第3話 夢ではなかった

 木漏れ日を浴びながら、私は現実へと思いを馳せる。

同居している両親は娘が帰宅しないのを心配していないだろうか。

むしろ朝帰り、と喜ぶのだろうか。彼氏はいないというのに信じてもらえなくなってしまう。

しっかり者の兄に対して私は昔からどんくさかった。

ダメな子ほど可愛いのか、両親は私に甘かった。何をするのにも褒められる。

「わたし大きくなったら絵をかくお仕事したいの!」

小さい頃から絵を描くのが好きで絵画教室に行きたいと駄々をこね、通わせてもらっていた。

毎年何かの絵画コンクールに応募して、最優秀賞や大賞などを取り天狗になっていた時期もあった。

そんな天狗の鼻は高校2年生の時に見事にへし折られる。

良くて入選、入選すらしない事が増えてきたのだ。

平凡な私の唯一自慢できる特技だと思っていたため絶望した。

そんな私に対して両親は単なるスランプだ、と慰めてくれる。

絵画教室には継続して通うことを勧められた。

そんな両親に感謝はしているが、私の才能が開花する事は終ぞ無かった。

絵画の先生の評価も上手いが個性が無い、との事。

つまり平凡なのである。

こんなに努力しても平凡止まりなのか、と私は夢を諦めた。

それから私は現実的に考えて、どこかの企業に入社するという夢のない夢へと切り替えた。

生活に困らない程度に稼げて、両親も安心できる仕事。それが今の仕事だったのだ。

まさに平凡な自分にふさわしい生活、だったのに…。



 平凡なはずの私に降りかかる、このありえない夢。

いや、これは夢ではないと認めようではないか。認めざるを得ない。

本当は、荷物を拾い上げた時からうすうす気づいていたのかもしれない。

匂いや感触、体感温度に痛覚。

いくらなんでも私の想像力がこんなにリアルなはずがない。

電車で感じた落ちていく感覚を思い出し、私も絶望に落ちていくような気がした。

ぽたり、スカートの上にシミが広がる。

ざわざわと胸が冷たく苦しくなっていく。

寂しい、私は意味の分からない現象と一人で立ち向かわなければいけないのか。誰も助けてくれない。

これが漫画の主人公だったならば、偶然通りかかった勇者だとか、魔法使いだとかが助けてくれるだろうに。私は主人公などにはなれやしない。何もない私がなれるわけがないのだ。

頭の中がぐちゃぐちゃになり、息が苦しく涙は止まらない。

「うっ、っぐ…何で私がこんな目に合わなきゃいけないんだ!」

「ふざけんな!」

私は子供のように泣き喚いた。森の中にたった一人泣き喚いた。

喉がかれ、涙も枯れ、私は仰向けに寝転がった。

さんざん歩いた足はくたびれて、吐いてしまったために胃の中は空っぽで。

体は水分を欲しているというのに泣いて、枯れて。

「もういやだ…」

ぽつりと零した音は地面に吸い込まれていった。


 はっと目を開ける。泣きつかれて眠ってしまったようだ。木漏れ日が明るく降り注いでいるのが夜ではない事を物語っている。ゆっくり体を起こす。泣きすぎと空腹で頭がグラグラする。

これは認めたくはないが現実なのだ。だとしたら私はここで何もしないまま死ぬ事になる。

寝ていたら餓死、それに熊などの肉食獣がいるかもしれないのだ。

生きなければ。

「こんな所で死にたくない」

残り半分のジャスミン茶を飲み、足に力を入れ、ぐっと立ち上がる。

まずは毒性のない食べ物と水の確保が重要だ。

なけなしの力を振り絞り、私は生きるために歩き始めた。

森の景色に特に変化はない。今までは夢だと思っていて考えずに歩いていたが、

きっと食べられそうな植物も見逃していたに違いない。

木々や繁みの中、地面を注意深く観察しながら歩く。

体感では1時間ほど移動しただろうか、実際にはもっと長い時間だったかもしれない。

今まで密集していた木々がまばらになってきている気がする。土と柔らかい草だけだった地面も、小さな小石がごろごろ転がっているのをよく見るようになった。靴下だけの足にはちょっとした凶器の為、踏まないように注意して歩く。

地面に小さな凹みを発見した。

しゃがんで草を手で避けながら観察する。先が二手に分かれた蹄のような跡。

「鹿かな」

肉食動物らしくなくて安心した。

草食動物であれば、食べられる植物を見つけられるのではないだろうか。

足跡と思われるものを辿る。乱れた様子はない。

何かに襲われた時の足跡だったら、もっと土も乱れているに違いない。

柔らかい土が続いている。草が増えてきて足跡の追跡が困難になりつつあるが、凹みを手で確認しながら進んでいた。ペットボトルの底に溜まる程度にまで減ったジャスミン茶を少し飲む。

木々の間隔も青空が広く見えるくらいにまでになった頃、それは突然目に飛び込んできた。

鹿のような馬のような生き物の大群が目の前を通り過ぎる。どどどどと重い足音は地面を揺らした。

生き物は大地を駆けていく。その方向に目を向ける。

私は歓喜の悲鳴をあげた。

「あぁぁっ!」

川がある、細く小さいが確かにそこには川が流れていた。

ガクガクになった足で近づいて、小川の手前で座り込む。

震える手で水を掬いあげる。透明な輝きはとても美しく見えた。

飲み込めば、冷たさが喉を潤した。

「おいしい」

水はこんなにも美味しかっただろうか。私は少し泣いた。

ペットボトルに水を入れ、立ち上がる。

小さいとは言え川である。

下流に行けば海に出たりしないだろうか。そして人が住んでいるかもしれない。

期待を胸に川に沿い歩き続ける。水の確保はできたものの、空腹はすでにピークを越え音すら鳴らない。

早急に食べ物を手に入れなければ。

少しずつだが確実に川の幅が広がっているように見える。木々の間を縫うように川は流れていく。

キュキュッと生き物の鳴き声が近くで聞こえた。

足音を忍ばせ、ゆっくりと近づく。

3歳程度の人間の子供程の大きさのピンク色の生き物がこちらに背中を向け、地面に生えている植物を食べている。尻尾はふさふさと大きく、頭は植物の中に突っ込んでいるためによく見えない。ピンク色では保護色にはなり得ないが、ヒエラルキーの上位に位置する生き物なのだろうか。

だとしたら私の身に危険が及ぶかもしれない。食べている植物は非常に気になるが、ここは逃げたほうが良いだろう。後ろにゆっくりと下がる。

パキッと私の足元で音が鳴る。しまった、何かを踏んだ。

そろりと視線を上げると、ピンク色の生き物が私の方を見ていた。

リスのような生き物、ただ大きさは人間の子供だ。こちらをじっと見つめてくる。

私はじりじりと後ろに下がるが、生き物も同じだけの距離を詰めてくる。

と思っていたら急にリスもどきが飛び跳ね一気に私との距離を詰めた。

「ひっ!」

私は思わず尻餅をついた。リスもどきは鼻先を私の頭にくっつけ、ふすふすと匂いを嗅いでいる。

お願いだから食べないで!私は必死に祈る。

とても時間が長く感じた。しばらく嗅いで、リスもどきは興味を失ったようにその場から離れていった。

残された私は一気に脱力してしまった。

リスもどきが頭を突っ込んでいた植物の繁みに目を向ける。

丸く真っ赤な果物がたわわに実っていた。

周りを確認し、近づく。赤い色には良い思い出がないが…。

リスもどきが齧ったと思われる果物をじっと見つめる。食べ物らしきものを目の前にしたせいか、ピークを過ぎたはずのお腹が鳴り始めた。

「一か八か…」

私はごくりを喉を鳴らし、1つもぎ取り匂いを嗅いだ。

手のひらサイズのやや硬めの艶やかな果物らしきもの。

甘い香りはより一層空腹を刺激する。

シャクッと一口齧れば、甘いイチジクのような味が舌を痺れさせた。

非常においしい。これはもっと食べても大丈夫な気がする。

シャクシャクと食べ進め、丸々ひとつを完食した。

胃に不調はない。キノコの時はすぐに激痛がきたので問題ないと判断する。

「リスもどきさん、少しだけ頂いていきます」

すでにいないリスもどきを拝みながら、まだ実っている果物を3つばかりもぎ取りバッグの中へ入れた。

小川へと戻ろうと踵を返した。

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