第14話

 起きたら二限になっていた。何が起こったのか俺にもちょっとわからない。

 誰か起こせよ……小テスト終わっちまったじゃねーか。数学の中西は何やってたんだ。俺のこと嫌いなの?

 朝から憂鬱になることばかりである。

 俺はため息をついて教科書とノートを数学から日本史にクラスチェンジした。話は聞かないにしてもノートくらいとらないとな。

 教壇では日本史の志波がアラビア語みたいな字で日本についてなにがしかの記述をしている。よくあんな悪筆で教員試験に合格したものである。コネか賄賂か暗殺かどれかだろう。誰を暗殺すれば教員になれるのかは俺が知りたい。


「つまり……この時……。……。……」


 志波の声がとても遠くに聞こえる。

 ううっ、やめろそのシータ波をどっばどば出させる効能のある喋り方は。寺本さんが机に沈んでるじゃねーか。


「幕末……ペリー……黒船……」


 やばい、歴史を読み上げる声がジャミングされた無線みたいに聞こえてきた。くそぅ、このままだとちゃんとノートが取れなくて大変なことになってしまう。一度写させてやったら茂田―横井ラインの不足ノート分は俺が補うみたいな空気になってしまったので、ノートに不備があるとテスト前にゴミを見るような目で見られることになってしまう。

 周りを見るとやはりみんな眠そうだった。七時半登校だったしな、うち。

 それもこれも紫電ちゃんがメールで済ませるべきところを集合かけやがったからである。沢村のことで何か不備があれば紫電―天ヶ峰ラインで何もかも殲滅すればいいだけじゃん。あの人、天ヶ峰の膝蹴りボディに喰らっても生きてた唯一の生命体だし。


「zzz……」


 かくいう天ヶ峰はお気楽にお眠りあそばしている。幸せそうなツラしやがって、これだからどんな状況でも他人にノートを見せてもらえるやつは嫌いだよ。

 俺はシャーペンの先でぐさぐさ手をやりながら時計を見た。あと三十分で十分休みだ。

 ざくり。

 俺の手の甲にシャーペンが突き刺さった。しかしそれでも眠い。

 あわや後藤艦沈没か――というときにいきなり衝撃が襲ってきた。


 ぎゅるるるるる


 腹痛である。

 あたたたたた。これはやばいわ。一瞬で顔にびっしりと冷や汗が出てきた。なんか変なもんでも食べたかな……。

 こっそりと目立たないように腹をさすってみたが駄目だった。いててててて。腹ん中で高周波ブレードが荒れ狂っているとしか思えない。致死率100%である。

 このままではうんこを漏らしてしまう。おっかしいなあ。昨日の夜結構出たんだけどな……


 ずきききききぃぃぃぃん


 あ、これはまずい。意識がかえって冴え渡ってきた。眠気がぶっ飛ぶ痛みってちょっと俺のおなか頑張りすぎだろ。本体死ぬぞ。

 呼吸が浅くなってきた。

 恥も糞もあるか、手を挙げてトイレにいくって志波に言おうと思ったが、腰が浮かない。

 くうっ、やっぱ恥ずかしい! 恥ずかしいよ! 仮に保健室へいきますって言ってもへっぴり腰だからバレると思う。俺が出て行った後の教室でかわされるにやにや笑いのことを思うとトイレにいく前にこのクラスの連中を皆殺しにした方がいい気がしてくるからふしぎだ。くそぅ、うんこの何が悪いんだ!

 と、そこで俺はハタと気づいた。

 どうも腹部を押さえているのは俺だけではない。

 寺本さんは突っ伏しながら肩を震わせているし、横井は小ざかしく風邪の演技を始めて額に手を当てている。酒井さんは爪先で床を「の」の字に書き始めたし、茂田にいたっては椅子の上で正座している。気持ちはわからなくもない。

 これって……ひょっとしてクラス全員が同じ腹痛に襲われているのでは?

 なぜそんな怪現象が……集団食中毒でもあるまいに。今日び他人の作ったものは相手に食わせてから食べるのがこの町での作法である。地柱町で生きていくのはちょっと普通の神経をしているとむずかしい。

 俺は沢村を見た。


「う……ぐ……」


 沢村も腹を押さえている。しかも一番辛そうだった。目玉が半ば飛び出している。

 ひょっとして、これも沢村キネシスの一つなのではないだろうか、と俺は思った。

 超能力といえば念動力や発火能力も有名だが、それと同じくらいに精神感応能力……テレパシーも有名だ。突然の腹痛で沢村に秘められた新たな力が覚醒し、やつの痛覚が俺たちに感染してしまっているのではないだろうか。できればそんな力に目覚める前に普通にトイレにいってほしかった。

 まずい……このままだとポンコツ3組がくそったれ3組になってしまう。いや、ひょっとすると影ではもうそう呼ばれている可能性もあるが、そのあだ名が悪口じゃなくて真実にまで引き上げられてしまうと高校生として、いや人間としてかなりまずい。半笑いじゃ済まされないと思う。

 なんとかして沢村には元気よくトイレにいってもらわねばならないのだが、野郎、必死に唇を噛み締めて痛みに耐えている。仮に沢村が腹痛に耐え切れたとしても、クラス全員が耐え切れるとは限らない。なんとかしなければ。

 俺は隣の席の人間と相談しようとしたが駄目だった。左隣は沢村だし、右隣はあんまり話したことのない望月さんだ。いきなり望月さんに「沢村、うんこしたいみたいだぜ」とか言ったらたぶん望月さんはもう俺に椅子を貸してくれたりしなくなると思う。そうすると昼休みに横井が立ち食いで弁当を食う羽目になる。べつにいいか。


「望月さん、ちょっと」

「な……に……?」


 望月さんは息も絶え絶えである。


「沢村がうんこしたいらしい」

「ああ……やっぱり……」


 思っていたよりも望月さんは話の通じる子だった。よかったあ睨まれなくて。

 望月さんは自分のおなかを指差して、


「沢村くんキネシスの影響なの、これ?」

「たぶんな。みんな腹押さえてるし」

「そうなんだ……じゃあ……消そっか……」

「え?」

「沢村くんを……」


 望月さんの左手に刃が伸ばされたカッターが握られていた。俺は手刀でカッターを弾き飛ばした。ふう、これだから女子は油断がならない。


「消すのはやめとこ。な?」

「う……ん……でもこの痛み……耐えられ……ないよ……」


 確かに。もしこれが沢村の感じている腹痛だとしたら、あの野郎、頑張りすぎである。俺だったらこの三分の一の痛みでトイレではなく家に帰っている。

 しかし、あと二十五分、このまま沢村に無理を強いているわけにもいかない。なんとかしてやつがプライドを傷つけずにトイレへと迎える口実を作ってやらなければ、三限は本当に床のワックスがけになってしまう。

 しかしどうすれば……そこで俺は名案を思いついた。自習にするというのはどうだろう。たとえばいま志波が意識を失うか怪奇現象さんに殺されるかすれば、授業は自習となる。そうすれば教室でおとなしく算数ドリルと漢検の模試をやるやつなどいるわけもない。みんなバラバラに行動し始めて、沢村がトイレにいこうがいくまいが誰も気にしない。沢村には悠然と教室を出てもらいトイレで苦痛から解放されてもらう。そうすれば沢村キネシスも収まり、やつが感じている苦痛は当然、俺らからもなくなるという算段だ。そのためには志波を消さなければ。

 やはりカッターか……と身構えた時、俺は志波の顔をこの時間、初めてまともに見た。


「……新撰組……台頭……京都……芹沢……」


 志波は青ざめていた。もともとうらなり顔で太陽光を浴びせるのは健康上よくないんじゃないかと疑いたくなる顔色だったが今はもう本当にひどいことになっている。溺死体同然である。

 間違いなく志波も沢村キネシス(テレパシー版)の影響を受けていた。

 もちろん、教師陣は沢村の異能のことなど知るよりもないから、志波はその腹痛を己の不徳だと思っているのだろうが。


「志波先生も痛そうだね……」


 望月さんから喋りかけてきてくれた。ちょっと嬉しい。


「ああ、そうだな。志波がトイレへいってくれれば、自習になって話が簡単になるんだが……」

「たぶん……志波先生、ここが好きだからだと思う」

「え、教室が?」


 望月さんがゴミを見るような目で俺を見て、とんとんと教科書を叩いた。


「幕末……」

「ああ……」


 確かにいわれて見れば、このあたりの日本史の範囲は志波の大好物なところである。世に言う幕末である。黒船が来航し、役立たずの集まりに成り下がった幕府を維新志士たちが押し倒して国盗りした時代だ。今で言うならニートが永田町で政治家相手にポン刀を振り回していたようなものだ。胸熱である。


「この授業を最後までやりたいから……トイレにいかないんじゃないかな……」


 望月さんにそう指摘されて俺はまじまじと志波のうらなり顔を見た。急に冷や汗でてかるその顔が格好よく見えてきた。志波……今度のテストは俺ちょっと頑張るよ。とりあえずこないだ薦められた『燃えよ剣』だけはちゃんと読んでおくよ。

 だがそれはのちの話であって、今はとにかく早いとこ沢村のケツを便器に叩きつけないことにはバイオハザードは確実である。俺は沢村にならって念を志波に飛ばしてみた。頼む、志波! おとなしく心を折ってくれ。

 その俺の願いが通じたのか、志波が「うっ」とおめいてよろけた。教壇に片手をつく。しめた、限界か? 先頭の生徒が不審げに志波を見た。

 そのとき、志波の手からチョークが落ちた。どうもそれがわざとのようだったので俺が首を伸ばしてよくよく見てみると、志波は、


「おっと……」


 などと臭い演技をしてしゃがみこんだ。そしてそのままチョークがなかなかつかめないフリをしながら、


「あれっあれっ」などと言っている。


 教壇に隠れて見えなかったが、おそらく腹をさすって体力を回復させていたのだろう。志波……あんたって人は……。これが非常事態でなければ尊敬していたところである。

 志波が再び黒板に向き直り授業を続けてしまった。


 ずきいっ、ずきいっ


 ぐっ! 痛みがまた増してきた……今度は沢村が限界なのか? 俺は隣を見た。

 沢村の口が梅干みたいになっている。

 どうやら限界らしい。もう漏らしたんじゃないかと疑いたくなるツラをしていたが、まだいくらか持っているようだ。

 その時、沢村の手がそろそろと上がりかけた。

 お? 挙手するのか? それは大変な勇気がいることだが、大丈夫だ安心していい。

 もうみんなおまえがうんこしたいのは身をもって知っているのだからな! 頼むから早くいってくれ!

 沢村がなけなしのプライドを灰燼に帰そうとしたその時、バイクのエキゾーストのような音がした。

 屁である。

 俺は絶句した。このタイミングで? 馬鹿じゃないの? 沢村も同じ気持ちだったろう。手が引っ込んでしまった。いまここで教室を出れば屁をこいた疑いまでかけられるからだ。そう、屁をおこきあそばしたのは沢村ではなかった。俺はそれが誰かわかっていた。

 茂田である。

 この馬鹿、「わり!」じゃねーよなんだそのツラ。ほんと腹立つなおまえ……。

 しかしやってしまったものは仕方がない。こうなれば運命共同体、みんなで漏らせば臭くないの精神でいくしかない。いや臭いか。

 だがその時、奇跡が起きた。志波が「ごとり」と床に倒れこんだのである。


「志波先生! どうしたんですか!」


 前方にいた生徒たちが内股で志波に近寄る。


「気絶してる……」


 どうやら痛みに耐えかねていたところに茂田の屁が精神的なダメ押しになって意識を喪失してしまったらしい。いや、志波を馬鹿にはできない。齢四十五の身空で耐えられる苦痛でなかったのは確かだ。ほんともっと早くトイレいってよかったと思うよ沢村。おまえ耐えすぎだよ。

 俺は最後の任務を果たすべく立ち上がった。横井と茂田も俺にならった。


「自習だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 そのまま脱兎のごとく駆け出して教室の戸を体当たりでぶち破った。ガラス割れたしどう考えてもやりすぎだったが俺たちも限界だった。沢村がこの期に及んでモタつくようなら己らだけでうんこを完遂するつもりだった。いってえもう無理マジで出る無理くっそいてえクソだけにってやかましいわ!

 俺と茂田はそのまま教室と同じ階にあるトイレへ駆け込んでことなきを得た。というよりも、パンツをおろした瞬間にすうっと痛みが消えたのでそれで助かったのだ。どうやら一定の距離を置くと沢村との痛覚は断絶されるらしい。


「助かったな……」

「ああ……」隣の個室から茂田の声が降ってきた。

「ていうか茂田てめえ、あのタイミングで屁ぇこくか普通? 志波が死んだぞ」

「志波は日本男児だ。切腹できる志を持った立派な侍が腹痛ぐらいで死ぬはずがなかろう」


 なかろう、じゃねーよ。志波は帯刀もしてないしあいつの実家は愛媛でみかん作ってるから武士ではねーよ。ていうか武士は滅んだよもう。


「ふう……あれ、横井は?」

 いなかった。



 実は横井は、俺たちが教室の戸をぶち破った時、錯乱して校庭側の窓ガラスをぶち破って下の植え込みへ転落していたのだった。

 なんともまぬけなその醜態を、あわてて駆けつけてきた教師陣に連行され、哀れ横井は三日間の停学を喰らうことになるのだが、その時の俺たちはまだ何も知らずに、のんきに便器にまたがっていたのであった。

 あー、冷たくて超気持ちいい。



『登場人物紹介』

 後藤……タックルに定評がある

 望月さん……弾き飛ばされたカッターが壊れてしまったので、後藤のをパクった

 横井……停学

 沢村……テレパシーに目覚める

 天ヶ峰…寝てた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る