オマケその1 天ヶ峰、焼きそば作るってよ


「今日の晩御飯は、私が作ります!」



 俺は読んでいたNEW TYPEをばさりと落とした。

 開けた視界の向こうに、夏服の上からエプロンを着けた、本来なら愛すべきはずの女子高生が立っている。

 が、恐るべき宣言を受け取ったばかりの俺には、その薄いピンクのエプロンの柄が、乾きかけた鮮血にしか見えなかった。

 震える手で雑誌をガラステーブルの下から取り上げながら、俺は言った。


「よせ天ヶ峰、お前は海や川になんの恨みがあるんだ?」

「もぉー、後藤ってばまたワケノワカラナイ冗談を言ってぇ」


 なぜかくねくねしながら、天ヶ峰が俺の顔に向かって剃刀のようにキレのある左ジャブを放ってきた。俺の前髪がチリリと焦げる。


「……だってお前……料理なんてしたことないだろ?」


 今日は確かに天ヶ峰のお母さんが通信空手を直に習いに行っていていないので、夕飯は各自でどうにかするしかないのだが、俺はてっきり出前か、さもなきゃまた俺が適当なチャーハンでも作ってしまおうかと思っていたところなのだ。

 それが一体なぜ、今日に限って謎のやる気を見せたというんだ、天ヶ峰よ……


「実際に作ったことはないけど、いつも見てるから覚えたよ!」


 そう言って、満面の笑顔でVサインを突きつけてくる天ヶ峰。俺にはそれが悪魔の鉤爪にしか見えなかった。

 ご丁寧に爪まで切ってあるということは、本気で包丁を握るつもりらしい。なんてことを考えるんだ。


「……何を作るんだ? 言っておくが、俺だってそばで教えられるようなレパートリーないぞ」


 こないだ芥子島ん家で闇鍋やったらアクも取れねえのかって怒られたし。


「心配ご無用」


 ムッフー! と天ヶ峰は鼻息も荒く、大したことのない胸を張った。


「焼きそば作るよ。子供の頃からお母さんのやってるの見てたから、後藤の手助けなんていらないよ! そこでえっちな本でも読んでて」

「えっちな本じゃねーよ!!」


 くそ天ヶ峰め、おまえこれコンプティークと間違えてるだろ!! 違うからね!!


「とにかく、俺も一緒に作るわ。おまえごときに任せておけるほど台所はのほほんとした場所じゃねえんだ」

「えー、子供じゃあるまいし……」


 天ヶ峰がぶーたれる。


「こう見えて手芸部なんだからね、実力のほどを見せるよ」

「おまえのマチ針ぜんぶ鮮血に染まってるじゃねーか」

「あ、あれは練習の成果だよ! ていうか見たの!? いつ見たの!?」


 手芸部員のツイッターに晒し上げにされてたよ。

 天ヶ峰は「くっ……しかしこれは名誉挽回の好機……」などとぶつくさ呟きながら、エプロンを翻して背中を見せた。


「いずれにせよ、手出し無用!」

「そのテンションの出所を教えて欲しいんだが」

「うるさいばーかばーか! あっちいけ!」


 一人でぷんすかし始めた天ヶ峰がどかどか足音も高く台所へいってしまった。俺はすかさず後を追った。


「ついてこないで!」


 言った天ヶ峰は、すでに用意していた野菜を持って、食器洗い用洗剤(弱アルカリ)をジャブジャブとぶっかけていた。

 に、にんじんさーん!!


「ちょっ、バカヤロ、なんで洗剤で洗ってんだよ!!」俺は叫んだ。

「だって野菜は洗わないとばっちぃんだよ」と天ヶ峰は言う。


 水で洗うんだよ!!

 俺は天ヶ峰から何も悪いことはしていないのにひどい目に遭わされているにんじんを救出しようとして、丸太で撃たれるよりも強烈なエルボーをストマックに叩きこまれた。


 ずどっ!!


「おぶっ!」

「邪魔!」


 俺はその場に崩れ落ちた。

 なんてことだ……次々とたまねぎさんやピーマンさんが食器用洗剤でゴシゴシやられている……彼らが何をしたっていうんだ……


「あ、天ヶ峰、おまえお母さんの料理見てたって嘘だろ……」

「嘘じゃないよ」


 さっそくまな板に犠牲者を乗せて、たまねぎの皮をむき始めた天ヶ峰が言った。


「お母さんも洗剤で洗ってるし」

「そうだったの!?」


 道理でここにご厄介になってから胃が痛ぇと思ったよ! くそ……パパさんの出張がやけに多い理由が分かったぜ。


「おい、剥いた皮はちゃんと三角コーナーに入れろ!」

「うるさいなあ」


 なおも詰め寄ろうとする俺を、天ヶ峰が尻を振って弾き飛ばした。いってぇ……なんであのケツからこんなパワーが……


「あっちいってってば! 集中できない!」


 俺は安心ができないよ。


「お前こそあっちいってろ、野菜は俺が切る」


 こいつに刃物を持たせて下手に使い方でも覚えられたら、ますます性質が悪くなる。まな板も両断するだろうしな。


「いいって、いいってば、それに包丁なんて使わないし」

「何言ってんだ、包丁使わなきゃ野菜は」


 トントン


 トントントン


 まな板の上で、綺麗にたまねぎが縦切りにされていく。

 しかし、天ヶ峰の手に包丁は握られていない。包丁の入っている棚を開けてもいない。

 お分かりだろうか。

 手刀である。


「……………………」

「ふんふんふふん、ふんふんふん♪」


 機嫌よろしく、天ヶ峰は鼻歌をやりながら手を振るった。そのたびにまな板の上で野菜たちが跳ね、次の瞬間にはバラリと両断されている。まるで指揮棒に従うオーケストラのようだ。俺ちょっと怖くなってきた。


「お前……」


 俺の言葉もむなしく、天ヶ峰は冷蔵庫から豚のバラ肉を取り出しては、


「えいっ」


 ちぎった。

 そして用意してあった、油を引いてあるフライパンにズタズタにして軽くコショウをまぶした肉をぶち込み、火を点けた。


「燃ーえろっ♪ 爆ーぜろっ♪」


 こいつのそばにあるものは全て崩壊が近づくのか、俺が作る時よりも早いペースで豚肉が美味しそうな色合いに変わってきた。

 それを見るやすぐに天ヶ峰は惨殺した野菜を放り込み、ちょっと菜箸で炒めてからフタをして蒸し焼きにした。

 くるっと振り返り、その勢いで俺に小さなタックルをかまし(意味不明)、焼きそばのパックを開けて中身を取り出した。フタを取って、フライパンに麺を入れ、コップ一杯分の水をかけて菜箸で麺をほぐす。あとは焼きそばの素を入れてお好みでソースをかけてみたりして、


「出来たっ!」


 じゅううううう……と音を立てて、焦げ茶色になった食べ頃の焼きそばがフライパンの中に完成した。

 天ヶ峰はトングでそれをつまみ、皿によそって、へたりこんでいる俺(エルボーとタックルをもらってダウンした)に、完成品を差し出した。


「はいっ、お食べ」

「俺は犬か」


 あしらわれ方も、確かにペットっぽかったけど。

 こいつさては俺を人間と思ってない……?

 とはいえ腹は減ってたし、エルボーの痛みが引いてから、俺はそれを食ってみた。


「美味しい?」


 自分も皿によそって食卓で頬張りながら、天ヶ峰が聞いてきた。


「……美味い」


 美味いけど……

 俺はちらっとテレビを見やった。その中では小奇麗なおばさんが「誰にでも簡単にできます!」と朗らかに言いながらテキパキと品のいいパスタを作っているところだった。

 料理って……

 素手でやるものじゃないよな……

 そんな俺の疑問も露知らず、天ヶ峰は自家製焼きそばをモグモグモグモグ飽きもせずに食いまくっている。実に幸せそうな顔だ。

 のんきなもんだぜ。





 ちなみに野菜をトントンやり始めた頃から、俺はスマホでその模様をこっそりと撮影し、ツイッターに晒し上げたのだが、三秒もしないうちに「人が必死にエロ画像探してる時に恐ろしいもん貼り付けんじゃねーよ!!」と芥子島からLINEで苦情が飛んできた。

 ツイッター見てんならツイッターで返事しろよ!!




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