたことのある声に勢いよく男の顔をみれば、エメラルドグリーンの瞳と目が合った。

私を運んだあの男である。

男は私の背後を指さし、腰から腕を外した。

「見逃してくれるの?」

私の言いたいことが分かったのか、彼は微笑み頷いた。

「ありがとう!」

さっきの不幸の呪いを取り消そう。やはり彼は良い人だった。

示された方向に走っていけば、開けっ放しの大きな扉の向こうには明るみはじめた空が見えた。

私は勢いよく飛び出した。



 たくさんの建物が立ち並ぶ中を走り抜ける。脱出したは良いが何処に行けば安全なのか分からない。

建物は滑らかな白い石造りの建物が多くイスラーム建築を連想するドーム型の屋根が特徴的だった。

モザイクや建物、アラビア風の衣装のデザイン全てが中東の雰囲気だ。

本当は中東にいるのではないかと錯覚してしまう。

しかし巨大な鳥、光る花やキノコを思い出す。奴隷制度だって今は無いはずだ。

「違う世界だよね、信じられないけれど」

このまま日本に帰りたい。

飛び出した建物からはだいぶ離れたように思う。

追っ手を警戒するが近くに人がいる様子はない。

私は近くの建物の隙間に体を滑り込ませる。ちょうど建物と建物の隙間である。

狭い空間が落ち着く。近くにあった木の板で体を隠し、私は座り込んだ。

人通りが増えたら紛れるようにしてもっと移動しよう。

私は体を丸めたまま太陽が昇るのを待った。

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