第25話
たったったった
どんっ
「大変! 沢村が転校するって!」
それどころではなかった。
机の上に広げられた紙の台、そこに俺と黒木の分身がちょっとびっくりしたみたいなスタンスを取って相対している。にらみ合うはおのが運命おのが意地のため。
神官服を着た茂田が神様にケツを掘られているような顔をしながら、
「はっけよーい、のこったのこった!!」
ズドドドドド!!!
「うおおおおお!!!!」
「だらああああ!!!!」
俺と黒木の両指十本が痙攣を超えた速度で台を叩き始めた。土俵の上はもはやララパルーザ、地鳴りの体をなし俺と黒木の分身力士が右に左にとブローを叩き込みあう。ちなみに相撲である。
俺と黒木はきらめく汗を飛び散らせながら笑いあった。
「やるな!!」
「おまえもな!!」
両手が開いていれば固く握手を交わしていたところだ。だが今は勝負の最中、馴れ合いはご法度だ。
状況は黒木が優勢。俺の分身は少しずつ競り負けて土俵際へと追い詰められていく。
が、
「ふンッ!」
俺は台を上からでなく横から突き上げるように叩いた。
「何ィッ! それは下手をすれば自分が一回転して負けてしまう諸刃の剣、土俵際左捻りこみ……!!」
「悪いな黒木、負けられない戦さぐらい、俺にだってあらァ!」
衝撃を回転へと流した俺の分身が黒木のそれを弾き飛ばし――
「話を聞けーっ!!!!」
どがっ
俺たちの努力も涙も血も汗もついでに巻き添え食った茂田も、すべて空中へと散らばった。
「ああっ、俺の夜孔雀が」
「やめてくれ、俺の絶影狐が」
誰も気絶した茂田の心配はしない。
天ヶ峰がはあ、と生意気にもため息をついた。
「紙相撲なんてやってる場合じゃないでしょ? いまはわたしの話を聞くとき」
自分で言うなよ。俺はうんざりして天ヶ峰を見上げた。
「この怪物め、自分のすみかに帰るがいい」
「誰に言ってんの?」
ごめんなさい。
天ヶ峰は腰に手を当てて、俺たちをぷんすか見下ろしてきた。
「もーっ。なんでまた紙相撲? いま紙相撲するご時勢?」
「時勢は関係ねーだろ」と黒木。
「これでも大事な天下分け目の超決戦だったんだぞ」と俺。
「天下分け目? なにか賭けてたの?」
黒木がすっとルーズリーフのファイルを手に取った。
「俺と勝負して一勝すれば、この期末考査用のノートのコピーを一枚、渡す。後藤が負ければ俺は400円をもらう」
500円でないところが黒木の優しいところだ。
天ヶ峰はそうだったんだあ、と納得したようで、
「じゃあ、これはわたしがもらうね」
黒木秘蔵のファイルに手を伸ばした。それを見た黒木の目がきらり光った。
「ヌンッ!!」
ずどっ
おそらく58キロ級の男子高校生が出せる最大戦速のナックルが天ヶ峰の腹筋に突き刺さった。
「いてっ。なにすんの!」
全然痛そうじゃない。黒木の顔に冷や汗が浮かんだ。
「おまえと会うたびに自分に自信をなくす」
ちなみに黒木は現役のプロボクサーである。十七歳になってすぐライセンスを取得した。まだ四回戦なので先輩連中からは「グリーンボーイ」などと呼ばれているが、自分は黒木だからブラックボーイだと言い張っている。勉強はできるのだが、頭がちょっとおかしい。
「だが天ヶ峰、このファイルはさすがに渡せないぜ。おまえが寝ている間も俺は頑張って授業を受けていたんだ。おまえだって頑張って育てたアサガオを誰かに燃やされた時は烈火のごとく怒ってたじゃないか」
そういやそんなことあったな。確か小二の頃だ。あの頃は天ヶ峰もまだまだ弱かった。俺でも足かけて転ばせたりできたし。
「うーん、それもそうだね……まあいいや、でんでんに教えてもらうし」
「そうだ、それがいい。紫電ちゃんがおまえの係りなんだからな」
「係りってなに?」
俺は黒木のわき腹をエルボーしようとしたがスウェーでかわされた。突っ込みをかわすな! ていうかボディ狙いをスウェーってどういうこと? 化け物なの?
そのまま和やかな談笑に切り替わっていけそうな雰囲気もあったが、天ヶ峰がハッと我に返った。
「って、ちがーう! 話は沢村のこと!」
「沢村がなんだってんだよ」
「転校するんだって! さっき職員室で話してた! どうしよう……きっとかおりんのことを気に病んで……」
珍しく天ヶ峰がしょんぼりしている。まあこいつからしたらおもちゃがひとつ減るようなもので、自分のコレクションは完全なまま保管しておきたいという気持ちから出た悲しみなのだろうが、そうやってしょぼくれていると普通の女子に見えてくるから不思議だ。
それにしても、転校ねえ。
「学校をもう三日も休んでるのはそれが原因だったのか」と俺。
「誰もお見舞いにいかないからわからなかったな」と黒木。
「ねえ、なんとかしてあげよーよ。可哀想だよ」
天ヶ峰のツラが遊園地行きを延期にされたガキのようになる。
「なんとかったってなあ。どう思うよ黒木」
「どうもこうも、沢村が手から火を出せるのは事実だしなあ。どうせ転校先も……なんだっけ、犬飼さん? とかいう人らのとこなんじゃねーの。政府とかの能力者養成機関みたいな」
「ああ、うん、なんか国がどうのこうのっていってた」と天ヶ峰。
「じゃあ決まりじゃねーか」
黒木はゆっさゆっさと椅子を揺らした。
「元々、こんな平凡な……いや、ちょっとだけ異常な一介の高校に超能力者がいるなんてのが無理があったんだよ。やっぱそういうのはちゃんとしたところでしっかり守ってもらった方がいいんだって」
「そんな……でも」
「実際、こないだの河川敷じゃやらかしちまったじゃねーか。あれ酒井さん一家が家にいなかったからいいものの、もし残ってたらいくら女子でも死んでたはずだぜ。沢村が沢村キネシスを制御しきれてねーのは、悪いけどガチだろ」
天ヶ峰が俺を見た。
「後藤は? 後藤もそう思うの?」
「ん、いや」
ええい。
「さあ、どうだかな」
「なにそれ」
「だからさ、結局沢村が決めることなんじゃねーの。しらねーけど」
「知らないってなんだよ! クラスメイトじゃん!」
俺はちょっとむっとした。
「うっせえな。だからだろ。ただのクラスメイト同士で何ができたり言えたりすんだよ。そんな文句あんならおまえがどうにかすればいいだろ。俺を巻き込むなよ」
あ。
言い過ぎた。
俺はごくっと生唾を飲み込んだ。こりゃあぶん殴られて殺されるな。黒木を盾にしたいがこいつはボクシングなら天ヶ峰に勝てるが喧嘩じゃ勝てないと普段から豪語しているので二秒と持つまい。黒木のバトルスタイルは蹴りと関節と締めがお留守もいいところで面白いように足から崩されちゃうのだ。さらばわが十七年の生涯よ。後藤某、処女の拳にて散る。
俺は目を瞑って落着の瞬間を待ったが、いつまで経ってもその時は訪れなかった。おそるおそる目を開けると、もう天ヶ峰はいなかった。
「あれ? どこいったうちのクラスの怪物ちゃんは」
「出てった。いやあ、びびったあ。天ヶ峰ってマジギレすると無表情になるのな」
「マジギレ? いや……」
俺は開きっぱなしになっている引き戸を見やった。
人間には二種類いる。陳腐な言い草だが、それは泣きたい時に泣くやつとそうじゃないやつだ。
紫電ちゃんは泣く。
天ヶ峰は、そうじゃない。
○
終業のチャイムが鳴った。
茂田と横井が俺に磁力があるかのように擦り寄ってくる。
「どうだ後藤、黒木からノートは奪取できたか」
「天ヶ峰に割り込みされて勝負はおあずけだ。明日やり直す」
んだよーと二人は残念そうに肩を落とした。まあ俺たちもまったくノートを取っていないわけじゃなし、三人分あわせれば赤点くらいは免れるだろうが。
「じゃ、帰るか」
「おお」
俺たちはカバンを背負って教室を出た。
「そういや、沢村が転校するってよ」
「ああ、聞いた聞いた。なんでも奥多摩の方にいくらしいぜ」
「奥多摩かあ。ちょっと日曜に遊びにいくにしちゃ遠いな」
「まあ俺たちからしたら歩いて十分以上はどこでも遠いからな」
そりゃそうだ。俺たちの足腰はおっさん以下だからな。あーあ。運動系の部活、やっときゃよかったのかなあ。なんて。
下駄箱まで降りると、横井が「あ」と何かを見つけた。
「どうした横井」
「あれ」
横井が指差した先にいたのは――てっちゃんのチャリを大破せしめたコケシ少女と、この初夏の中ハガネの意志で学ラン着用を敢行している紫電ちゃんだった。妙な組み合わせである。それにしてもあのコケシの子、うちの学校だったのか。
「何喋ってるんだ。コケシの子が頭下げてるみたいだけど」と俺。
「わからん」と茂田。
「かわいいなあ」と横井。
そうなのだ。あのコケシの子にはなにか涼しさのようなものがある。モノで言うと風鈴というか。食べ物でいうと冷たいヨウカンというか。うまく言えんが、結婚したら幸せな家庭を築けそうな気がしてならない。
「転校の挨拶じゃないかな」
と横井が言った。
「転校? なんでわざわざ紫電ちゃんに。生徒会の子だったのか?」
俺がそういうと、横井と茂田が不思議そうに見てきた。
「何言ってんだ? 沢村のことに決まってんじゃん」
「沢村のことって……なんで?」
そうして茂田と横井はとんでもないことを言ってのけた。
「あの子、沢村の妹だぞ」
……。
なん、です、と?
いやいやいや。おかしいおかしい。だってだって、だって、
「だって、沢村に妹なんかいないって。俺あいつと小学校同じだったから知ってるし」
「中学であいつの親父さん再婚したじゃん」と茂田。
「その時に継母さんが連れてきたのがあの子なんだよ」と横井。
なななななな。
「ていうか有名だろ、沢村の妹が美少女だってのは。一緒に昼飯食ってるの見たことあるだろ?」
俺ははっと気づいた。遠目でわからなかったが、そういえば沢村は昼飯を女子と食っていた。それがあの子だったのか。いや、それだけじゃない。記憶を掘り返せばいろいろと思い当たる節がある……
『ごめんな、朱音……兄ちゃん、帰れそうにねえや』
紺碧の弾丸さんとの初戦で死に掛けた沢村が呼んだのはいったい誰の名前だったのか?
『昨日届けてもらったんだ。早く喰わないと悪くなっちまうし、一緒に喰おうぜ』
沢村が検査入院していた時、わけもなく犬飼さんが届けたんだと思い込んでいたあの果物のバスケットを『昨日』届けたのは誰だったのか?
『すみません、急いでいて……』
『いけません、私、いかないと!』
『このご恩は一生忘れません! ありがとうございます!』
そもそもあの日曜の朝、あのコケシの子はいったいあんなに急いでどこへ向かっていたのか?
なんで、
なんで、
「なんでそういうこと早く言わないんだよ!!!」
俺の叫びに横井と茂田が「ええー……」と困り顔になった。くそっ、そうだろうけどさ! 誰か教えてくれてもいいじゃん! なんで俺だけ知らないことがあるの? へこむわ!
俺がその場でぶるぶる震えていると、紫電ちゃんがこっちに気づいてやってきた。
「どうした? 風邪か?」
「紫電ちゃん! いまの子って沢村の妹だよな!?」
俺が肩を掴んで揺さぶると紫電ちゃんは顔を真っ赤にして縮こまった。
「うわわわわわなになになにをなに?」
「あの子なんて言ってた? なんの話だったんだ?」
「なんのって……転校するから、今まで兄がお世話になりましたと……丁寧に……」
「転校っていつ!」
「それが急で……もう今日だって……わっ?」
俺は紫電ちゃんを横井にぶん投げた。横井は紫電ちゃんを受け止めそこねてくんずほぐれつアスファルトに転がった。幸せそうである。
「こうしちゃいられねえ!」
俺は駆け出した。
「なんなんだよ後藤! どうしたんだよ!?」
茂田の叫びに俺は振り向かずに答えた。
「いかなきゃなんねーとこがある!!」
俺は校門を直角ダッシュで飛び出した。
そうだ、沢村が転校? そんなことをさせるわけにはいかない。それはつまりあの子もこの町からいなくなってしまうということだ。そんなことになってみろ、この町は間違いなく今年の夏はヒートアイランド、天ヶ峰だの紫電ちゃんだの家を失って横井家(!)に居候することになって気が立っている酒井さんだのアグレッシブなバケモノどもの跳梁跋扈する魔都になっちまう! きついとき、つらいとき、この町に一人でも普通の、少なくともその魂は穢れなき女の子がいると信じられればエアコンがなかろうが自由研究を天ヶ峰にパクられようが生きていけるのだ。
俺の脳裏には必死に頭を何度も下げるあのコケシっ子の残像ばかりが浮かんでくる。
そう、それに、天ヶ峰に言っちまったさっきのセリフ。
『ただのクラスメイト同士で何ができたり言えたりすんだよ。そんな文句あんならおまえがどうにかすればいいだろ。俺を巻き込むなよ』
男に二言はないと言いたいところだが、あいにく俺はまだ男子高校生。二言も三言も吐いてなんぼのオコサマなんだよ。
俺は陽炎の出始めたアスファルトの町を疾走し、十字路のど真ん中で急ブレーキ、無限に広がる天空に向かって吼えた。
「沢村んちってどこだよ!!!!!」
知らなかった。
『登場人物紹介』
沢村…主人公
沢村妹…コケシ
後藤…一寸のモブにも五分の魂
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