第8話 鳥かご

 人通りが増えるのをただひたすら待つ。

太陽が徐々に昇り、人々の声が聞こえはじめる。追っ手を警戒して全く眠れなかった。

睡眠不足で頭がぼんやりする。しっかりせねば。

目の前の道にも人が行き来するようになった頃、私はゆっくりと立ち上がった。

ベールを頭からすっぽりと被り、手枷を見えないように隠す。

結構透けているが、歩いていればそこまで気に留められないだろう。

人が通り過ぎた後にすぐに建物の隙間から出る。

うまく紛れ込めたと思う。

前を歩く女性の後をついていく。不審に思われない程度に周りの様子を観察した。

街は活気にあふれていた。果物を売る人、敷物を売る人、様々な商人たちが道に出店を開いている。お腹が空いた。お金もない私には買うこともできない。

何処へ向かって行けば良いのかも分からない。

警察官はいないのだろうか、保護してほしい。

私はふらふらと当てもなく歩き続けた。

ついていっていた女性が建物の中に入ってしまい、私は立ち止まる。

誰か別の人の後をついて行こうと、周りを見渡しロバに似た動物を引く商人らしき男性に決めた。

のんびり歩いているので、ゆっくり周りが観察できる。

商人は川に向かって行った。私も後をついて行く。

よく見れば小型の船に乗るらしい。

「困った、お金いるのかな…」

私があたふたしていると、不審に思ったのか船を管理しているらしい男が近づいてきた。

「イダチッドカノイナラノ、カノルノ?」

「ごめんなさい、何でもないです」

私は慌ててその場を去った。

そのまま川沿いを歩く。これからどうしたら良いのだろうか。

私は途方に暮れ、川の向こうにうっすら見えるこちらの側とは異なる様式の建物を見つめる。

向こう岸は違う国だろうか、遠くて分かりにくいがどことなく西洋の雰囲気があった。

あちらへ泳いでいけば逃げ切れるだろうか、と足が川へ向かう。

突然後ろから肩を強く掴まれ、誰かの腕が腰に回ってきた。

咄嗟のことに声も出なかった。私は慌てて暴れるが、周りには5人の男たちが囲んでいた。

男たちの中には私が蹴り倒した男もおり、怒気を込めた表情で私を睨んでいた。

捕まったのだ、と理解して私は震えた。

悲鳴を上げようと息を吸い込んだ瞬間口に布をあてられ、人目を避けるように私は運ばれた。

拘束されたまま近くに停めてあった小さな馬車に詰め込まれ、手足に枷をはめられた。

両隣に男がいて逃げ出すこともできない。

目の前が真っ暗になった。


 あの建物に戻ってきてしまった。

一人の男が私を担ぎ上げ、中に入っていく。途中、逃がしてくれた男とすれ違った。

彼は一瞬私をみて目を見開いたが、そのまま去って行った。

もう助けてもらえないだろう。

 檻に入れられてぼんやりと床を眺めていると、カツカツと足音が聞こえ私の目の前で止まった。

私はゆっくりと顔を上げた。

鮮やかな紫色の膨らんだズボン、袖口の広がった服の上にベスト、そして気持ちの悪い笑顔を張り付けた男の顔が目に入る。雇い主(仮)だ。

男の手が伸びてきて私の頬に触れ、湿った感触に背筋が寒くなる。

「メマウャジャジ」

私は勢いよく手から逃れた。

売人がやってきて男と話し始める。雇い主(仮)がこちらを向き何やら手をスッと動かすと、突然私を入れた檻が宙に浮いた。

「なにこれ!」

ありえない事に、誰も檻に手を触れていない。

私は激しく動揺した。

檻は浮いたまま雇い主(仮)の近くで漂っている。

混乱しているうちに雇い主(仮)が歩き出し、廊下を進んでいく。一定の距離を保ったまま檻も浮いてついて行く。いやだ、行きたくない。

そのまま男は大きな馬車に乗る。私も荷台に入れられ布を掛けられた。

どうしようもなく体が震えた。目を閉じて体を抱きしめたが震えは止まらない。

長い時間が過ぎ、馬車の揺れが止まった。

目的地に着いてしまったのだろう。

 私は再び檻に入れられたまま浮いている。

男の自宅だろうか、随分と大きな建物の中に入っていく。中に入ると、使用人らしきたくさんの人たちが男に頭を下げる。随分と偉い奴なのだろうか。

私は前回の建物を思い出し、出口までの道筋を頭に刻んだ。好機があったら逃げ出すために。

奥にあった部屋に私は運び込まれた。中には人が3人は入れそうな鉄製の鳥籠があった。

まさか森で見た鳥を入れるものだろうか。それにしては小さいような、嫌な予感がする。

予感は的中し、私は鳥籠の中に放り込まれた。

「出して!」

男は私の声にうっとりとした表情をした。背筋がまたうすら寒くなる。

私は何のために買われたのだ、働かせるためではなかったのか。

怖くなり男から距離を取る。距離とは言っても籠の中ではそんなに遠くには逃げられない。

「ジルバーノ」

男は自分の胸に手を置いてそう言った。

まさか名を名乗ったのではなかろうか。誰が呼んでやるものか、私は気付かない振りをした。

男がもう一度囁くように同じ言葉を口にする。

私はそっぽを向いて見ないようにした。すると突然男は鳥籠の鍵を開け、私に近づいてきた。

ドン、と肩を強く押され尻餅をつく、その上に男が馬乗りになり私の首を絞めあげた。

「うぁ…」

潰れない程度に加減されているのか、しかし息は吸えない。口から細く空気が漏れた。

苦しい、意識が遠くなりかけた時もう一度男が口を開いた。

「ジルバーノ」

男の手がゆっくりと離され、私の顔を覗き込む。

私は苦しさから流れた涙を拭い、睨みつけながら同じ音を口にした。

男、ジルバーノは満足したように私の上からどき、鳥籠から出て鍵をかけて部屋から去っていった。

最低な飼い主に捕まってしまった。

ぽつんと鳥籠の中、絶望で目の前が真っ暗になった。


 朝晩ジルバーノは部屋へやってきて、私に自分の名前を呼ぶように強要してくる。

私はオウムではないのだが。

そしてベタベタと頬を触るのをやめてほしい。気持ちが悪いので、男が去ったあと毎回布で拭いている。

それ以外は使用人らしき人が世話に来た。毎日着飾られ、装飾品をこれでもかとジャラジャラ付けられる。好みではない衣装を着せられるのはなかなかストレスが溜まる。優しい色合いの洋服が恋しい。

使用人さんは私に憐れみの視線を向けてくる。

そんな視線と共にクッションを毎日渡される。寝床を作れというのか、慰めているつもりなのか。

憐れむならばここから出して逃がしてほしい。そんな事はきっとできないのだろうが。あの時逃げ切っていればと後悔ばかりが押し寄せる。

トイレの時だけは首に枷をつけられ、用を足しに部屋から出してもらえた。枷を首にしたのは男の趣味だろうか…考えたら怖くなったのでやめた。もちろん監視役はいる。だいぶ恥ずかしく嫌である。この世界は和便器のようなものが主流なのだろうか。

床や壁のモザイクは素晴らしいが、窓がすごく高い位置にありトイレからは逃げられなかった。

洋便器だったら上に乗って窓から逃げられたかもしれない。

壁を登れるようにさえなれば…。

あの奴隷船の時のように私の日課はストレッチと軽い運動になった。

いつか絶対に逃げてやると心に誓って。

 鳥籠での監禁生活8日目、機嫌悪くジルバーノが部屋へ入ってきた。

鼻息を荒くして、鳥籠の中に入ってくる。私は8個目のクッションを抱きしめながら衝撃に備えた。

男は機嫌が悪いと私の首を絞めあげてくるのだ。

案の定私の首が狙われた。

じわじわと絞めあげられるのに毎回恐怖している。非常に苦しいのだ。

いつか私は絞殺されるのではという恐怖。

きっとそのうちに現実になる気がする。確信している。

男の狂気じみた視線はいつも見ないようにしている。そもそも苦しくて涙が出るので見えないのだが。

今日はわりと短く終わった。

ジルバーノは毎回絞めあげた後、私の首を愛おしげに撫でて帰っていく。

意味が分からない。殺したいのか大事にするのかどっちなのだ。

どちらにせよご免被る。

 専属になったらしい使用人シャヌさんが入れ替わるように入ってきて、私の様子を心配げに見る。

三つ編みをした赤茶色の髪が揺れている。

苦しい以外は元気ですよ、首が最近非常に痛いので痣になっているんじゃないの、という恨みがましい念を送りながらじとっと彼女を見つめる。

彼女はブルーの瞳を細め困ったように微笑みを浮かべるだけである。彼女に恨みがあるわけではない。むしろ良く世話を焼いてもらっているのだ。飼い主がアレでなければまだ我慢できるというのに。

彼女の手にはお菓子の乗った皿がある。私が甘いものが好きだと分かると毎回持ってきてくれるようになった。現在唯一の楽しみである。

私の手にお菓子を乗せ、彼女も食べ始めた。

もぐもぐと柔らかい食感の不思議な甘さを楽しむ。最近のお気に入りの一品だ。

見た目の色はブルーと激しいが、マシュマロのような柔らかさに適度な甘さ。最高である。

私が食べ終わったのを見て、彼女は去っていった。

「シャヌ、ごちそうさま」

この密かな交流がずっと続くと思っていた。


 今日で10日目のお昼頃、あの8日目以降シャヌは私の元を訪れていない。忙しいのだろうか、彼女は他にも仕事があるような素振りをたまに見せていた。

お菓子も一緒に食べてくれる人がいないので、私は寂しくなった。彼女が一番長く一緒にいたのだ。

お菓子の皿を持った知らない使用人が来た時に聞いた。

「シャヌ?」

シャヌはいつ来るのだ、また来てほしいという気持ちを込めて使用人を見つめる。

使用人は苦い表情をして首を振った。どうしたというのだろう。

使用人は腰に下げた袋から、膨らんだ布を取り出し、広げた。中からは木製の腕輪があらわれた。大量の血を吸ったように見えるそれは赤黒く染まっている。

鉄錆のような臭いに私は呆然とし、息をするのを忘れた。

その腕輪の主をよく知っていたのだ。頭の中が真っ白になった。

「シャヌ…」

どうして、何があったのか。言葉が通じない私が知る術はない。

使用人はそれを見せるとそのまま去っていった。

クッションを抱きしめて私は夜まで泣いた。

 泣きつかれて眠ってしまったのだろう、私はふっと目をあける。

視界いっぱいにジルバーノの顔が広がっていた。

驚きのあまり声が出なかった。ジルバーノは私の涙の跡に触れニヤニヤ笑っていた。

まさか、と思い起き上がった私はジルバーノに詰め寄る。

「シャヌを傷つけたのはあなたなの?」

「シャヌはどこ!」

奴は笑みを深めただけで何も言わない、それで確信した。

この男が傷つけたのだと。怒りで目の前が真っ赤になる。

涙があふれ前が見えない。

男のくくくという笑い声に涙が止まらない。

「許さない!」

喉の奥が引きつり、声が震えた。

許さない、けれど私には何もできない。それが無性に悲しく、悔しかった。

それをこの男も分かっているのだろう。

ねっとりと笑った後、ジルバーノは部屋を去っていった。

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