第27話 END

 期末考査が終わったあと、俺たちは何もかもが嫌になった。


 いや、沢村のゴタゴタがあってなんとなく浮いた気分が続いてしまって、結局ほとんどのメンバーがノー勉でテストに臨んだ。愚行もいいところで、まだ発表はされていないが、いったい何人追試を受けることになるのか見当もつかない。

 ので。

 何もかも嫌になったらパァーッとやるに限る。


 誰が言い出したのか知らないが、その日の放課後、俺たちはキャンプファイアーをすることになった。場所は校庭、時刻は夜八時。

 各自が持ち寄った廃材やら燃やしても問題なさそうなゴミやらを組み重ねて桐島が隠し持っていたガソリンをぶっかけて燃やした。なぜ桐島がガソリンなんか隠し持っていたかといえば、あの女は世紀末なオイルショックが起こった場合に学校に立てこもりガソリンを法外な値段で売りつけようと画策する魔女だったからだ。なので我らが生徒会副会長が直々にやつに鉄槌を下した。いま、桐島の夢とお金の名残が勢いよく燃え始めたところだ。あいつもバカだなーガソリンって腐るのに。

 俺は一階の廊下から半身を夜気にさらして、科学部の水谷が「うちの部長の不手際のおわびに」と作ってくれた何か泡立つ液体を飲んでいる。酒ではないらしい。ただの炭酸水か何かだろう。お好みでと渡された砂糖を混ぜながら少しずつなめる。おいしい。肉とかにかけたら柔らかくなりそう。

 キャンプファイアーの周りにはポンコツ3組と、他クラスの連中も集まっていた。みんな思い思いにレジャーシートを敷いてだべったり、松明を作ってチャンバラをやったり、背筋を伸ばして麻雀を打ったりしている。てっちゃん、また負けるんだろうなァ……


「沢村、火が足りない! 火ぃ入れて火ぃ」

「わーった、わーったよ。いまやるよ……痛い! ケツを蹴らないで! なんでそんなことするの!?」


 沢村が周囲に蹴飛ばされながらキャンプファイアーに手をかざして、その火勢を強めている。キャンプファイアーの火はごうっと大きく燃え上がり、周囲の人間の頬を赤く照らした。それをクールに眺めながら炭酸水をなめる俺。超イカしてるなって自分で思う。


 沢村は、結局転校しなかった。

 まあ向こうから願い下げだったろう。公務で支給されていたバスを大破させられた犬飼さんは「更迭モンだよ」という苦みばしったセリフを最後に姿を消した。以来、沢村を連行しようとする政府の手先はやってきていない。

 沢村は沢村で、火を出してから今日まで振り返ってみれば驚くほど動じていなかった俺たちのあり方に思うところがあったらしく、今では普通に学校へ通っている。まあ俺たちの肝っ玉は筋金入りで、沢村が手から火を出したことを素で忘れていた猛者も何人かいたことだし。終わってみれば本当に、たかが手から火を出したぐらいでどうということもなかったのである。高校生ってすげえ。

 そんなことよりも俺は今、テストの結果が気になって仕方がない。黒木と答え合わせしたかったが、あいつは今夏の合宿へ向けての体力作りでそれどころではないらしく、今もキャンプファイアーの周りをエンドレスにウインドブレーカーを羽織ったままグルグルと走り回っている。ロードワークするか享楽に参加するかどっちかにしてほしい。見てるこっちが暑い。

 横井と茂田と答え合わせじみたものはやってみたものの、綺麗にみんな答えがバラバラで、少なくとも誰か一人は確実に赤点を割っただろうし、何もかもが駄目だと三人ともアウトの可能性もある。沢村とは違った意味でトライデントの名を襲名してしまうかもしれない。すげーやだ。


「後藤」


 呼ばれたので振り返った。志波が、どう見ても酒にしか思えないものを抱えて立っていた。


「よう」

「志波センセじゃないすか。何してんすか」

「何も糞もキャンプファイアーだぞ。家でゴロゴロなどしていられるか」


 その青白い顔からは考えられないほどアグレッシブなセリフが志波の口から飛び出した。この町には一見するとひょろっちいくせに内心には熱い魂を持っている男性が多いと聞く。うちの親父もそうだし。

 ふう、っとため息をついて志波が窓枠にもたれかかった。


「沢村、転校しなくてよかったな」

「ああ、そっすね」

「聞いたぞ?」


 志波はエロ本を見つけた小学生みたいなツラになり、


「大活躍だったらしいじゃないか」

「拳にヒビ入れたことが大活躍ですかね」

「大活躍さ」


 志波は一升瓶からオチョコにどぼどぼと酒を注いだ。日本酒かよ。酒井さんちで買ったのかな。


「オトコの勲章ってやつだな」

「志波センセ、本の読みすぎ」

「ふふふ」


 このオッサン、さてはもう酔ってやがるな? セリフがかっこつけすぎなんだよ。


「沢村が転校するって言い出した時な」


 志波はぐいっと杯を干して、まるでカラになったそこに記憶が映っているかのように覗き込んだ。


「先生たちは何もいえなかった。だって黒服びしっと着た男たちが沢村の周りを取り囲んでたからな。沢村、極道のお嬢さんにでも手をつけちゃってこれから沈められるのかなって本気で思ったよ」


 確かに黒服は怖い。気持ちはわかる。


「で、まあ話を聞いてみたら手から火を出したとか言うじゃないか。職員室は二等分されてな、行かせた方がいい派と行かせない方がいい派。俺は……行かせた方がいいと思った」

「……」

「国って言葉が強かったな。国に任せておけばいい。そう思った。先生も公務員だしな。でも……おまえはそう思わなかったらしいな」

「別にそんな格好つけたアレコレじゃないっすよ」


 きっかけは下心だったし。そう考えるとあのパンチもリビドーのなせる業で全然大したものじゃない。


「理由なんかどうでもいいんだ。問題なのは、何をやるかだ。おまえはやった。先生はおまえを教える身として誇らしいよ。おまえらみたいな若者がいれば、先生たち年寄りは安心して死ねる」


 大げさな。褒めても何も出ないぜ。

 でも、まんざらじゃなかった。

 志波は教師ぶって俺の肩を叩くと廊下の奥に消えていった。もっと落ち着ける場所で飲みなおすのだろう。

 窓枠には志波が忘れていった杯に、少しだけ酒が残っていた。俺はあたりをうかがって、その酒をぺろっとなめてみた。

 気の抜けた炭酸水の味がした。

 ったく。

 志波のやつ、下戸にしちゃあ格好いいこと言いやがる。


 ○


 俺はキャンプファイアーの周りをウロウロした。

 あたりには肉の焼ける臭いが漂っている。別に誰かがキャンプファイアーに投げ込まれたわけではなく、バーベキューをやっているやつがいるのだ。本当にどいつもこいつも喰うことが好きである。

 俺が近づくと火をくべていた沢村が振り返った。


「おう、後藤。肉食うか」

「食う」


 紙皿にとってもらって、俺はもりもり肉を食った。超うめえ。


「あのさ、後藤」と沢村がもじもじしていた。気持ち悪い。

 なんだ、と聞き返そうとしたが、その時強い風が吹いてまた火が消えかけ、沢村は四方八方から引っ張られて(うわーっ!)、いってしまった。何を言おうとしていたんだろう。何でもいいか。

 俺はレジャーシートに腰かけてもぐもぐと肉に舌鼓を打った。

 キャンプファイアーのそばでは天ヶ峰が松明を振り回して手当たり次第に嫌がらせをして回り、吹奏楽部の女子は何か綺麗で眠くなる曲を演奏している。紫電ちゃんがコーラスで何か歌っていたがヘタクソなので何がなんだかわからない。断末魔かな?

 平和である。

 のんびりと揺らめく火を眺めていると本格的に眠くなってしまった。うとうとっと顔が下がる。やべー家帰るのめんどい。茂田んち泊まろうかな……

 かくんっ

 ごっ

 うなだれかかった俺の首が誰かに支えられていた。俺はぱちっと目を開けて顔を上げた。


「大丈夫ですか?」


 沢村妹だった。


「おお、妹」

「そ、その呼び方はやめてください……」


 沢村妹は顔を真っ赤にして俯いてしまった。やべーなんだこの生き物。これが女の子ってやつか。やべーな。やべー……

 よく焼けたホルモンみたいなツラになっていたんだろう、俺を見て沢村妹が今度はくすくす笑った。なんだか幸せそうな呼気をして、


「お肉、食べてますか?」

「もちろん。そっちは?」

「私はもうおなかいっぱいで……」


 そういって沢村妹は平らなおなかをさすった。


「兄と違って、少食なんです」

「太らなくていいねぇ」

「はい」


 そのまま二人、肩を並べて火を眺めた。


「……あの」

「うん」

「今回は、いろいろありがとうございました。兄のために尽力してくださって……」


 本当は兄貴のためじゃなく君のためなんだけどね、と言いたかった。終わってみれば滑稽な話で、転校するのも引越しするのも実は沢村一人で、沢村妹はあの時あのバスに乗っていなかったのだ。ある意味で当然なことなのだったが、早合点した俺にはもう何がなんだかわかっていなかったし、結果的にはまァよかったのだろう。あんなやつでもチャッカマンの代わりにはなる、というかあいつこそが真のチャッカマンだった。

 だが、こんなチャンスをふいにする俺ではない。すかさず遠くを見てこう言った。


「べつに大したことはしてないよ。友達として当然のことをしたまで、かな」


 くぅーっ!

 決まった!

 俺はそおっと隣の少女を窺った。さてさて俺のイケメンワードの効力のほどは……?

 効いてるっ!

 沢村妹は目を潤ませて俺を見上げていた。


「……加藤さんはすごいですね」


 後藤です。あとで直させる。

 が、いまはいい! いまはなんでもいいから惚れてくれ! 頼む! 俺は君のことが好きだーっ!! もうひとりぼっちの夏はやだーっ!!


「私にも加藤さんみたいな勇気があれば……」


 俺は尻をずらして沢村妹に近寄った。視界の隅で天ヶ峰にボコボコにされている沢村が映ったが、妹からは見えないよう姿勢を変えた。何をやったんだか知らないが今は沢村の命運どころじゃない。


「何か悩みでもあるの? だったら、俺でよければ聞くけど……」


 あんまりがっつかないようにするのがコツだってフラワーズの漫画に書いてあった。

 沢村妹は恥ずかしそうに唇をかんでもじもじした。


「でも……あまり人に言うことじゃないですし……」

「遠慮しなくていいんだよ。どんなことでも忘れてくれって言えば俺、忘れるし、誰にも言わないから」

「……本当ですか?」

「当たり前だろ」


 ちょっと強めな口調で言ってみた。ワイルドで頼りがいのある感じを演出したかったんだが、機嫌悪いとか思われてたらやだなあ。

 沢村妹はまだ迷っていたが、数秒、キャンプファイアーの火を見つめているうちに、どうやらその心にも勇気の炎が灯ったらしい。意を決したように俺を見上げてきた。


「加藤さん」

「なんだい」


 すうっと息を吸って、




「私、兄が好きなんです」





 ……

 …………

 …………………


 はあ?




「じ、実は初めて会った時から好きになってしまっていて……でも血は繋がっていないとはいえ戸籍上は兄ですし……ずっと我慢してきたんです。もうはち切れそうなんです。理解されないまま過ごす夏にはうんざりです!」


 沢村妹は放心状態の俺にずっと顔を寄せてきた。


「でも、やっぱり、自分の内に溜め込んでるだけじゃ駄目ですよね。言いたいことは言わないと。私、兄に告白してきます! 加藤さんが勇気をくれたから……」


 すっくと立ち上がり、深々とお辞儀をして、


「ありがとうございました! そこで見守っていてください……私の戦いを!」


 意味のわからんことを言い残して沢村妹はキャンプファイアーめがけて猛突進していった。

 その後どうなったかは知らない。俺はその場に大の字に寝転んじまったから。

 満天の星空も今は恨めしい。

 が、まあ、いいか。


 俺は起き上がり、頭を振った。

 そして振り返るとキャンプファイアーの熱さを知らないのか、それともやっぱり馬鹿しかいないのか、沢村や天ヶ峰や茂田や横井やそうして今こっぴどいやり方で俺をおフリあそばした沢村妹がどんちゃん騒ぎをやらかしている。




 火に声をかけられた夏の虫のように、俺もやつらの喧騒の中に加わった。








                 END

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