20話:Violation (侵食)

「ぐっ……。」


 僕は強烈な痛みを感じると同時に目が覚めていく。

ぼんやりとする意識の中で僕は前に何があったのか考えてみた。しかし何もかもが霧に包まれた感じで考えることすらままならない。


「幻夢くん! 幻夢くん! 」


「幻夢! 幻夢! 大丈夫か! 返事してくれ! 」


 僕が目を覚ましたことに気づいたのか詩音と癒月がベットへと近づいてくる。

少しずつ意識がはっきりとしていたが、先程のよどんだ気持ちが戻ってくる。

どうして僕を助けたんだと思っていた時、詩音が僕をちらりと見た後に癒月に対して訊ねた。


「雅楽さん、幻夢の身を襲っている黒いもやみたいなのはなんなんだ。幻夢はこれから一体どうなるんだ。」


 すると癒月は詩音の答えに対して首を横に振った後に答えた。

彼女の濃い緑色の髪の毛が彼女の動きによって揺れる。


「分からない。でも私には1つこれじゃないかってのはあるの。でも正直……言いたくないわ。」


 突然癒月の顔が暗くなり、うつむき始める。

少しは無言の時間が流れるかと思ったが、詩音がすぐさま腕を組んで言った。


「雅楽さん、隠していてもいつかバレるし、今言った方がダメージは小さいぞ。幻夢も自分の状況ぐらい知っておく必要がある。」


 彼女の赤い眼差しは癒月を一直線に見つめていた。警察官という仕事をやっている以上、情報が1番欲しいという気持ちがあるのだろう。


「参ったわ。教えるけどそれとは言えないからね。」


 癒月は降参するかのようにぽつりと呟くとある話をし始めた。

彼女の言っていたことがもし本当だったり、その事態よりも軽ければ安心できるだろう。

 しかし、彼女が提唱している説より事態が重ければアークにとって大損害になる。

彼女はそうだった時のことを恐れているのではないだろうか。

 そうなると彼女が口をつぐんだのも納得が行く。

しかしこんなことなど僕にとってはどうでもいいのだが。


「ドッペルゲンガーって知っているかしら? 」


 勿論知っている。自己像幻視じこぞうげんしとも呼ばれる現象で自分の姿が2人に見えることである。

ドッペルゲンガーについては確か講義で習っていたはずだが……よく覚えていない。


「あぁ、知っているが幻夢がドッペルゲンガーでも見たっていうのか? 」


 詩音はそのことに対して物怖じもせずに癒月に訊ねた。すると癒月はうつむいたままメガネを外すと詩音に答えを返す。


「あぁ、見たわ。でもまさか幻夢のドッペルゲンガーがアークゼノにいるとはね。

そのドッペルゲンガーを幻夢が見たってことはあとは分かるわね? 」


 その事を聞いて僕は背筋が凍るような感覚を覚える。

ドッペルゲンガーに会った人間は死ぬという話は昔からよく聞いていた。

ドッペルゲンガーが死ぬと考えられる理由は色々あるらしいがよく覚えていない。


『――ゼノ世界とマノ世界に同じ人がいるとは信じられないですね。』


『だからこそ“イレギュラー”が起きたんだ。おそらく2つの世界に同じ人が生まれてしまったという異常が起きてしまった。その――。』


ふとゼノ世界の僕とのやりとりを思い出した。

このやり取りとドッペルゲンガーでもうひとつの説が浮かび上がってきた。

時空の歪みなどはイレギュラーのせいではなく、雷電幻夢という存在がイレギュラーによって2人いることによって生まれたものということだ。


「あぁ、分かる。もしドッペルゲンガーが原因なら……単純だな。」


 詩音はそう言うと腕を組むのをやめて自分の武器である大剣を掴むと部屋を出ようとした。

一体彼女はどうしようというのだろうか。


「詩音さん、どこへ行くのかしら? 」


 癒月は顔を上げて詩音に訊ねる。

すると彼女は爽やかで屈託くったくのない笑顔を向けて答えた。


「ちょっと幻夢のドッペルゲンガーを倒しに行くだけだ。」


 それを聞いた癒月は呆然としていたが、僕にとってはそれが解決法に思えた。

自分が唯一無二の存在なはずなのに分身が現れたとなったら分身を殺そうと思うのは自然だろう。

 しかしドッペルゲンガーも同じことを考えているのか分身である僕を殺しにかかっているのだ。そう、自分を守るために互いを殺しあっているのだ。

僕はふと目的を置き換えてしまえば今ののアークとアークゼノのような状態になるのではないかと考えてしまう。


「詩音さん、あなたまた1人で行くんじゃないでしょうね? 」


 癒月は心配そうな顔で詩音を見ると、ため息をついた。

確かに彼女には1人で突貫して返り討ちに遭った経験があるのでそんなことはしないと思っている。

何故僕を彼女は救おうとしているのだろうかと訊きたかったが、詩音がそれを遮るかのように言った。


「そんなにあたしのことが信じられないのか? 大丈夫だ、誘いたい人がいるからな。」


 詩音は呆然としている僕を置いてそそくさと部屋を出ていった。

彼女が去ったドアをちらりと見た後に2人っきりの無言の時間が流れる。

その時間が僕にとってはそのままでいいと思っていた時に突然ドアが開くとボロボロになった金髪の男が部屋の中へ入ってきた。


「痛てぇ……おっ、癒月とげ……幻夢か? 」


 あまりにも姿が変わっていて気が付かなかったが、その男が鉄秤とわかった。


僕はちらりと彼の顔を見る。

彼は絶句と愕然がくぜんが入り交じったような表情を浮かべていた。

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