第10話
犬飼さんは拳銃を構えて、よく狙いをつけていた。ひょっとすると実際に撃ったことはないのかもしれない。
「フンフンフン♪」
鼻歌まじりに、左右へステップを踏み射線から巧みに逃げる天ヶ峰。しかし実際には少しずつ距離を詰めている。常に肩を動かしているのは一見無駄に見えるが、実際のモーションに入った時に相手の反応を鈍らせておくためだろう。遅効性のフェイントというやつだ。
勝負は一瞬でつくだろう、と俺はアタリをつけた。射殺かKOか。
「何かやってるの、その構え」
と、犬飼さんが喋りかけた。さっきまでの余裕が少し消えている。天ヶ峰の流れるような動きに狙いが定められずにいるからだろう。
天ヶ峰はにぱっと笑って、
「べつに。強いて言うなら独学」
「独学にしては……うちのSP並に迫力のある動きね」
「あはっ、ありがとう。このあたりって治安悪いからさあ、女子高生やっていくのもタイヘンなんだよね」
「異常ね……そんな女子高生聞いたことないわ」
「じゃあ覚えておいてよ。あたしが、その異常な女子高生です」
「!」
天ヶ峰が動いた。打ち放しのコンクリートを砕かんばかりのダッシュ。ウルフカットが風に巻かれて逆立ち瞬速の拳が飛んだ。
「死ね!」
ダンッ!
銃声と共に犬飼さんの銃が跳ね上がった。だが、
「!?」
天ヶ峰は倒れない。なぜなのか犬飼さんには最後までわからなかっただろう。弾丸が当たらなかった理由。――天ヶ峰はこの土壇場で右構えから左構えへクイックシフトしていたのだ。一番狙いやすい左胴体が引いて右胴体が前へ出ている体勢。それで本来は心臓を撃ち抜くはずだった弾丸が二の腕をかすめて飛んでいってしまったのだ。
「このッ――!!」
犬飼さんは二発目を撃とうとしたが、間に合わなかった。その前に天ヶ峰の右拳が逆袈裟に銃身をぶん殴り、拳銃を大空へ舞い上がらせていた。天ヶ峰はダン、と足をその場について、
「勝負あり、だね」
言い放った。
強い。なんだこの人。改めて人間じゃねーなあいつ。
「くっ……」
犬飼さんは痛めた手を抱えて後ずさった。
「ば、化け物め……もしかしてあなたもやはり、何かサイキックを……?」
「ええっ? そ、そうなの……?」
おまえが聞いてどうする。
自分の両手を見つめて神妙なツラをし始めた天ヶ峰が、どうやら素で強いただの一般人なのだと認識したのだろう、犬飼さんは自説を引っ込めた。
「いいわ……今日のところは私の負けね。おとなしく引き下がることにするわ。第一、たかだか女子高生が政府の超能力機関について喚いたところで誰も信じたりはしないし」
「じゃあ撃ってきたりしないでよ! 弾丸避けるのめっちゃ怖かったんだから!」
「念のため、よ。……それほど重要な案件ということ。あなたたちはそれに関わってしまった。後悔しないことね……へぶしゃっ」
犬飼さんは最後にくしゃみをして、どやっとした顔をした。しまらない人だなあ。
「ふふふ」
天ヶ峰が悪魔のように笑う。
「逃げられると思ってるの? 捕虜はね、情報をもぎ取られるためにいるんだよ?」
「あなたこそ逃げ切れると思っているのかしら……運命の輪から、ね……」
「運命……?」
その時、バラバラバラと轟音を立ててヘリコプターが飛んできて太陽光を遮った。一瞬の曇りに囚われた俺たちを残して、犬飼さんが降りてきた縄梯子に捕まり飛び去っていく。
「しかるべき時が来るまで……沢村くんは預けておくわ! せいぜい、大切にしてあげることね」
病院上空から立ち去ろうとするヘリコプター。どうでもいいが騒音とか大丈夫なのだろうか。
風でデコ丸出しになった横井が轟音に負けないように叫んだ。
「たい――ったな!!」
「ああ――? なん――だ――ぇ?」
横井は思い切り息を吸い込んで、
「大変なあ――事にい――なったなあ!!」
「ああ――そ――なぁ――!!」
どうでもいいが、今のやり取りで耳が遠くなった時のことを想像して鬱になった。若い時代は大切にしようっと。
俺と横井は立ち上がり、天ヶ峰に駆け寄ろうとした。ヘリコプターは今まさに大都会の海原へと飛び去ろうとしていたし、今日の一件はさすがにこれで終わりだろうと俺も思っていたのだ。だが違った。天ヶ峰美里にそんな惰弱さは皆無だった。
ダンッ!
なんのための踏み込みなのか理解に苦しむ猛ダッシュ。天ヶ峰はそれで弾丸のような加速を膝から受け取りフェンスへと突撃。緑色の網目の直前でまた下方へ踏み込み。地面へダッシュの力をぶつければそれは猛烈なジャンプとなり、天ヶ峰は文字通り跳ねた。金網の構造を見なくても理解しているとしか思えない速度で爪先を突っ込んでは蹴りあがっていく。隣で横井の顎が落ちる音がした。俺の顎も落ちていたと思う。
「勝負はまだ――ついてな――いッ!!」
相手ヘリコなんですけど。
天ヶ峰は鬨の声を上げて金網のてっぺんから飛んだ。白ビル八階、転落すれば即死は免れないその高位へためらうことなく飛んだ。まだ縄梯子をえっちらおっちら登っていた犬飼さんが度肝を抜かれてそれこそ落ちそうな顔になっていた。
がしっ。
天ヶ峰の右手が縄梯子の一番下を掴んだ。そして、まるでスローモーションが終わったかのようにあっという間に時間が過ぎ去って、ヘリコプターもまた大空へ飛び去っていってしまった。嘘のように何もなくなった青空を見上げて、俺と横井は呆然とその場に立ち尽くした。
ただのお見舞いだったはずである。
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