第26話



 ここにきて、さほど沢村と仲良くなかったことが心底悔やまれる。

 横井あたりはもうちょい絡みがあったから沢村家の住所を知っているのだろうが。メールを送ったが全然返事が来ない。くそっ!

 俺は闇雲に市中を走り回っていた。初夏である。もうすぐ期末考査だってあるし、いくら夏服とはいえ汗がどくどくと流れてくる。何度諦めようと思ったか知れない。何軒もの書店とレンタルビデオ店が俺に甘い誘惑を囁いてきた。だがそれに乗ってしまえば沢村一家は奥多摩行きだ。俺の身体よ、今しばらくガッツを見せてくれ。

 そして俺は高台の公園へと走りあがった。高い場所から見下ろせば、荷物などを運ぶトラックが見えるのではないかと思ったのだ。仮に見つけたとして、そこから駆け出して間に合うかどうかはわからなかったが、何もしないよりはずっといい。

 子供の頃よく遊んだ公園には誰もいなかった。俺はブランコや滑り台を無視して、崖になっている柵の際まで走った。走ったのがよくなかった。誰かが捨てた某有名トレーディングカードゲームの空き袋を踏んだ俺の身体は綺麗に滑った。


 ごんっ


 腰を柵に強打。一瞬意識が遠のき、そのまま崖下へと転がり落ちていった。

 恐怖で悲鳴も上げられなかった。

 いや、実際、自分が上を向いているのか下を向いているのか、一秒先に何か尖ったものが待ち受けていないか、そんなことすらわからない時間が五秒だか十秒だか十五秒だか続けば誰でもびびると思う。地面に背中から激突して大の字になったあと、俺はこのクソ暑い中びっくりするほど弱々しく震えていた。ほんと怖かった。死ぬのはまだまだごめんだわ。

 立ち上がると、全身が血塗れだった。細かい擦過傷がほとんどだったのがせめてもの救いだ。

 慣れないことはするものじゃないな、と後悔して、自分のモブキャラっぷりに心底嫌気が差した。が、捨てる神あれば拾う神あり、顔を上げると黒塗りのバスが停まっているのが見えた。運転席には黒いスーツを着た例のオカマが座っている。犬飼さんだ。

 どうやらまだ俺の出番は終わっていないらしい。俺は再び駆け出した。


「犬飼さーんっ!」


 駄目だ、あのオカマ、イヤホンで何かを聞きながら仕事してやがる。なんて態度だ、バイト以下だな! 罵ってやりたいが聞こえていないようだ。

 とたん、まるで俺に嫌がらせしたいかのようなタイミングでバスがエンジンをふかし始めた。そしてバスの窓から見えるあのツラは――


「沢村っ! 沢村ーっ!!」


 俺はバスに取り付いてバンバン叩いたが沢村は窓に額を当てて空を見上げている。こんな時に黄昏やがって……絶対にちょっとは聞こえてるだろ! どんだけ自分が好きなんだよ。帰ろうかな……くそっ、ああ、もう!

 俺は拳を作った。やりたくねー。でもやるしかねー。息をはあはあ吹き付けて、覚悟一発、俺はバスのシャーシをぶん殴った。


 がごんっ


「痛っ……」

「!? えっ、後藤!?」


 沢村が俺のナックルの衝撃でようやく気づき、窓を開けた。


「こんなとこで何やってんだよ?」

「それはこっちのセリフだ!」


 俺は真っ赤になった拳をふらふらさせながら、


「水臭いじゃねーか沢村。黙っていっちまうなんてよ……」

「それは……悪い、言えないんだ。黙っていかせてくれ」

「ケッ。何が黙っていかせてくれ、だ。格好つけてんじゃねーぞ英数国トリプル赤点のトライデントが。おまえが手から火を出せることぐらいもうみんな知ってんだよ」

「えっ……?」

「おまえな、あんな授業の真っ最中に手から火ぃ出してびびってんじゃねーよ。しかもその後何度も確認すんなよ。隣の俺からモロ見えだったぞ」

「おまえ寝てたんじゃなかったのかよ……なんてこった、じゃあもうみんなも知って……?」

「河川敷での一世一代のバトルはクラスみんなで観戦してやったぜ。わはははは、ざまあみろ、ぶわぁーか!」


 高笑いする俺に沢村がゴン、と窓枠に頭を打ちつけた。

 これで馬鹿の沢村にもわかっただろう。たかが手から火を出せるぐらいのアクの強さなんぞじゃ、俺たちポンコツ3組の中じゃむしろ地味だってことがな。

 だが、沢村は額をごりごりと窓枠に押し付けた。


「駄目なんだよ……俺はここにはいられねえんだ」

「俺の話を聞いてなかったようだな。とうとう日本語まで忘れたか猿が」

「うるさいな!? さっきから罵倒がひでーよ! ちょっとこれから喋るから罵倒をおさえて!」


 仕方ないなあ。俺は口をつぐみ、顎をしゃくって先を促した。


「駄目なんだよ……俺はここにはいられねえんだ」


 またそこからやり直すのかよ。紺碧さんかおまえは。


「俺は、俺はわざとじゃなかったけど、結局吉田を入院させちまったし、酒井さんちも全壊させちまった……一歩間違えば殺してるところだった。どんな顔して酒井さんに会えばいいのかわかんねーよ……」


 本人は横井のお母さんのご飯がウルトラやべーって今日めっちゃ嬉しそうに喋ってたけどな。ちなみにカニ玉チャーハンだったらしい。


「だから、俺はこの町にいない方がいいんだ……いつまた俺を襲ってくる連中との戦いにおまえらを巻き込むかもしれないと思うと……俺は……!!」


 あー。


 飽きた。


「俺は……俺は……!!」

「うるっせえ!!!!」


 俺はバスを殴った。ごきぃ、という嫌な音がしたがアドレナリンでどうにかなった。

 いまはたぶん痛くても言わなきゃいけないところだ。


「いいか沢村、おまえが何を考えていようと、何を悩んでいようと、そんなことはどうでもいい」

「後藤……?」


 俺はふんぞり返って叫んだ。


「おまえの意見なんぞ知るか! 俺は――俺の意見が一番大事だ!!!!」

「え、ええー?」


 沢村が「そんなのアリかよ」みたいなツラになる。アリなんです。


「じゃあなにか、俺が今まで喋った色々は全部無駄か」

「当たり前だ。なに悲劇のヒーローぶってんだよ。似合ってねえぞ」

「だけどなあ!! 実際、次になんかあったらどうすんだよ!! 俺が誰か燃やしちゃったら、おまえ責任とってくれんのか!!」


 そんなこと、


「その時に考えればいいんだよ!!!」


 ゴンッ。


 沢村はまた窓枠に額をぶつけた。


「話聞けよ……」

「聞かん。とっとと降りてこいボンクラ。おまえが何かを燃やしたら、真っ先に小便ぶっかけてやらあ」

「もう何もかもメチャメチャだな……あーもう、なんか腹立ってきた!」


 沢村はがばっと起き直って、運転席の方へ叫んだ。


「犬飼さん、車出して! 俺、やっぱ政府のとこいく!」


 ええ!? どういうことだよ! なんでそこで意地を張る? 沢村くーん!!!

 いつから聞いていたのか、犬飼さんは事情は全部聞いていたらしく(イヤホンはもう外していた)、「あいあいさー」とのんきな掛け声と共にバスを走らせ出してしまった。ちょちょちょちょちょ!! おいオカマ! 止まれオカマ! ちょっ……オカマァァァァァァァ!!!!!

 ぶおおおお、とバスは走り出していく。俺も合わせて駆け出したがさっきまで市街を走り回っていたせいでスタミナが持たない。畜生、ここまでか――その時、バスが急停止した。なにごとぞ、と俺は前を見た。これで信号だったら笑えるな。

 信号ではなかった。

 もっと強いやつらだった。

 我らがポンコツ3組が男子女子ともにほとんど全員総出で仁王立ちしていた。

 先頭にいる茂田がにやっと笑う。


「水くせえのはおまえだぜ、後藤!」

「沢村くんをこの町から追い出したりはさせないよ!」

「おまえら……!!」


 俺は不覚にもちょっと涙で目が潤んだ。くそっ、こんなことで。

 茂田が両手を振り回した。


「やれぇーっ! 野郎ども! バスを押し倒せーっ!」

「おおーっ!!」


 掛け声の下、わっせわっせとポンコツ3組一同がバスを押し始めた。運転席で犬飼さんがマジであわてている。沢村は歯を食いしばっていた。


「おまえら、ずっと俺のことわかってたのに黙ってたんだな!? なんでそんなことしたんだよ!!」

「おまえが自分で言い出すのを待ってたんだよ!」


 茂田がショルダーアタックをかましている。


「ったく、そんなくだらねーことでハブにされるようなクラスかよ」


 黒木がワンツーを果敢に叩き込んでいる。


「沢村くん! 実は1組の山田と牧瀬が沢村くんのこと好きなんだって!」

「答えないで逃げたらオトコじゃないよ!」


 女子どもがえっさえっさと背中でバスを押しながら叫んだ。ちなみに山田も牧瀬も男だ。


「沢村、あのさ、貸してたPSP、まだ返してもらってないんだけど!」


 横井が空気を読まずに貸した物の催促をする。


「おまえら……」

「手から火が出るからってなんだよ!」


 俺は痛む拳をバスに叩きつけた。どおん、という衝撃で沢村が震えた。


「うちのクラスにゃもっとやべーのがいくらでもいんだろうが! たかが火が出るくらいで……何が俺らと違うってんだよォッ!!!」


 がぁん!


 ぽたり


 みんなが押すのをやめた。

 窓から顔を出した沢村が泣いていた。


「みんっ……なっ……あり……ありがっ……」

「わかったならさ」


 俺は拳を振りながら言った。


「降りてこいよ、さっさと」

「うん……」


 沢村がバスの奥へ消えた。みんなから安堵のため息が漏れた。終わったのだ、これで。

 だが俺たちは忘れていた。何かが足りないことを。こんなにことが素直にいくのは、初めからおかしなことだったのだということを。


 たったった……


 たったったった


 たったったったった!


「沢村ぁーっ!!! いっちゃ駄目ぇーっ!!!」


 ああ。やばい。終わった。

 俺は絶望と共に振り返った。向こうから一直線に駆けて来るのは紛れもなく女子。硬質なロングヘアがたてがみのように揺れている。


 だんっ


 天ヶ峰美里が飛んだ。


 俺はそのハイジャンプを見上げながら思い出していた。初めて天ヶ峰と会った日のことを。

 小一の冬、俺はこの町に越してきた。外で遊んでこいと言われてふらっと寄った川原で、女の子がひとり、タイヤを腰に巻きつけてへたばっていた。聞けばそれを引っ張りながら走るのだという。

 身体を鍛えて、いじめっこをやっつけるのだという。

 ああ、と俺は思った。この町にはいじめっこがいるのか。じゃあこの変な女の子と関わるのはよそう。そう思いながら俺はその女の子に手渡されたストップウォッチを握って、その子が無駄に足を滑らせるだけの光景を何時間も見続けていた。

 いつしかストップウォッチにはタイムが刻まれるようになり、タイヤが増え、月日が経ち、いじめっこをやっつけるだけだったはずの戦いはいつしか町内全体を巻き込む大抗争へと発展していった。俺はそれをずっと横で見ていた。メッセンジャーとして。

 沢村が手から火を出したあの日、それを一番近くで見たのが俺だったのは、何かの因縁かもしれない。俺はいつも、いつも、そばから見ている役目柄だったのだ。





 どっがぁ!




 沢村が投降したことなど露ほども知らない天ヶ峰の跳び蹴りがバスの横っ腹に突き刺さった。

 今度は持ちこたえられなかった。

 タイヤごと浮き上がったバスがゆっくりと倒れていき、中でパニクっている犬飼さんと俺の目が合った。ごめん、助けられそうにない。


 ずどぉぉぉぉぉぉぉん…………


 バス、横転。

 さすがのポンコツ3組も一同呆然としてその場に立ち尽くした。

 天ヶ峰だけが動いている。天ヶ峰は横転したバスにへばりつくと窓を蹴破って中へと進入。一分もせずに這い出てきた時には沢村を引きずり出していた。沢村はもう天ヶ峰の顔が見た時に考えるのをやめていたらしい、幸せそうな寝顔だった。


「よいしょっと」


 天ヶ峰は猟師が獲った獲物にそうするように、沢村の首根っこを掴んで持ち上げ、バスの上からみんなに見せびらかした。息が上がっている。さすがにバスを蹴倒したのは初めてだったろうからな。

 天ヶ峰はすうっと息を吸い、


「獲ったどぉーっ!!!!」


 いや。

 そういう話じゃないから、コレ。







『登場人物紹介』



 天ヶ峰…獲った

 沢村…獲られた

 後藤…痛む拳はオトコの勲章

 茂田…気絶した犬飼さんを最寄の病院に連れて行った

 犬飼さん…オカマ

 横井…PSPはうやむや

 女子…バスを尻で押したため尻が痛い

 黒木…そ知らぬ顔をしている

 三浦…一言もセリフがないまま終わる

 田中くん…沢村が泣いちゃった時に釣られて泣いちゃった

 木村…実は女子と仲がいい

 てっちゃん…そばを配達していたので不参加に終わる

 江戸川…自慢のエースストライカーもバスには勝てず

 桐島…他クラスなので不参加

 紫電ちゃん…自宅で沢村投降の報を知る

 佐倉某&男鹿…紫電宅にて闇鍋パーティを開いていた

 紺碧さん…ヒトカラ満喫中

 志波先生&そのほか先生ズ…その時、職員室で全員のお茶に茶柱が立った

 吉田くん…入院中

 茂田の姉貴…ヤケドを負わせてきた地柱町に巣食う野良パイロキネシスト集団を人知れず壊滅させ、残りの吉田くんをシバきに病院へ向かっている最中だが、誰もそのことを知らずに終わる

 山田と牧瀬…ホモとゲイ

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