第21話


 横井が苦しげに呻いた。


「ちょっかい出してぇ――――……」


 同感である。俺も顎の下の雑草を掴んでぶるぶると震える思いだった。あの野郎、このままだと紺碧さんとフラグすら立てかねない。そうはさせんぞ。


「茂田、横井、何かいい案はないか。俺は沢村のあの必死な顔をしつつ実は女の子と二人きりになれてちょっと嬉しげな目元を見るのがもう我慢できん」

「俺もだ」茂田が深々と頷いた。

「けどよ、火炎瓶を投げつけるわけにもいかねえだろ? どうすっかな」

「酔っ払ったフリをしてここから三人で立ちションするのはどうだ」

「人間としてどうかと思う」

「そうか。そうだな」


 パンツセットを売りつけるよりもよほど犯罪的である。

 俺たちはない頭を必死に捻って考えた。見上げる先では夕焼け空を背景にボンボンパンツが爆発している。たまにジョギングマンたちが不思議そうに燃えるパンツを見上げては何事もなかったかのように走り去っていく。コンセントレーションできすぎだろ。

 宙をパンツがひらひらと舞う。

 それを見てハタリとひらめいた。


「よし、キャッチボールはやめだ」

「ああ、間違ってボールを燃やされかねないしな」

「それもあるがもっと面白いことを思いついた。いくぞおまえら、目指すは酒井さんちだ」


 俺たちは石段を降りて酒井さんちへと舞い戻った。


「たのもう」

「たのもう」

「たのも―――――――ぅ!!!!!!!」


 うるせえよ茂田。やりすぎだよ。

 酒井さんはまだレジにいた。耳を塞いで、先人が流していかなかったトイレの残留物を見るような目で茂田を見ている。


「何?」

「キャッチボールはやめたから釣り道具を貸してくれ」

「いいけど……」


 酒井さんはまたもやレジ下にもぐりこみ、竿を貸してくれた。


「バケツいる?」

「キャッチアンドリリースするからいらない」

「ふうん。何釣るの?」

「知りたいかね。ふふふ、君にはまだ早い」

「どうでもいいけど竿壊したりしないでね」


 はい。

 俺たちは意気揚々と酒井酒店を後にした。石段をひいひい言いながら登る俺に横井が言った。


「で、何釣るの?」


 おまえもかよ。悟れよ。

 俺と茂田は深々とため息をついた。まったくこんな初歩的なことを教えてやらねばならんとは。


「釣りって言ったらパンツ釣るに決まってるだろ」

「常識」

「常識じゃねーよ!?」

「前向きに考えろよ。こんなこと一生で一度あるかないかだぜ」

「そりゃあそうだろ……。そんなことが何度もあったらおちおち釣りもできない身分に落ちるよ」


 急にビビリ入った横井のくるぶしを執拗に蹴飛ばしながら、俺たちは土手に上がった。相変わらず空中ではパンツが爆炎を上げて燃え尽きている。


「いいか、絶対にバレるんじゃないぞ。バレたら……これだぜ」


 俺は首をかききる真似をした。ぞぞおっ……と二人の顔から血の気が引く。


「うまくパンツに針を引っ掛けたらあとは凧揚げの要領だ。いいな。徹底的に沢村のいいところを潰すんだ」

「活躍しそうなやつを見つけたら邪魔をする、それが俺たち男子高校生」と茂田。

「わかった。背に腹は代えられない」と横井。背に腹ってなんだよ。おまえひょっとして引っ掛けたパンツ売ろうとしてない?


 ともかく、俺たちは竿を振りかぶろうとした。が、少しパンツ・ゾーンから遠い。ここから投げてもパンツには届かずむしろ地上の沢村を釣り上げてしまいかねない。沢村なんか釣ったって何も得るところがないので、もう少し近づいてパンツ圏内へと入りたい。が、これ以上近づけばつまりそこは傾斜であって二人から丸見えになる。さすがに今度こそ紺碧さんに燃やされかねないので見つかるのは避けたい。さて、どうするか。


「帰るって手もあるな」


 飽きてんじゃねえよ茂田。早いよ。もう少しがんばろ?


「くそっ……こんな時にあれがあれば」

「どうした横井。何が欲しい」

「ああ、いや、あれだよ。ほら……」

「……! あれか。いや、さすがにあれは持ってないな……」

「だよな……あれってどこにあるんだろ」

「うちのお袋はスーパーでもらってくるとか吐かしてたが、もう十年も前のことだし糞婆ァパワーがあってのことだからなあ」

「糞婆ァパワーってなんだよ。どんなエネルギーだよ。……しかしあれは……スーパー? じゃあ店とかにあるのかな」


 店。

 俺と茂田と横井はばっと振り返った。

 夕闇に沈むように郊外の道端にたたずむ店舗、酒井酒店の三度ご登場である。


「横井」

「何」

「いってきて」


 もう石段降りるの心底めんどくさい。横井は嫌がったが俺たちは蹴落とすようにしてやつをパシリに使った。それに一日に三度も茂田の顔を自宅で見るような惨い目に酒井さんを追い込みたくなかったというのもある。


「なんだよ後藤、そのツラは。なんかむかつくぞ」

「何言ってやがる、これが俗に言う『親切そうな人』の顔だ」


 茂田が目を細めた。詐欺師を見るような目で見ることはないだろうに……冗談だよ……。

 横井はすぐに戻ってきた。

 その両手にはたたまれたダンボールが抱えられている。


「よくやった横井。広げてみろ……」


 四角く立ち上げてみると、うむ、いい感じである。人ひとりがすっぽり体育座りできるほどの大きさだ。これならいける。

 俺たちは顔を寄せ合った。


「ご」とう。

「し」げた。

「よ」こい。


『レディ』


 語呂わりー……。ちょっと萎えた。でも諦めない。

 俺たちはダンボールの中に身を潜めた。股の間から酒井さんから借りた竿を出しているとなんだか自分がとんでもない大物になったような気がする。

 動くダンボールと化した俺たちは土手へと侵攻した。紺碧さんの悲鳴が聞こえてこないうちはバレていないものをみなす。

 視界にあるのは空とパンツだけである。俺たちは傾斜の半ばほどで止まり、竿を振るった。


 ひゅんっ


 針は弧を描いて飛んだが、パンツにかすりもせずに落ちた。


「ちっ、下手糞どもが」

「おまえも外したろうが役立たず!」

「馬鹿、横井うるせえ!!」


 俺たちは息を潜めた。沢村と紺碧さんの話し声が聞こえる。


『いま、私のことを役立たずって言った……? いい度胸ね、沢村くん。老婆心からあなたを救ってあげようとしているこの平成の世のジャンヌ・ダークに向って』

『違っ、俺じゃないよ!! 紅葉沢さんのことはマジやべーって思ってるし。役に立たないとか言うわけないよ』

『……そう? よかった、私も実は不安だったの。ひょっとしてお節介だったんじゃないかなって……』

『そんなことねーよ。紅葉沢さんはウルトラやべーよ』

『ふふ、ありがとう』


 ウルトラやべーって言われて喜ぶ女子高生ってどうなの?


「どうするんだ後藤」隣のダンボールが何か言った。

「かえって親密になっちまったじゃねーか。俺の腸は煮えくり返っているぜ」

「ふん、案ずるんじゃねえ。まだパンツは残っている」


 俺たちはリールをまわして糸を引き込み、再び竿を振るった。ヘタクソの茂田と根性のない横井の針はまたもやパンツにかすりもしなかったが、俺の竿にはがちりと手ごたえが帰ってきた。


「よし、かかった!!」


 俺は全身全霊をリールにかかった親指と竿を操る肘に集中した。見えないが、ボッという発炎音がしたので沢村がまた火球を撃ったのは間違いない。

 視界に火球が入ってきた。


「ふンヌゥ!!」


 竿を振るい、パンツを引いた。火球は時速80キロの低速で彼方へと消え去っていった。


『甘いッ! 風を読むのよ、沢村くん』

『くっ、奥が深いぜ!』


 愚かなやつらめ。翻弄してくれるわ。


「後藤、ここは一丁揉んでやろうぜ」と茂田。

「あたぼうよ。明日は筋肉痛で朝チュンコースにしてやるぜ」


 自分で言ってて意味がわからなかったが、気にせず俺は巧みな竿さばきで火球を何発も何発も避け続けた。


「余裕だな」

「いや、そうでもねえ。沢村の野郎、俺の竿さばきに対応できるようになって来てやがるぜ……球速も上がってきた。このままじゃ追いつかれる」

「何ッ」

「安心しろ。これでもガキの頃は親父とよく夜釣りに出たもんだぜ」


 俺は竿の先をぐるぐる振った。目を限界一杯まで見開く。大切なのは集中力……そうだよな。

 火球が見えた。120キロは出ていたかもしれない。俺は夢中で竿を振るというよりも引く感じでそれまでの回転を生かした回避軌道。

 茂田が叫んだ。


「よっ、避けたァ!!」


 パンツは端っこを焦がされながらもギリギリで火球を回避していた。

 うまくいった……だが、俺はまだまだ甘かった。沢村がひそかに放っていた二発目をかわす余力はなかった。


 どォん……


 パンツ、撃墜。俺は竿から手を離した。


「ちっ……沢村のやつ、腕を上げやがった」

「いや、すげえよ後藤!! まさかかわせるとは思わなかったぜ。なあ横井」

「ああ、感動したよ……俺たちみたいな男子高校生にもできることってあるんだな」


 俺は吐き出すように笑った。


「当たり前だろ。世の中まだ捨てたもんじゃねー」

「後藤……!!」


 俺は両脇のダンボールから迸ってくる畏敬の念を全身で感じた。

 へへっ……空の野郎、味な夕焼けしてやがる……

 俺は静かに目を閉じた。


「燃え尽きたって顔してるわね、後藤くん」

「まあな。久々に熱くなっちまったよ」

「それはよかったわね……私も脳ミソがフットーしそうだわ」

「へへ……そりゃあよかっ……」


 え?

 俺は目を開けた。

 ダンボールの四角い視野一杯に紺碧さんの顔があった。


「ひ」

「久しぶりね……」

「す、数日……ぶりじゃないですか……ね……」


 胸倉をつかまれた。

 目が据わっている。


「私にとっては一秒が一秋だったわ」

「それは……光栄……」


 俺は耐え切れなくなった。目をそらせないまま涙目で叫んだ。


「茂田ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 横井ぃぃぃぃぃぃぃ!!!! たすっ、たすけっ……」

「もういないわ。ついでに沢村くんもさっき帰したから安心して」


 退路がどこにもありゃしねえ。

 俺はダンボールの中から引きずり出された。さすがに天ヶ峰という名の悪や紫電ちゃんという名の闇と違って腕一本で吊り上げられるようなことはなかった。が、少し伸びた爪が掴まれたところに深々と突き刺さって恐怖で声も出ない。通報したい。


「よくも私を置き去りにしたわね……」

「あのっ……パンツセット……あれ、二千円したんで……ちょっと洒落を効かせた物々交換かな……みたいな……」

「知ってるわ。ご丁寧に値札が張ってあったから。問題はそんなことじゃないの」


 紺碧さんは虎みたいな顔をした。


「あの日、私はお金を持ってなかったのよ!」


 ……。

 ああ。


「おまえ、タカる気だったのか!!」

「たまたまお金を下ろすのを忘れてたのよ。そして男が奢るのは世の常だわ。呼び出したのはあなただし」


 紺碧さんは俺を投げ捨てた。


「お金がありませんと言い出した客を見るバイトの子の顔を見たことがある? 五千万パーセントこっちが悪いから何も言えなくて殴ろうかと思ったわ!!」


 殴っちゃ駄目だろ。


「皿洗いしますなんて昭和という怪物が生み出した幻想だったわ。普通に住所と電話番号を控えられた挙句に学校に連絡が行って反省文を五万字も書かせられたわ。私の貴重な時間が致命的に失われてしまった……それもこれもあなたのせいよ!!」


 さすがに言い返そうと思ったが俺の目の前で草が燃え始めたので黙った。ちょっと座標がずれていたら俺の股間が燃えていたところだ。


「でもいいわ……ふふっ、許してあげる」

「わかった。ありがとう。またな」


 帰ろうとした俺の襟首を紺碧さんが鉄の拳で掴み、膝を蹴りこんできて俺はその場に転がされた。なんなのこいつ? プリキュアなの?

 紺碧さんは夕空を背景に、俺をさかさまに見下ろしてきた。そしてカバンの中から、三冊ほど重ねられた大学ノートを取り出した。


「ふふふ……あなたが恋しかったのは本当よ後藤くん? なぜならあなたへの恨みが私の中の天使を抹消してくれるもの……」


 ノートをぱらぱらとめくり、


「反省文という厳罰を喰らいながらも私の創作意欲は苦痛と呼応するかのように燃え上がったの……家に帰ってからご飯も食べずにその日のうちに新作を書き上げてしまった……いえ、これはきっと百年後、新しい神話として黙示録の新聖書となるのよ……ひひ」


 ひひって言った。今この女ひひって言った。おまわりさーんっ!!!!!! お゛ま゛わ゛り゛さ゛ーん゛!!!!!!!!


「さあ、いきましょう後藤くん? 私みずから朗読してあげるわ……なに一晩もあれば読み終わるから……さあ、いきましょう? 堕天の園へ」


 くそっ……くそっ……くそっ……

 ダンボールの中に詰め込まれ、どっからかっぱらってきたのか素性不明のカートに乗せられ、紅葉沢家(=堕天の園)へと運搬されていく俺にはもう暗闇しか残されていなかった。

 天使とかっ……悪魔とかっ……言い出したのは誰っ……誰だよっ……!!


 誰でもいい……

 たすけてっ……!!




『登場人物紹介』

 後藤…釣りがうまい

 茂田…努力と根性、愛と勇気、そして避けられぬ友の死を一晩寝たら忘れた

 横井…帰って寝た

 沢村…帰り道、家族から『コロッケ買ってきて』メールを受け取る

 酒井さん…戻ってこない竿を待ち続ける日々


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