第24話


 チャリンコを気分よく飛ばしているといきなり横から吹っ飛ばされた。と言ってあわてちゃいけない、俺は昔取った杵柄で無闇な抵抗をやめ衝撃に身を任せた。親父がガキの頃言っていた、受身の極意、それは妙な方向に手をついたりしないこと、そして頭部を守ること。あとは勝手に身体が流れてなんとかなる。俺はその通りにした。


「だ、大丈夫ですか!?」


 俺は立ち上がった。幸いなことに打撲もなさそうだ。が、痛かったことは痛かったので文句のひとつも言ってやろうと思った。


「あんたな……」


 が、

 顔を上げた先にいたのは、古きよきおかっぱ頭の美少女。

 おお。なんという美しい黒髪。正直タイプだ。なんというか保護欲をそそる。妹がいたらこんな感じなのかなあ。

 美少女は何度も謝りながら俺の手を引いて立たせてくれた。


「すみません、急いでいて……」

「いや、うん、気にしないでいッスよ。全然いッス。怪我とかないんで」

「そうですか……? 自転車、壊れちゃってますけど」

「え? あーっ!!」


 見るとてっちゃんの商売道具がひん曲がっている。これはひどい。なにかしらの機材を使わないと直せそうにない。


「すみません……」


 しょんぼりと美少女が落ち込んでいく。うーん。本当なら八つ裂きにしてやりたいところなんだが、美少女だからなあ。てっちゃんへの義理と美少女がこの世に生まれてくれた奇跡、どっちが重いかといったらなあ。でもなあ。うーん。

 俺は友情を捨てた。さらばてっちゃん。


「どうせ中古で買ったボロなんで気にしないでいいッス。それより急いでたんでしょ?」


 はっと美少女が電撃を浴びたように飛び上がった。


「そうでした! いけません、私、いかないと!」

「そうでしょう。ここは俺のことなど気にせずに」


 美少女はわたわたしていたが、覚悟を決めたのだろう、きっと唇を引き結ぶと九十度におじぎして、


「このご恩は一生忘れません! ありがとうございます!」


 駆け出していった。なかなかいいランニングフォームである。陸上部なのかな。うふふ。かわいい。今日はいい日だ。

 しかし足元には依然としてひん曲がったママチャリが転がっている。いやどうしようかこれ。さすがに放置していけるほど俺とてっちゃんは仲良くないので、せめて自転車屋へ搬送ぐらいはしてやりたいのだが。日曜だけど店開いてるかなあ。

 チャリを立て直して転がすというより引きずっていこうとしたところに、たまたま、親父の軽トラが通りかかった。プァンとクラクションを鳴らしてくる。


「どうした」と親父が窓から顔を出した。相変わらずの虚弱ヅラだが、目だけがぎらぎら光っていてヤク中みたいである。

「いや、女子に轢かれて友達のチャリがこの有様」

「そりゃ仕方ねえな」


 仕方ないんだ。仕方ないか。


「親父、暇だったらチャリ屋にこれもってってくんねえ? 俺今から友達と約束してんだよ」

「いいよ」


 駄目元だったがあっさりオーケーが出た。マジか。俺と親父ってそんな仲良かったっけ?


「乗っけて落ちないように縛れ」

「どこに縛るのこれ」

「どこでもいいよ。最悪なんかに引っ掛けとくだけでいいから」


 俺は親父の愛情を一身に受けつつ軽トラにチャリを乗せた。親父はまたプァンとクラクションを鳴らして去っていった。今度夕飯でも作ってやるか。

 俺は気を取り直して、河川敷へと走った。



 きゅきゅっと一度もバスケで使っていないバッシュを唸らせて立ち止まると、もう土手下には茂田や横井たちが集まっていた。三浦や木村、田中くんもいる。ほとんどポンコツ3組男子衆勢ぞろいであった。いないのは肝心要の沢村とてっちゃんくらいか。


「おう後藤、遅かったな」と茂田がホットプレートでホットケーキを焼きながら言ってきた。何かがおかしい。

「……。えっと。ホットケーキパーティだっけ今日は」

「ははは、何言ってんだよ後藤」横井がもぐもぐやりながら笑う。

「沢村の一世一代の大喧嘩じゃないか。精をつけて応援してやろうぜ」

「そうか、そうだな」


 はい、と手渡された紙皿においしそうなホットケーキが乗っている。俺は考えるのをやめた。


「で、沢村は?」

「向こうでもうバトってるよ」


 俺は土手をよじ登り、顔だけで河川敷を覗き込んだ。


「はあああああああっ!!!」


 いた。沢村である。今日は制服ではなく普段着の無地シャツ短パンである。もう少しチョイスはなかったのだろうか。完全になにもかも諦めた駄目な大学生にしか見えない。


「くそがあああああっ!!!」


 相対しているのは金髪浅黒の吉田くん。こっちはこの初夏の中ご苦労なことに革ジャンにシルバーまで巻いている。お母さんにシルバーをねだった吉田くんの勇気を考えると向こうを応援したくなる。


「戦況は」

「うむ」と茂田がにょっきり顔を出した。

「修行の成果もあって沢村が優勢だな。相変わらず火球は遅いが、爆風と河川敷の砂つぶてで金髪にコンスタントなダメージを与えているぜ」

「ほほう。それにしちゃ沢村の方がダメージでかそうだが」

「沢村は火球そのものを回避できてないからな。小さな球を素早く当ててくる。能力の使い方は向こうのが上手らしいぜ」

「ふーん」

「ま、六分四分ってとこだから、どっちが勝つかはわからねーな。ていうか後藤、おまえホットケーキに何かけて喰ってんの?」


 茂田は化け物に出会ったかのように俺の手元を凝視している。


「何って、焼肉のタレだけど」

「はあ!? 馬鹿じゃねえの!? 俺のホットケーキに何してくれてんだよ!」

「何言ってんだ。うしろ見てみろ」


 茂田は振り向いた。


「…………」

「な? マヨネーズ、ケチャップ、とうがらし、わさび。誰一人としておまえの焼いたホットケーキにはちみつをかけるような甘ちゃんはいないんだよ」

「ふざけやがって……ふざけやがってええええ!!!!」


 茂田は怒りのあまりごろごろと土手を転がっていった。落ち着けよ。結構うまいぞこれ。

 茂田の代わりに横井が上がってきた。ちなみに焼肉のタレをよこしてきたのはコイツである。


「それにしてもさ」


 開口一番横井が言った。


「なんかシュールだな」


 おそらく火球飛び交う河川敷をホットケーキ食いながら眺めている状況を言っているのだろうが、俺たちの毎日でシュールじゃなかった日があっただろうか。


「それよりあのホットプレートって誰が持ってきたの?」

「ああ、酒井さんに借りた」

「釣竿のこと怒ってたろ」

「おまえが持って帰って夜釣りに使ってるって言ったらお咎めなしだったぐうぇうぇ」


 俺は横井の胸倉を掴んだ。


「おい! 相手は女子だぞ。つまらんシャレで俺が死んだらどうする」

「いやパンツ釣ろうって言い出したのおまえだし……」


 確かに。じゃあ俺のせいじゃん。ごめんね横井。俺は手を離した。


「くそ、酒井さんにまで命を狙われることになったのかよ。身がもたねえ」

「今まで持ってたんだから今度も大丈夫だよ」

「へっ、他人事は綺麗事だな!」

「意味がわからねーよ……」

「それよりさ、横井、なんか顔が熱くねえ?」

「……? あっ、見ろ後藤!」


 横井が指差した先では戦況が変化していた。沢村と吉田くんは向かい合っていたが、吉田くんの方がとうとう沢村キネシスの直撃を受けたらしい。膝をついて小刻みに痙攣している。それを見下ろしながら、沢村が両手を掲げ、火球を練り上げていた。


「沢村玉だ! 沢村玉が出るぞ!」

「みんな、両手を挙げろー!」


 ホットケーキ片手に土手を駆け上ってきた男子衆が喚きだした。沢村玉ってなんだよ。俺も一応手だけは挙げるけどさ、沢村玉ってなんだよ。

 それにしても沢村の玉は大きかった。色もいい。犬飼さんが言っていた黄金に近い炎の玉が、火花を散らしながらゆっくりと回転していた。沢村の顔が見えた。マジだった。

 ごくり、と俺たちは生唾を飲み込む。そんな俺たちの横で、茂田がもぞもぞ何か言いたげに動いた。


「なあ」

「なんだよ。いまいいところだぞ」

「沢村の顔さ……」

「沢村の顔がなんだよ」


 茂田は何かとてつもない秘密を打ち明けるように、俺たちに囁いた。


「あれさ……ウンコ我慢してるように見えね?」

「……」

「……」

「……ぶフォッ」


 誰かが吹いた。

 茂田ァァァァァァァァァァァァ!!!!!

 男の子が格好つけられる一世一代の見せ場をどうしてくれるんだよ! もう沢村がウンコ我慢してるようにしか見えねーよ! おまえのウンコで何もかもがメチャメチャだよ!!!!!!

 俺が茂田の胸倉を掴んでボコボコにしていると、ことが動いた。


「でやああああああああっ!!!!!」


 ごうっ


 沢村が沢村玉を振り下ろした。あわや吉田くん急逝――!! と思ったが、そうはならなかった。

 吉田くんは飛んだ。


「うおおおおおおおおおっ!!!!」


 雄叫び一声、その背中からは紫色の炎が噴出して、吉田くんを大空へと吹き飛ばした。沢村玉は地面に大穴を開けて消えた。


「はあっ……はあっ……」

「と、飛びやがった……」


 俺たちは呆然として宙を舞う吉田くんを見上げるしかなかった。どさっと何かの落ちる音。見ると今度は沢村が膝をついていた。渾身の一撃だったのだろう。しまいにはガスガス地面を殴り始めた。辛そうな表情と弾け飛ぶ涙からして己の無力さを悔やんでいるのだろうが、そんな元気があるならもう一発ぐらい撃てるだろ。


「くっそおお……どうすればいいんだ……」

「応援したくても沢村に気づかれちまうわけには……」

「俺たちにはなんにもできねえのかよ……!!」


 ポンコツ3組男子衆の苦悶の嘆きが広がった。俺も気持ちは同じである。ここまできてクラスメイトに負けて欲しくはなかった。誰も好き好んで日曜の真昼間から知り合いの負け戦など見たくない。沢村が負けたら俺たちはどんな気持ちでいいとも総集編を見ればいいんだ? どうせ見るなら勝ち戦のあと気持ちよく見たいじゃないか。


「見ろ! 金髪がなんかするぞ!」


 木村が指差す向こうで、喜色満面、本当は勝ち誇りたいのだろうが喜びが強すぎてお母さんにガシャポン代を二千円もらったガキのようになっているほんわか面の吉田くんが、どうも急降下爆撃を仕掛けようとしているらしかった。両手両足をたわめて何か力を蓄えているようなモーション。


「やばいぜ、沢村にはもう沢村キネシスを撃つパワーが残ってねえ!」

「どうする、もうバレてもいいから助けに行った方が」

「いや、」

「間に合わねーっ!!!」


 どうっ


 吉田くんが獲物を見つけた海鳥のように頭を下にして突っ込んできた。沢村の顔に苦悶がよぎる。沢村……!

 その時、沢村が何か呟いた。俺にはそれが聞き取れなかったが、たぶん、誰かの名前だったろうと思う。

 吉田くんが沢村へ激突するまであとコンマ2秒もなかった。その中で、沢村の両手がぼっと燃えた。炎拳を作った沢村はそのまま腰を沈めた。バレーのレシーブスタイル。

 まっすぐに飛来してきた吉田くんの顎を、沢村の燃えるレシーブが高々と打ち上げた。たぶんその時にはもう吉田くんは半分失神していたのだろう。吉田くんは俺たちの方に突っ込んできた。俺たちはホットケーキを口に放り込んで土手を駆け下りた。そして、


 爆発音。


 俺は光と音から顔を覆った。頭の片隅で、あまりにも速く通り過ぎていった出来事の断片がちらついていた。

 目を開けると、煙が晴れるようにあたりが明らかになった。吉田くんは一軒の民家に突っ込んだらしい。わずかな柱だけを残してあとはすべて黒煙がたなびくだけになっている家の跡地が目の前にあった。それを見ているとなぜだか胸がざわついた。何故だろう……その答えを横井が呟いた。


「あ、あ、あ、……酒井さんちが」


 そうだ。

 あれは酒井さんちだ。

 人間ミサイルと化した吉田くんが吹っ飛ばしたのは――


「うわああああああっ!!!!!」


 突如、俺たちの頭上で悲鳴が上がった。沢村だった。バレた、と思ったが、沢村は俺たちが目に入ってすらいなかったらしい。土手に背中をつけて息を潜める俺たちの横を一顧だにせず走り去り、沢村は酒井さんちの跡地へと走っていった。


「酒井さん! 酒井さん! さかっ……うわあああああああっ!!!!!」


 沢村は黒こげになった酒井酒店の上で頭をかきむしって泣き叫んだ。

 俺たちは何も言えなかった。視界の隅で、ホットプレートに残っていた切れっぱしを横井がつまんでいた。


「酒井さん……」


 いい人だった。いや、恨みつらみが重なることもあったが、女子の中ではまともな人だった。俺たちの冗談にもよく付き合ってくれたし、遊び道具も貸してくれた。


「酒井さん……!」

「何?」


 俺は振り返った。酒井さんがきょとんとしている。今は酒井さんどころじゃない、酒井さんが死んだんだ! 俺は涙を土に降らした。そしてもう一度振り返った。

 酒井さんがいた。


「……あの」

「だから、何?」

「今日はおうちにいるんじゃあ……? 日曜だし……」

「ああ、ちょっと昨日から家族みんなで親戚の家に遊びにいってて……って、あーっ! ウチがーっ!! きゅう」


 酒井さんがその場にぶっ倒れた。さすがに私財もろとも自宅が焼け野原になっていたらもう何も考えたくないのはわかるが……俺は成り行き上、酒井さんを抱きかかえることになってしまい、ほとほと困った。


「いやあ、でもよかったよ。酒井さん生きてて」


 横井が知った風なことを言う。男子衆もそうだそうだと頷いた。まあ、一瞬はマジで死んだと思ったわけだし、さすがの俺も安堵の念を禁じえなかった。


「残る問題は、あれだな」

「ああ……」


 俺たちは酒井家跡地に目をやった。


「うわああああああ!!!! うわあああああ!!!! 酒井さん、酒井さーんっ!!!!!」


 髪を振り乱し頭をかきむしり虚空へ向かって絶叫し続ける沢村。ちょっと近寄りがたい。

 さて、ヘビメタ状態の沢村にどうやって事情を説明したものか。とりあえず酒井さんをこのあたりに置いておけばそのうち気づくか。

 茂田が目を細めて呟いた。


「デトロイト沢村、か」


 やかま茂田。




『登場人物紹介』

 沢村……何か思うところがあるらしい

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