第9話
「にしても天ヶ峰のやついつの間に身分証を……全然見えなかった」
「やつの動きは見るものじゃないよ横井。感じるものなのさ」
「え、なにその古い映画みたいなセリフ」
横井の返しが気に食わなかったので俺は無視することにした。
屋上へ出ると、ぶわっと風が吹いていて思わず目を覆った。天ヶ峰と犬飼さんという名前らしい女性はほこりっぽいビル風などモノともせずに突き進み、向かい合った。
「あなたたちは沢村くんの友達、ってわけね。心配してお見舞いに来たのだろうけれど、タイミングが悪かったわね。まさかこの私と出くわすなんて」
正しくはクラスメイト二名と債権者一名である。
「国家……国家なんとか局のなんとかって人がわざわざ来てるってことは、やっぱり沢村には何か特別な力があるのね」
「犬飼です」
「犬飼……?」
天ヶ峰は小首を傾げた。こいつもう相手の名前を忘れてやがる。これだから脳筋は困る。
「で、えーと、犬飼さん。こんなところへ呼び出してくれちゃって、わたしたちに何を話してくれるのかな?」
ばきばきと拳を鳴らす天ヶ峰。
犬飼さんは眼鏡のつるを押し上げながらふっと笑った。
「そうね……私たちは政府から派遣された超能力者を調査する機関の者よ。沢村くんには発火能力が顕現したという情報があって、話を聞きにきたの」
「だまされないよ。話を聞くだけとか言って、沢村をバラバラにしたりホルマリン漬けにしたりするんでしょう! そんなことされちゃたまらないよ!」
横井が俺の脇を突いてきた。
「天ヶ峰、ひょっとしてまさかの正義に燃えてるのかな?」
「いや、違うな。やつはただ金が欲しいだけだ」
「…………」
犬飼さんはやれやれと首を振った。
「信じてもらえないようね。いまのところは本当なのだけれど。仕方ない……どの道、政府が超常の力を認識していることを国民にバレるわけにはいかないの」
「その心は?」
犬飼さんは右手を掲げた。しゅっと音がして、袖の下に仕掛けられたギミックが作動したのだろう、右手にはグロックが一瞬で握られていた。
「死んでもらうわ」
シャレではなさそうである。
天ヶ峰は両拳を上げてボクシングのオーソドックススタイルを取った。右拳は顎の前、左拳は少し前に突き出している。ジャブのためらしい。
それを見て犬飼さんはぷっと吹き出した。
「何、その構えは? まさか拳銃相手に拳でどうにかしようなんて言う気じゃないでしょうね」
天ヶ峰はにやにや笑って、トーントーンとステップを踏み始めた。よくもまァローファーであんな器用に動き回れるものである。
しかし拳銃はさすがにやばい。俺は横井の袖を引いた。
「な、何?」
横井はテンパっている。
「伏せろよ。流れ弾に当たりたくないだろ」
「あ、ああ……」
横井と俺は腹ばいになって横たわった。天ヶ峰のスカートが風に翻って中身を露呈しそうで胃のあたりがむかむかしてくるがわがままは言えまい。
横井は思い出したように言った。
「なあ、逃げた方がよくね……? 天ヶ峰には悪いけど……」
「逃げたことがバレたらどうなる」
「それはそうだけど流れ弾も怖いし……」
「大丈夫だって。よく考えろよ、犬飼さんはまず一番戦闘能力の高そうな天ヶ峰を狙うだろう。人を撃つときは胴体か頭を狙うはずだ。つまり、天ヶ峰の膝から下にいれば俺たちに流れ弾は当たらない。射線から逸れているからだ」
「なるほど……」
横井は納得しかけたが、あっと何か思いついたような顔をして続けた。
「でも乱戦になったら? めちゃ撃ちされたら俺たちにも当たるかもしれないじゃん」
「乱戦にはならない。天ヶ峰は取っ組み合いなんて品のないことはしない。必ず射程距離圏内からの拳でKOして終わらせるはずだ」
「……KOできなかったら?」
「ああ? おまえ何言って……」とそこまで言って俺は気づいた。
確かに白兵戦なら、拳が当たりさえすれば天ヶ峰は負けないだろう。それは実際にテンプルを撃ち抜かれた俺がよく知っている。あの拳の破壊力は人体の耐久力を超えている。
だが、天ヶ峰といえども実銃相手の勝負は初めてだ。当たり前だ、あいつはただの女子高生なんだから。
射程距離圏内に入る前に撃ち殺されれば拳が届くも糞もなかった。
俺は腹ばいになったまま、ずりずりと後ろに下がった。横井もあわててそうした。
覚悟を決めて、逃げる算段をしておく必要がありそうだった。
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