第2話 森を進む

 絵に描きたくなるような星空を眺め、どのくらいの時間がたったのだろうと我に返った。

夜風にぶるりと体を震わせる。森の中にぐぅとお腹の音が鳴り響いた。

夢の中でもお腹は空くらしい。

周りを見渡すと自分の持ち物が地面に散らばっていた。

通勤用の青いバッグは土で汚れている。

拾い上げ汚れを払い落とし、その妙にリアルな感触に私の想像力は意外とすごいらしいと感心した。

コンビニのビニール袋も近くに落ちており、中から買ったばかりのおにぎりを2個取り出す。

鮭とシーチキンマヨネーズ、どちらから食べようと少し迷ったのちシーチキンを開封した。

焼きのりの香ばしいにおいが食欲をそそる。かぷりと噛り付けば、マヨネーズの酸味とシーチキンのうま味がじわりと広がった。夢でも食べて現実でも食べるだろうに、その状況が少し面白かった。

「はぁ、おいしい」

夏だというのにこの涼しさは一体何のだろうか。眠っている電車の空調が効きすぎているに違いない。

風邪をひく前に起こしてほしいような、このまま現実に戻りたくないような。

おにぎり1個で私の胃は満足したようだ。ジャスミン茶でのどを潤し、立ち上がった。

せっかくなので、夢の中を散策してみようと思い立つ。

サクサクと少し歩いてパンプスだと歩きにくい事に気づいた。夢の中くらいその辺は融通を利かせてくれても良いではないか、とぐちぐちと零す。

パンプスを脱ぎ、冷え性対策に持っていた靴下を履きなおす。先ほどよりは幾分か歩きやすくなった。

パンプスを片手に再び歩きはじめた。土と草の感触が面白い。

暗い森の中、木々の輪郭は月明かりで青白く浮かび上がって見えた。

光り輝く花やキノコがあり、とても幻想的だ。ときおり丸く光るものがふよふよ飛んでいる。

「なんだかファンタジー」

丸い光を見て思い出す。駅で拾ったガラス玉は近くに落ちていなかった。

夢だから、と気にするのをやめ森の奥へ進んでいく。

光る花に近づき触ってみた。触れた部分の手のひらに光が移り淡く輝きを保っている。

なんだか面白くなり指先で光をすっと引き延ばすように触ってみると、手のひらに光の線が描かれた。

まるでブラックライトで光る塗料みたいだ。

手に持つパンプスに光で模様を描いてみようと思い立つ。蔦のような曲線をスルスルと描く。葉っぱも付け足すと何だか中東っぽいデザインになった。

オフィスカジュアルには到底似合わないデザインになってしまったが、今更である。

「まぁいっか」

再びゆっくり歩き始め、夜の森林浴を楽しんだ。

木々の間から鳥の鳴き声が聞こえる。姿を見ることはできないがそっと耳を傾ける。

低くトゥルルルという鳴き声で、電話のコール音を連想させる。

思わず受話器を探してしまいそうだ、と笑った。

自分の笑い声が暗い森に思ったよりも大きく響き、突然不安になる。

この夢はいつ覚めるのだろうか。

終点についたと思って起きようとしたのに起きることもできず、私は森の中を歩いている。

車庫に入ってしまったのだろうか。だとしたら朝一で駅員さんに発見されるのだろうか。

どんどんと不安は増し、近くの木に背中をつけそのままズルズルと座り込む。

不安を消すように体を自分で抱きしめた。



 眩しさにうっすらと目を開く。木漏れ日が降り注いでいた。

いつのまに眠ってしまったのか、朝になっていたようだ。ぼうっとする頭を働かせる。

夢の中で寝るとはこれ如何に。

明るいと森の中の印象はがらりと変わる。鳥の声もたくさんの種類がいるようで賑やかな音を奏でている。

光り輝いていた花は白い蕾になっており、キノコもどことなく小さく縮んで見えた。植物に適した表現ではないが夜行性なのか。昨日パンプスに描いた模様は光っていないと青い色をしているようだ。蕾は白いのに謎である。昼間に咲く花もあるようで、赤く大きな花弁が風に揺れていた。

 それよりも問題は夢が覚めないことである。

試しに頬をつねってみたが効果はない。ただ痛いだけだった。

「神様、早く私を起こしてください」

天に向かって拝んでも効果はない。独り言にむなしくなった。

途方に暮れた私はとりあえず座り、空腹を鎮める事にした。

夜に食べなかった鮭おにぎりを開封する。

そもそも何で空腹を感じるのに目が覚めないのだ。

いつもはお腹が空けば起きるというのに。そして駅員はなぜ起こしに来ない。

鮭おにぎりの美味しさを噛みしめながら森を睨む。

こうなったら夢の中を徹底的に楽しんでやろうではないか!

どうせ私は無職になるのだ、車庫で寝坊しようが遅刻しようがもう怖いものはないはずだ、たぶん。

遅刻した上で有給も申請してやる。これは正当な権利だ。

反骨精神がむくむくと湧き上がる。

ジャスミン茶をぐいっと飲み、勢いよく立ち上がる。

ペットボトルをバッグに突っ込み、パンプスはビニール袋に入れる。

そして私は森を完全制覇するべく歩き始めた。

森は深く人が通れる道はないが、獣道と思わしき隙間を縫うように歩く。

ギイギイと不気味な鳴き声をあげる鳥が頭上を通過する。現実ではありえない大きさのその鳥は極楽鳥のごとく派手な色合いをしていた。人を余裕で丸のみにできそうな大きさなんて。

じわりと冷や汗がでる。ロック鳥じゃあるまいし。

「鳥に食べられる夢は勘弁してほしい」

ゆっくりとその場を離れ、空から見えない位置を確認しつつ進むことにした。

 先ほどからお腹の音が鳴りやまない。おにぎり1個では満足できなかった。他に何も食べるものは持っていない。こんな事ならばもっと食べ物を買っておくべきだった、なんて今更思ってもどうしようもない。

ジャスミン茶を流し込むが全く効果はない。

足元のキノコとにらみ合う。美しい赤色だった。

「いやいやいやいや、キノコは駄目でしょう」

誰か私を止めてほしい。夢とはいえ毒々しいキノコを食べるなんて。

いや、夢だからこそ問題ないのでは?

自問自答の末私は真っ赤なキノコに手を出した。スンスンと匂いを嗅ぐ。

「松茸?」



 夢だし体が大きくなったりして、なんて思いながら食べた自分を殴ってやりたい。

しかもなぜ生で食べたのだ。

「おえぇ、げほっ、おえ」

胃の痛みと共に盛大に吐いた。ギリギリと胃が悲鳴をあげる。

こんな夢なんてあんまりだ。こんなに痛みを感じるなんて。

四つん這いになりながら、押し寄せる嘔吐に生理的な涙を流す。

ようやく胃の中が空っぽになり、何も出なくなった頃には体力は大幅に奪われていた。

酸っぱくなった口の中をジャスミン茶でゆすぐ。まだ胃がザワザワしている。

「おにぎり勿体ない…」

キノコなんて食べなければよかった。ジャスミン茶の残りも半分になってしまった。

私は座り込み力なく天を仰いだ。

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