第20話

 終業のチャイムが鳴って、クラス中からどっと安堵のため息が漏れた。生徒全員から早く終わることが望まれている高等教育というのもいかがなものかと思うが、まあ俺たちは釈迦の説法だろうと新興宗教の勧誘だろうと全然話を聞いていないので、つまり何を言っても無駄ということになる。


「あー、やっと終わったあ」

「ぶわあああああああ」


 横井がうーんと伸びをし、茂田がハンバーガー六個分のあくびをした。後は帰りのホームルームを済ませれば茶をしばくのも自由、家で動画を見るも自由な楽しい放課後が待っている。

 うちの担任は基本的には放任主義で通っている。生徒の自主性を重んじるとかいう、もはや耳にしても意味が汲み取れないほど聴覚的ゲシュタルト崩壊を起こした主張をかざしている。その結果がこれだ。


 ピンポンパンポン


『二年三組、HR終了。帰ってよし!』


 指原教諭の声だけは今日も元気である。よくもまァこのご時勢に職にありつけているものだと思う。こっちはラクだからいいけど、それでいいのか二十八歳?


「やったあ自由だあ」


 運動部系に所属している女子たちが窓から出て行った。ちなみに三階である。いくら校庭側に張り巡らされたネットに飛びつけばいいからといってそんなアクロバティックをスカートでやるのはやめて欲しい。が、怖いから誰も言わない。

 文化部・帰宅部の男子たちと一緒に俺たちは教室を出た。


「帰りどっか寄ってかね?」と横井。

「どっかってどこよ」と茂田。

「どっかはどっか」

「おまえプラン決めずに提案すんのやめろよ」


 まったくだ。横井のやつは煽るだけ煽って自分では何も具体案を出さないのである。そういうことは全部俺たちに決めさせるのである。俺たちは軍鶏じゃねえ。


「まあまあ」横井がどうどう、と俺たちを抑える。

「これもひとつの協力関係ということで」

「口の上手い野郎だぜ」

「横井、てめえ彼女でも出来ようものならおのれの顎で飯が食えると思うなよ」

「怖っ! ていうか後藤好きだなそれ」


 うるせえな。ちょっと恥ずかしくなるから指摘すんのやめて。

 俺たちはぶらぶらと歩き、途中で吹奏楽部の女子たちの校内ジョギングに巻き込まれて轢死しそうになりながらも下駄箱へ辿り着いた。外でやってくんねえかなあれ。

 下駄箱から汚ぇスニーカーを取り出しながら横井があれ、と言った。


「沢村だ」

「べつに沢村ぐらい珍しくもねえだろ。そのへんで売ってる」

「いや売ってはいないだろ!」


 茂田が目を細めて、走り去っていく沢村の背中を見送った。


「あんなに急いで、あの低血圧がどこへいこうとしてるんだかな」

「貧血にならないように下駄箱にカエルを入れておいてあげようぜ」

「やめろよ……いじめだぞそれ……」

「黙れパンツブローカー」

「だあっ! それ学校の中で言うなって! つかあれ一回だけだからね?」


 一回でも駄目に決まってんだろ。


「そういや後藤さ」と茂田が言った。

「おまえ紅葉沢さんをけしかけて沢村のコーチにしたって言ってたっけ?」

「紅葉沢さんって誰」

「もうこはん」

「ああ。紺碧さんね。うむ、頼んでおいたがどうなったかは知らん」


 横井が呆れ顔になった。


「ちゃんと最後までケアしてやれよ……」

「いや、そうしたいんだが、ちょっと今紺碧さんと気まずいんだよ」

「なんで?」

「女には洒落がわからんのだ」

「そういうこと言ってるから女子が寄り付かないんだよ後藤。あだっ!!」


 俺は横井の足の小指を念入りに踏みにじってから外へ出た。夕方にはまだ少し早い青空が広がっている。


「ちっ、胸糞悪ィ」

「青空見てどうしてそんな言葉が出て来るんだよ。俺にはおまえが恐ろしいよ」


 ツッコミ長ぇなぁ横井。

 俺たちはだらだら喋りながら下校し、そしてどう話が弾んだか、多摩川の川原でキャッチボールをすることになった。


「ボールとミットはどうする」

「あ、確か土手際に酒井さんちの酒屋があるんだよ。貸してもらおうぜ」

「酒井さんちにボールとミットが三人分もあんの?」

「あの人、兄貴が三人もいるからスポーツ用品はなんでも持ってんだよ」


 さすが女子への登竜門。そういう木っ端情報をよくお持ちで。俺と茂田はそこはかとない逆恨みの念を横井へ送ったが彼奴は気づかなかったらしくへらへらしている。


「やべー、俺さ小学生の頃リトルリーグだったから本気出すわ」

「エアリトルリーグだろ」

「チームメイトはコンクリの壁か」

「違ぇよ!! なんでそんな寂しいやつみたいになってんだよ俺。おまえらには俺がどう見えてんの? ……え、なにその目……? やだこわい」


 まったく何がリトルリーグだ。あんなもんに入って保護者同士のお茶会でもしてみろ、俺のお袋は過労かストレスで暴挙に出るし、茂田の姉ちゃんは嫌味ったらしい三角メガネババァの鼻っ柱をメガネごと折るぞ。俺たちはそういったクラブに入りたくても家庭の事情で入れなかった哀れなチルドレンなのだ。


 そうこう言っているうちに多摩川際まで来た。土手はちょっと盛り上がっている上に、ちょうど沈みかけの太陽を隠しているのであたりは薄暗い。世が世なら何か出そうな雰囲気である。


「こういうとこ、夏に彼女と涼みに来たいな」

「悲しいこと言うなよ」

「悲しいこと言ったか? 俺」


 俺たちは酒井酒店のガラス戸を潜った。


「すいませーん。かおりちゃんいますかー」


 すげぇな横井。いや、何がどうすごいのか上手く言えんが。

 レジで新聞を読んでいたおじいさんがニコニコしながら会釈してきた。


「いらっしゃい。お酒?」


 おい学生だぞジジィ。

 横井が前に出てニコニコを返した。


「いや、かおりちゃんを」

「おお、かおりね」


 そういっておじいさんはレジの下に屈みこみ、立派なラベルのついた瓶をドン! とカウンターに置いた。ラベルには墨でこう書かれていた。


 かおり


 俺は横井のわき腹を小突いた。


「もうあれでいいよ」

「よくねぇよ!? 全然よくねぇからな!? なに酒からボールとミット借りようとしてんだよ。駄目だろ」

「意外といいやつかもしれん」

「だから酒だよ!! なに茂田までおかしなこと言ってるの? 俺までどうにかなりそうだよ……」


 そうこうふざけているうちにガチモンのかおりちゃんが裏から出てきた。


「あ、いらっしゃい。どしたの? ……ああ、おじいちゃんまたそのネタやったの」


 またなんだ。恒例なんだ。おじいちゃんは「そのネタ飽きたよ」みたいな孫娘からの視線をモノともせずに合成清酒『かおり』をレジ下へ戻し、何度も会釈しながら裏へ引っ込んだ。

 エプロンをつけたはしたない格好のかおりちゃんこと酒井さんはレジに腰かけた。


「で、ご注文は?」

「君をください」

「茂田くん、女子から気持ち悪いって思われてるよ」


 茂田、即死。

 俺と横井はその屍の上に乗って、身を乗り出した。


「いや、ちょっとキャッチボールしたくって。ボールとミット貸してくんない?」

「ああ、いいよ」


 そう言って酒井さんはレジ下から「はい」とご用命のブツを取り出してきた。


「みんなよく借りに来るからさ、もうレジの中に置くことにしてんの」

「あはは、悪いね」

「いいよー。横やんと私の仲だし」

「ありがとー」


 横井と酒井さんはニコニコ笑いあった。気をつけろ酒井さん、この男は茂田の屍の上で笑っているんだぜ。

 礼を言って、俺たちは酒井さんちから出た。野球はルールもロクに知らないが、白球をバスバスとミットに打ち付けているとなんとなく気分が出てくるから不思議だ。これが魔球というやつか。


「違ぇよ」

「心を読むなよ」

「だってなんか面白いこと思いついたみたいな顔してたし」


 ひょっとしたら本当に面白いかもしれないだろ! ちょっとは信じろよクソが!

 俺たちは土手に登った。


「ふう。階段登るのも一苦労……あれ? パンツだ」

「何ッ」俺と茂田は顔を上げた。見ると本当に空をパンツが舞っている。

「いい時代になったな」

「まったくだ」


 パンツはひらひらと青空を漂っている。俺と茂田はミットを掲げた。


「オーライオーライ……」


 のんきぶっこいてたその時である。


 どんっ


 パンツが爆発した。

 茂田が腰を抜かした。


「うわああああ。うわああああ。パンツがあああああ」


 落ち着け。俺もわりかしビックリしたが、こういう時にこそクールにならねばならん。俺は横井を伏せさせ、土手の下、川原際を覗き込んだ。案の定、誰かいる。


「見てみろ。沢村と紺碧さんだ」


 横井もひょこっと顔を出した。


「マジだ。沢村のやつ、最近帰るのが早いと思ったらこんなとこにいたのか」

「パンツがあああ。パンツがああああ」


 茂田はもう駄目である。パンツの闇に飲み込まれた。

 俺は目を細めて、超能力者コンビを観察した。


「紺碧さんが何か投げてるな。あれは……あっ! あのアマ、あれ俺があげたパンツセットじゃねーか!!」

「おまっ、おまえなんでそんなもんあげてんだよ!! 変態!!」

「いやちょっと事情が……っておめーのせいだろ!」


 俺は横井のわき腹に手刀を差し込んだ。


「げぶゥ」

「その痛みは我が苦しみの一欠けらと知れィ」

「何やってんだおまえら。こういう時こそクールにだな」


 人知れず茂田が復活していた。人のセリフをパクるんじゃないよ。


「ふむ……どうやら紺碧さんが投げたパンツを沢村が燃やしてるようだな。何かの訓練か?」


 訓練、という言葉で俺の灰色の脳細胞がチカリと光った。そして、宙を舞うパンツに必死こいて火球を放ち撃墜している沢村を見てますます確信を深めた。


「鋭いな茂田」

「知ってる」


 うぜえ。俺は気にせず続けた。


「見てみろ、沢村の火球を。前に見た時と比べてデカイだろ」

「ああ、ほんとだ。でもその代わりに遅くなってないか?」

「その通り」


 俺はメガネのつるをファックサインで押し上げた。


「沢村は火力不足を補うために火球を大きくした。が、そうするとスピードが殺されてしまった……なら、どうすればいい?」

「気合と根性、努力に愛、そして最愛の人の避けられぬ死」と茂田。馬鹿が。

「えーと、スピードを上げる?」と横井。

「横井正解。だがそれだけじゃない」


 横井と茂田がかつてないほど俺に注目した。ちょっとはずい。


「後藤、それだけじゃないってどういうことだ? 教えてくれよ」

「うむ。つまり仮にスピードがなくても、要は当たればいいんだ。そのためには敵の動きの先を読む洞察力が必要……」


 茂田がポンと手を打った。


「ああ、だからか! ひらひら動くパンツに鈍い火球を当てられるようになれば、確かに戦闘力アップだぜ。考えたな紅葉沢さん……!」

「あのアマ、どうやら給料分の仕事はしてくれたらしいぜ」


 俺たちはそのままホフクして、「ヤッ」とか「ハァッ」とか言いながら飛んだり跳ねたりしている沢村とそれを操るかのようにパンツを撒いている紺碧さんを見下ろした。

 そうこうしているうちに横井がもぞもぞし始めた。



『登場人物紹介』

 沢村…修行中

 紺碧さん…転んでもタダでは起きない

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